セラと新しい患者
医師のセラが来たのは、春雨の夜だった。
今夜は明るい顔でも暗い顔でもなかった。何かを考えている顔だった。
「コーヒーを。今夜は少し薄めで」
「かしこまりました」
席に着いて、窓の雨を見た。
「今日、新しい患者が来ました。若い男の子で、二十歳くらい。体は別に大きな問題はないんですが、眠れない、食べられない、理由がわからないと言っていて」
「どんな方でしたか」
「去年まで騎士団の見習いだったそうです。ある事件があって、それから調子が崩れた、と」
「事件、というのは」
「詳しくは聞けていないんですが、仲間の一人が任務中に亡くなったと。自分は助けられなかったと言っていました」
カインはコーヒーを持ってきた。
「医師として、どう診ましたか」
「体の問題は少ない。でも、心がまだ整理できていない。そういう方には、薬よりも話せる場所を作ることが大事だと思っています」
「話せる場所を」
「ええ。ただ、私は医師だから、毎回会うのも難しくて。その子に、何か良い場所を教えてあげたくて、思い浮かんだのがここだったんです」
カインは少し間を置いた。
「紹介してくださるということですか」
「勝手に言うのもどうかと思って、まず確認に来ました。お一人様専用ですし、こういう状態の方が来ても、大丈夫かどうか」
「もちろん構いません」
「何か特別なことをしてあげてほしいというわけではないんです。ただ、静かにいられる場所があれば、それだけでも違うかもしれないと思って」
「それがこの店のすることですので」
セラはコーヒーを飲んだ。
「良かった。来週あたり、来るかもしれません。ケント、という名前です」
「わかりました」
「あなたから話しかけなくていいです。ただ、来たら受け入れてほしい」
「それは普段からしていることです」
セラは少し笑った。
「そうですね。それがここの良さだから」
雨がしとしとと続いていた。
セラはコーヒーを飲み終えて、立ち上がった。
「明後日、あの退院した患者さんの経過観察があります。元気にしているといいんですが」
「きっと元気にしています」
「断言するんですね」
「そう思うので」
セラはコートを羽織った。
「カインさんの断言は、なぜか信じてしまう」
「なぜですか」
「根拠がないのに、根拠があるみたいに聞こえるから」
カインはそれを聞いて、何も言わなかった。
セラは傘を持って、雨の路地へ出た。
翌週、ケントという二十歳の元騎士見習いが、おそるおそる扉を開けた。
カインは普段通りに言った。
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」
それだけだった。
ケントは奥の席に座って、コーヒーを頼んだ。
一時間、何も話さなかった。
帰り際、小さな声で言った。
「また来てもいいですか」
「もちろんです」
ケントは扉を出た。
カインはその背中を見ながら、来たときと帰るときの顔を確認した。
ほんの少しだけ、帰るときの方が楽だった。
それで十分だった。




