第百七十話:氷鎧巨人
「…キショォ…、もう…動け…ねェ…!」
レオは俺達にはまだ気付いておらず、歯を食いしばり、起き上がろうとしているが全身の打撲傷と疲れ、魔素の欠乏によって動けずにいた。
「レオ!」
「…やっと…来やがったか…」
「全く、無茶し過ぎだよ。…ただ死なずに済んだ、というよりは生かされていた、そんな様子だね…」
「…どういう事ですか?」
「マクニール、急ぎなさい!」
「ええェ只今ァ。…レオさんこれをォ、あの時は使いませんでしたがァ、今こそこれを使う時でしょォ」
マクニールが鞄から取り出したのは玉虫色に輝く液体の入った瓶だ。
彼がマリオンに急かされて取り出した瓶の蓋を開けると、周囲には熟れきった芳醇な果実の香りと腐り切った肉の酷い匂いを混ぜ合わせた様な何とも形容し難い香りが漂ってくる。
「…!後ろだッ!」
突如背筋を凍らせる程の気配を感じ、後ろを振り返ると、そこには巨大な氷像が立っていた。──氷鎧巨人、この巨大な氷の牢獄の主だ。
氷鎧巨人は巨大な右手に氷の錐を手にしたまま、大きく振りかぶっている。
「みんなっ、避けろッ!」
「ダメだ、間に合わな…」
気配を殺し背後に立っていた氷鎧巨人がその手にある錐を俺達に向けて振り下ろす──、かと思い、身構えた瞬間だった。
氷鎧巨人の手は振り下ろされたが、氷の錐はその手から離れ、俺達の真上を通り過ぎていく。
氷の錐が飛んで行ったその先から振動が響き、さらに大きな瓦礫の崩れる音も響いてくる。
「…すっぽ抜けた…?」
「…いや、この方向は…!」
振動と轟音の響いてきた先、それは地上の出口へと続く通路への出入り口。
振り向いた時には既に沢山の瓦礫がうず高く積み上がり、完全に退路を断たれてしまっていた。
「逃げ帰る道は閉ざされたって事か…!」
「…やるしかありませんわ!」
「望むところよ!逃げてばかりは性に合わないわ!」
「兄様、レオさんは!?」
重傷のレオを除き、俺達は全員戦闘の体勢を取るが、これ以上レオを放置する訳にもいかない。
「…マクニール、さっきの薬は!?」
「"高潔なる秘薬"と呼ばれる薬ィ、その試薬ですなァ…。効き目が出るまでに少しィばかり時間を頂きますしィ、睡魔に襲われますがァ…、あらゆる傷と魔素を回復する貴重な薬ですゥ」
「マクニール、レオを部屋の隅に動かすよ!セオ、レオを運んだら僕も援護する、レオが起き上がるまで耐えよう!」
「ああ、フォルク、マクニール、レオを頼む!行くぞッ!」
レオを担ぎ部屋の隅へと急ぐマクニールとフォルクを見送り、強大な氷の巨人と対峙する。
「………!」
声こそ無いが、まるで咆哮でも上げているかの様な氷鎧巨人のその姿から放たれる強烈な威圧感に俺達は僅かに怯んでいた。
「くっ…!なんて威圧感だ…!」
「びびっても一緒よ!コイツを倒さない限りはここから出られやしない、逃がさず確実に仕留める為にコイツはあそこで錘を振り下ろさずに出口を塞ぎに来たのよ!アタシが行くわ!」
マリオンが先行し、槌を振りかぶりながら氷鎧巨人へと突っ込んでいく。
氷鎧巨人の全身を覆う強固な鎧、これに対抗できるのはマリオンの槌。彼女自身、それを理解していた為に彼女はいの一番にその切り込み役を買って出ていた。
「マリオン、右だ!奴の拳が来るッ!」
「…くっ、大きすぎる!避けきれ…」
躍り出たマリオンに対して氷鎧巨人の左の拳が迫ってくる。
幾ら魔人の加護を持つ彼女でも親衛隊クラスの氷塊巨人の一撃ではダメージを受けていた以上、この一撃を貰えばひとたまりもない。
「私が防ぎますわッ!」
走っているマリオンと氷鎧巨人の拳の間にアンリエッタが大楯を構えて割って入る。
アンリエッタの大楯は長身の彼女をすっぽり覆い隠す程のものだが、それでも氷鎧巨人の拳はそれ以上に巨大だ。
大楯に刻まれた二人の聖女が祈りを捧げる魔石が輝き、アンリエッタは氷鎧巨人からの一撃を真正面から受け止める。
一瞬、無謀とも思える行動だが、彼女の大楯は特殊な力を持つ大楯であり、それを可能にしていた。
「…!?」
アンリエッタの盾に打ち付けられた氷鎧巨人の左拳が弾き返されると同時に籠手を覆う氷が砕け、その破片が壁に当たって粉々に砕け散る。
アンリエッタの盾に拳を弾き返された氷鎧巨人は反動で大きく仰け反ると大きく体勢を崩し、完全に隙を晒していた。
「助かったわアンリ!後はアタシがッ…ハアアァッ!」
大きく蹌踉めき隙を晒したままの氷鎧巨人の懐に槌を振りかぶったマリオンが飛び込む。
最早防御は間に合わない。奴の着込んだ鎧にとってマリオンの槌は最大の天敵、一撃で倒せないにしても奴にとって相当な痛手となる筈だ。
「殺った…!」
氷鎧巨人の纏った鎧、その腹甲をマリオンは振り抜く槌で打ち付ける。
槌を打ち付けられた鎧が音を立てて破片を零す──。しかし、弾け飛んでいたのは鎧では無く、鎧を覆っていた分厚い氷だけだった。
「なッ!? 効いて無ッ──」
マリオンが手応えの無さに驚いていると、鎧の氷が打ち砕かれると同時に薙ぎ払われた氷鎧巨人の右拳が彼女を捉え、強烈な威力で彼女の小さな体を吹き飛ばし、万年氷床の壁面へと叩きつける。
彼女は大の字で壁に叩きつけられた後、そこから腰から地面にずり落ちていた。
「アンリさんッ!狙われてますッ!」
「…くッ!」
間髪入れずに氷鎧巨人は腕を引くと同時にその足でアンリエッタを蹴り飛ばそうとしている。
クリスから狙われている事を聞いた彼女は盾での防御では無く、大きく横に飛び込み、振りかぶられた足を躱していた。
「まともには受けられませんわね…っ!?」
辛くも氷鎧巨人の蹴りを躱したアンリエッタの目線の先には大きく腕を引き絞り、硬く握られた拳が映っていた。
回避は間に合わないと判断したアンリエッタは左手に持つ大楯を上に構え、振り下ろされる拳に備える。
「させるかッ!クリスッ!」
「はい!兄様!」
あの拳が振り下ろされ、まともに盾で受ければその盾ごとアンリエッタが叩き潰されてしまう。
アンリエッタの盾には先程の様に魔石に光が宿っておらず、恐らく先程マリオンへの攻撃を庇い、氷鎧巨人の拳を弾き返した様な特殊な力は発揮されない、そう考えた俺達は氷鎧巨人が拳を構える寸前にそれを阻止しようと走り出していた。
「兄様ッ!」
「やってくれクリスッ!属性斬撃・金剛刺突ッ!」
クリスの振り抜いた剣から爆風が巻き起こり、その風圧に乗って突っ込みながら金剛の輝きに覆われた騎士剣を拳の軌道上に向けて突き出す。
「…!」
「間に合えェッ!」
突き出した騎士剣が真下に突き出される腕、その手首を捉える。
籠手を覆う氷を砕き、剣が突き刺さる、──その筈だったが、突き出した騎士剣は砕いた氷の内側にある籠手で止まり、貫くことは出来ず、僅かにその軌道をずらすだけに留まっていた。
「軌道が逸れたのなら受け流せばッ…!」
軌道は逸れたものの、まだこのままでは氷鎧巨人の拳はアンリエッタを掠めてしまう。
彼女は構えた盾を振りかぶり、自身を掠める拳に対して全力で叩きつける様に薙ぎ払った。
「うわああッ!」
「くううっ…!」
「あぅっ!?」
アンリエッタはどうにか拳を受け流し、その直撃は避けた。だがしかし、アンリエッタを捉えられなかった拳はそのまま氷の床を砕くと、その破片は全周囲に弾け飛び、散弾の様に俺達全員を貫いていった。
「ぐっ…、なんて強さだ…!」
「うう…、直撃こそ…、避けましたが衝撃だけであの威力、…まともに受ければ私も耐えられませんわね…!」
「力尽くの攻撃だけで上位魔術クラスの破壊力…、厄介ですね…!」
ーーー
「ぐ…く…そォ…!」
「全身の骨が折れてる!早くその薬を!」
「ええェわかっておりますともォ!さ、レオさんッ!」
「…!…!…ガ…ガフッ…!」
マクニールは手に持った高潔なる秘薬の瓶をレオの口に突っ込み一気に飲み込ませる。
薬を飲んだレオはそれまで荒げていた息を落ちつかせると、途端に苦悶に歪めていた表情を穏やかなものに変え、まるで死んだ様に眠ってしまった。
「…まさか本当に死んだりしてないよね?」
「冗談を言ってる場合じゃァありませんぞォ!?…ぬォッ、マリオン殿がッ!」
フォルクが真顔でそう尋ねてきたのに対してマクニールがムキになって突っ込むと、その瞬間にマリオンが氷鎧巨人の拳を喰らい壁に叩きつけられた轟音が響き、マクニールが指を差して驚く。
更にアンリエッタに拳が振り下ろされようとしており、それに気付いたセオドアとクリスが阻止するが、床に叩きつけられた拳が衝撃と氷片を弾き飛ばしていた。
その氷片と衝撃は三人を吹き飛ばすだけに留まらず、レオを保護する二人の元にまで届いてきていた。
「フォルクハルト殿、危ないッ!」
「…!? マクニールッ!」
マクニールはフォルクの服を引き、自身の巨体の後ろにレオと共に覆い隠すと、無数の氷片から二人をその巨体で庇う。
大半の氷片は彼の頑強な鎧で受け止められたものの、鎧の隙間を縫った氷片は彼の身体を貫き、鎧の中から血を流していた。
「あ痛たたァ…、危ない所ォ…でしたなァ」
「マクニール、無事かい!? …鎧の隙間から…早く治療しないと!」
「…いやァ結構。私ィ、商人ではァありますがァ、見た目通りィ、幾らかタフでしてねェ…。私よりィ、あちらの方がァ深刻なダメージを受けているでしょォ」
マクニールは苦笑いを浮かべながら先程のやり取りの間に負傷した四人を顎で促していた。
「フォルクハルト殿ォ、これを皆さんにィ。私がレオさんを護りましょォ、フォルクハルト殿はァ皆さんの援護をォ、お願い致しますぞォ」
マクニールはそう言いながら背負った鞄の中から小袋を取り出しフォルクに託す。
フォルクが託された小袋の中には十数本もの霊薬の瓶と数粒の無色魔石が入っていた。
彼はマクニールから託された小袋を受け取ると小さく頷き、肩に下げた凄弓を手に取って二人の下を離れていった。
ーーー
「みんなッ、これをッ!」
背後からフォルクの声が聞こえると同時に薬瓶が飛んでくる。
「マクニールから渡された!すぐに飲んでッ!」
「マリオンさんが気絶していますわッ!」
「…了解、彼女は僕に任せてっ!みんなはどうにかあいつを抑えてくれ!」
「ああ、わかった!」
壁に叩きつけられ気絶したマリオンをフォルクが抱え、手に持った霊薬を彼女に飲ませる。
俺達も受け取った霊薬を口にし、再び身構えていた。
霊薬の効果で直ぐに痛みは引き、出血も止まったが、一度見せつけられた圧倒的な力の差によって受けた精神的なダメージは癒せない。
「傷は癒えたけど…、どうしたものかね…」
「二重の鎧…、突き崩すのは容易ではありませんわね…」
「マリオンさんの槌でも氷の鎧を砕くのがやっとでしたから…」
マリオンの槌ですら表面の氷を砕くまでに留まった強固な鎧。それを砕くには相当な攻撃力が必要なのだろうが、少なくとも彼女と同等以上の打撃による攻撃を繰り出せるのはまだ治療が済んでおらず戦闘不能のレオだけで、獣竜形態の彼でさえその鎧を砕く事は出来ていなかった。
かろうじて超越の加護の力を用いた俺の攻撃がそれに次ぐ攻撃力を持っているのだろうが、それでもあの鎧を砕く程では無いのは想像に難くない。
「…!?セオ様、あれをッ!」
アンリエッタが氷鎧巨人の変化に気付き指を差す。
彼女の指示した位置、それは先程マリオンが槌によって砕いた氷の鎧に空いた穴だ。
「なッ!? 再生してるだとッ!?」
「そんな…」
マリオンの渾身の一撃によって砕かれた氷の鎧は時間の経過に依るものか徐々に再生し、剥き出しになった鎧はまた氷に覆われてしまう。
強力な攻撃で一度は剥がせた鎧の一部だが、再び元通りになった事により、それは俺達に絶望という強烈な追い討ちを与えていた。
「兄様…」
「…クリス、そんな顔するんじゃない…。…何か…何か糸口がある筈だ…!」
「と、とにかくレオさんとマリオンさんが起きるまで何とか耐えませんと…!」
糸口、そうは言ったが直接攻撃を防ぐ手立ても、強固な鎧を貫く手立ても皆目見当がつかない。
八方塞がり、だが俺まで絶望してはパーティーは瞬く間に瓦解してしまう。
「アンリ、まずは耐えるぞ!接近戦は避けて防御と回避に徹するしかない!反撃はマリオンとレオが復帰してからだッ!」
「…心得ましたわ!私の後ろから離れないで下さいまし!」
氷鎧巨人から距離を取り、盾を構えたアンリエッタの陰に隠れる様に隊列を組む。
元々離れているレオ達はマクニールが肉壁となり、またマリオンの保護に動いたフォルクも先程マリオンが槌で殴り、氷鎧巨人から剥がれ落ちた氷の鎧の陰に隠れている。
あくまで氷鎧巨人の狙いは俺達に向けられており、接近してくるでも無くその場に鎮座したまま俺達を見下ろしていた。
辺りを見回し沈黙を守っていた氷鎧巨人はゆっくりと両腕を振り上げ身体を震わせる。
力を溜めている様だが、踏み込んできたとしても射程外、飛び込んできたとしても鈍重な氷鎧巨人だ。懐にいない限りは見てから動き出しても回避も防御も十分間に合う。
「…!」
「来るッ!」
氷鎧巨人が振り上げた両腕を勢いよく振り下ろすと、地面を強く打ち鳴らした。
振動が伝わり、正面にいる俺達に向けて砕けた氷の床が無数の槍となり迫ってくる。
「…ッ、この程度ッ…!」
「うわッ!」
「キャッ!?」
氷の槍は地面に大楯を立てて防御の体勢をとっていたアンリエッタが防ぐ。
しかし、彼女の防御をすり抜けた振動はその後ろに立っていた俺とクリスを転倒させるには十分な威力だった。
「セオ、クリスッ!上だッ!」
「氷柱ッ!?」
フォルクの声で上を見上げれば、先程の振動によって天井の氷柱が俺達を目掛けて落ちて来ていた。
「体勢を崩していてもこのくらいならッ…!」
降り注ぐ氷柱の雨にクリスが剣から炎を放ち対抗する。しかし、鋭い氷柱は炎の中を通り抜け、その先端を光らせていた。
「万年氷床の氷柱…!炎じゃダメならッ!」
刀身に風属性の魔力を纏わせ、降り注ぐ氷柱に対して薙ぎ払う。
薙ぎ払いと同時に発生した横薙ぎの突風が氷柱を直撃すると、小さいものはそのまま吹き飛び、大きいものは軌道を変えて直撃コースから外れる。
「ふぅ、危ない所だった…って、うおわっ!?」
氷柱の直撃を避けて安心していると、突然大粒の氷の礫が目の前を通り過ぎる。
「セオ様、当たっていませんわねっ…くっ…!」
「ああ、当たってないっ!…くそッ、今度は氷を弾き飛ばしてきたか…!」
「どうしましょう…氷鎧巨人の直接攻撃の射程外ではありますけど、このまま波状攻撃を重ねられてはいつかは…」
「ああ、反撃して少しでも攻撃を止めさせないとな…」
クリスの話す通り、今の立ち位置は氷鎧巨人の直接的な打撃は届かない。だが、此方も魔剣術で応戦するにもぎりぎり届きはするが、威力も大きく激減してしまう距離だ。
無闇に前に出ればマリオンの二の舞、そもそもあの二重の鎧を抜く術が無ければただ倒されに行く様なものだ。
かと言ってこのまま離れていても今はアンリエッタが遠隔攻撃を弾いてくれてはいるが、いずれ弾き損ねればそこから一気に崩される。
考えても考えても、今この現状において言える事はただ一つ、『打つ手なし』、その言葉のみだった。




