エルナと少女エリ
エルナが孤児院の話をしたのは、一月の半ばだった。
「エリが、初めて私に話しかけてきました」
「そうですか」
エルナはカップを両手で包んで、少し上を向いた。天井を見るというより、遠くを見るような目だった。
「先週のことです。私が絵本を読んでいたら、隣に来て、ずっと聴いていた。読み終わったら、しばらくして、小さな声で言ったんです。もう一回、って」
「それは嬉しかったですね」
「声が震えました。エリの声じゃなくて、私の声が」
カインは紅茶を置いた。
「もう一度読みましたか」
「三回読みました。エリが、もう一回、もう一回って言うから」
「三回、全部同じ本を」
「はい。同じ本を三回。最後の三回目には、エリが少しだけ私の袖を触っていました。握るんじゃなくて、ただ、指先で触れるくらい」
カインは黙って聞いていた。
「……あの子を初めて見たとき、自分も昔ああだったと思いました」
「エルナ様が?」
「表情をなくすことで、自分を守っていた時期があったんです。宮廷は、いつも誰かに見られているから。笑顔でいないといけないし、隙を見せてはいけないし。だから、本当の顔を消す練習を、気づいたらしていた」
カインはカウンターに手をついた。
「いつ、戻りましたか」
「ここに来てから、だと思います」
「ここで誰にも見られない時間があったから、戻る練習ができた、ということですか」
エルナは少し考えた。
「そうかもしれない。ここで一人でいることが、本当の自分でいることの練習だったのかも」
「それが今、エリという少女に繋がっているのですね」
エルナは静かに頷いた。
「来週また行きます。今度は新しい絵本を持って」
「エリさんが喜ぶと思います」
「喜んでくれるといい。でも、喜んでくれなくてもいいとも思っています」
「なぜですか」
「ただいることが大事だと、最近わかってきたから。喜ばせようとすると、それが目的になってしまう。ただいる、ただ読む、それだけでいい」
カインは少し間を置いた。
「それは、とても大切なことだと思います」
「あなたの仕事から、学びました」
「私は何もしていませんが」
「ただここにいることが、大事なんですよ。それを教えてくれた」
エルナは紅茶を飲み干した。
今日は本を持ってきていなかった。
ただ、話しに来た日だった。
それも、この店の使い方の一つだと、カインは思った。




