第8話 1944年8月—レーゲンスブリュック収容所へ
## 上
列車は、何日走ったのか。
カトリーヌは、時間感覚を失った。
朝も夜も、区別がつかなくなった。貨物車の中は、常に暗い。覚き窓からわずかな光が入るだけだ。その光でさえ、時間を測る手段にはならない。
渇き。飢え。痛み。
その三つが、すべてを支配していた。
列車の内部は、地獄へと変わった。
最初の二日。囚人たちは、まだ活動していた。会話をしていた。希望を語っていた。
三日目。その活気が、消えた。
飢えが深刻になり始めた。食料はほとんど与えられなかった。水も同じだ。
男たちが、弱り始めた。老人たちが、うめき声を上げ始めた。
そして、死が出始めた。
最初の死体が、誰だったか、カトリーヌは知らない。男性だったことは、その体の大きさでわかった。だが、その人間が何者であったか、何をしていたか、そんなことはもう関係がない。
死体は、死体として、存在していた。
貨物車の隅で。他の囚人たちと接触することなく。
だが、そんなことはあり得ない。触れずにはいられない。人間たちは、これほど詰め込まれているのだから。
死体は、その次の日には、腐り始めた。
においが、充満した。人間の死のにおい。腐敗のにおい。それが、貨物車全体を包んだ。
カトリーヌは、その臭気に、何度も吐いた。だが、その時点で、彼女の胃にはもう何も入っていなかった。
吐くのは、胆汁。黄色い液体。それが、彼女の口から流れた。
五日目。別の死体が出た。
女性だ。カトリーヌの近くで。四十代に見えた。だが、その容貌は、飢えと病気で、年齢を超越していた。
彼女は、カトリーヌに、細い指で触れた。最後の接触。その後、彼女は動かなくなった。
その時、カトリーヌは、自分も死ぬ可能性を、完全に認識した。
この列車から降りるために、自分は何日生き残る必要があるのか。
その計算が、彼女の頭を支配するようになった。
七日目。列車は、ドイツ国内に入った。
ドイツの領土を走る列車。その上に、フランスから移送された囚人たち。
列車が停止した。駅らしき場所。
水と、わずかな食料が、配給された。
パン。一枚。それで、三十人。つまり、一人当たり、ほんの一口。
スープ。キャベツの煮込み。ほぼ水に等しい。それでも、それは命を繋ぐ栄養分だった。
カトリーヌは、その一口のパンを、噛んだ。何度も何度も。少しでも長く、それを味わおうとするように。
その時、隣にいた女性が、そのパンの欠片を奪おうとした。
カトリーヌは、とっさに身体を守った。
列車の中では、奪い合いが始まっていた。
食料の奪い合い。水の奪い合い。居場所の奪い合い。
弱い者は、すべてを失う。強い者が、すべてを支配する。
カトリーヌは、自分に力があるのか、そうでないのか、その判断をしなければならなかった。
彼女は、ブルジョワの娘だ。筋肉もない。力もない。
だが、彼女には、一年のレジスタンス活動が与えた、何かがあった。
死への慣習。痛みへの耐性。そして、生き残るための意志。
その三つが、彼女を、弱い娘から、戦闘的な女性へと変えていた。
水が配給された時、彼女は、その前列に押し出されてくる者たちに対して、肘で対抗した。
柔道の技ではなく、生存本能による暴力。
その時、隣の女性が、彼女を見て、何か異なるものを感じたのかもしれない。
「You’re strong」
強いのね。
その女性は、そう言った。
カトリーヌは、その言葉の意味を、完全には理解できなかった。
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## 中
十日目。
レーゲンスブリュック。
ポーランドの一角。ドイツが占領している地域。そこに、女囚専用の強制収容所がある。
列車から降りた時、カトリーヌが見たのは、地獄の入り口だった。
巨大な鉄門。その両側に、検問所。銃を持つ看守たち。その向こうに、バラックが無数に立っていた。
灰色の木製の建物。その間を、何百人もの女たちが、行き来していた。
囚人たち。すべてが、同じような灰色の服を着ていた。頭を刈られた女たちもいた。
カトリーヌは、その光景に、心が折れそうになるのを感じた。
登録。番号の付与。持ち物の没収。
彼女は、番号を与えられた。以後、カトリーヌという名前は、存在しない。その番号だけが、彼女の身分だ。
その番号を、腕に刻むのか。それとも、衣服に記すのか。
彼女は、そのプロセスの中で、自分の人間性が、剥ぎ取られていく感覚を覚えた。
収容所内への導入。
説明は、ドイツ語で行われた。フランス語での説明はない。囚人たちは、ドイツ語で指示を理解するか、さもなくば、懲罰を受ける。
基本的なルール。朝六時に起床。朝食(固いパンと、薄いコーヒー)。その後、兵器工場での労働。正午に昼食(スープ。キャベツと、時々ジャガイモ)。午後、さらに労働。夕方、夕食(再び、スープ)。夜八時に就寝。
その繰り返し。毎日。毎日。
看守たちは、若い女たちに対して、特に厳しかった。
強度の労働を強いられた。そして、その労働をこなせない者は、懲罰された。
殴打。隔離。食料の削減。
その懲罰の種類は、無限にあった。
カトリーヌが配置されたのは、兵器工場。
小さな部品を組み付ける仕事。銃の部品。爆弾の部品。
その詳細は、明かされなかった。ただ、精密さが求められた。
不正確な組み付けは、兵器の不良につながり、それはドイツ軍の損失につながる。だから、精密さは、強要された。
一日十時間。立ったままで。小さな部品を、針のようなツールで、組み付ける。
初日の夕方、カトリーヌの指は、血だらけだった。皮も剥けていた。
だが、その翌日も、同じ仕事が続いた。
血が出ていても。痛くても。疲れていても。
その仕事をこなさなければ、食料は与えられない。
カトリーヌは、その苦痛を、心の奥へ押し込めた。
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## 下
第一週が終わった時、カトリーヌは、自分がまだ生きていることに、驚いていた。
最初の一週間で、彼女の周囲で、どのくらいの死が起こったのか。
彼女は数えなかった。数えることさえ、心理的には危険だった。
バラックでの生活。
八十人の女たちが、一つのバラックに詰め込まれている。
寝台は、三段ベッド。その上に、藁のマットレス。毛布一枚。
冬は、それだけでは十分ではない。だが、冬はまだ遠かった。
今は、夏の終わり。八月下旬。まだ暖かい。だが、その暖かさでさえ、絶望的に感じられた。
バラックの衛生状況は、悪かった。
便所は、数個。八十人のために。
病気が蔓延していた。腸炎。発疹熱。チフス。
その病気に罹った女たちは、医務室へ連れていかれた。そのほぼすべてが、帰ってこなかった。
医務室で何が起こるのか。それは、誰も知らない。知りたくもない。
囚人階級制度が、存在した。
長く収容されている女たちが、新しい囚人たちよりも高い地位にある。彼女たちは、看守の手先となって、他の囚人たちを監視する。
その代わりに、食料の配給を増やされたり、より楽な仕事に配置されたりする。
カトリーヌは、その階級制度の外にいた。フランス人。新しい囚人。何の背景もない女性。
そのため、彼女は、もっとも脆弱な地位にあった。
だが、その脆弱性が、時には武器になった。
誰も、彼女に注目しない。無視された者は、より長く生き残ることができる。
カトリーヌは、その無視される状態を、活用することにした。
食料配給の時、彼女は、決して前に出ない。後ろに下がる。そして、その間隙で、わずかな食料を、自分のポケットに隠す。
それは、明らかに禁止されていた。見つかれば、懲罰される。だが、見つからない限り、その戦略は有効だった。
水も同じ。飲みたいという欲求を、いつも押し殺す。最後の最後まで待つ。他の女たちの渇きが、ある程度満たされた後で、わずかの水を飲む。
その小さな戦略が、彼女の生存を支えていた。
二週目。彼女は、隣のベッドに寝ている女性と、言葉を交わした。
ポーランド人。名前は、マリア。三十代。二年、この収容所にいるという。
「You will not last」
あなたは持たないでしょう。
マリアは、そう言った。
「Why?」
なぜ。
「You are too soft. Too civilized. This place will destroy you」
あなたは柔らかすぎる。文明人すぎる。ここはあなたを破壊する。
「Perhaps」
カトリーヌは答えた。
「But I will try」
でも、わたしはやってみるわ。
マリアは、カトリーヌを見た。その目には、何か奇妙な敬意が浮かんでいたかもしれない。
「Then you will need this」
なら、これが必要ね
マリアは、彼女に、わずかなパンをくれた。
それは、彼女自身の食料だった。
カトリーヌは、それを受け取ることをためらった。
「Why?」
なぜくれるのか。
「Because you remind me of someone」
あなたはある人を思い出させるから。
その誰かが、誰であるのか、マリアは言わなかった。
その晩、カトリーヌは、そのパンを食べた。
わずかな暖かさ。わずかな栄養。わずかな、生への執着が、彼女の中に戻った。
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## エピローグ—生存戦の開始
九月初旬。
カトリーヌは、レーゲンスブリュック収容所での生活に、ある種の適応を見せ始めていた。
それは、人間的な適応ではなく、動物的な適応だった。
周囲の危険を察知する能力。食料を確保する能力。他の囚人たちの暴力を避ける能力。
彼女は、自分が変わっていくことを感じていた。
かつての優雅な貴族的な娘は、消えかけていた。
その代わりに、生存本能に支配された動物が、その身体を占有し始めていた。
それは、彼女を生かすためだった。
毎日、彼女は、生存を選択した。
痛みを我慢することを選択した。飢えを我慢することを選択した。絶望を押し殺すことを選択した。
その選択の繰り返しが、彼女を、わずかに、生き残らせていた。
兵器工場での労働は、続いた。
彼女の指は、血まみれだったが、疲れることなく、部品を組み付けた。
看守たちは、その精密性に、時々、注意を払った。
「Not bad for a French」
フランス人にしては悪くない。
そのようなコメントが、時々、聞かれた。
それは、褒美ではなく、単なる観察。だが、その観察が、彼女の仕事を、より認識させた。
彼女は、誰かの役に立っている。ドイツ軍の兵器製造のために。
その自覚は、複雑だった。彼女は、フランスのために戦ったレジスタンス。そのフランスを敵としているドイツ軍のために、今、働いている。
その矛盾は、彼女の精神を蝕みそうになった。
だが、その矛盾を考えることも、ぜいたくだった。
生存が最優先。それ以外のことは、後回しだ。
パリはどうなったのか。解放されたのか。クリスチャンはどうしているのか。
そのような思いは、夜間、時々、彼女の頭をよぎった。
だが、朝になると、それらは忘れ去られた。
今日をどう生き残るか。それだけが、問題だった。
慢性的な飢え。伝染病が蔓延する劣悪な生活環境。そして常に死と隣り合わせ。
その目を覆いたくなるような日常を、カトリーヌ・ディオールは、生き延びようとしていた。
何ヶ月。何年。
彼女は、その先にあるものを、知ることはできなかった。
ただ、毎日を、生存の選択で埋めるしかなかった。
九月の終わり。ポーランドの秋。
初霜が降りた。
パリの秋は、美しいはずだ。
レーゲンスブリュックの秋は、死のにおいを放っていた。




