春の足音
三月の初め、SOLITAIREの扉が開いた。
入ってきたのは、見慣れない人物だった。
三十代の女性。旅人の服装。背中に大きな荷物。少し疲れた顔をしているが、目が鋭かった。
「お一人様専用、ということは、一人でも入れますか」
「はい、もちろんです」
女性は席に着いた。荷物を下ろして、大きく息を吐いた。
「遠くから来たのですか」とカインが聞いた。珍しい問いかけだった。
「……ええ。南の方から。一ヶ月ほどかかりました」
「コーヒーを?」
「紅茶を。熱いもので」
紅茶が来た。女性はカップを両手で包んだ。温めるように。
「一ヶ月ぶりの、ちゃんとした室内ですか」とカインが言った。
「よくわかりますね」
「少し、そういう顔をされていたので」
女性は少し笑った。
「旅の目的は達成できました。でも、王都に着いて、どこへ行けばいいかわからなくて、路地を歩いていたらここが見えた」
「そうでしたか」
「お一人様専用、という看板が……なぜか、入りたくなりました」
「一人でいたかったのですか」
「旅の間ずっと一人でしたが、一人でいたい気持ちとは少し違う。誰かがいる場所に、一人でいたかった、というか」
カインは静かに聞いていた。
「うまく言えないですね」
「いいえ。よくわかります」
「わかるんですか」
「ここに来る方の多くが、そういう気持ちで来ます。誰かがいる場所に、一人でいる。それがここです」
女性はしばらく、紅茶を飲んだ。
「良い場所ですね」
「ありがとうございます」
「名前を聞いてもいいですか、お店の」
「SOLITAIREです」
「ソリテール……孤独、という意味ですか」
「一人でいること、という意味もあります。カードゲームの一人遊びのことも言います」
「一人で完結する遊び」
「はい」
女性は紅茶を飲み干した。
「もう一杯いただいてもいいですか」
「もちろんです」
新しい紅茶が来た。
女性は荷物の中から、小さな手帳を出した。
何かを書き始めた。
旅の記録だろうか。カインは何も聞かなかった。
しばらくして、女性が言った。
「ここの常連になれますか。しばらく王都にいるので」
「お一人様であれば、いつでも」
「なれますね」
「はい」
女性は少し微笑んだ。
春の日差しが窓から差し込んで、女性の疲れた横顔を柔らかく照らした。
カインはその光景を見ながら、また一人、この店の常連になる人が来たと思った。
誰かが来るたびに、この店は少しずつ、違う顔を持つ。
でも、根っこは変わらない。
お一人様専用の、静かな場所。
春が来るたびに、新しい誰かが扉を開ける。
それが、SOLITAIREだった。




