給料馬車襲撃作戦
イングランドの北西部、アイリッシュ海から吹き付ける風は年中容赦なく冷たくて、鼻の頭がいつでも凍りそうになる。
でも、街全体を覆う空気はそれ以上に不愉快。
四六時中、重油と錆びた鉄の臭いが肺の奥までこびりついて、吐き出す息まで灰色になりそう。
ここバローは、世界最強の軍艦をこれでもかってくらい造り出す、泣く子も黙るヴィッカース社の巨大造船城下町。
大金持ちにとっては富の象徴、私たちみたいな底辺の労働者にとっては、命をすり潰して歯車にするための地獄の底。
そんなクソみたいな街のさらに隅っこにあるスラム街が、私の、私たちの唯一の居場所だった。
だった、というのは、ヴィッカース社が「造船所をもっとデカくするからお前らどけ」って、そのスラムを跡形もなく取り壊すって決めたから。
ムカつくでしょ? 大人が勝手に決めた理不尽のせいで、私たちの家が消えるなんて。
でもね、私は怒り狂ってるわけじゃないの。政治のことも、お金の本当の価値も、正直一ミリも興味がないから。
ただ、退屈な日常が大嫌いなだけ。
死ぬかもしれないスリル、アドレナリンが頭の中で弾ける瞬間、そして何より――偉そうな大人が私たちみたいな小娘に振り回されて、顔を真っ青にする姿を見るのが、たまらなく大好きなの。
だから、今回の計画に私が乗ったのは必然ってワケ。
「ねえ、まだ来ないの? もう体が冷えて凍りついちゃうんだけど」
激しい雨の音が響く中、私は大きなスパナを抱えてじっと佇む大柄な少女に話しかけた。
彼女の名前はアニー。鉄道の機関士の娘で、熱狂的な共産主義者。男勝りの大柄な体格で、沈着冷静。この四人の中で一番肝が据わっている。
「黙って待ちなさい、ロバータ。焦りは労働者の最大の敵よ。時間は私たちが支配するもの。資本の犬どもが正確な時間にやってくるのを、ただ冷徹に待ち受ければいいの」
アニーは表情一つ変えずに、氷のように冷たい声で私をたしなめる。
個人的な物欲は一切ないくせに、今回の襲撃には誰よりも前向きだ。
彼女にとってこれは犯罪じゃなくて「階級闘争」なんだって。
よく分からないけど、その巨大な鉄製スパナをぶん回すアニーは、どんな前衛ガードよりも頼もしいから大歓迎。
ここは夜霧が立ち込める街道の辻。雨のせいで視界は最悪だけど、私たちの隠れ家としては最高。
「アニーの言う通りよ、ロバータ。もう少し静かにしていて。ランタンの灯りが漏れたら一巻の終わりなんだから」
暗闇の中でランタンの遮光板を調整しながら、まともな声で窘めてきたのはメアリー。
アイルランド移民の娘で、今回の作戦立案者兼チーフ・メカニック。
彼女は理不尽な賃金カットに怒って造船所を飛び出してきたの。
そして手先が信じられないくらい器用で、どんな複雑な機械も一瞬で理解しちゃう。
「ごめんごめん、メアリー。でもさ、メアリーが造船所の警備の交代時間とか、内部構造を完璧に把握しててくれたおかげで、この雨の中でも迷わずに済んだよ」
「信じられるのは、自分の技術と、これから手に入る現金だけ。理想じゃお腹は膨らまないわ。だから確実にやるの」
フッとため息をつくメアリーは、このチームで唯一の常識人。口調もまともな女性らしくて落ち着いているけれど、その徹底した現実主義ぶりはなかなかに尖っている。
すると、メアリーの背後からボサボサの黒髪を揺らして、もう一人が前に飛び出してきた。
「そうよ! 現金は手段に過ぎないわ、メアリー! 国を動かす大企業から、デカい一発をふったくる。これこそが、労働者を搾取し続ける資本主義への聖なる一撃よ!」
激しい身振りと情熱的な声で割り込んできたのはエレーヌ。
フランスから亡命してきた知識人階級の娘で、バリバリの無政府主義者。
すべての権力や政府、大企業を激しく憎んでいて、バローのパブの裏でいつも危ない演説をしてた。
「エレーヌ、声が大きいわ。それとポケットのそれ、暴発させないでね」
メアリーが呆れたようにエレーヌの服のポケットを指差す。
そこには私とお揃いの密輸された小型のリボルバーが突っ込まれている。
エレーヌは感情の起伏が激しくて毒舌だけど、今回の作戦では化学と爆薬の担当。いざって時の攪乱用発煙筒や簡易爆裂弾を自作しちゃうんだから、相当イカれてる。
思想も背景も、何から何までバラバラな私たち四人。
結託した理由はただ一つ。ヴィッカース社の定期給料馬車を襲撃して、週に一度運ばれる数千ポンドの金貨を奪い取ること。
「……静かに。蹄の音が聞こえるわ」
アニーがスパナを握り直し、冷たく言い放った。
そして雨のカーテンの向こうから、二頭立ての頑丈な馬車が姿を現した。
車輪が泥を跳ね上げ、御者台に座る男たちが寒そうに身を縮めている。
彼らはまだ気づいていない。
まさかこの悪天候の中、うら若き少女四人が自分たちの運ぶ数千ポンドの金貨を狙って待ち伏せているなんて、夢にも思わないだろうね。
「作戦通りにいくわよ。ロバータ、合図と同時に飛び出しなさい」
メアリーの落ち着いた、けれど緊張の混じった声が私の背中を押す。
「了解! 一番スリリングな役をありがとう!」
私は遮光板を開けたランタンの光を道に投げ捨てるようにして、藪の中から飛び出した。
手には、泥まみれだけど確実に火を噴くリボルバー。
「はい、おじさんたち! ストーーーップ!」
叫ぶと同時に、私は馬の足元を狙って引き金を引いた。闇夜に炸裂音が響き、銃口から眩しい火花が散る。
狙い通り、驚いた馬たちが甲高いいななきを上げて前足を跳ね上げ、馬車が急ブレーキをかけたように激しく揺れて停止した。
「な、なんだ!?」
御者が慌てて腰の銃に手を伸ばそうとする。
だけど、私たちの前衛ガードはそんな隙を与え合わない。
地響きでも立てそうな勢いで飛び出していったのはアニーだ。
アニーは自分の体躯を最大限に活かし、手にした巨大なスパナを容赦なく振り回した。
並走していた乗馬警官が抜刀しようとした瞬間、アニーのスパナが警官の腕を完璧な精度で強打する。
鈍い音が響き、警官は悲鳴を上げて馬から転げ落ちた。
「おい、裏にも回り込まれてるぞ! 撃て、撃ち殺せ!」
護衛の男たちがパニックに陥り、散弾銃を構えるのが見えた。
でもさすがにそれはちょっとスリルが強すぎる。
「国家の暴力装置め、泥水をすすりなさい! これでお終いよ!」
そこへ割って入ったのが、感情を爆発させたエレーヌ。
彼女が投げつけたのは、自作の「簡易発煙筒」。
地面に激突した瞬間、パッと激しい閃光が走り、続いて鼻を突く猛烈な白煙が辺り一面に広がった。
「うわっ、目が、前が見えん!」
「おのれ、アナキストの仕業か!?」
敵の怒号が霧と煙の中に消えていく。
エレーヌの特製スモークは、ただの煙じゃなくて目にめちゃくちゃ染みる特製品。
男たちが涙を流してゲホゲホと咳き込む中、エレーヌはボサボサの黒髪を振り乱しながら御者台へと果敢に飛び乗り、怯える馬の手綱をその手でもぎ取った。
「メアリー、アニー! 早く乗って! この忌々しい富の馬車を、私たちの手で解放するのよ!」
「エレーヌ、言葉はいいから早く馬車を出して!」
メアリーが的確な指示を飛ばしながら、素早く馬車の後部に飛び乗る。
アニーも倒れた警官の銃を蹴り飛ばしてから、最後にドスドスと豪快な足音を立てて荷台へ飛び込んできた。
「ロバータ! 置いていくわよ、早く!」
メアリーが私に向かって手を差し伸べる。
「待ってよ、今行くってば!」
私は近づいてくる別の警官の足元へ、ダメ押しの一発をぶっ放して足止めすると、リスみたいな身軽さで走り出し、動き始めた馬車のステップへ滑り込むように飛び乗った。
メアリーの細い、けれど仕上工として鍛えられた強い手が、私の腕をがっちりと掴んで引き上げてくれる。
「やったぁ! 大成功じゃん!」
私が荷台で大はしゃぎする後ろで、エレーヌが鋭い鞭の音を響かせる。
馬車はバローの泥道を猛然と駆け出し、追っ手の警官たちを夜霧の彼方へと置き去りにしていった。
襲撃にかかった時間は、メアリーの計算通りわずか三分。
完璧。
完璧すぎるわ。
激しい雨と風が、私たちの高揚した顔を打ち付ける。
冷たいはずの雨が、今の私には最高に心地いい。
政治思想なんてどうでもいい。ただ、あの偉そうな大人たちが、私たち四人の女の子に翻弄されてパニックになっていたあの瞬間。
脳髄を突き抜けるようなあのアドレナリン。
これだから、退屈な日常を飛び出すのはやめられないの。
「ひとまずは成功ね。でも、本当の勝負はここからよ」
メアリーは手綱を握るエレーヌの隣で、油断なく周囲を警戒しながらそう言った。
目的地のダルトンの廃坑まではもうすぐ。
そこへ行けば、待ちに待ったソブリン金貨の山とご対面だ。




