第百五十八話:きっかけ
クリスがセンゾウの下で剣を学び始めて一年と半分が過ぎたが、彼女は未だ魔剣の習得には至っていなかった。
「脇が甘いっ!それでは魔物にその剣を振る前に臓物を食い千切られてしまうぞっ!」
「あぐっ…!」
センゾウの持つ棒切れがクリスの脇、横腹、太腿に食い込む。
この一年半の間、クリスはいつもこの調子だ。
センゾウが店の仕事を終えた後から彼女への厳しい剣の稽古が始まると、その度に彼女は全身に生傷を作りながら剣を振る。
稽古の間はアリーシャは一切口を挟まず、いつでもクリスの治療が出来る準備をしていた。
「幾分マシにはなったがまだまだで御座る。そもそも忍術を会得せねば話にならぬのであろう? このままでは半年後の兄の救出になど行けぬぞ」
「…わかって、います…」
「頭だけで解ろうと思ってはならぬ、全身で理解するのだ。剣を身体の一部に出来なければ忍術の会得なぞ、夢のまた夢ぞ」
実際にクリスの剣の腕は上がってはいるが、それでも漸くアリーシャと同等といった所。それも言ってしまえば父・アルフレッドの血筋であるが故の元の才による部分が大きい。
とはいえワダツミの侍であるセンゾウの前には児戯に等しく、最後に行う実戦に近い形での稽古では簡単にあしらわれ、気を失うか立てなくなるまで延々と剣を振っては地面に倒される事を繰り返していた。
「うーむ…、伸び悩んておるな…」
稽古が終わり、朝日が昇り出すとセンゾウは気を失ったクリスを見下ろしながら頭を抱えていた。
と言うのもセンゾウに師事してから一年、クリスはセンゾウの剣の技術を次々に吸収していったが、そこから半年の間は特別、急に強くなる事も無くなり、伸び悩んでいたのだ。
クリスを自身の小屋へと連れ帰ると、アリーシャが直ちにクリスの治療に取り掛かる。
センゾウは瓶の中の酒を少し口にして、クリスの治療にあたるアリーシャに話しかけていた。
「アリーシャ殿、クリスティン殿が最近伸び悩んでおる様だ。剣に迷いもある、何ぞ心当たり無いか?」
センゾウにそう問われ、クリスの腕に包帯を巻きながらアリーシャは彼女が伸び悩んでいる原因について考え始めた。
「…何かあるのでしょうか。どうも最近はうなされる様に寝言を言っておられますが…」
「ふむ…」
二人はクリスのスランプについて真剣な顔で悩み、思案する。
「もう残り半年ですから…、クリスティン様も焦っておられるのでしょう。セオドア様とクリスティン様は十二の時にお父上であられるアルフレッド様に村から出され、二年半前にセオドア様が帝烏賊と共に海に消えるまで、ずっと共におられました。それだけ自らの手でセオドア様を救いたい気持ちは我々の誰よりも強い筈です」
「焦り、か。当初は成長を促したのであろうが、今となっては重圧となり成長を鈍らせて御座るか…」
センゾウはクリスのスランプの原因の一つに焦りがあるのだと考えると、手元の瓶にある酒を一気に飲み干した。
「アリーシャ殿、拙者に考えがある。アリーシャ殿にも辛い思いをしてもらう必要があるが…、頼まれては貰えぬか?」
「…わかりました、お聞かせください、センゾウ様」
いつクリスが目覚めても聞かれない様に、二人は小屋の外に出て、センゾウが思いついた方法について話す。
「…──と言う塩梅に御座る。頼まれてくれるか?」
「…成る程、確かにクリスティン様なら最低限、ご自分の身の回りの事は出来ますし…、私一人我慢すればよい話ですね。…了解致しました。明日の夜までには準備致しましょう」
「少し荒療治とはなるが…、後はクリスティン殿次第に御座るな…。しかして、アリーシャ殿がこうも簡単に了承して頂けるとは思わなかったで御座る。心から主君に仕えている身ならばそうは決断できはせんのだが…」
「クリスティン様の為、いえ、ひいては私が仕えるホワイトロック家の為ですから…、私の命一つでクリスティン様が奮い立って頂けるのならば…、安いものです…」
センゾウはアリーシャが考えを了承してくれた事に安堵すると共に彼女を心配していたが、当のアリーシャはと言うと、微かに微笑んでみせ、自身の犠牲をも厭わないと言ってみせる。
ただセンゾウも彼女が強がっていることは理解していた。
ーーー
翌日の夜、クリスがいつもの様にセンゾウの後を追って小屋から少し離れた平原へと剣の稽古へと向かう。
普段はセンゾウとクリスティンだけで行く所ではあるが、今日はいつもならクリスの治療の準備をして小屋で待っているアリーシャも共に付いてきていた。
「珍しいわね、別に待っててもいいのに」
「いえ…、最近はクリスティン様も気を失って戻られる事が多く心配でして」
「…仕方ないわ、もう時間がないもの。…でも本当に魔剣術を使えるようになれるか…」
クリスは申し訳無さそうに苦笑いをすると直ぐに下唇を噛んで物憂げな表情へ変えると、先を歩くセンゾウの背中に視線を戻す。
「あと半年…なんとかしなくちゃ…」
下唇を強く噛むクリス、その表情、その言葉は焦りを募らせている事を示しているのに他ならない。
強くならなければ、強く思うその気持ちが彼女を空回りさせている事をアリーシャはすぐに察していた。
この日のセンゾウは少しばかり酔っていた。
普段はクリスに稽古をつける前に酒を飲む事はまず無いが、今日は珍しく稽古を行う平原に向かう途中、自身の故郷であるワダツミの強い酒を口にしていたのだ。
平原に到着すると、センゾウは上着をはだけて上半身を露わにすると、手に持つ棒切れをクリスに向ける。構えろという合図だ。
「さぁてクリスティン、今日は実戦の稽古から始める…。拙者に師事して一年半、正直ここまでして忍術のかじりも出来なかった弟子も始めてで御座る」
「…も…申し訳ありません…」
センゾウは普段からクリスの修行については何も話すことは無い。厳しい稽古はつけているが、呑み込みの良し悪しについては本人に話す事は今までしたことが無いのだ。
しかし、この日に限っては酔っているせいか、遂にその点に触れる。その表情も据わった眼が彼女にそう告げていた。
「今日からは少しばかり厳しくなるものと心せよ。拙者も二年で仕上げると話した手前、吐いた唾は飲めぬのでな」
「…はい」
クリスは騎士剣を構えると、棒切れを担いだセンゾウに向けて斬りかかった。
ーーー
「うっ…!」
「何度言わせれば解る!脇が甘い!起こりを見せるな!一合一合が生死を決めるものと心せよ!」
二刻に渡り、クリスは騎士剣を掠らせる事も出来ず、何度もセンゾウの棒切れに打たれて全身が痣だらけになっていた。
打たれ、倒され、転がされ、クリスは限界に達しかけた身体を無理矢理起こす。
「立ち上がったのなら直ぐに構えろ!相手が魔物であれば待ってはくれぬぞ!」
「あうぅっ…!」
起き上がったクリスの肩をセンゾウが棒切れで強く突き込む。
立ち上がるだけで精一杯だったクリスはいとも容易く吹き飛び、地面を滑っていた。
センゾウは吹き飛んだクリスを追うと、長い白金の髪を掴んで無理矢理に引き起こす。
「どうした!そこまでか!それでは己が兄を救う事など出来ぬぞ!諦めるのか!?諦めるのだな!?違うのか!答えよ!」
クリスの頭を鷲掴みにし、前後に激しく揺さぶりながら怒声を張り上げる。
その瞬間、センゾウの横から一本の短剣が飛んでくると、センゾウは二本の指でその刃を止める。
「…邪魔立てを」
「クリスティン様が自ら申し出た事故に差し出がましい真似にはなりますが、センゾウ様、それ以上はやり過ぎです…!」
短剣を投げたのはアリーシャだ。クリスが延々と打ち据えられているのをじっと我慢していたが、彼女も遂に沈黙を破って、酔いに任せて荒ぶるセンゾウに待ったをかけた。
「アリーシャ殿…、口は挟まぬ約束の筈だが…?」
「センゾウ様…!…これ以上は只の暴力、修行であれば私も手を出すつもりはありませんが…、これ以上は私も目を瞑るわけには参りません…!」
「だったらどうするおつもりか?…拙者を斬って止めてみるか、だとすれば相手が悪い。刀を用いずとも、この短剣で貴女を屠る事など造作も無いのだぞ?今この場ではアリーシャ殿、貴女は部外者の身。それを忘れて頂いては困る」
掴んでいたクリスの髪から手を離し、センゾウはアリーシャの短剣を持ち直すとその短い刃をアリーシャの胸に向けた。
「アリー…シャ…、待って…私が…、私が悪い…の…」
「クリスティン殿もこう言っておられる。アリーシャ殿、済まぬが貴女の出る幕では御座らぬよ」
「…!…そう言う訳には参りません!クリスティン様の仕える者として…、これ以上は黙ってはおれません!」
一瞬、弱々しく自己の責任だと話すクリスに思わず閉口し、口を手で覆うアリーシャは我慢の限界だと、腰の剣を抜いてセンゾウに向かって走り出す。
「女子を斬る趣味は御座らぬが…、刃を向けてくるのならば致し方無し…!」
「ハアアアッ…!」
センゾウは右手に持つ短剣を構え、走ってくるアリーシャを待ち受ける。
アリーシャは強く地面を蹴ると、身体を捻らせ、螺旋を描きながらセンゾウに斬りかかった。
「確かに…剣士の剣では無いな。貴女の剣は賊や忍のそれに近い…!」
センゾウは右足から大きく踏み込むと、回転しながら突っ込んでくるアリーシャに肉迫し、懐へと入り込む。
「センゾウ様、お覚悟ッ!」
「…一見隙の無い様に見えるが、その太刀筋には大きな欠陥が御座る」
「なっ…!」
センゾウはアリーシャの剣の間合いに入ると彼女の剣が届く寸前、身体をぶちかまし、無理矢理回転を止めた。
「太刀筋のみ見れば回避する他無かろうが、全体を見ればこうやって勢いを殺すだけで済む。故に拙者の様な熟達した剣士の前にはあまりに無力に御座るよ」
「かはっ…!」
回転の勢いを殺され、アリーシャはそのまま剣で斬りかかるが、一太刀目を短剣に弾かれ、次の一太刀は左手でそっと手元を逸らされ空振に終わる。
間髪入れずにセンゾウは彼女の腹を蹴り、怯ませるとまたすぐに間合いを詰めており、左手の凶刃を光らせた。
「あ…、あ…」
「アリー…シャ…?…嘘…」
センゾウの持つ短剣がアリーシャの胸に突き立てられる。
同時に夥しい量の血が溢れると、地面に大きな血溜まりが出来上がる。
「クリス…ティン…様…、どう…か…セオドア…様を…お救い…くだ…さい…。ガフッ…!」
「アリーシャ…?…アリーシャッ!」
アリーシャは虚ろな目のままクリスにそう伝えると胸から、そして口から多量の血を吐きその場に崩れる様に倒れ、血溜まりに身を沈めた。
「アリーシャァァァッ!」
センゾウの突き立てた凶刃に倒れるアリーシャを目の当たりにし、クリスの叫び声が宵闇の平原に木霊する。
しかし、その叫び声をかき消すようにセンゾウが声を上げた。
「──喚くなァッ!」
怒りとも哀しみとも取れるセンゾウの声に、クリスは口を閉ざす。
アリーシャの短剣を手放し、倒れた彼女の側に置くと、返り血を浴びた右手を拭きながら彼はクリスを見下ろしていた。
「クリスティン殿、今この様にアリーシャ殿が倒れているのは拙者の所為か? 確かに拙者はアリーシャ殿をその短剣で突いた。だがそうさせたのは誰か、アリーシャ殿が勝手に飛び出したからか? 違う、他ならぬクリスティン殿、其方が今の今までまごついていたからでは無いのか?」
「…私の…所為…?」
涙を流し、途方に暮れるクリスにセンゾウは厳しい言葉を投げかける。
「そうだ、率直に言おう。剣の技術だけなら今や並みの剣士ならば寄せ付けぬだろう。鬼術、もとい魔術についてはアリーシャ殿からかねがね聞いておる、だのに何故、何故忍術が会得出来ぬか!其方らで言う魔剣術、既に技術だけ言えば会得出来ぬ筈がないのだ!それは何故か、其方が心で兄、セオドア殿の様には使えぬと、そう思っておるのではないのか!聞けばセオドア殿は魔剣術の使い手と聞く。セオドア殿に出来て其方に出来ぬ筈が無い!アリーシャ殿に酬いる為にも、今こそその弱き心を推して、奮い立つ時では無いのかっ!」
「そうだ…私は…」
クリスの脳裏にこれまでの修行の日々、アリーシャの、仲間達との日々、そしてセオドアの背中が過ぎる。
〈クリス…、クリス…〉
「メル…?」
〈これは男の子に言うことだけど…、今立たなきゃこの先後悔するのはクリス、あなた。アリーシャも、センゾウも、クリスの為に行動した。だから…立とう? 泣くのはおしまい。さあ、立って…!〉
クリスの身体に力が入る。
静かに立ち上がり、剣を手にして彼女は目を瞑った。
「そうよ…、今やらないと…!」
「…やれやれ、漸く火が入った様で御座る。クリスティンッ!その力、拙者に見せてみよッ!」
クリスの意識が剣に向く。全身で練り上げた魔力を騎士剣へ注ぎ込むと、騎士剣の刀身が赤く輝き始めた。
「行きます…センゾウさんッ!」
「来いッ!クリスティンッ!」
クリスが駆け始めると共に騎士剣を振りかぶると、赤い光が炎となって刀身を覆う。
それを見たセンゾウはそれまで手に持っていた棒切れを投げ捨てると遂に腰に挿した刀に手を掛けていた。
「これは…漸く吹っ切れたか…!」
「せェェ…やあァァァッ!」
クリスの騎士剣から噴き出す炎がうねりを伴って火の鳥の形を為すと一直線にセンゾウを目指す。
対するセンゾウは刀を鞘に収めたまま、迫り来る火の鳥を睨みつけていた。
「…オオォ…奥義、"登瀧水葬"ォッ!」
センゾウが刀を抜くと同時に刀身から大量の水が溢れ出し龍の頭を形為すと、抜いた刀を火の鳥目掛けて振り抜いた。
瀧を登る龍の様に天に昇る水が火の鳥に喰らい付くとお互い蒸発し、水蒸気が霧の様に辺りを包む。
センゾウが刀を振り抜き鞘へと収めると同時に風が巻き起こり、辺りを包む水蒸気が晴れる。
そしてすぐに倒れたアリーシャの側に駆け寄ると、口元に手を当てていた。
「まだ息はあるな…。クリスティン殿、拙者は直ぐにアリーシャ殿を街へ運ぶ。今日はもう休んでおくがよい」
「待ってください、私も…」
「ならぬ、この出血では一刻一秒を争う故、クリスティン殿の歩調に合わせては手遅れになる」
「センゾウさんっ!」
センゾウは懐から薬を取り出しアリーシャに飲ませると直ぐに彼女を担ぎ、クリスを置いてテラービブの街へと走り出す。
一人取り残されたクリスは力無く膝をつくと、握り拳を作り地面を叩いていた。
ーーー
結局、その日、センゾウは小屋へと戻る事は無かった。
アリーシャが無事なのかはわからない上に、センゾウが連れて行った先がわからない以上、確かめようもない。
ただ一つはっきりしていることはアリーシャの犠牲によって魔剣術を習得することが出来たと言う事だけだった。
「アリーシャの為にも…必ず兄様を救ってみせないと…」
誰もいない真っ暗な小屋で一人いたクリスは不釣り合いな大きさの騎士剣を手に取り、いつもの平原へと向かう。
正直、クリスの精神状態は不安定そのものだ。
口では決意を固めた様に振る舞うが、セオドアと別れ、ずっと側で支えてくれていたアリーシャが倒れた事は彼女の心に大きな傷を残した。
月の光に照らされたクリスが力の抜けた足取りで平原に辿り着くと、センゾウが一人、新しく掘られた墓の前に座り込み、酒を飲んでいた。
「センゾウさん…、そのお墓は…?アリーシャは…?」
「…眠って御座る」
「そう…ですか…」
クリスは墓の前で膝をつき、名も刻まれていない墓の前で手を合わせる。
「アリーシャ…、御免なさい…。…せめて兄様だけは必ず救うわ。私がもっとしっかりしていればこうなる事も無かった筈なのに…」
「…そう思うのであれば、あと半年、漸く得た魔剣術を更に磨き上げねばな」
センゾウは立ち上がり、飲み残した酒を墓の前に置くと、腰に挿した刀を抜いた。
「アリーシャ殿が眠られる前に頼まれてな、"クリスティン様を宜しくお願いします"と。それと"セオドア様とクリスティン様が再会できます様に"、とな」
「アリーシャが命を投げ打ってまで与えてくれたきっかけですから…」
クリスが応えながら騎士剣を構えると、背中から風が吹く。
それはまるでアリーシャがクリスの背中をそっと押し出すかのように。




