第二十五話:『剛壁のアンリエッタ』
昼に見たこの女性は軽そうなケープ姿だったのを覚えている。見た目は長身だがかなりの細身、とても剣など持ったことなど無いような華奢な体躯の美女だった。
だが目の前にいるその女性はそんな想像とは全く別の姿をしている。白銀の全身鎧、長靴、篭手、兜。それに大盾、槍。全身を白銀の鎧で包んだ金属の塊だ。通常の女性ならばこれでは動くことすら敵わないだろう。だが彼女はそうではなかった。
ガチャリ、ガチャリと金属の触れる音を立てて槍と盾を構えている。明らかに戦い慣れた動きだ。
俺も剣を抜いて彼女と対峙するが、まるで隙がない。
(構えるのが精一杯、という風には見えない。まるでポーズを取らせた甲冑だ。表情も解らないから何を考えてるかも解らない)
じりじり、とアンリエッタはゆっくりと躙り寄る。近づいてくる甲冑は足以外の全てが構えの態勢のままだ。
「そちらから来ないのであれば、此方から参りますわよ?」
アンリエッタが呟いた瞬間に気付く。アンリエッタの足が大きく踏み込まれていた。
咄嗟に体を逸らす。凄まじい速さの突きが空気を穿つ。
大槍の刺突が頬を掠めた。凄まじい速さだ。慌てて俺は距離を取る。
「セオドアさんでしたわね?私を女子と思って甘く見ておりませんでしたこと?それともこの鎧姿ではまともに動けないとでもお思いでして?」
突き出した槍を納めながら高圧的な口調で此方を威圧する。評価を変えよう。甲冑姿など関係ない。ランクA+の戦士の名は伊達ではない。
「解りました、では此方からも仕掛けさせてもらいます!」
そう宣言するなり彼女は再び槍と盾を構える。俺は勢い良く地面を蹴り出し、姿勢を低くして鎧に向け突っ込む。彼女が右手の槍を突き出すが、それを体を捻って辛くも回避する。俺はもう彼女の懐だ。
「――とった」
そう思った瞬間、眼の前に迫っていたのは左手の大盾だった。姿勢を低くしていた俺の顔面は彼女の大盾に打ち付けられた。俺の軽い体は大きく吹き飛ばされ二度、三度と地面を転がった。
「ああ、そういえば最近噂になっていた彗星の如く現れたA-ランクの剣士。貴方のことですわね?」
余裕を匂わせる口調で彼女が話す。ヘルメットの中で篭り、少し聞きづらかったが余裕が垣間見えたのが解った。
「でも、てんで期待はずれですわね。この程度でしたら槍と盾の基本戦術だけで勝てそうですわね。でも、宜しくてよ?どこからでもかかってらっしゃいまし」
完全に舐められている様だ。俺としても女相手にここまで虚仮にされるのは鼻持ちならない。
「じゃあお言葉に甘えてっ…!」
先程は一撃を狙っていくスタイルで攻めた結果、あの大盾に阻まれた。
アンリエッタの槍捌きはさすがA+ランクの冒険者といった所か、間合いの中にいると此方の一挙手一投足にしっかり合わせて槍を突き出してくる。コンパクトに突かれるとなかなか間合いに入れない。
「ふふふ、どうされました?それでは私の間合いには入れませんわ、本気を出されてはいかがかしら?」
安い挑発だ。だが現状全く彼女に近づけていない。このままチマチマと攻めていても現状は変わりはしないだろう。挑発に乗ってやる。
先程の様に勢い良く地面を蹴リ出す。アンリエッタもそれに合わせて渾身の一突きを放ってきた。しかし今度は上体で躱さず、ショートソードを槍に滑らせて往なす。
「先程とは違いますわね、ですがこれならどうです!」
来た。問題の大盾が迫る。正面からまっすぐ此方に向かって壁が迫ってくる。
「此処だっ!」
「…!」
迫りくる大盾に足を掛ける。そのまま跳躍し、アンリエッタを飛び越える。背後を取った。槍の返りは遅い。大盾も此方には向いていない。相手は無防備、絶好の機会だ。振り返る素振りもない。
「貰った!」
アンリエッタの背後から迫る。これで決着、呆気ないものだ――。
「――何を貰ったのでしょうか」
首筋に剣を突き立てた筈だった。だが突き立てられていたのはアンリエッタの槍の石突だった。
息が止まる。何が起きたのかすぐに理解できなかった。
こちらの姿も見ず、背中を向けたまま攻撃に合わせて槍を短く持ち、後ろ手に石突で突いてきていたのだ。
腹を突かれその場に膝をつく。突かれた衝撃で腹の内容物がこみ上げてきた。
「詰めが甘いですわね。相手を確実に倒しきるまで気を抜いてはいけませんことよ」
ゆっくりとアンリエッタが此方を振り向く。
驚くべき勝負勘だ。兜に包まれた頭部からは想像も出来ないが、後ろにも眼がついているような感覚を覚える。
一頻り腹のものを吐き出すがまだ咳が止まらない。だが、諦めるつもりはない。剣を杖に立ち上がる。
「ゲホッ、ウエッ…全身鎧で見えないはずなのに…あんな体のどこにあれだけ動ける力が…」
俺は訳が解らなかった。不条理としか思えなかった。
「兄様!使えるものは使って下さい!まだ兄様は全力で戦っていません!相手は全力です!まさかまだ女性だと思って、あの装備だから、と手を抜いている訳ではありませんよね!相手は強敵です!全力でやってください!」
練兵場の端で戦いを見届けるクリスの檄が飛ぶ。
それを聞きアンリエッタが兜の下で笑う。
「ふふ、妹さんの方は既にわかっている様ですわね…。セオドアさん、このままであれば貴方に勝ち目はありませんわっ!」
アンリエッタが飛び込んで突きを繰り出す。一突き、二突きと槍の雨霰だ。辛うじて避ける。
「くっ!爆風!!」
爆風を足元に撃ち自分を吹き飛ばし距離を取る。そうか、魔術か。彼女は魔術で自身を強化していたのだ。故にあの装備であの動きが出来ていた。魔術の全身鎧に身を包んだまま速さを実現できていたのだ。
「そうか、そういうことか!鋼て……!!」
「漸く気付きましたわね!でも気付いた所でそうはさせませんわよ!」
此方も自己強化の魔術で強化を図るがアンリエッタは先んじて攻撃を仕掛ける。
先程までの此方の動きに合わせて動く待ちの動きから一点、アンリエッタの攻撃は苛烈を極める。
その一つ一つが急所を狙った鋭い刺突だ。気を抜けば一瞬で決着がついてしまう。
(どうする、どうすれば隙を作れる…)
手が出ない。防戦一方だ。速度強化が施された彼女の速度は俺の足じゃ振り切れない。生半可な攻撃は隙を晒すだけだ。一つだけ、一つだけならまだ試していない可能性があった。
「そろそろ終わりに致しましょう!」
アンリエッタが三度渾身の突きを繰り出す。しかし横っ飛びに俺は回避した。そしてその一瞬で腰に指す短剣に魔素を注ぎアンリエッタへと投げつける。青白い光を纏った短剣がアンリエッタへと真っ直ぐに飛んでいく。
「所詮悪あがきですわね!みっともな…!」
短剣を盾で受け止めたアンリエッタの鎧が一瞬で凍りつく。かつて巨躯蜥蜴討伐の褒賞で渡された短剣には氷属性の上級魔術絶対零度が封じられていたのだ。
アンリエッタを凍てつかせた短剣は光を失いその場に落ちる。
「まだだ…まだ決着が着くまで気は抜かない…!鋼鉄化!腕力強化!空歩法!魔力付与・風刃!」
自身が使える最大限の強化魔術を施す。それと同時にアンリエッタが自らを縛っていた氷を砕き動き出す。
「不覚ですわ…!悪あがきと思っていた短剣がこのような切り札だったとは…!」
アンリエッタが歯噛みするように言葉を漏らす。
「兄様!反撃です!」
クリスの声を聞き反撃に転じる。魔力付与で風属性の魔力を帯びた剣はアンリエッタの槍と同等のリーチを得た。そいて今は腕力強化の自己強化を施している。
それまで避けるしかなかった槍を弾ける。足は止めない。地上から、空中から、縦横無尽に飛び回り、あらゆる方向から剣戟を飛ばす。だがこれでもアンリエッタは崩れない。攻勢こそ逆転したものの彼女の防御は強固だった。守りを固める彼女はその場から動かない。此方からの攻撃では彼女はびくともしなかった。
「確かに追い付けはしませんが…捌けない程ではありません!その程度では私は動かせませんわ!」
「攻撃じゃ動かせない…、でもこれならっ!土壁!!」
土壁を発動すると同時に攻勢を再開、彼女をその場に釘付けにする。
防御を固めるアンリエッタの地面が動き始める。
「これは…まさかっ…!」
土壁が守りを固める彼女の足元から勢い良くせり上がる。
攻撃で動かないなら地形ごと動かせばいい。せり上がる土壁は途中で上昇を止め、アンリエッタを空中へ投げ出した。
空中に投げ出されたアンリエッタを空歩法で追撃する。アンリエッタは槍と盾で迎撃するが踏ん張りが利かない。剣から繰り出される衝撃でアンリエッタの体が吹き飛ぶ。此処だ。此処こそが最大の好機だ。さらに空歩法で追撃を仕掛ける。吹き飛ばす。追撃する。俺は只管それを続けた。
アンリエッタは為す術もなく俺の追撃を受け続ける。だが彼女の鎧は強固だ。決定打にはならない。
「舐め…るなァァァァ!」
空中から落ちながらアンリエッタが声を張り上げ、突然火が入った様に動き出す。
彼女の槍が追撃に飛び込んだ俺目掛けて飛んでくる。避けるのは不可能だ。
左手のショートソードを槍の間に滑らせる。彼女の懐に潜り込みショートソードをそのまま彼女の槍に絡め、腕を捻る。
捻った左手は彼女の槍を取り落とさせた。もう槍の反撃はない。だが盾が残っている。
最初と同じように彼女は盾で殴り掛かるが二度と同じ手は通用しない。空歩法で落下軌道を逸し彼女の左手の内側へと潜り込む。
「クッ!躱された!」
ここはもう突き出された盾の内側だ。今度こそ"詰み"のはずだ。だが油断はしない。俺は右手の直剣を投げ捨て、彼女の空いた脇から彼女の左腕を極める。俺達はそのまま地面へと落下した。
落下と同時に大きな衝撃で砂埃が巻き上がる。勝負を見届けていたクリスとジャックが見えない。おそらく向こうからも見えていないだろう。
「兄様ァ!」
クリスが叫ぶ。徐々に砂埃が収まっていく。
砂埃が晴れた練兵場の中央、俺はうつ伏せになったアンリエッタを完全に押さえ込んでいた。
盾を持つ左手は右手で関節を極めていた。
「参りましたわ…。貴方の勝ちです…セオドア様…」
アンリエッタが口惜しそうに呻く。
俺は『剛壁』のアンリエッタとの戦いに勝利した。




