廃坑での出来事
バローの街を脱出した私たちは、激しい雨が叩きつける暗闇の中をひたすら北へと爆走していた。
エレーヌが荒々しく御者台で手綱を捌き、二頭の馬が泥水を撥ね上げて駆ける。
荷台に乗っている私とメアリー、そしてアニーの身体は、悪路のせいでガタガタと激しく揺さぶられていた。
普通なら恐怖で泣き出すような状況かもしれないけれど、私の心臓はまだドクドクと高鳴っていて、楽しさのあまり笑いが止まらない。
「ちょっと、ロバータ、何がそんなに おかしいのよ。追っ手がいつ来るか分からないのよ?」
メアリーが私の肩を掴み、少し呆れたように窘めてきた。
彼女は揺れる荷台の中でも、バロー周辺の地図と時間を頭の中で冷徹に計算しているみたい。
本当に、理想より現実の数字を信じるエンジニア気質なんだから。
「だってメアリー、あのおじさんたちの顔見た? まさか女の子四人に、自慢の馬車を丸ごとふったくられるなんて思ってもみなかったって顔してたじゃん! あー、最高!」
「ふん、当然の帰結よ」
私の隣で、巨大な鉄製スパナを膝の上に置いたアニーが、冷たく鼻で笑った。
彼女は相変わらず表情一つ変えず、沈着冷静そのものだ。
「奴らは資本家の財産を守るためだけに雇われた、魂のない人形。私たちの労働の結晶たるこの給料を、本来あるべき労働者の手に奪い返しただけ。恐れる必要など微塵もないわ」
「アニーの言う通りよ! これは、あの傲慢な大英帝国の鼻を明かす、偉大なる第一歩なんだから!」
御者台からボサボサの黒髪を振り乱してエレーヌが叫ぶ。
彼女は本当に、こういう反権力的なシチュエーションになると情熱に火がつくんだから。
ポケットに入ったリボルバーがカチカチと音を立てている。
「はいはい、政治の講釈はそこまで。エレーヌ、次の辻を右よ。ダルトンの廃坑へ滑り込むわ。そこなら追っ手の目を眩ませられる」
メアリーが鋭く指示を出す。
バローの内部構造や地形を完璧に把握している彼女のナビゲートは、いつだって百点満点。
「分かったわ! 行くわよ、労働者を搾取する悪魔の馬たち、もっとスピードを上げなさい!」
エレーヌが派手に鞭を振るう。
……いや、馬は別に労働者を搾取してないと思うんだけどね。
そういうエレーヌの変な毒舌、私は結構好きなんだよね。
馬車は大きく車体を傾けながら、ぬかるんだ田舎道を右へと折れた。
見えてきたのは、数年前に掘り尽くされて放棄された、ダルトンの荒れ果てた坑道の入り口。
周囲には赤錆びた古い鉄格子の柵や、崩れかけた石造りの小屋が点在していて、不気味な雰囲気を醸し出している。
でも、今の私たちにとっては、警察の目から隠れて戦利品を山分けするための、最高の秘密基地だ。
エレーヌが手綱を引き、馬車が急停止する。
「着いたわ。さあ、一刻も早くこの忌々しい、けれど美しい『戦利品』を運び出すわよ!」
アニーが真っ先に荷台から飛び降り、頼もしい足取りで馬車の後部へと回り込む。
「ロバータ、メアリー、ランタンで足元を照らしなさい。ここからは私の仕事よ」
アニーはそう言うと、馬車の奥に鎮座する、鉄板で補強された頑丈な郵便袋――その中にある、お目当ての重たい金庫に目を留めた。
さあ、いよいよお宝とのご対面!
私はワクワクしながら、ランタンの光をアニーの大きな背中に向けた。
普通なら大人の男が三人、四人がかりで大汗をかいて運ぶような、鉄板補強された重たい郵便袋。
それをアニーは、ふん、と短く鼻を鳴らしただけで、こともなげに両腕で抱え上げてみせたの。
「アニー、本当に頼もしすぎる! そのまま鉱山王にでもなれそうじゃん!」
「無駄口を叩いていないで、ロバータ。奥へ進むわよ」
アニーは表情一つ変えず、沈着冷静な足取りで廃坑の奥へと歩き出す。
私とメアリーはランタンの遮光板を調整して、漆黒の闇に包まれた坑道を照らしながら、その後を追った。
エレーヌは入り口で馬車を木陰に隠し、息を切らせながら最後に滑り込んできた。
叩きつける雨の音が、坑道の奥へ進むにつれて遠ざかり、代わりに不気味な静寂が私たちを包み込む。
ひんやりとした湿った空気と、古い泥の臭い。でも、私たちの心はそれどころじゃない。
「よし、このあたりでいいわ。アニー、そこに下ろして」
メアリーの指示で、アニーがズシンと豪快な音を立てて郵便袋を地面に下ろした。
「さあ、お楽しみの時間だよ! ねえ、早く開けよう!」
私は待ちきれなくて、リスみたいに袋の周りをぴょんぴょん跳ね回っちゃった。
エレーヌもボサボサの黒髪の隙間から、爛々と輝く瞳を覗かせている。
メアリーが作業着のポケットから、使い慣れた細いピッキングツールを取り出した。
手先が非常に器用な彼女にとって、郵便袋の頑丈な錠前なんて、子供の玩具も同然。
カチ、カチリと、複雑な金属音が暗い坑道に小さく響く。
「……よし、外れたわ」
メアリーが落ち着いた手つきで、袋の口を大きく開いた。
その瞬間、私たちのランタンの光を浴びて、眩いばかりの輝きが闇の中に弾けた。
「うわぁ……! すごい、本当にきんきらきんだ!」
思わず叫んじゃった。袋の中にぎっしりと詰まっていたのは、まばゆい黄金の輝きを放つ、数千枚もの金貨!
一枚一枚がずっしりと重くて、イギリスの女王様の横顔がこれでもかってくらい綺麗に刻印されている。
私はたまらなくなって、金貨の山に両手を突っ込んでジャラジャラと音を立てた。
死ぬかもしれないスリルの後に、このきらめき。脳みそがとろけちゃいそう!
「これが……私たちの勝利の証。これだけあれば、スラムの仲間たちを救い、新しい闘争の資金にできるわ」
アニーが珍しく、満足そうに目を細めて呟く。
「ふん、大英帝国の偉そうな連中が泣き叫ぶ顔が目に浮かぶわね! ざまあみなさい!」
エレーヌも狂喜乱舞して、ポケットのリボルバーを握り締めながら毒舌を爆発させている。
作戦は完全な大成功。
これでお金を持ってバローを飛び出せば、私たちの勝ち。
そう、誰もが確信していた。
けれど、徹底した現実主義者のメアリーだけは、金貨の山に目を奪われていなかった。
彼女の鋭い視線は、袋の底に残された「別の塊」に注がれていた。
「……待って。まだ何か入っているわ」
メアリーが冷えた手袋を外した手で、金貨の隙間からそれを取り出した。
それは、まばゆい金貨とは対照的な、不気味なほどに重苦しい黒。カチカチに固められた蝋引きの防水ケースだった。
しかもその表面には、禍々しい「海軍省」の刻印が、深く、刻まれている。
「何これ、おまけ? 宝石でも入ってるのかな?」
私が首を傾げると、メアリーの表情が初めて強張った。
「違うわ。厳重な鍵がかかっている……ただの現金強盗の馬車に、なぜ海軍省の荷物が混ざっているの?」
不穏な空気が、一瞬で坑道の中に広がった。
メアリーが再びツールを操り、緊迫した沈黙の中で黒いケースの鍵を弾き飛ばす。
中から出てきたのは、数枚の大きな、青い厚手の紙――図面だった。
「なによ、ただの船の絵じゃない。ヨットか何かの設計図?」
覗き込んだ私がそう言うと、メアリーの複雑な機械構造を瞬時に理解できる天才仕上工の目が、その図面を凝視したまま凍りついた。
「……違う。これ、普通の船じゃない。潜水艦……それも、海軍が極秘裏に開発しているっていう、最新のホランド型施工用詳細設計図よ」
メアリーの声が、微かに震えていた。
金貨を奪ってめでたしめでたし、のはずだった。
なのに私たちの手元には、大英帝国が最も隠したがる「国家最高機密」が握られていた。




