表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
9/10

ファフロツキーズ

 ロンドン行きの急行列車が激しい蒸気を吹き出し、プラットホームの乗客たちが一斉に動き出した。

 喧騒が最高潮に達する中、私たちの周囲を囲む警察官たちの包囲の網が、じりじりと狭まってくる。


 手を伸ばせば、アニーが持つ金貨の革カバンに届くほどの至近距離。戦えば一瞬で蜂の巣にされる、文字通りの絶体絶命。

 

「さあ、お嬢さんたち。大人しくこちらへ――」

 

「悪いけれど、私たちはここで失礼するわ!」

 

 メアリーが今までで一番芯の通った鋭い声を響かせた。

 次の瞬間、彼女は徹底した現実主義者としての冷徹な決断を実行に移した。


 メアリーは内ポケットからあの呪われた黒い蝋引きのケース――海軍省最高機密である潜水艦の施工用詳細設計図を引っ張り出した。

 

「なっ、何をする!?」

 

 警察官が目を見開く中、メアリーは叫んだ。

 

「ロバータ、エレーヌ、アニー! 跨線橋へ走りなさい! 『くれてやる作戦』よ!」

 

「了解! 何それ最高、行くよみんな!」

 

 私は恐怖するどころかアドレナリンを爆発させて、ツバメみたいにすばしっこく警察官の股ぐらをすり抜け、ホームの中央にある鉄製の跨線橋の階段へと駆け上がった。

 アニーも重たい革カバンを抱えたまま、大柄な体躯からは想像もつかない俊敏さで階段を一段飛ばしに登っていく。

 

「おい、待て! 逃がすな!」

 

 警察官たちが怒号を上げて階段を追ってくる。

 

 私たちは息を切らせながら、駅のホームを真上から見下ろす跨線橋の真ん中へと辿り着いた。

 下を見れば、列車に乗り込もうとする何百人もの一般客や駅員、そして私たちを血眼で探す警察官たちがひしめき合っている。


 風が吹き抜ける高い橋の上、メアリーが手にした設計図を広げ、アニーが金貨の詰まった革カバンをドサリと手すりに載せた。

 

「アニー、エレーヌ、準備はいい?」

 

 メアリーの合図とともに、アニーがその怪力で金貨の袋をナイフで豪快に引き裂いた。

 

「労働者の結晶よ、すべての人々へ還りなさい!」

 

 アニーが沈着冷静な顔のまま、高圧的なまでの風格でカバンをひっくり返す。

 同時にメアリーが、国家最高機密の潜水艦の図面を、風の中へと高く放り投げた。

 

 大英帝国の頭脳と富が、カーンフォース駅の濁った空気の中に、いっせいに舞い散った。


 それは、灰色に曇ったカーンフォース駅の天井から降り注ぐ、まばゆいばかりの純金の雨だった。


 数千枚もの金貨が、駅の冷たい風に煽られて、プラットホームのあちこちへと美しく、残酷に舞い散っていく。

 さらにその間を縫うようにして、大英帝国が最も隠したがっていた潜水艦の青い設計図がひらひらと宙を舞った。

 

 一瞬の、静寂。

 

 ホームにいた何百人もの乗客や駅員たちが、頭上から降ってきた「それ」が何であるかを理解した瞬間、駅全体の理性が完全に消し飛んだ。

 

「お、おい! これ、本物の金貨だぞ!」

 

「ソヴァリン金貨が降ってきた!」

 

「退け! それは俺が先に見つけたんだ!」

 

 上品ぶっていた紳士も淑女も、荷物を放り出して床へ這いつくばり、我先にと金貨の争奪戦を始めた。

 一人が群がれば、そこに十人が群がり、百人が押し寄せる。


 駅員も乗客も一緒くたになって泥まみれの床を転がり回る姿は、悪いけど最高に滑稽!

 

「これよ! これこそが、資本の魔力に狂った人間の醜い姿よ!」

 

 跨線橋の手すりから下を見下ろしながら、エレーヌが笑い声を上げた。

 

「おい、お前たち、そこの小娘どもを――うわっ、押すな! 退け!」

 

 私たちを階段の下から追いかけてきていた鉄道警察官たちも、完全に無力化されていた。

 だって、彼らが前に進もうとしても、床の金貨を拾おうと狂ったように群がる一般客の大波に押し流されて、一歩もこちらに近づけないんだから。


 帽子を飛ばされ、群衆の足元に踏みつぶされそうになりながら、警察官たちが顔を真っ青にして絶叫している。

 

「完璧ね。これなら、誰も私たちを追うことはできないわ」

 

 メアリーが風に吹かれながら、最高に満足そうな声を響かせた。

 手先が器用な彼女の弾き出した「くれてやる作戦」は、徹底した現実主義の計算通り、この駅全体を完璧なパニックへと陥れてみせた。


 アニーは空っぽになった革カバンをゴミ箱へと放り捨て、腕を組んでフッと鼻で笑った。

 4人の中で最も肝が据わっている彼女は、眼下の地獄絵図のような大騒ぎを前にしても、沈着冷静そのもの。


 その高圧的なまでの風格で、大混乱のホームを冷たく見下ろしている。

 

「あははははは! 大英帝国の偉い大人たちが、女の子四人に振り回されて大乱闘だって! あー最高、最高のスリルだよ、これ!」

 

 私は恐怖なんて一ミリも忘れて、お腹を抱えて大喜びで笑い転げた。

 泥まみれのスラムを追われ、ただの現金強盗から始まった私たちの逃亡劇。


 気がつけば国家の敵にまで上り詰めていたけれど、今、この跨線橋の上から見る景色は、何物にも代えがたい多幸感に満ち溢れていた。

 金貨も、国家機密の図面も、全部あのおじさんたちにくれてやった。私たちのポケットは今、一文無しの完全に空っぽ。


 でも、今の私たちの心は、これまでにないくらいに満たされていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ