第十章断章:故郷の味
「ほら、次が来ておるぞ」
「うわっ、まだあんなに…!」
セオドアの前には大量の殺人兎が迫りつつあった。
とは言え、セオドアの足元にも大量の殺人兎の死骸が転がっている。
殺人兎は群れで行動する習性があるが、その実、仲間意識などは全く無い。死骸となれば直ぐ様彼等の糧となるだけだ。
殺人兎はどこまでも貪欲に食欲に忠実な魔物であり、単体では弱い魔物が強い魔物が跋扈するこのヘレ氷原で生き抜く為に身に付けた知恵なのだろうとライアンは話していた。
「というか…何でライアンさんには全く襲いかかって来ないんですかっ!」
「少なくともお主の方が狩り易く、美味そうだと言う事だろう。実際、儂の方が強いしな、それに殺人兎も、こんな老いぼれの肉など食っても美味くなかろうよ」
「絶対ライアンさんの方が食いではあると思いますけどねっ、クソッ!」
殺人兎の群れは次々と雪の積もる大地を物ともせずに俺に喰らい付こうと飛びかかってくる。
けして複雑な動きこそ無いが、小柄かつ、大群で攻めてくる為に始末が悪く、加えて鋭利な刃物の様な前歯は分厚い毛皮の服をいとも容易く貫き、肉ごと斬り裂いてしまう。
「わっ、このっ!てやっ、せえいっ!うわっと!」
「ほお、少しは見えるようになってきたな」
「よっと…、ええ、おかげ様でっ…はっ!」
初めて殺人兎を狩りに来た時は散々だった。
最初は十羽程度の小規模の群れを相手にしていたが一斉に飛び掛かって来るのを躱した後、バラバラになって不規則に飛び掛かってくる殺人兎達の攻撃を全く見切る事が出来ず、雪にも足を取られ、躱し損ねそうになるその度にライアンに首根っこを掴まれては救われていた。
だが、何度もそれを繰り返す内に、ある習性に気が付いた。
殺人兎の最大の特徴はその大きな耳、その耳は僅かな音も聞き逃さない程鋭敏で、その反面、視力はかなり悪い。そして飛び掛かってくるタイミングは決まって足音を立てた時だった。
とは言え、毎度雪に足を取られていては避けられるものも避けられない。故に雪上に於ける足捌き、それを身に付ける必要があった。
「雪に埋まらない様に出来る限り小さく早く…、はあっ!」
次々と飛び掛かってくる殺人兎を躱しては斬りつけ、また躱しては、斬りつける。
気が付けば戦闘や狩りではなく、ある種の作業じみた動きを繰り返していた。
「…これで最後…はっ!」
「ギッ…!」
最後の殺人兎を飛び掛かりに合わせて銀の剣で貫き、雪の上に放る。
最後の一匹を仕留める際、少し踏み込み過ぎた結果、殺人兎の前歯が頰を掠めて僅かに血が伝い、それを親指で拭い去る。
すると、横でその様子を見ていたライアンが小さく手を叩いていた。
「うむ、ほぼ無傷か。なかなかどうして飲み込みが早いな。…だが、今ので最後では無い」
「殺人兎は全部仕留めた筈ですけど…」
そう言いかけた瞬間、ライアンが指差す先、小高い丘の上にもう一羽を発見する。しかしその姿は他の殺人兎に比べると一回り程大きく、また毛色も黒に白い脚と、純白の殺人兎と比較すると明らかに異なっていた。
「双月兎と言う殺人兎の亜種、ではあるが全くの別物と言えよう。あの姿でこの辺りの主だ、挑むのであれば心してかかれよ」
傍目から見れば少し大きい事を除けば白脚の黒兎、だが闘気とでも呼ぶべきか、得体の知れぬ雰囲気を放っており、他の殺人兎とは明らかに異なる存在だと言う事は判る。
「いえ、やめておきます」
「ふふ、まぁ懸命よな。奴は儂でも手を焼く。今はまだお主にはちと荷が勝ちすぎよう。…と、銀狼だな、丁度良い、よく見ておれ」
銀狼はルミネシアに広く分布する白狼の亜種であり、見た目こそほぼ同じに見えるものの、艶のある毛並みを持ち、群れる事無く孤独に雪原を闊歩する美しさとは裏腹に非常に獰猛、狙った獲物は自分か相手が倒れるまで一歩も退かない高潔なる魔物だ。
その銀狼は双月兎の方へと真っ直ぐに進む。
そして一定の間合いへ侵入すると双月兎と銀狼はお互いに身構えて睨み合い、一触即発の状態となった。
「ウゥゥゥゥ…ガァウッ!」
「ギギッ」
一般的な目線から言えば、捕食者は銀狼、被捕食者が双月兎と言う構図に見えるだろう。
しかし俺の目線から言えば銀狼が精一杯の威嚇を見せている、そう見えていた。
「ガアァァウッ!」
「ギキッ!」
銀狼が双月兎に牙を突き立てようとする瞬間だった、その牙が双月兎の身体を捉える寸前、銀狼の身体がふわりと宙を舞い、そしてその瞬間、銀狼の首だけが積もった雪の上に静かに落ちる。
「その名の由来、解ったな?」
「…はい、確かに」
双月の名、それは双月兎が銀狼に喰らい付かれる寸前放った蜻蛉返り、その際に見せた白き後脚が描く美しき孤に由来する。
白き後脚から放たれた二対の白き双月が牙を突き立てようとしてくる銀狼の身体を貫くと、その直後に浮き上がった銀狼を鋭い前歯で一閃、首を落とす。
それは魔物の業と言えど、ただただ鮮やかと呼ぶ他、表現のしようが無かった。
「成る程、ああなるわけか…」
「見た目には体毛の色と体格だけしか変わらんからな、不用意に群れから逸れた殺人兎だと思って近づいた結果、返り討ちに遭う魔物も少なくない」
双月兎は仕留めた銀狼の首の無い死骸に寄り付くと、その体躯からは想像出来ない程の大きな口を開けて喰らい付き、みるみる内に骨ごと貪り尽くしてしまった。
「さてと…とりあえずは小屋に戻るとしようか。暫くはこれで食には困るまいよ」
ライアンは俺が殺人兎を相手にしている間に仕留めた殺人兎の死骸や雪の下に埋もれた野草を集めており、俺にその成果を見せながら笑みを見せていた。
「シチューか…干し肉、燻製も良さそうですね」
「殺人兎の肉は何にしても美味いからな、暫くは豪華な食事が出来そうだ」
俺とライアンは仕留めた殺人兎が一杯に詰まった革袋を手に小屋へと戻る。
そして戻った先で、早速血抜きの作業を行なっていた。
「お主、だいぶ手慣れてきたな」
「まぁ二日に一度はやってますし、一応冒険者ですから」
「それもそうか。む、しまった、干すための縄を物置きに仕舞ったままであったわ」
「俺が取ってきますよ」
「ああ、頼む」
何気ない会話を交わし、小屋の一階、雪に埋まった物置きへと向かう。
扉を塞いでいる雪を掻き出して中へ入ると真っ暗な空間が姿をあらわす。
「暗いな…、カンテラは、と…」
扉を支える柱にかけてあるカンテラを手に取り火を点けると、薄ぼんやりとした光を放ち、物置きの中を照らし出す。
そして目的の縄を手に取ると、あるものに気が付いた。
「なんだこの麻袋…」
いくつか積まれていた麻袋に触れてみると、どうやら保管されていた穀物の様で、俺はその麻袋を開いて中を覗き込む。
「随分と長い間保管されてたみたいだな…」
麻袋の中身は既に古くなった穀物で、中に入っていた麦や豆は完全に白いカビで覆われており、とてもこのままでは使えそうもない。
「待てよ…、確か昔…」
白いカビに覆われた穀物、それを見て俺はある事を思い付き、再び小屋へと戻る。
「おお、戻ったか」
待っていたライアンに殺人兎の肉を吊るす為の縄を渡し、俺はライアンに尋ねる。
「ライアンさん、この辺りで豆や麦が取れる場所ってありませんかね」
「…? ふむ、無くは無いが…それがどうかしたのか?」
「いえ、物置きの中に真っ白なカビに包まれた豆や麦があったんでちょっと試したい事がありまして」
俺の返答にライアンは首を傾げるが、後日ライアンはその場所へと案内してくれた。
後日、その場所へ案内されたその日のうちに、俺とライアンは二人で豆と麦を集めて小屋へと持ち帰ると、溶けた雪を使って豆を洗い、水に暫く浸す。
翌日、雪解け水に浸しておいた豆を今度はしっかりと茹で上げ、お湯を切ってその煮汁と別にする。
「頼まれていた塩、用意しておいたぞ」
「ありがとうございます。海岸にあった岩塩ですね」
ライアンに前もって頼んでいた粉状になるまで挽かれた塩を受け取り、煮汁が冷えてぬるま湯となったものに入れて溶かしこみ、倉庫にあった白いカビに包まれた麦をそれに投入してかき混ぜる。
そして今度は茹で上げて蒸らした豆を丁寧に潰し、その後、倉庫に眠っていた酒でこれまた倉庫の中で眠っていた壺を消毒して塩を塗り込み、先程の潰した豆と麦をを均一に混ぜ合わせ、玉の様にして壺の中へ投入すると、力を入れて空気を抜く。
これを繰り返しては最後に表面を平らにして塩を振り、更にそれを縁取る様に多めの塩を振り、そこから再び壺の内側と縁を念入りに酒で消毒した後に、潰した豆に空気が触れない様に魔物の革で密封し、重石を乗せる。
最後に容器そのものに魔物の革で蓋を作り、縄で縛ると、再び物置きの中に大事に保管する。
「…かなり手間をかけていたが何を作っていたのだ? 見た所、かなり塩を多めに入れたペーストの様だったが…、あれは保存食か何かか?」
「上手く出来ているかはわかりませんが、そうですね…保存食と言うよりは俺の知る限りでは調味料として使うことの方が多かったかと思います。何はともあれ、ちゃんと出来てるかも含めて六十日程経ってからのお楽しみって事で。さ、俺は少し素振りでもしてきます」
ーーー
暫くの月日が経つ、元の世界で言えば二月半程だろうか。
ライアンに付いて回りながらではあるが、その期間をどうにか生き残り、現在では小屋周辺の魔物の大半を一人で仕留められる程になっており、今は三頭の梟熊を仕留め、木橇に乗せて小屋へと運び終えた所だ。
「ライアンさん、戻りました」
そう言って小屋の扉を閉めると、揺り椅子に腰掛けて暖炉に薪を焼べていたライアンが振り返る。
「おお、無事だったか」
「ええ、ほんのかすり傷を貰ったくらいなんでツバでもつけておけば大丈夫です」
腕に出来た細い爪の跡を見せながら俺は苦笑いを見せる。
「そう言えば前に作ったアレ、そろそろ出来上がってると思うんでちょっと見てきますね」
「アレ?」
「物置きに保管した壺の中身ですよ」
「…ああ、あの豆と麦を潰した保存食か」
俺は直ぐに物置きへ飛んでいくと、保管していた壺を持ち出し小屋の中へと運び込む。
テーブルの上に壺を置くと、俺はゆっくりとその蓋を開けた。
記憶にある香りとはやや異なるが、それは恐らく野生の豆や古い麦を使った為、元の世界の品種改良されたものを使っていない所為だろう。とは言え、見た目には立派な味噌そのものだ。
「むぅ…悪臭と言う訳ではないが…なんとも…」
「はは、僕の知ってるものとは少しだけ違いますけど見た目や臭いは大体上手く出来てたみたいです。さて、問題は味だけど…」
壺の中に詰められた手作り味噌に指を入れてひと舐め、僅かに蘞みはあるが、コクのある味わいは完全に味噌そのものだ。
「まだまだ改良の余地あり、ってところですね。ライアンさんもこの味噌舐めて見ます?」
「ふむ…"ミソ"か、初めて見るが…」
俺に続き、ライアンも壺の中の味噌に指を入れて引き抜き、付着した味噌をまじまじと見つめる。
「臭いこそ違うが…見てくれは完全に…」
「…ライアンさん、その先を言うのは」
「お、おお、そうだな、ではいざ…!」
恐る恐る、まさにライアンの様子はその通りに味噌になぞらせた指を口へと運ぶ。
「こ…、これはっ…!」
ライアンが思わず声を上げて固まり、わなわなと震えている。
「も、もしかしてお口に合いませんでした? それとも塩が薄すぎたり濃過ぎたりとか…」
「う、美味い…!」
「…え?」
普段の食事にしてもよくは食べるが、ここまでハッキリと表情にまで表すライアンは見たことが無く、俺はつい唖然としてしまう。
「よもやこんなものが有ろうとは…、人や物資の行き交うルミネシアと言えどこんなものは味わったことどころか見た事すらもない!セオドア、お主の故郷にはこんな美味いものがあるのか!?」
「あ、いえ…えーと…、たまたま?…と言うか…」
「ええい、歯切れの悪い!ならば何故作り方を知っておる!話せ、話さぬかっ!」
まさかのライアンの興奮ぶりに返答に困った俺は無理に取り繕おうとするが、苦し紛れの返答に過剰に反応したライアンは俺の肩を掴み前後に揺すり始めていた。
「わ、ワダツミの旅人から簡単に教えてもらって試してみただけですよっ!」
「本当か?」
苦し紛れにでまかせを言うと、ライアンは俺を揺するのを止めて据わった目で俺の眼を覗き込む。
「確かにワダツミの民は儂らには無い文化を築いてはおるが…、まぁよい、そういう事にしておくか」
そう言って一旦納得し、興奮を鎮めたライアンは何本かの薪を暖炉に放り込むと、上着の袖を捲り上げて剣を持つ。
「食事にするぞ、その"ミソ"を使った料理。既に楽しみでいてもたってもおれんわ!」
「おお…そこまでとは…。じゃあすみません、ライアンさんは梟熊を捌いて貰ってていいですか? 僕はこっちで準備をしますんで」
「うむ、任せておけ!」
強く胸を叩き小屋を飛び出したライアンを見送りながら俺は革のエプロンを身に付ける。
ライアンの興奮ぶりを察するに、一刻も早く食事の支度を済ませなければ、そう奮い立ち俺は台所のナイフを手にした。
ーーー
「セオドア、肉はこんなものでいいか!?」
「いえ、もう少し薄くお願いします!」
小さい小屋の台所はあたかも戦場の様になっていた。
テーブルではライアンが肉を捌き、台所では俺が野菜を切っては鍋に並べ、森で取れたキノコからとった出汁に味噌を溶かした汁で煮込んで行く。
「こうだな!?」
「ええ!もう頃合いです、直ぐに鍋へ!」
短い剣を鮮やかな手捌きで操り、薄くスライスされた梟熊の肉をライアンは鍋へと放り込むと、一気に芳醇な味噌の香りが小屋を満たす。
最初はライアンだけが興奮していたが、俺もそれに感化されたのか、この世界で久々に口にする味噌出汁の鍋を味わえることに期待しているのか、次第に俺自身もその気になってしまっていた。
「まだか!」
「まだです!しっかり味が染み込むまで煮込みます!」
ふつふつと滾る鍋の中にある梟熊の肉が次第に白くなり、そしてそれと同時に生じた灰汁を取りながら少し待つ。
一緒に煮ていた野菜に串を通すと、特に抵抗もなくするりと串が通った。頃合いだ。
先んじてライアンに頼んでテーブルに敷いてあった革の鍋敷きに慎重に鍋を乗せると、間髪入れずライアンは熊肉と野菜、そして充分に味噌を溶かし込んだ出汁を皿に取り、口の中へと運ぶ。
「ぬぅ、熱い!」
「そりゃそうですよ!火傷してませんか?」
「だが…!…美味いっ!」
ライアンは煮込まれた鍋をすぐに口にした為にハフハフと息をしながら食べていたが、直ぐに叫ぶような大声で感嘆の声をあげていた。
「はっ、はふっ…本当だ、美味い!」
俺とライアンはその晩、遅くまで梟熊鍋に舌鼓を打つ。
久しぶりの味噌の味は少し違ったが、それでも元の
世界を思い出すようで、しばらくは思い出す余裕も無かったが俺はもとの世界に戻る為の決意を新たにしていた。




