35,☆素直になると誓った日
清彦が病院に運ばれて一週間が経った。
未だ目を覚まさず、予断を許さない状況が続いている。
3月30日
本来なら、清彦の壮行会と司の誕生会を開く予定だった。
仕事前に病院に立ち寄る。
ICUの前でぽつりぽつりと語りかける。
「ねえ、4月になっちゃうよ。新しい職場を無断欠勤するなんて、らしくないぞ」
微動だにしない清彦は眠っているようにしか見えない。
「早く起きてよ。私、言わなきゃならないことがあるんだから」
失う時になって初めて気付くなんて、私ってばつくづく馬鹿だな。
なんであんな意地を張ってたのか、自分でもよく分からない。
私の息でガラスが曇る。
袖で拭って、また顔を近付けた。
「亜子……」
振り返ると司が立っていた。
「起きていいの?」
「ああ。今日退院する」
「そっか。よかったね。あと……お誕生日おめでとう」
司はしっかりと固定された左腕を庇いながら、私に深く頭を下げた。
「ごめん。真壁さんがこうなったのは俺の不注意で、本当に亜子には申し訳ないと思っている」
「司のせいじゃないよ。私、聞いたよ。あの日、現場で何があったのか、おじちゃんが全部話してくれたの。だから司は悪くないって知ってる」
司は右腕で顔を拭った。
「謝らなきゃならないのは私の方。あのね……司……私、清彦のことが好きなの。ずっと前から彼のことしか見えてなくて、だけど、その気持ちに蓋をしたまま、司と付き合ってた。失礼なことをして本当にごめんなさい」
精一杯の気持ちを込めて頭を下げる。
「いいって。言っただろ?気付いてたんだよ。亜子は感情が顔に出過ぎ」
歯を出してニコッと笑ってくれた司のそれは、傷ついた心を隠す作り笑いだ。
しばらく一緒にいたから、それくらいのことは分かるようになっていた。
「ごめんね」
最後まで優しくていい人だった。
司と知り合えたことは、幸せな思い出になる。
並んでガラス越しに清彦を眺める。
「真壁さん、俺、しばらくデスクワークです。せっかく隊長の役を任されるって、張り切ってたんですけどね……亜子がいるのにナンパなんてしたから罰が当たったんですかね」
「ふふっ」笑っちゃった。
「言っときますけど、俺は真壁さんだから亜子を諦めるんですよ。そうじゃなかったら結婚を申し込むつもりでした。亜子の夢なんですよね?真壁さん、きちんと叶えてやってくださいよ」
司と清彦もそんな恋バナするんだって、ちょっと意外だった。
「あっ!」
司が小さく叫んだ。
その理由は私にも分かった。
「今、動いたよね?」
指先がピクリと動いた。
「ああ。俺も見た!先生呼んでくる!」
司が走って行った。
やっちゃ駄目だって分かっているけど、ガラスを叩く。
「清彦!清彦!」
ほんの僅かに首をこちらに傾け、清彦は目を細めた。
やった……よかった……目を覚ましてくれた……
ガラスにおでこをくっつけ、口を大きく動かす。
「あ・い・し・て・る」
届け!
「あ・い・し・て・る」
伝われ!
私の声にならない声は清彦に届いたみたいだった。
彼の親指が、震えながら立ち上がった。
バタバタと駆け込んできた医者と看護師に追い出されてしまい、司と待合室にいる。
窓口が混んでいて、退院の手続きにはまだ時間がかかりそうだ。
「もうすぐ林が来てくれるから、ここでいいよ」
そう言われ、ボストンバッグを司に渡す。
「リハビリ大変だと思うけど、頑張ってね」
「おう。亜子も仕事と真壁さんのサポート、あんまり無理すんなよ」
「うん」
暖かい春の陽気と清々しい風に、気持ちがしゃっきりする。
ふわふわと浮かぶように歩きながら職場に向かった。
清彦が目覚めてよかった。
早くおしゃべりしたい。
「香保里ちゃん!惟子ちゃん!」
休みがちだった私のシフトを二人が埋めてくれた。
「亜子先輩!良いことありました?」
察しのいい香保里ちゃんが、嬉しそうに聞いてくれる。
「さっき清彦の目が覚めたの!」
「うっそ!やりましたね!」
「おめでとうございます!」
二人も自分ごとのように喜んでくれた。
「亜子先輩、素直になれたんですね。なんかキラキラしてとっても綺麗です」
「香保里ちゃん……ありがとうね。私、どうかしてた。司と清彦を比べるようなことして……でも、今回の事故で思い知ったの。清彦から離れるなんてできっこないって。こんなに好きなんだから、側にいなきゃって」
「自分の気持ちに忠実になるって大事ですよね。実は私も……」
珍しく香保里ちゃんが言い渋っている。
「どうしたの?なにかあったの?」
「林くんと正式にお付き合いすることになりました。やっぱり事故がきっかけで、手放したくないなって独占欲が湧いて来ちゃったっていうか」
「へえ!じゃ、もうお互い一途なお付き合いをしていくの?」
「そういうことです。私は亜子先輩を見ていいなって思ったし、林くんも真壁さんを見ていて思うところがあったみたいです」
好きって気持ちにはたぶんバリエーションがあるんだと思う。
いろんな瞬間にドキドキは登場するから、
実はそれらの感情は似て非なるものなのに……
たまに勘違いして取り違えちゃったりするんだろうな。
正解は分かりにくいけど、必ず正解はあるんだ。
自分の気持ちに素直になることでしか、その選択が正しかったかは分からない。
だから私は誓う。
素直になる、と。




