第百七十六話:センゾウと言う男
宴会から少し離れ、俺達は街の中心にある広場にいた。
広場の中はまだ人の往来があるが、その中心にあるハルモニア教の教会の真裏にある十字架の周りにだけ、ぽっかりと人の立ち入らない場所ができていた。
「さて、セオドア殿だったか。まずはクリスティン殿が出発する前に話しそびれた件、拙者がアリーシャ殿を刺した事、正しくは刺した様に見せた事について話させて貰う」
「…? クリス、どういう事なんだ?」
「いえ、私にも…。私は兄様をみんなと迎えに行く前師匠…、このセンゾウさんに剣を教えて貰っていました。その時、見兼ねたアリーシャが私を焚き付ける為にセンゾウさんに食って掛かり、その時に返り討ちにあいまして…、私はてっきり本当にアリーシャは死んでしまったものかと…」
話の一端を聞いた所で一瞬俺は構えてしまうが、アリーシャは実際に無事である事も考えると、実際にセンゾウが彼女を手に掛けた訳でもない。
「拙者はあの時、アリーシャ殿の腹を掌底で打ち、その上から自身の手の甲を刺しておった。そこから流れたのは拙者の血だ」
「…ですがあの時、アリーシャは口からも血を…」
「うむ。正直な所、拙者もあれには驚いていた。後で街の医者に見せた時に聞けば、何と自ら舌を噛んでおったようでな。元々は拙者から持ち掛けた茶番ではあったが、拙者の刺す演技では手緩いと、自らもまた演技をしておったらしい。気絶させるつもりで殴ったのだが、拙者が思う以上に打たれ強い女人であった上に拙者の不手際の尻拭いまでされるとは思わなんだ。加えて、あの墓についてもアリーシャ殿の考えでな、あそこまで主人の為に身を捧げられる者もワダツミにもそうは居らん。まっこと天晴と呼ぶ他無い程の女性に御座るよ」
センゾウの話によれば、元々はセンゾウ自身がクリスを焚き付ける為に打った芝居だったが、それでは手緩いとアリーシャは自身を傷付けてまで演技をして見せたらしい。
だがその甲斐もあって、クリスは魔剣術を習得するまでに至った。センゾウの指導と彼女のお陰でクリスが魔剣術を習得した事が、今こうして無事に看守の洞窟から脱出できた事に繋がったのは紛れも無い事実、二人には感謝する他無い。
「センゾウさん、妹を、クリスをありがとうございました」
「いやいや、礼には及ばん。血反吐を吐きながらも励んだクリスティン殿の努力と我が身を惜しまぬアリーシャ殿の献身の賜物であろう。拙者はきっかけを与えたに過ぎぬよ」
センゾウはクリスの肩を叩き、それから眼を酒場へと向けてアリーシャの事を促すと肩を竦めてみせる。
「して、セオドア殿。お主らはこれから如何致す?」
「とりあえず合流できましたけど、今は特に。まずは一通り街を見回ってそのうち魔導連邦全体を回ってみようかと思ってます。強いて言うならルミネスにあるって言う魔導学校でしたっけ? それも気になってる所です」
「ふむ、確かにこの国は魔導連邦と謳うだけあり、拙者の故郷、ワダツミで言う所の鬼術や忍術に当たる技術については拙者も実に興味深い」
センゾウは親指と人差し指で顎を摘み、うんうん、と頷き考える素振りを見せる。
センゾウ自身も恐らくこの国のそう言った面に惹かれ、留まっているのでは無いか、とすら思えてくる程だ。
「センゾウさんもそれでワダツミから?」
「いや、拙者は元々別の目的で海を渡ってきておる。が、この国の魔術について興味を持っている事も事実だ。本来の目的については途中で足跡を見失っておってな、止む無くこの街で手掛かりを探しておるがまるで見つからんのだ」
「なるほど」
「この街は他国から魔導連邦へとやってくる者達の玄関口、故にこの街で手掛かりを探しておったが、未だ見つからず仕舞いでな。途中行き倒れておった所を店主に救われ、今はその恩を返しながら手掛かりを探っておる。が、この街に来てもう六年、とんと見つかりもせん。最早笑えてくる程で御座るよ。ハッハッハ…」
センゾウはこのテラービブに滞在し続けていた理由を話すと乾いた笑い声をあげ、腰に下げた酒を飲む。
自嘲しながら彼は積もっている雪を照らす満月を見つめていた。
「けっ、だったらもう何処へなりとも行っちまいな」
「む!? 店主殿!? …もう店はよいのか?」
「ハッ、もう俺の手にゃ負えんよ。酒も料理も勝手に持ち込まれて手前ェらで勝手に騒いでら。喧嘩が起きてもあんな状態じゃ仲裁も出来ゃしねェしな、後は野となれ山となれってモンだ。センゾウ、お前、恩返しだなんだと宣っちゃいるが、結局のところ行く宛てがねェ、それだけだろうが。いい機会だ、そこの兄さん冒険者なんだろう? 一緒に付いて行かせてもらっちまえ」
「いや、いやいや、そういう訳には…」
ピェーチカの店主は酒を煽りながらセンゾウを引き取れと言わんばかりに俺の方を促してくるが、センゾウは両手を振り否定しつつも、僅かに一瞥くれて俺の様子を伺っていた。
「…一応確認するけど、クリスとしては?」
「私としては今の剣はセンゾウさんから教わったものですし、恩返しとなるならば喜んで」
「しかし、拙者まで付いていけばかなりの所帯となろう。迷惑では御座らんか?」
「今更八人も九人も同じですよ。多分みんなもそう言うと思いますし、街で宿が取れないなら野営でも構いません。センゾウさんが野営は無理だというなら仕方ありませんけどね」
「むう…」
彼に世話になったクリスが歓迎するならば、俺や皆が断る道理は無い。
蓄えも多少はあるし、先程彼に話した通りに今更仲間が増えた所で否定するような仲間もまずいないだろう。
その意向を示すと、センゾウは眉間に皺を寄せて言葉を詰まらせて今度は店主の顔色を伺っていた。
「俺に構うこた無ェだろ。ほれ、決まりだ決まり、お前は今日限りで解雇だ。まぁ…何年も用心棒やってくれてありがとよ」
「うぬぬ…、…拙者こそ、行き倒れていた所を救って頂いた事、宛て無き拙者を雇って頂いた事、一生の恩として、改めて…感謝致す」
センゾウは雪の上に跪き、店主に向かって地面の雪に額が埋もれる程に深々と頭を下げるが、店主はセンゾウの羽織る着物の肩を掴んで彼の土下座を止めようとしていた。
「おいおい頭上げてくれ、こっちとしてもお前がドンスコイみてェなバカ共をとっちめてくれたお陰で、店でデカい顔するバカが出なくなって助かってんだ。…それによ、店の前でぶっ倒れてんの見てほっとける訳ねェだろうが」
顔を上げたセンゾウは店主の言葉を聞くと、もう一度深々と頭を下げて謝意を示すと立ち上がり、袴の裾に付いた雪を払い落とす。
「兄さん、センゾウを頼んだぜ。…さて、宴の主役があんまり席を外すモンじゃねェ。兄さん方もぼちぼち戻んな」
店主はそう言うと鼻歌交じりに酒を煽り、雪道をゆっくりと引き返していく。
「じゃあ、俺達も戻ろうか」
「うむ」
「はい」
店主が帰っていくのを見届けた後、俺達もまた、店主の後を追って宴会場へと戻っていった。
ーーー
「どこいってやがったセオォッ!」
「全くゥ…、主役無しではァ、盛り上がるモノもォ…オップ…盛り上がりませんぞォ…」
「ほらほらセオ、こっち来なさい!」
「わわっ!?」
店に戻ってくると、レオとマクニール、マリオンの三人は他の冒険者や店の女性達に囲まれながら酒を飲んでいた。
レオに怒鳴られ、マリオンが手招きすると店の女性達が立ち上がり、俺の両腕を取る。
「ああっ兄様ッ!」
「あなたがセオドア君ね? なかなかイイ男じゃない」
「ねっ、色々お話して貰えないかしら?」
「ちょっ…」
ボディラインがはっきりとわかる煌びやかな服に包まれた女性達は俺の腕を取ると、その身体を腕に密着させる。
よく見ればレオやマクニールの周りにも美女が取り囲んでおり、女性達からの積極的なボディタッチに二人は上機嫌な様子だ。
「全く…、お下品な女性達ですこと…」
レオ達の席へと導かれている俺の前に現れたのはアンリエッタだ。
少し怒っている様子で目尻を吊り上げた彼女は足音を立てながら近づいてくると、俺に取り付いた女性達を振りほどくとか細い指で俺の右手を取ると、二階へと手を引く。
「さぁセオ様、こちらへ。あの様な下品な席、セオ様には釣り合いませんわ」
「ア、アンリ?」
アンリエッタは笑顔を見せてそう言うが、彼女の目はとても笑ってはおらず、俺を除く全員に対して激しい威圧感を放っている。
振り解かれた女性達やレオ、マクニールを含め、ほぼ全員がその迫力に気圧されて硬直する中、マリオンは一人、笑いながら葡萄酒の入ったジョッキを傾けていた。
アンリエッタに手を引かれ、階段を上がろうとした瞬間、今度は左手を引っ張られる。
俺の左手を引っ張っていたのはクリスだ。
「アンリさん、兄様は渡しませんっ!」
「…いくらセオ様の妹であるクリスさんと言えど、私の恋路の邪魔はさせませんわっ!」
「痛たたたっ!ちょっと二人共ッ、落ち着いてくれよっ!痛だだだだっ!」
「アッハッハッハ!モテる男は大変ねっ!」
俺の両手を握るアンリエッタとクリスがお互いに引っ張り合う。
二人の力は普段より強く、まるで引き裂かれそうな程で、俺の痛がる姿を見ながらマリオンは腹を抱えて大笑いしている。
「クリスティン様、アンリエッタ様…一体何を…」
「あ痛だだだ!アリーシャ、助けてくれ!」
「…!」
「…!」
二階から降りてきたアリーシャに俺は助けを求めるが、二人が彼女を睨みつけると、困惑した様に二人の顔を眺めて一礼する。
「…セオドア様、申し訳ございませんが、私ではお二人をお止めする事は出来そうにありません」
「ちょっアリーシャ!?」
アリーシャはそう告げるとカウンターに置いてある酒や料理を取り二階へと消えてしまう。
背中を向けるアリーシャに手を伸ばしたくても、依然として両手を引っ張られ、手を伸ばす事も許されない。
それどころか、二人の手を引く力は更に増しており、このままでは腕ごと引き千切られてしまいそうだ。
「ねぇ二人とも、それだったらどっちがセオを連れて行くか勝負でもしてみたら? 勝った方がセオを連れて行くって事でどう?」
二階のテラス席から声が聞こえ、そちらを向くとフォルクとクローディアが柵に腰掛けて仲睦まじげに酒を飲みながら手を振っている。
「おい、クローディア!?」
「…確かにいい考えですわね。クリスさん、それでいきませんか?」
「望む所です!アンリさん、そろそろこの辺りで白黒つけましょう!」
二人の手が離れ解放されるが、二人のお互いの視線の間に火花が走る。
「ふ、二人とも…」
「セオ様は」
「兄様は」
「黙っていて下さいましっ!」
「黙っていて下さいっ!」
「…ひっ!」
二人の圧力に驚き尻餅を着くと、遂に二人はお互いに掴み合い、喧嘩を始めてしまった。
上から眺めていた二人を見ると、フォルクは困った様な笑顔を見せ、クローディアは口元を押さえて笑いを堪えている。
武器は持っていない為、刃傷沙汰になる事は無いだろうが、完全に本気の喧嘩を始めた二人は激しく揉み合っており、とても仲裁できる様な様子では無い。
「…とりあえず飲むか」
「…うむ、それがよかろう」
本気の女の戦いを始めた二人に呆気に取られてしまった俺とセンゾウは静かに頷き合うと、ゆっくりと二階への階段を登っていった。
宴は大盛況を極めており、レオとマクニールの周りでは彼らの冒険譚や自慢話に華が咲いている。
男達や冒険者達にはレオの冒険譚が受けており、マクニールの自慢話は女性達に受けている。
力強い男の武勇伝、稼げる男の儲け話はいつの時代もどんな場所でも外さない話題の様だ。
マリオンは彼女は踊り子達と共に歌い踊っており、テーブルを並べて作られた即席のステージに男達が集まり魅了されている。
意外にもマリオンはその方面における才能がある様で、即興で合わせているにも関わらず、踊り子達に負けず劣らずの歌声と踊りを披露していた。
フォルクとクローディアの二人は俺達と同じ二階のテラス席におり、柵に腰掛けて仲睦まじく手を繋いだまま、賑やかな一階を見下ろしている。
三年の間に一気に距離が縮まった様子の二人を俺達は暖かく見守っていた。
俺とセンゾウはテーブルで向かい合い、クリスに教えたと言う魔剣術や彼の故郷であるワダツミの事について話を聞いていた。
アリーシャはその隣で店にある最も強い酒を飲みながら話を聞いている。
「成る程、セオドア殿は誰に教えられるでも無く、我流でその境地に至った、と?」
「境地だなんてとんでもない、出来る事を模索してたら偶然出来ただけですよ」
「いやしかし、ワダツミの忍術にしても、こちらで言う魔剣術にしても、普通ならば誰かの教えによって会得するのが一般的に御座る。クリスティン殿も鬼術、否、魔術の才については一流を超える実力を持っておるが、魔剣術の会得には少しばかり手を焼いておった。なればこそ貴殿の才が並外れたものである事は疑いようも御座らん。っと、グラスが空いてしまって御座る。ささ、ご一献」
センゾウは俺が自力で魔剣術を習得した事に感心している様子であり、話している俺も、聞いている彼も酒が進む。
「そう言えば先程から気になっておるのだが、その荷物から何やら懐かしき匂いがしておってな…」
「え? なんだろう…」
センゾウが気にしている匂いの元を鞄の中から探り、机に並べてみる。
服や薬、食料である干し肉などは違う様だが、ヘレ氷原から持ち帰ってきた小さな壺を机に置くと、センゾウが鼻を鳴らしながら顔を近づけた。
「これだ、これに御座る!」
「あ、これは…」
センゾウは壺を手に取り封を開くと、その中身に目を輝かせていた。
「こ、これはまさしくっ…!」
「セオドア様…、これは一体…。匂いこそ違いますがまるで…」
「アリーシャ…、気持ちは分かるけど違うからな…」
封を解いた壺の中にある発行した豆と麦の発酵物。独特な匂いと見た目にアリーシャを始め、周囲の人間も渋い顔を見せている。
「セオドア殿、味見をしても構わぬだろうか?」
「あ、はい。お口に合うかわかりませんが」
「では、失礼つかまつる」
センゾウが壺の中身に指を入れて口に運ぶと、周囲がどよめく。
それはそうだろう。壺の中身は知らない人間から見れば不思議な匂いを放つウ◯コそのものだ。
「…むう…!」
「…どうですか?」
その意味は異なるものだが、センゾウの絞り出すその感想に俺もアリーシャも、周りを囲む人々も息を飲む。
「ふむ…少々えぐみは残っておるな…。しかし、これはまさしく味噌そのものに御座る…!
セオドア殿、これを何処で!?」
「ヘレ氷原で作ってみたんです。野生の豆と麦、それと岩塩を使って。…そうか、野生の豆や麦を使ってるから念入りにあく抜きをすれば…」
「…なんと…、自分で味噌まで…。セオドア殿、豆と麦は街でならば野生ではないものが手に入ろう。問題はこれをどう醸すか…」
「そう言えば麹そのものは向こうから持って帰るのを忘れてたな…。まぁ追い追いそれは考えましょう。そうだアリーシャも味を見てくれ」
「えっ、私が…ですか…?」
俺やセンゾウからすれば味噌は食べ物であると言う認識だったが、周りの人間からすればとても食べ物とは思えない見た目である所為か、アリーシャもご多分に漏れず、その壺の中に指を入れるのを躊躇っている。
「…う…。わ、わかりました…。では…!」
意を決したアリーシャが壺の中の味噌に指を入れる。そして指に付いた味噌を口の中へ運ぶと、周囲からどよめく声がする。
よくよく考えてみると、周りの目からすれば女盛りの美女がウ◯コに指を突っ込み、更にはそれを舐めとっている絵面だ。客観的に考えればかなり異様な光景だろう。
「どうだ?」
「…。……!…独特な味と見た目、そして匂いですが、思っていたよりはちゃんとした味がありますね。ただセンゾウ様が話す通り、少々えぐみが強い。もっと改良の余地がありそうです」
「成る程…、じゃあ次に作る時は材料とそのあく抜き、それに発酵させる為の麹をどう手に入れるかだな…」
「…しかし味噌など、ワダツミを発って一月もせぬ内に使い切って以来、久しぶりに口にしたもので御座る。…ワダツミか、久しく戻っておらぬが…目的を終えるまではまだ帰る訳には参らぬな…」
味噌を口にしたセンゾウは酒場の外から見える夜空を見上げながら望郷の思いに駆られていた。
ただし、その表情は決して柔らかなものではなく、むしろ険しい表情を浮かべている。
「そう言えば、さっき話していたある目的って…。差し支えなければお聴きしても?」
「ふむ…共に旅をする以上、話しておく必要も御座ろうな…。…拙者がワダツミを発った理由、それは…師の仇討ちに御座る」
仇討ち。センゾウの口から発せられた決して穏やかではない単語に俺やアリーシャ、周りの人間も息を呑んでその話に耳を傾けていた。




