ゼファーと第二巻
木曜の朝、ゼファーが来た。
いつもより顔が明るかった。原稿用紙の束を持っていた。
「第二巻、半分まで書きました」
「それは早かったですね」
「旅の経験が、書くことに直接繋がっています。フィールドワークというのは、論文のためだけでなく、思考のためにも必要でした」
コーヒーを注文して、いつもの席に着いた。
「ゼファー様、少し雰囲気が変わりましたね」
「どのように」
「最初に来たときより、ずっと話すようになりました」
ゼファーは少し考えた。
「……そうかもしれません。以前は、言葉はなるべく必要なものだけを使うべきだと思っていました」
「今は違いますか」
「必要なものだけ、という考えは変わっていません。ただ、何が必要かの定義が、少し広くなった気がします」
「たとえばどんなことが」
「以前は、学術的な情報や論理的な説明が、必要な言葉でした。でも今は、ファリドに今日の夕食は何かと聞くことも、必要な言葉だと思っています」
カインは静かに笑った。声には出なかったが、目が少し細くなった。
「それは大きな変化ですね」
「ファリドは喜んでいます。うるさいくらいに」
「それは良いことだと思います」
ゼファーはコーヒーを飲みながら、原稿用紙を広げた。
しばらくして、ペンを走らせながら言った。
「カインさん、一つ聞いてもいいですか」
「どうぞ」
「この店に来る人間は、みんな何かを抱えてここに来ます。それを見続けることは、重くなることはないですか」
カインは少し間を置いた。
「重くなることはあります」
「そのときはどうしますか」
「コーヒーを飲みます」
ゼファーはペンを止めた。
「それだけですか」
「あとは、帰るときの顔を見ます。来たときより少し軽くなった顔を見ると、重さが和らぎます」
「なるほど。重さを受け取って、返すときに軽くして返す。そのサイクルがある」
「そういう言い方をするとそうなりますね」
「それは、消耗しませんか」
「消耗します。だから、大晦日だけ休みます」
ゼファーは少し笑った。
「年に一日で足りるんですか」
「今のところは」
「あなたは不思議な人間ですね。強いというより、根が深い」
カインは何も言わなかった。
ゼファーはまたペンを走らせ始めた。
木曜の朝の、いつもの光景が続いた。




