26,☆それぞれの生活
今年の桜は開花が早く、もうとっくに散ってしまった。
付き合い始めて半年になる彼氏、田浦司と約束していた『お花見計画』は叶わなかった。
「お花見行けなかったね」
二人の勤務シフトが合わず、タイミングを逃してしまった。
「来年に期待だな」
私たちはよく来る居酒屋で、いつものメニュー、焼き鳥の盛り合わせ、出汁巻き玉子、ホッケの一夜干しを頼んで、ビールを飲みながら待った。
「今日のお通し美味しい」
きゅうりとタコの酢の物は、柚子の皮が乗っていた。
「亜子さ、ちょっと仕事の話していい?」
「どうぞ?」
今日はちょっとテンション低めだった司がようやく話してくれる気になったみたい。
「春からの辞令が交付されたんだけど……」
まさかの異動?
思い詰めた表情に心が苦しくなる。
せっかく慣れてきた生活リズムが……
そんなこと思うのは自分勝手だよね。
一番キツイの司だもんね。
ちゃんと支えてあげなくちゃ。
「俺、隊長に昇格した!」
急にべぇって舌を出して、ゲラゲラと笑っている。
一瞬、何が起きてるか分からなくなって、ポカンとしてしまった。
「ちょっとー!もぉ!」
おしぼりを投げつける。
「深刻な顔するから、何事かと思ったじゃん!ビックリさせないでよね」
ほっとして私も笑い出した。
「引っかかった!亜子、騙されやすいって言われない?」
「言われないよ、騙す人なんていないもん」
ビールジョッキを握りながら、ふと、心に浮かぶ……
司は清彦の隊の副隊長だったはずだ。
じゃ、清彦は?
気になって喉まで出かかってるけど、聞けない。
清彦の名前を司の前では言わないようにしてきたから、こんな時でも自然と口にできない。
「真壁さんが異動になるよ」
視線を落としたまま、割り箸でお通しをいじくりながら、司が教えてくれた。
「そうなんだ」
声が上ずって、自分のものとは思えなかった。
清彦とはもう半年会っていない。
私が体調を崩して倒れ、運ばれた病院にお見舞いに来てくれた。
それ以来……清彦を振った、あの日以来……
まーちゃんとは上手くいかなかったらしい。
『あの人、性欲ないんです』ってまーちゃんが言いふらしてたけど、そんなはずないと思うんだけどな。
ずっと友達でいられたらよかったのに。
そしたら、お互いの恋愛相談に乗って、おしゃべりしながら朝までお酒飲んで、泣いたり笑ったり感情をさらけ出して、なんでも話して……こんな関係が大好きだったのに。
「食わないの?」
司の声に呼び戻される。
「いただくよ」
焼き鳥の串を一本、手元の皿に持って来る。
「聞かないの?」
「え?」
「真壁さんのこと、気になってんだろ?」
なんでも見透かされちゃうけど、私だってそんな無神経じゃない。あなたを気遣うくらいの配慮はできますよーだ。
「関係ないよ。清彦とはそんなんじゃないって前から言ってるじゃん」
「ふーん」
にやっと笑って話を合わせてくれる。
司は本当にいい人だ。
「朝からバタバタしてごめんな」
朝6時、司が出勤の準備の為、一旦自宅に戻る。
「ご安全にね」
玄関で見送る。
私たちは互いの家を行ったり来たりしている。
勤務形態が特殊な消防隊と、不規則なシフトで働く私とは、一つ屋根の下に暮らすのは難しそうだ。
それにしても、互いの私物はそれぞれの生活区域を犯すことなく、一人暮らしのときのまんま。
「さてと」
自分の身支度を始める。
今日は春の新作コスメの勉強会に本社ビルに行かなくてはならない。
駅ビルを抜けて、人混みに圧倒される。
「うげぇ」
通勤ラッシュとは無縁の生活を送っているから、こういうのは本当に苦手。
何本か見送れば乗れるかな、と思いつつ、もう3本の電車を見送った。
駄目だ。人は増えるばかりで、減りはしなかった。
覚悟を決めて、『次こそは』と意気込む。
「おはよう、亜子」
あまりにビックリし過ぎて、口から心臓が飛び出すかと思った。
だって……その声……
「清彦、こんなところで何してんの?」
「なにって、電車に乗ろうとしてるに決まってんだろ?お前こそ、電車に乗ろうとしないで何してんだよ」
「だってぇ」
けたたましい音と風がホームに流れ込み、停車した車両からとんでもない数の人が湧き出てくる。
「ほら、乗るぞ」
清彦に背中を押され、転がり込むように車両に乗った。
これでもか、これでもかと人が乗ってきて、あれよあれよという間に、隣車両との連結部分まで押し込められた。
「ふう、ありがと」
ようやく息がつけて、呼吸を整える。
「清彦はどこに行くの?」
降りたことのない遠い駅の名前を言った。
「田浦から聞いてると思うけど、俺、異動になったからさ、引っ越しすんの。今度の勤務地は遠いし、いい歳して実家暮らしってのもな。今日は物件の下見ってやつ」
腕を突っ張って、私を押しくらまんじゅうから守ってくれている。
「いつ?」
「引っ越し?30日の予定」
司の誕生日と被っている。
特別なものはつけていないはずなのに、清彦からは甘い体臭がしてくる。
この匂いにくらくらした時期もあったけど、それは過去のことだ。
清彦は新しい生活を、私は私で司との生活を、春からの新生活に私たちは交わらない。




