第百八十一話:麗しの女王陛下
俺達は宿を出てから水馬を引く舟でロームの街中の水路を巡っていた。
大まかに言えば、ロームの街は三つの層で構成されており、下層が外部からの居住者や冒険者、商人などの居住地や拠点となっており、商店や宿、食事処は大半がここに集中している。
中層は元々この街に住む人々の居住地であり、それ以外にもこの街を守る衛兵達や宮仕えの者の住む場所もここに集中している。また、下層と中層については階段でも繋がっており、水門エレベーターでなくても行き来はできる様だ。
そして上層にはこの街の象徴とも言えよう、女王ユリアが住まう宮殿がある。
上層に行く事自体は出来たが、船着場から先は立ち入りが制限されており、そこには女王の宮殿を一目見ようと、冒険者や観光客で溢れ返っていた。
一通り街を見回った後は屋台を巡って食べ歩きに興じ、日暮れと共に戻ってきた宿の前の岸で俺達を運んでくれた水馬に別れを告げた後、宿の酒場でレオ達と合流する。
夜になってフォルク達も戻ると、他の客達を交えながら夜更け過ぎまで酒場に入り浸り、酔った人間から部屋へと戻って眠りに就いていった。
ーーー
翌朝、外から聞こえてくる街の喧騒に起こされると、部屋のバルコニーから中央水路を見降ろしてみる。
既に街はお祭りムードに染まっており、昨日よりも多くの屋台が軒を連ね、歩道では人々が踊り歌っていた。
時刻は陽の二刻、既に仲間の数人がベッドを出ている様だ。
服を着替えて朝食を摂るために酒場へ向かうとアンリエッタとアリーシャ、それとセンゾウが先にテーブルについていた。
「おはよう」
「おはようございますわ、セオ様」
「おはようございます、セオドア様」
「お早う御座る」
俺もテーブルに着くと、従業員がやってきて朝食を運んでくる。
今日の朝食は柔らかい焼きたての白パンに厚切りのハム、それに野菜のスープだ。
「お飲み物は如何致しましょう」
「じゃあ紅茶で」
「畏まりました。直ぐにお持ち致します」
昨日の夜は大いに賑わっていた酒場も元はと言えば格式ある宿の一部である事の表れだろう、宿泊客の雑談と外から聞こえてくる喧騒が多少響いて来る以外は静かなものだ。
他のテーブルを見ても、冒険者よりは貴族などの随分身なりのいい客ばかりでむしろ俺達の方が浮いて見える程だ。
「紅茶をお持ちいたしました。…どうぞ、熱くなっておりますのでお気をつけ下さい」
「ああ、ありがとう」
紅茶の入ったカップとソーサーを受け取ると、早速朝食を摂り、紅茶に口をつける。
水が良いのか、雑味のない澄んだ飲み口だ。
他の料理についてもシンプルな朝食ではあるが、良質な食材が使われている為か、実に満足感のある朝食となっていた。
他の仲間達も続々と降りてきて朝食を摂り終えると、俺達は普段の装備を身につけて部屋を出る。
すると、昨日チップを渡した男性が部屋の前で待機しており出迎えてくれた。
「お早う御座います。昨夜はよくお眠りになられましたか?」
「ええ、お陰様で」
「それは何よりで御座います。これは私からのお気持ちです、御受け取り下さい」
従業員から渡されたのは小綺麗な革袋で、中にはいくつかの液体の入った瓶が入っている。チップのお返しと言ったところか。
瓶の中の液体は赤や青であり、微かに魔素を孕んでいる。おおよそ霊薬の類と見て間違いないだろう。
俺は彼からのチップのお返しを有り難く受け取ると、彼に連れられてエントランスへ向かう。
受付で宿泊費を払い、彼ら従業員に見送られながら宿を後にすると、外の歩道はいつの間にか人で埋め尽くされる程の人混みとなっていた。
「凄い人混み…、これじゃまともに動けやしないわね」
「マリオン、これじゃ前が見えねェだろ、肩に乗せてやろうか? お前じゃ人を押し退ける訳にもいかねェだろ」
「…癪な言い方だけど確かにそうね。いいわ、肩に乗せられてあげる」
「…一応俺も王族だからな?」
小柄な鉱山種であるマリオンでは人混みの中に埋まってしまう。加えて魔人の加護によって異常な程の膂力を持つ彼女では人を押し退けるだけでも一つ力加減を間違えれば大怪我をさせてしまう事を鑑みて、レオはマリオンに担ぐ事を提案する。
マリオンは少しだけ不快そうな表情を見せるが、彼女自身それがわかっている為、やむなくそれを受け入れると屈んだレオの肩に腰掛けていた。
「朝から人の数は凄かったけど…。すみません、この人混みは一体…」
「ああ、冒険者の方ですかな? 間も無く女王、ユリア陛下がおなりになられる様でしてね。皆こうして水門エレベーターの前で一目見ようと待っている所ですよ」
人混みの最後尾にいる他国の貴族らしき男性に尋ねると、彼はそう答えてまた水門エレベーターに視線を向ける。
周囲を見渡してもその通り、歩道を埋め尽くしている人々は皆一様に水門エレベーターの門扉に目を向けたままどよめいており、遠くに見える中層とを繋ぐ階段にまで観衆で溢れ返っている 。
少しだけ人混みの中を進むと、水門エレベーターの方が騒がしくなり始め、そちらに視線を向ける。
すると、金属の柵が水面下に下がり、ゆっくりと水門が開き始めている。どうやらいよいよ女王ユリアの登場らしい。
開いた水門の中からは全て女性で構成された近衛と思われる兵士と楽士隊を乗せた舟がこれまた馬鎧を身に付けた水馬に引かれ、次々に中央水路に現れては一糸乱れぬ動きで女王の道を確保する様に整列していく。
全ての兵士達が現れると、楽士隊が演奏を始めだし、近衛兵達が一斉に剣を掲げ、陽の光をその刀身に当てて反射させる。
「女王陛下!」
「ユリア様ー!」
「ああ…何と美しい…!」
「女王様…!…あぅ…」
女王ユリアの登場に人々は老若男女を問わず見惚れ、歓声を上げる。中には姿を見る前から気を失う者までいる程だ。
「女王陛下の登場、ねェ。随分と派手好きみてェ
だな」
「それはお前も同じだろ、レオ」
「まァな」
「セオ様、出てきますわよ」
「ああ」
薄暗い水門エレベーターの中から大きな影がゆっくり姿を現わす。
人々の視線の先にあるその大きな影の上の舟には二人の鎧に身を包んだ女性の姿と、そしてその中央には白と青を基調とした清らかさを表す色とは裏腹に、扇情的なドレスに身を包み、まるでさざ波を模した様なヴェールを被った女王ユリアが玉座で足を組んだまま、その姿を衆目の前に姿を晒していた。
不敵な笑みを湛えながら頬杖つく彼女は手に持つ扇を広げ、それを水路へ伸ばすと舟の下の影が中央水路へと進み始める。
「水の賢者ユリア…、又の名を水駆の巫女ユリア。麗しい見た目とは裏腹に、戦になれば読んで字の如く、得意の水魔術で怒涛の勢いで攻め立てる、という話だ。万が一にでも敵に回したくは無いね」
「まぁここから眺めている分にはそんな事にはならないわよ」
ユリアが広げた扇を一薙ぎすると、水路に無数の水柱が立ち登り、それによって上空へ打ち上げられた水が水竜の形を成すと、次々に水路へと降り注いでいく。
彼女の魔術を用いた演出に見物に来た人々は大いに沸き、ユリアはそれに応えるように辺りを見回しながら笑顔を返す。
「…!」
周囲を見回すユリアと一瞬目が合う。
それだけならば別に何も気にする事は無いが、彼女は目線が合った瞬間、蒼く塗った唇を歪ませて確かに笑っていた。
「セオドア殿、如何致した?」
「いや、今一瞬女王と目が合った気がしたんだけど、その瞬間笑ってたような…」
「ははーん? さては見惚れてたわね?」
「セオ様、私という者がありながら…」
「ち、違う!何か含みのある笑いだったんだけど…。いや、気のせいか…?」
「ここから見る限りでは変わった様子は見受けられませんが…」
もう一度女王の表情を見ても、特に変わりは無く、先程迄の観衆達に返す笑顔のままだ。
彼女が一瞬見せた笑顔はまるで"面白いものを見つけた"かの様で、少しばかり妖しげな雰囲気を纏っていた。
「…そう言えば兄様、昨日屋台で聞いた"女王様の余興"には参加するんですか?」
「いや、そのつもりは無い。…というか今ので余計に参加したくなくなった」
ユリアの見せた笑みからは微かに悪寒の様なものを感じており、もし余興に参加すれば何かよからぬ事が起きそうな気がしてならない。
とりあえず祭りについてはあくまで観衆の一人として参加するつもりだ。決して当事者になるつもりは無い。
女王の舟は近衛兵達に先導されながら中央水路を進み、離れて行く。
背中の開いたドレスから覗く背中が小さくなるに連れて、水門近くの人混みは少しずつ解消されていった。
人混みを為していた人々の半数は近くの船着場に殺到し、次々に舟で女王の現れた水門を目指して行く。
俺はその中の一人である冒険者らしき若い男性を捕まえてその理由を尋ねてみた。
「あの、この人だかりは?」
「ああ、これはこの後行われる女王陛下の余興を見に行く人たちさ。中層の真ん中にある広場は知ってるかい? ここにいる人達はみんなそこに向かう為にこうやって我先にと集まって来ているのさ」
なるほど、確かに女王はパレードの為にこれから暫くこの下層の水路を回る。その間に少しでもいい場所を取ろうと彼らは余興の会場である中層の広場へと急いでいる様だ。
「なるほど、ありがとうございます」
「ああ、君達も行くのなら急いだ方がいいよ。もう既に中層の居住者が集まっている筈だ。これから下層の人々が行けばかなり混雑するだろうからね、じゃあ僕は行くよ」
冒険者の男性はそう言って船着場に集まる人混みへと消えていく。
さて、このまま船着場で舟に乗る順番を待っていても時間だけが過ぎて行くばかり、舟に乗り中層の広場に着いてもその女王の余興を見物するにはかなり遠い場所から見なければならなくなるだろう。
「昨日この街を回ったのも、実はこの為だったりして。混み合う前に広場に行ってしまおうか。飛翔!」
魔術によって俺達の身体が浮かび上がり、高度を上げていく。
「なるほど。しかしこの移動も久しぶりだな。暴れるなよマリオン、離れると落ちるぜ?」
「…一応言っとくけどアタシは小さいだけでアンタよりかなり年上だからね? あんまり調子に乗ると殴るわよ?」
「…ほう、これはなんとも便利な…」
魔術の風に乗り、天高く浮かび上がった俺達は女王の宮殿よりも高い位置からロームの街を見下ろしていた。
しかし、見れば見る程美しい街並みについ溜め息が出てしまう。
降下を始めた俺達は一直線に中層の広場へ向かい、地面の近くに来ると減速してゆっくりと広場を取り囲む水路の側にある広い歩道に降り立った。
既に中層の住人達が広場に集合しているものの、まだまだ人混みと言う程では無く、広場を取り囲む歩道にいる人々も疎らと言える程だ。
寧ろ、降下している途中に見かけた限り、周りの民家の屋根やベランダから広場を見ている人も少なくなく、中層の住人達にとっては広場よりもいい特等席なのだろう。
「あ、あれが女王様の余興に参加する人達だね」
フォルクが指さした先は中央に噴水がある広場で、噴水の周りには十人ほどの男性の魔術士や冒険者達、そして彼らを案内する為の女性兵士達が待機していた。
昨日は人がいた為に気づかなかったが、円形の広い石畳の広場は中央の噴水さえなければまるで闘技場の円形リングの様だ。
加えて広場と歩道を繋ぐ橋も、僅かに隙間が空いており、水中から迫り出したかの様に濡れている。
「さてと、比較的前の方で見れそうだな」
「ええ、ですが女王陛下も下層の水路を回っているのならまだ時間がありますわね」
「なら今のうちにフォルクとみんなの分の食べ物でも買ってくるわ」
「お、頼んだぜ」
フォルクとクローディアが見物用の食べ物を調達して帰ってきてから一刻半程すると、女王達は漸くパレードを終えて広場に到着する。
既に広場を取り囲む歩道は見物客で埋め尽くされており、身動きが取れない程だ。
長身痩躯の女王は足まである長く蒼い髪を揺らしながら、二人の側近に手を取られながらゆっくりと広場に降り立ち、そして兵士の持ってきたマイクの様な魔導器を手に取ると、挨拶を始める。
「ロームの住人達、見物客の皆、妾の為に集まってくれた事、心から嬉しく思う。今年で妾は二十五となる。このロームが建国当時から一度の侵略も受けず、美しい街並みを保っておるのも一重に皆のお陰と言えよう。現カエサル王領を治める者として改めて感謝する」
琴の音色の様な美しい声、そしてその美貌と一挙手一投足に老若男女問わず、誰もが心を奪われて見惚れている。
「妾は長ったらしい挨拶は好まぬ。皆も早く心踊る余興に移った方が良い、そう思っていよう?」
女王の言葉に観衆が歓声を上げる。これから始まる余興に心躍らせ、広場は早くも熱を上げていた。
「そうか、そうか。ならば早速…と言いたい所ではあるが、ふむ…今妾の前におる冒険者や魔術士の皆には申し訳無いが、もう一人、この余興を楽しませてくれるであろう者が此処に居らぬな。さて…」
女王ユリアはそう言って周囲を見渡す。
この余興の場にいない一人を探している様だが、その深く蒼い海の色をした目はまるでその一人が此処にいる事を知っている様だった。
「ふふ、居ったわ。其処の其方じゃ、顔を上げよ」
ユリアが手に持った扇を閉じ、その先端を観衆の方へ向ける。
それは紛れも無い、俺の方に向けられており、観衆達の視線も全て俺に向けられている。
「…俺?」
「そう其方、其方じゃ。広場の中へ来るがよい」
まさかの指名に呆気にとられていると、観衆達が開けた道から兵士達がやってくる。
「女王陛下直々の指名である!」
「これは名誉ある事と思え!」
「広場の中へと参られよ!」
女王の命令は絶対か、兵士達を蹴散らして断る事も出来なくは無いだろうが、そんな事を仕出かせば俺達全員、丸ごとお尋ね者だろう。
致し方なし、俺は素直に兵士達に従い、広場へと歩き出す。
「セオ様。どんな余興かもわかりません。どうかお気をつけて…」
「ああ、なんで指名されたのかわからないけどまぁなんとかなるだろ。…行ってくる」
兵士達に誘導され、俺は石畳の広場に入ると、女王の前で態とらしく跪いて首を垂れた。
「ご指名どうも、このまま陛下の御御足でも舐めれば良いでしょうか」
正直余興に参加するつもりも無ければ、観衆の注目を集める気も無かった俺は、少し斜に構えて女王の前で戯けて見せる。
すると、側近の一人の気に障ったのか彼女は腰に下げた宝剣の柄に手をかけたが、もう一人の側近が首を小さく振ったのを見て、その手を止める。
「…良い、実に良い。妾を前に媚びる素振りも見せぬとはそれでこそ選んだ甲斐があったというものよ。これでこの余興も盛り上がるであろう。さて、皆が待ち草臥れておろう、早速始めるとしようか…。…やれ」
嫌に上機嫌な女王は開いた扇で口元を隠しながら笑い、突然真顔に戻ると同時に扇を払って兵達に合図を送る。
微かに広場が揺れると、広場と歩道を繋ぐ橋が水の中へ消え、広場は歩道から切り離されてしまった。
その間に側近二人は舟に乗り込むと、少し後退して広場を囲む水路から離れている。
「さて、何を始める気だ…?」
背を向けた女王は水路の方へと歩き出すと、そのまま静かに水面へと飛び降りるが、彼女の爪先が水面に触れる寸前、間欠泉の様に水柱が立ち上る。
女王ユリアは間欠泉の上に立ち、俺達参加者を見下ろしながら再び扇を振るうと、今度は広場が揺れ動き始めていた。
「何だ何だ!?」
「見ろ!広場が!」
円形の広場の縁に立つと、歩道にいる観衆達が遠くなっていくのがわかる。そして、この広場もまた、女王の巻き起こした間欠泉によって浮かせられているらしい。
更にある程度の高さまで広場だった円形のリングが浮き上がると、巻き上がった水が泡の様に周囲を包み込み、そのまま空中に留まらせていた。
中央の噴水だった部分はそのままぽっかりと穴が空いており、巻き上げられていた大量の水の残りが泡を突き抜けてその部分に集まり、大きな水の球体が出来上がる。
「完全にリングの完成だな…」
「ここで俺達に殺し合いでもしろってか?」
突然出来上がった水に包まれたリングに参加者達は各々武器をとって身構えるが、俺は一人参加者達の動きに注意を払いつつも、武器も構えないまま泡の外にいる女王へと視線を向けていた。
「言ったであろう、余興であるとな。其方達には踊ってもらうのよ。…ただし最後まで踊りきれるかは別としてな」
ユリアが閉じた扇に魔力を込めると、リングの中央にある水の球体から分離する様にして、別の水の球体がいくつも生まれてくる。
その球体は形を変え始め、魚人や小鬼、白狼、大蝙蝠の様な魔物を姿を形成し、俺達余興の参加者を睨み付けていた。
最早説明は要らないだろう、女王ユリアの余興は俺達冒険者と、自ら魔力で生み出した魔物の姿を形成した水と対峙せよと言う話だ。
「協力し、踊るも良し、独り奔放に踊るも良し。其方達の演舞が妾と此処に居る皆を楽しませてくれるものと期待しておる」
女王はそう言って閉じた扇を振るうと、魔物を形成した水達が一斉に俺達余興の参加者達に襲い掛かってきた。




