40,☆新しい家族との時間
「もう、ホント焼けちゃいますよー、『あこ』だって、俺たちに向かって亜子さんの名前を口走るなんて、真壁さん相当ですね。亜子さんめっちゃ愛されてるじゃないですかー」
これから香保里ちゃんと食事に行くらしく、林くんが売り場で待っている。
「清彦は混乱してなかった?」
「いえ。そんな風には見えませんでしたけど。お父さんがめっちゃビビってました。しゃべったとこ初めて見たっぽい感じでしたよ」
そうなのだ。
私が名前を呼ばれたと言ったとき、おばちゃんは涙を流して喜んでいたけど、おじちゃんは半信半疑のようだった。
清彦がどうして私の名を口走ったのかは分からないけど、想像すると可笑しかった。
「盛り上がってんじゃん、なんの話?」
着替えを済ませてきた香保里ちゃんが立っていた。
「昨日、真壁さんの見舞いに行ったときの話だよ。香保里にも教えてやるよ。行こうぜ」
二人は微笑み合いながら行ってしまった。
ここ最近、夜の店番は私一人だ。
レジを締めて、本店に売り上げ報告をするまでが遅番の仕事になる。
例年6月は売上が悪いのだけど、先日の新人ちゃんのアイディアで、新商品を敢えて後ろに下げたのはいい効果をもたらしているようだった。
お客さんは夏の日焼けアイテムより、春の発色の良い商品をお買い求めくださっている。
本社の意向に添わないディスプレイをした責任は、私が退職を決めていることもあって、報告をして済ませようと思っていた。
売上が悪いままであれば新人ちゃんは来年度、同じことを主張しないだろうし、売上が良ければ、それはそれで会社の為になる報告になるはずだ。
どちらにしてもメリットになる。
私は売上のシステムに数字を入力し、この店舗が勝手にやったディスプレイ変更を写真を付けた報告書にまとめて添付した。
明日、清彦が退院する。
午前中は付き添って、午後、会社に電話をして退職の意向を伝えることにした。
気持ちよく晴れた梅雨の中休み。
雨に洗われた街や草木はピカピカとしている。
動きやすい格好で病院に向かった。
「おはよう、清彦」
窓際に立って外を見ていた清彦が振り向きざまに「亜子」と言った。
昨日よりもスムーズに言葉が出てきているようだった。
鞄に衣類が収納されている。
退院を心待ちにしている様子が垣間見えて可愛い。
「おじちゃんとおばちゃんはお家で待ってるって。行こう?」
私が鞄を持つと、清彦がそれを取り上げた。
無表情は変わらないけど、小さく頷く回数が増えたし、感情を行動で示してくれることが多くなってきている。
確実によくなってきている……嬉しい……
外に出ると出来ないから、病室を出る一歩手前で清彦に抱き付く。
顔を上げて目を瞑った。
優しいキスがちゃんと返ってきた。
総合病院からバスが出ているけど、私たちは歩くことにした。
この前、一緒にジュースを飲んだテニスコート脇を通り抜けて少し歩くと、私たちが通っていた高校がある。
チャイムの音が聞こえて、校舎の前で足を止めた。
「あの時はごめんね」
私の突然の告白に、清彦がこっちを向いた。
高3の夏、私たちはお互いの初めてを捧げ合い、身も心も溶けあっていた。
それを壊してしまったことを、私はずっと謝りたかった。
「新学期が始まって、私、友達にしゃべっちゃったの」
9月以降、学年中の噂になってしまい、私と清彦は会話をする度に冷やかされた。
思春期のそれは、笑えないほどに残酷で、私は清彦が浴びせられる言葉が気になり、避けるようになってしまった。
自然と開いてしまった二人の距離……
縮められないままに迎えた卒業式。
清彦が友達を紹介してきた。
もう私のことなんて何とも思ってないんだって知って、ショックだった。
「二人だけの大事な時間だったのに、大切に出来なくて本当にごめんね」
涙が浮かんでくる。
「清彦がしゃべれないときにしか、謝れないなんて、情けない私でごめんなさい」
とうとう目から涙が零れ落ちた。
「亜子、亜子……」
清彦が私の名前を呼びながら手を強く引いた。
よろけた私を抱きとめて、強く両腕を背中に回す。
バシバシと叩きながら、清彦は何度も私の名前を呼んだ。
あちこち道草を食って来たから、家に着いたのはお昼をとっくに過ぎていた。
「遅くなってごめんなさい……」
昼食を一緒にと言われていたのに、お待たせしてしまったことを詫びる。
「いいのよ。久々の散歩で清彦が興奮したんじゃない?いろいろ連れ回されて、亜子ちゃん疲れていない?」
「いいえ。全然」
「お腹空いてない?二人とも早く手を洗っていらっしゃい」
清彦がじっとおばちゃんを見ていた。
「お母さんだよ。清彦は『かあさん』って呼んでたよ」
そう言いながら狭い洗面所で二人で手を洗った。
「わぁ!美味しそう!」
「いつ帰って来るか分からないから、温かいものが用意できなくてごめんね」
素麺に、刻んだ薬味と野菜がたっぷり並んでいた。
「亜子ちゃんは何を入れるのが好きかね?」
「私はショウガとミョウガとキュウリ、あととろろも好きです!」
「清彦は、ワサビ派だったな。あと、トマトとキュウリか?」
おじちゃんとおしゃべりをしていたら、おばちゃんが麦茶のグラスを持って来てくれた。
それぞれの前に置かれて、手を合わせる。
「「「いただきます!」」」
思い思いに好きなものをそばちょこに入れていく。
「か……あ……さん」
清彦が言って、おばちゃんがお箸を落とした。
「聞きました?今、おばちゃんのこと呼びましたよね?」
「ええ、ええ。清彦、もう一回言ってみて」
おばちゃんのリクエストに応えて清彦は「かあさん」と言った。
ティッシュで顔を抑えるおばちゃんの隣で、泣きながら素麺を啜りながら、おじちゃんは「次は『父さん』な?」と言った。




