アレンの原稿
アレンが手書きの紙の束を持ってきたのは、三月の半ばだった。
「読んでほしい」
カインは受け取った。
「今ですか」
「暇なときに。返事はいらない。ただ、読んでほしかった」
アレンはいつものコーヒーを頼んで、窓際に座った。本ではなく、今日は何も持ってきていなかった。ただ座っていた。
カインは開店の合間に、少しずつ読んだ。
客が来れば仕事をして、客がいない時間に、一枚ずつ読んだ。
アレンの文章は、うまくはなかった。
でも、正直だった。
魔王討伐の最初の日から書いてあった。怖かったこと、仲間が傷ついたこと、自分が力不足だと思い続けたこと。英雄らしい場面より、情けない場面の方が多く書かれていた。
最後の数ページは、王都に帰ってきてからのことだった。
銅像を見るのが辛かったこと。ここに初めて来たこと。コーヒーを飲んで、泣いたこと。
閉店が近くなった頃、カインは紙の束を持ってアレンのテーブルへ行った。
「読みました」
アレンは顔を上げた。
「どうだった」
カインは紙の束をテーブルに置いた。
「良い文章だと思います」
「うまくはないだろう」
「うまくないですが、良いです。うまいことと、良いことは、別のことです」
「……リュートみたいなことを言うな」
「似てしまいましたか」
「似てる」
アレンは紙の束を手に取った。
「続きを書いていいか」
「書いてください」
「また読んでくれるか」
「はい」
アレンはしばらく紙を見た。
「最後のページ、ここのことを書いた。読んだか」
「読みました」
「コーヒーを飲んで、泣いたことも書いた。英雄が泣くのは、あまりかっこよくないが」
「かっこよくないことが、文章を本物にしていると思います」
アレンは少し笑った。
「お前は、俺が泣いたとき、何も言わなかったな」
「はい」
「あのとき、何か言いたかったか」
カインは少し考えた。
「何も言わないことが、一番良いと思いました」
「今もそう思うか」
「今もそう思います」
アレンは紙の束を鞄にしまった。
立ち上がりながら言った。
「ゼファーの本の献辞、あれ、良かった。俺も、いつか本になったら……まあ、なるかどうかわからないけど」
「なると思います」
「断言するな」
「そう思うので」
アレンは扉を開けた。
春の夕暮れが路地に広がっていた。
「また明日来る」
「お待ちしています」
英雄は路地へ出た。
カインはテーブルを拭きながら、アレンの文章の最後の一行を思い出した。
『ここに来ると、少し、自分に戻れる気がする』
それを読んだとき、カインの胸の中で、何かが温かくなった。
言葉にはならなかったが、確かにあった。




