旅人の名前
三月の二週目、旅人の女性が二度目に来た。
荷物は小さくなっていた。宿を決めたのだろう。顔の疲れも、前回よりずっと取れていた。
「また来ました」
「お待ちしていました。紅茶でよろしいですか」
「今日はコーヒーを試してみたいです」
「かしこまりました。どんな味がお好みですか」
「わかりません。あなたにお任せします」
カインは少し考えてから、深みがありながら飲みやすい豆を選んだ。旅から戻ったばかりの人間に合う味
を、経験上知っていた。
コーヒーが来た。女性は一口飲んで、少し目を細めた。
「……美味しい」
「ありがとうございます」
「どんな豆ですか」
「南の国の豆です。長旅の疲れに合うと思いました」
女性はカインを見た。
「南から来たとわかっていたから選んだのですか」
「はい。前回お聞きしたので」
「それを覚えていたのですか」
「お客様のことは覚えております」
女性はコーヒーを飲みながら、少し笑った。
「一つ、聞いていいですか」
「どうぞ」
「前回、私が来たとき、遠くから来たのかと聞きましたね。あれは珍しいことですか。先に質問するのは。」
カインは少し間を置いた。
「珍しいことです。普段はお客様から話してくださるまで、こちらからは聞きません」
「では、なぜ私には聞いたのですか」
「……少し、気になったからです。理由を言葉にするのは難しいですが」
女性はその答えを受け取った。
「私の名前、まだ言っていませんでした。カエル・ハウといいます」
「カエル様。ようこそ、SOLITAIREへ」
「前回も来ましたが」
「あのときは名前を知らなかったので」
カエルは少し笑った。
「なるほど。では改めて、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
「旅の目的は、地図を作ることでした。南の地域の、まだ記録されていない地形を調べる仕事です」
「地図師ですか」
「測量士、と言う方が正確かもしれません。王立測量局に所属していて、一年のうち半分は旅をしています」
「一人でですか」
「一人で。それが性に合っています」
カインはおかわりを持ってきた。
「だからお一人様専用という看板に、引き寄せられたのですね」
「そうかもしれない。一人でいることを、自分で選んでいる人間が作った店だと、なんとなく感じたから」
カインは何も言わなかった。
でも、カエルは続けた。
「合っていますか」
「半分は合っています」
「半分は?」
「一人でいることを、自分で選んだというよりも、一人でいることしかできなかった時期があって、それからここを作りました。今は選んでいますが」
カエルはそれを聞いて、静かに頷いた。
「正直に話してくれましたね」
「正直に答えた方が良いと思いました」
「なぜ私には正直に?」
「……それも、言葉にするのが難しいです」
カエルはコーヒーを飲み干した。
「また来ます。来週」
「お待ちしています」
「今度は地図を持ってきてもいいですか。ここで仕事をしたい」
「どうぞ」
カエルは立ち上がった。扉を開けながら言った。
「この店、好きです」
「ありがとうございます」
春の風が一瞬、店内に入ってきた。
カインはその風を感じながら、珍しく自分が先から声をかけた理由を考えた。
答えは出なかった。
でも、答えが出なくてもいいと思った。




