4,☆お泊りしても何もない
清彦は泊まった。
何度も『帰りなよ』って言ったのに、明日は休みだからって言い張って帰らなかった。
カーペットに布団を敷いてすやすやと眠っている清彦を、ベッドの上から眺める。
日に焼けてるけど、肌は張りがあってきれい。
薄めの唇に、形のいい眉毛、長くてカールしてる睫毛……
かつて大好きだった男の寝顔に、胸がときめく。
いけない、いけない。
今は、そういう関係じゃないんだった。
30歳の男女が同じ部屋にいたって、何も起こらない。
それはすなわち『脈なし』。
つまり、私は女として見られてないという事だ。
私は今日は遅番だ。
「朝ご飯食べる?」
「亜子が食べるなら同じの食べる。食べないなら、俺も要らない」
明快な回答をありがとう。
とりあえず、昨日のカレーを温め直して、8枚切りの食パンをトースターで焼いた。
「こんなんで足りる?」
その鍛え上げた筋肉を維持するのに、どれくらいの栄養がいるのか分からない。
「充分、充分。今日は仕事何時から?」
「遅番で、11時に行けばいい。昨日は一緒にいてくれてありがとうね。危うく独りぼっちで過ごしてしまうところだった……へへ」
「無理して笑うな。ってか、もっと早く連絡よこせよな。俺だって誕生日世話になったんだし、借り返すチャンスくれたっていいだろ?」
こういう天然チャラ優しい感じが、モテちゃうんだろうな。
「じゃ、一緒にランチに行こう?昨日のディナーの代わりとかじゃないんだけどさ、やっぱり、記念すべき30代の門出だし、ちょっといいもん食べたいなーなんて」
友達に頼むことじゃないと分かってるんだけど、つい甘えちゃう。
清彦はこういう時、私の期待を裏切らない。
「おっけ。じゃ、どこぞのホテルでランチでいいか?ちょっと、一旦帰って、いい格好してくるから、待っててな?」
清彦は電光石火のごとくカレーとパンを平らげて、家を飛び出して行った。
私も食器を片付けて、クローゼットを開ける。
昨日、着損ねた新しい服に袖を通す。
ホットカーラーを髪に巻いて、お化粧を始める。
清彦は私のすっぴんを知ってるから、ばっちりメイクで化けた私をどう思ってるんだろう。
引かれてもいいや……
当初の予定通り、120%盛りの自分で行こう。
『下で待ってる』
そう連絡をもらって、カーテンを捲り窓の下を見た。
「おぉ!」
結婚式にでも参列するの?と言いたくなる『いい格好』をした清彦がいた。
笑いが込み上げてくる。
「そこまでしなくていいのに!」
はしゃぎながら降りて行った。
「ありがとう!めっちゃかっこいーじゃん!」
嬉しくなって腕を絡める。
「あ……亜子も……この短時間で、よくそこまで仕上げたな」
「私、プロだよ?ちょっとやり過ぎたかなぁって思ってたけど、清彦がこんな素敵な格好して来てくれたから浮かないね?」
走ってきたんだろうな。
清彦の心臓がどっきんどっきんと動いてるのが分かった。
「あんまし顔つけんなよ」
「大丈夫。耳だけだよ。お化粧は洋服につけないようにするから」
軽くのけ反る清彦の腕をしっかりホールド。
「駅前のホテル?」
「ああ。そこなら、亜子の職場が近いから、ギリギリまでいられる……つっても、11時前には出なきゃなんだろ?」
ランチにもならない時間か。
「モーニングかブランチだね。さっきカレーも食べちゃったし、こんなんだったら食べなきゃよかった、ね?」
「いや……俺は……」
ん?何か胃に入れておきたかったって感じ?
平日のブランチは空いていて、窓側のいいテーブル席に着けた。
困ったな。ちっともお腹空いてない。
「こんなのどう?」
清彦の指さすメニューを見た。
『季節の果物とリコッタチーズのパンケーキ』
8月の季節の果物は『桃とシャインマスカット』だった。
「おいしそう!」
「俺はこっちにしようかな」
そう言って清彦は、マンゴーパフェを指さした。
「甘いのばっかりじゃない?好きなの頼んでいいよ?」
私に気を遣ってくれてるんだと思う。
「帰ったら昼めし食うから、今はこういうのがいい」
そっか。
「じゃ、お言葉に甘えて……」
煌びやかに彩られたテーブルを見て、自然と顔がほころぶ。
「すごい豪華。ありがとう、清彦」
紅茶とコーヒーで乾杯は出来ないけど、清彦が私の目を見て「改めて、お誕生日おめでとう、亜子」と言ってくれた。
はぁ。お腹はいっぱいだ。
結局、パンケーキもパフェも、私が一人で食べたって感じ。
清彦は食べてる私を見てただけだった。
制服に着替えて、コスメ売り場に立つ。
既にいつもより濃い目のメイクだけど、新商品を肌に乗せてみる。
「いい色」
夏の新色、『日焼けした肌に合うチーク』は私の頬に馴染んだ。
「先輩、似合いますね!」
入社2年目の後輩、香保里ちゃん。
「ありがとう。香保里ちゃんは色が白いから、ちょっと合わないかもね」
「そうなんですぅ。私がつけるとオカメインコみたいになっちゃってぇ」
「ははは。それはちょっとねえ?」
明るくて面白いいい子なんだ。
「先輩、今日、なんかあるんですか?」
あ。20%増し増しだもんね。
「うーん。さっきまでちょっと……」
なんて言おう。デートじゃないし、食事って言えなくもない……よね?
「亜子」
香保里ちゃんへの返事に困っていたら、清彦がやって来た。
「え?どうしたの?」
こんなところ、男の人が来るような場所じゃなくない?
意外にも華やかな女性ばかりのフロアに、浮かないどころか、今日の清彦は馴染んじゃってる。
消防士じゃなければ、ホストもいけたかもね。なんて。
「えっと。渡し忘れてたから」
そう言ってミントブルーの小さな紙袋をもらった。
「こんなのもらえないよ」
「誕プレ」
清彦は気まずそうに行ってしまった。
「先輩、開けてみてくださいよ!」
興味津々の香保里ちゃんにせっつかれ、開けてみると、中にはオープンハートのペンダントが入っていた。




