第百五十七話:グリーングラス家の家宝
アンリエッタの帰郷から半年弱、当時はまだ元気だった父イドロシスも病が進行し、最早一人で出歩く事すらできない状態となっていた。
とある昼下がり、アンリエッタは父イドロシスに呼ばれると、とある場所に案内したい、そう告げられ肩を貸すと、グリーングラス家の屋敷の地下、古びた扉の前へと案内されていた。
「ここだ、アンリエッタ」
「ここは…我が家に伝わる開かずの間…。お父様、一体ここに何が…」
屋敷の地下にある古びた扉に閉ざされた開かずの間、アンリエッタが幼少の頃、この扉に近づいただけで母であるイザベラにこっ酷く叱られた記憶がある。
アンリエッタの目の前には当時のままの重く錆び着いた鋼鉄の扉が聳え立っており、イドロシスがその扉に手をかけてゆっくりと開く。
鈍く重苦しい軋む音と共に開かれた扉の先、イドロシスが篝火に火を灯し辺りが照らされると、そこには広い空間があり、何本もの柱が立ち並んでいる。
僅かに埃っぽさと鼻をつく黴臭さはあるが、微かに足跡が残っているあたり、どうにもそう遠くない昔に開けられたと言う事なのだろう。
「あれは…?」
埃の舞う広間の中央には三人の騎士の像があり、一人の男の騎士の像は何かを持っていた様な手の形をしているが、その何かは既に無く、もう一人の男の騎士の手には古びてはいるが、先端だけが赤黒く染まった漆黒の長槍が握られており、今にも放り投げようとしている。
もう一つの女騎士の像の右手には石造りの鉾槍が、左手には鈍い光を放つ鈍色の大楯が握られており、二人の騎士を守る様にその大楯を構えている。
その大楯には祈りを捧げる二人の乙女が刻まれており、その祈りを捧げる先には寂しげな淡い光を湛えた魔石が埋め込まれていた。
「グリーングラス家に伝わる三宝、その内の二つについては子供の頃に話したな?」
「神槍、それに聖槍…。そうでしたわね、お父様。ですが…」
アンリエッタがイドロシスの問いに答えるが、彼女はグリーングラスに伝わる家宝の内、その三つ目については今まで一度も耳にした事は無い。
「…うむ。その三つ目が今目の前にある大楯…聖女の盾だ」
「聖女の…盾…」
祈りを捧げる乙女の刻印と埋め込まれた魔石以外は特に装飾も無い無骨な造りの塔盾ではあるが、アンリエッタはその盾に目を奪われる。
「アンリエッタ、グリーングラス家の家訓は覚えているな?」
「勿論、"臣民を護る槍であれ、万敵を穿つ槍であれ、そして災禍を打ち払う盾であれ"、でしたわね」
「よろしい。ここにお前を案内したのはあの盾はお前に託すのが相応しい、そう考えたからだ」
「えっ…」
兄であるオスカルもエーミールも戦闘に於いて盾を使う事は無い。
だがアンリエッタは十年以上もの間家を出ており、半年前に漸く家に戻ったばかりで本来家宝を任せられるような人物ではない。
いくら兄オスカルやエーミールが盾を使う事が無く、盾を扱うのがアンリエッタだけとは言えど、エーミールは当然として、イドロシスが当主を退き、現在暫定的に当主を務めるオスカルも、これまでイドロシスを支え続けていた母イザベラも、とてもでは無いがそれを認めはしないだろう。
「…そんな、私の様な親不孝者が家宝の一つを継ぐなど…」
アンリエッタ自身もそういった自身の立場を弁えており、断る為の言葉をイドロシスに告げようとするが、イドロシスはその言葉を聞く前にその意図を口にし始める。
「…グリーングラスの槍術には今は失われたもう一つの槍術がある事を知っているか?」
「…初耳ですわ」
「正確に言えば一つの型が二つの型となり、今はその一つだけが残っている形だ。それはお前もよく知る槍のみで戦う今の型、そしてもう一つの型が奇しくも今のお前の様に片手に槍を、もう一方の手に盾を持つ型だ」
イドロシスが何かを逡巡する様にゆっくりと目を瞑る。
「お父様、続きを」
「うむ、グリーングラスの槍術の型が二つに別れたのは曽祖父の代。まだ帝国との小競り合いが絶えなかった時代だ。曽祖父とその父、つまり高祖父は親子で今の帝国との国境線の守護を任されていた。だがその当時、小競り合いと呼べぬ程の大規模な戦に発展してしまったのだ。国境線の守護を任されていた二人も当然戦禍に巻き込まれる事になるのだが、高祖父はあくまで国境線の守護に徹していたが、曽祖父は当時まだ騎士になって間も無く、武功欲しさに高祖父の命に背き、押し寄せる帝国の兵士相手に討って出た。結果としては国境線を護る騎士は敗走、その際に高祖父は戦死したが、息子である曽祖父は帝国兵百人余、さらには帝国の指揮官の首級まで上げて最後まで戦い抜いたと言う話だ」
イドロシスの話が続く。
「命じられた守護に徹し、命を落とした父とは対照的に、攻めに徹して生き延び、況してや目の覚める様な活躍を見せた曽祖父はその時以来、盾を棄てて攻めの槍術だけを鍛え始めたと言う話だ。以降、守りの型は失われ、今日まで儂も、オスカルとエーミールもまたそうやって生きてきた。だがアンリエッタ、お前だけはそうではなかった。曽祖父の代から以降、グリーングラスの槍術を棄てて、お前は独り、独自に盾を用いる槍術を会得し、それは現騎士団の五百人長を務めるエーミールをも破ったのだ」
「お待ちください、お父様。曾お祖父様の代からグリーングラス家の槍術における、守りの型が失われたと言う話はわかりました。…ですが、私の槍術の根幹はやはりこの家の槍術のもの、家を飛び出し、独学で槍と盾を学んできた事には相違ありませんが、グリーングラスの槍術を棄てたと言う訳ではありませんわ」
イドロシスの下したアンリエッタの評価に対し、彼女は真っ向から言い返す。
イドロシスはそれに多少驚く表情を見せはしたが、すぐに呑み込み、咳払いをするとアンリエッタの瞳を真っ直ぐに見つめていた。
「なればこそ、なればこそだ。儂はお前がグリーングラスの槍術、その守りの型を再興する事を期待しているのだ。帝国との友好を結んだ今、ヒルデガルダを脅かす、攻め滅ぼさねばならぬ敵は今は居らん。だがいつかそういった脅威が現れた時、その槍と盾が必要とされる時が来よう。失われたグリーングラスの槍術、それをオスカル、エーミールと共に蘇らせて欲しい、だからこそ儂はお前にこの聖女の盾を託したいのだ。儂はもう幾ばくも生きてはいまい、最後の我儘だ。父の願いを聞き入れ、この盾を受け取っておくれ…」
「お父様…」
話の終わりにイドロシスの目には涙が浮かんでいた。
イドロシスの手はいつしかアンリエッタの両肩に置かれており、彼の悲願を聞いたアンリエッタが息を呑むと、暫く薄暗い広間に沈黙が続く。
しかし、その沈黙は直ぐに破られた。
「「…ちょっと待った!」」
沈黙を破ったのはアンリエッタでも、イドロシスでも無かった。
声が聞こえてきたのは自分達の背後から、アンリエッタはその声に振り向く。
「お言葉ですが父上、幾ら父上の希望とは言え、その家宝の盾、アンリエッタに渡す事は私はまだ認められません」
「今回ばっかりは兄者も俺と同意見らしいな。俺も家を勝手に出ていった奴が帰ってきて早々、家宝を継ごうってのは納得いかねぇ。兄者もそう思うだろ?」
「一緒にするな、エーミール。…アンリエッタ、その盾を継ぐと言うのならば、グリーングラス家の一員として相応の力を見せてもらう必要がある、それだけの事だ。数年前、私がこの神槍を継いだ時と同様にな」
兄のオスカルとエーミールは古びた扉の前に立っており、特にオスカルの手には黄金に輝く大振りの槍が握られている。
決して穏やかな雰囲気とは異なり、どちらかと言えば一触即発と言うべきだろう。
「神槍を…そう言う事か…」
オスカルが持ち出してきたのはグリーングラス家に代々伝わる家宝の一つ、黄金の輝きに包まれた神槍。
それを見たイドロシスはオスカルがこれからやろうとしている事が何かを悟っていた。
「アンリエッタにその聖盾を託す、そのつもりであるのならば、私も父上が私に課した事をアンリエッタにも課すつもりです。構いませんね?」
「お父様がオスカル兄様に課した事…?」
「家宝を持つ当主と対峙し、その実力を示す事だ。オスカルの時も儂が神槍でその力を推し量った。…良かろう、オスカル、当主としての最初の務めだ。…だが誤ってはならんぞ。神槍の力は強力無比、故に持ち主の力もまた試される。"倒す"のではなく"試す"のがこの試練の本質である事をゆめゆめ忘れるでないぞ」
「…心得ております。アンリエッタ、ここでは手狭だ。練兵場にてお前を待つ。準備をして来るがいい」
オスカルはそう言って開かずの間を後にして階段を登って行く。
「…俺だったら試練も受けさせるつもりもないけどな。まぁせいぜい兄者にぐうの音も上がらない程にやられて来るがいいさ。あの神槍を持った親父殿にさえ俺は手も足も出なかった、兄者なら尚更だ。俺はお前が痛い目に遭うのを側から楽しませて貰う、まぁ少しは耐えてくれねぇと困るぜ? じゃあな」
エーミールもそう吐き捨てるとオスカルを追って開かずの間を去ってゆく。
アンリエッタもまた無言のまま開かずの間を後にし、イドロシスをイザベラに任せると鎧に身を包み、オスカルの待つ練兵場へと急いだ。
ーーー
「…お待たせしました、オスカル兄様」
「…ああ」
普段ならば深夜を除けば誰かしらが利用している練兵場も今日ばかりはグリーングラス家の人間以外は誰もいない。実力者同士の手合わせと聞けば直ぐにでも人が集まりそうなものではあるが、オスカルがそれを良しとしなかった。…但し、二人を除いては。
「来たわよオスカル兵長」
「まさか君に立ち会いを頼まれるとはねぇ…。人払いは済ませておいた、終わるまではオスカル・グリーングラス兵長、そしてアンリエッタ・グリーングラス百人長、二人の自由に使って構わないよ」
オスカルは部外者ではあるが、騎士団長であるトリスタンと騎士団内でも実力者であるマリオンの二人を立会人として、練兵場に呼んでいた。
「ありがとうございます、騎士団長、それにマリオン。…もう一つだけお願いが」
「口外はしない」
「そうだったわね」
「はい。宜しくお願いします」
オスカルが二人に敬礼をすると、黄金の槍を掲げ、その切っ先をアンリエッタへと向ける。
「アンリエッタ、これから私はお前が家宝が一つ、聖女の盾を継ぐに相応しい者か推し量らせてもらう。手加減は無い、そしてエーミールの様に油断もしない。十年余、お前がブリュンヒルデの、アトラシアの外に出て培ってきた全てを以って、私に認めさせてみろ!」
「…ええ、そうさせて貰いますわッ!」
アンリエッタが大槍と大楯を構えるとそれに応じてオスカルも神槍を構える。
お互いに隙は無く、近付きも遠ざかりもせずに一定の間合いを取ったまま静かな戦闘が始まった。
「…どうしたアンリ、来ないのか?」
「…オスカル兄様こそ、その神槍の力を見せてはくれないのですか?」
オスカルは冷静にアンリエッタの挑発を聞き流しており、簡単には乗っては来ない。
お互いに手に持つ槍を突き込む事無く、時間ばかりが経ってゆく。
「…やれやれ、来ないのなら仕方がない…。ここはひとつ私から攻めるとしよう」
オスカルは突然間合いの中で構えを解き、そう口にするが、アンリエッタはそれすらも挑発だと邪推して慎重に構えていた。
「では本当に行かせてもらう。…防いでみせろ!」
「…なっ、消え…!?」
オスカルが一瞬、槍を構え、光を放つと同時に姿を消す。
アンリエッタは突然オスカルが姿を消した事に驚き大楯で守りを固めると、その瞬間、オスカルが眼前姿を現した。
「守りを固めた事自体は間違いでは無いが…その楯ではこの槍は防げんよ」
出現と同時にオスカルの槍が防御を固めるアンリエッタの盾に突き込まれる。
一瞬、傍目からはオスカルの神槍はアンリエッタの楯に受け止められたかに見えた。
「…ああぁっ…!」
オスカルの突き込んだ槍が盾を介してアンリエッタを痺れさせる。
槍から放たれた電撃が盾を通り抜け、アンリエッタの全身を駆け巡り、その身を焼く。
アンリエッタは痺れながらも歯を食いしばり、槍から盾を引き剥がすと、退きながら槍を振り払いオスカルを一時遠ざける。
「くっ…うぅっ…やはり…魔導器…、迂闊でしたわ…!」
「まぁこの程度は耐えて貰わんとな。さて、次にいこうっ!」
再び槍から光を放つとオスカルはまた一瞬で眼前に迫り、神槍を突き込んでくるが、盾での防御が出来ないとわかり、アンリエッタは紙一重でオスカルの神槍を躱す。
槍から光を放ち一瞬で迫るオスカルは正に迅雷の如き速度であり、エーミールの比では無く、いつの間にか防戦一方となっていた。
「どうしたアンリエッタ、攻めないのか?」
「くっ!ふぁっ!?…危っ!…なっ!」
躱しても躱しても、止むる事無く続くオスカルの槍による突きにアンリエッタは手も足も出せずにいる。
「…つぁっ!」
「何だそれは? 欠伸が出るぞ」
「あああぁっ…!」
苦し紛れに放った突きもオスカルは持ち前の速さで容易く躱すと、槍を雷に変えアンリエッタの肩を貫く。
鎧も盾もオスカルの槍の前では意味を為さず、アンリエッタは身体を内側から焼かれては黒煙を吐き出していた。
「ハァ…まだ…まだ…!」
膝を着いてしまいそうになる足を踏みとどまらせ、アンリエッタは痺れた身体を起こして顔を上げると、腰に手を当てて見下すオスカルの眼を睨みつけた。
「まだ心は折れていないか。…だが身体は既に二度の攻撃で今にも崩れ落ちそうじゃないか。そんな身体で何が出来る、そんな状態で私に認めさせられるというのか?」
「…ハァッ…申し訳ありませんが…オスカル兄様。私の愛する人に…私も似てしまいまして…、ハッ…、諦めは…悪くなりましてよ…!」
「…成る程、ならば次で意識を奪ってやるとしよう」
崩れ落ちる寸前なのは自身が一番わかっている。次にまた電撃を喰らえばもう動けない、だがアンリエッタは追い込まれてもなお諦める事はせず、その瞳に光を宿していた。
「構えは解かない、か。いいだろう…!」
またオスカルは槍を輝かせるとアンリエッタの視界から姿を消す。
この時、彼女の頭の中を"彼ならばどうするか"、という言葉が駆け巡り、気がつけば槍を逆手に持っていた。
「やはりそう来たか、だがエーミールには通用しても私には通用せんぞ!」
アンリエッタが槍で地面を突くと、衝撃波で大小様々な石飛礫を弾き飛ばす。
しかし、一度エーミールと対峙した際に見せた攻撃故に、オスカルはそれすらも読んでおり、再び槍から光を発して姿を消した。
「残念だが、お前の最大の攻撃も私には届きはしないッ!これで終わりにしようッ!」
空中に姿を現し、石飛礫をやり過ごしたオスカルが再び槍を光らせる。
それに対し、アンリエッタは地面を突いたままの姿で立ち尽くし、ぼんやりとオスカルのいる上空を見つめていた。
──この場にいた誰もがアンリエッタが既に度重なる電撃と最後の手すら通じずなかった絶望感から茫然自失に陥ったものと思い、勝負がついたかに見えていただろう。
オスカルが勝負を決める為にアンリエッタの目の前に現れた瞬間、アンリエッタが浮かべていた虚な瞳に再び火が灯る。
「…むっ!?」
オスカルが雷と化した神槍でアンリエッタの身体を貫こうとするも、アンリエッタは予め構えていた槍でそれよりも早く地面を突いた。
至近距離での爆風が巻き起こす石飛礫の散弾がオスカルを襲うと間髪入れずにアンリエッタが畳み掛ける。
「…やはり思った通りでしたわね!その神槍によって得られる雷の様な速さ、連続では使えないのでしょう!」
「…ぬっ…!」
先程まで攻め続けていたオスカルは一瞬の虚を突かれると一転、アンリエッタの怒濤の攻勢に防戦一方となる。
しかし、決して紙一重では無いにしろ、オスカルは巧みな槍捌きでアンリエッタの攻勢を全て見切っており、様子を見ているかの様な印象すら彼女は感じていた。
「…流石にそう簡単には突かせて頂けませんわね…!」
「…確かにもう私の知っているアンリエッタではないようだ」
「少しは変わったつもりではありますわ」
少しだけ後ろに飛び退くオスカルに対して、アンリエッタは強く踏み込んで槍を突き入れる。
だがその瞬間にオスカルが再び光と共に姿を消してしまった。
「力み過ぎましたわね…、逃しましたわ…!」
一瞬の隙を見逃さずに姿を消してその場を脱したオスカルをアンリエッタが探す。
当然見つかる由もなく、彼女は現れた後に備えて身構えながら周囲に警戒していたが、オスカルはそんなアンリエッタを嘲笑うかの様に背後に現れていた。
「…ここまでだ」
「…そう言うと思っていましたわ!」
姿を現したオスカルが雷となった神槍を構えた瞬間、アンリエッタの大槍の石突が眉間を掠める。
紙一重で身体を逸らし、オスカルは直撃こそ避けていたが、石突を掠めた額から一筋の血が垂らしていた。
「…危ない所だった、少し肝を冷やしたよ。…今のは狙っていたな?」
「…ええ、漸く神槍の力がどんなものか理解できましたから」
アンリエッタはこれまでのオスカルの見せた動きから神槍の持つ魔導器としての能力の仮説を立てていた。
「一つ、槍そのものが雷を宿している、あるいは雷そのものとなる。…これは武器が属性を持つ、その延長線上といった所ですので特筆すべき点ではないと思いますわ」
アンリエッタが槍を持つ手の人差し指を立てる。
「ふむ。…続けろ」
「二つ、持ち主に雷と同様、光の様な速さを与える。…あまりの速さ故に一瞬消えた様にも見えましたが、恐らくオスカル兄様ですら完全に制御出来ていないのでしょう、元の速度に戻すにあたり、一度完全に動きを止めなければならないのでは? 初めて見た一瞬ならばその隙も誤魔化せたのでしょうが、それさえわかれば後は出どころの隙を狙うだけ。私の様な盾を扱う者であればオスカル兄様の狙いは盾を持つ左側面、あるいは背後と考えましたが…予想は間違っていなかったみたいですわね」
オスカルの持つ神槍の特性をアンリエッタが言い当てると、彼は肩を震わせて小さく笑う。
そして地面に槍を突き立てると、手を打ち鳴らした。
「ふふ…、ハハハ…。よくぞあの短いやり取りでそこまで見切ったものだ」
「…以前の私ならばただがむしゃらに受けようと考えていたと思いますわ。…あの方と出会えたからこそ、自分自身で考え、動けるようになった…それは間違いありませんわね」
「成る程…その人物、一眼見てみたいものだ。さてアンリエッタ、次の一合で終わりとしよう。真っ向から行かせてもらう、お前の全てを以って捌いてみろっ!」
現騎士兵長オスカル・グリーングラスの咆哮が気迫を伴いアンリエッタを威圧する。
だがこれまで潜り抜けた死線や修羅場がアンリエッタを動じさせない。
今正に迫らんとするオスカルの攻めに対し、手に持つ槍と盾を今一度強く握り締め、静かに身構えていた。
「ふっ!」
「せぁっ!」
槍と槍とがぶつかり合い、火花散る刺突の応酬が繰り広げられる。
しかし、片手で槍を扱うアンリエッタに対し、時に諸手を使って槍を扱えるオスカルの方が手数が多く、次第に優位に立ち始める。
「くっ…盾が使えないのは辛いですわね…!」
「神槍の前に盾など意味を成さん。わかっているのならば何故只の枷でしかない盾を捨てない?」
神槍の電撃はアンリエッタの盾を伝ってしまう為、神槍を携えるオスカルに対して完全に無力だ。
それでも彼女は決して軽くはなく、重荷にしかならない盾を握ったまま、片手の槍でオスカルの素早い槍捌きに対応し続けていた──が、それも遂に限界が訪れる。
「くっ…!」
アンリエッタの槍が彼女の手から離れ、宙を舞った。
右手が無手となり、防御に使えぬ大楯のみを持った彼女の足も同時に止まる。
「アンリッ!」
「…これまでだな」
側から見る者からすればアンリエッタは攻め手も受け手も失い、勝負が決した、そう見えていたが、オスカルは彼女の瞳にまだ火が灯り続けている事に気がつく。
「…考え過ぎか、槍無き者に何が出来るッ!」
「兄者ッ、まだ何か考えてるッ!油断するなッ!」
"油断する余地も無い、神槍を受ける手立ての無いアンリエッタをこのまま攻め立てればそれで終わりだ。諦めたのならば次の一手で、無力な盾で受けるのならば痺れさせて多くとも二手で詰みだ"、オスカルは横から聞こえるエーミールの忠告を話半分に聞き、槍を雷に変えてアンリエッタへ突き込む。
その瞬間、アンリエッタはこれまでに使わずにいた盾を漸く構え、雷の神槍を待ち受けていた。
「無駄な事をッ、その盾ごと貫いて終わりだッ!」
「…悪足掻きとは…言わせませんわッ!」
アンリエッタが真っ向から雷の槍を大楯で受け止める。
すると、盾から魔力のベールが剥がれ落ちると同時にオスカルの神槍が纏っていた雷も光を放つと同時に立ち消える。
「なっ…、魔法障壁だとッ!?」
「…奥の手は最後まで取っていましてよ、オスカル兄様ッ!」
雷を纏わなくなった神槍を弾き、宙を舞っていた槍がアンリエッタの手元へと落ちて来る。
徒手による打撃でオスカルを牽制し退かせると、その手で槍を掴み、その切っ先をオスカルへと向けて彼女は槍を突き出す。
「これで終わりですわッ!」
「…、成る程」
アンリエッタの掴んだ槍の切っ先がオスカルの身に付ける鎧の胸甲へと伸びる。
しかし、オスカルは避けるでも無く小さく溢しながら躱そうとはせず、無理にでも避けようとすると考えた彼女の予想とは違い、全く動じる事無く立っていた。
「えっ?兄様ッ、避けてッ!」
避けた先で寸止めするつもりだったが、オスカルは避ける事無く、その場に立っていた。
槍の切っ先が避けた先のオスカルの鳩尾を狙い伸びていくが、全力で槍を止める彼女の抵抗も虚しく、アンリエッタの槍は易々とオスカルの鎧を、胴体を貫いた。
しかし、そこにアンリエッタは違和感を覚える。──手応えが、ない。
「戦局を見極め、相手を見極めた戦いが出来ている。これが実戦で、尚且つ私でなければ、…その槍は鎧ごと貫き徹していたであろうな」
そう言ったと同時にオスカルの姿は珊瑚の様に波打つ電気になって姿を消すと、アンリエッタが突き出した槍の切っ先の半歩後ろから激しい電撃と共に彼女の身体を通り抜ける。
「あっ…、かっ…!」
「許せよ。騎士兵長として、兄として、その威厳と、それだけの力は見せねばならんのだ」
激しい電撃を喰らったアンリエッタは膝から崩れ落ち、地面に伏せる寸前でオスカルが受け止める。
「ま、さすがのアンリでもまだ兵長にはあしらわれて終わり、か」
「まぁ神槍持ったオスカル君相手なら仕方ないさ。でも、もし神槍じゃなくて普通の槍だったら存外いい勝負になったかもねぇ」
「ケッ、まだ家宝受け継ぐタマじゃねぇんだよ。グリーングラスの面汚しがよ」
外野達がそれぞれ言葉を発す中、オスカルは気を失ったアンリエッタを担ぎ直し、イドロシスの方を向く。
「父上!」
「うむ」
「アンリエッタに聖女の盾を任せます、宜しいですね」
「儂も異論なしだ、神槍を持ったお前に迫ったのならば十分に資格はあろうよ」
「ハァァッ!?」
「ああ、そういう事ね」
「ほぉ〜う…」
気絶しているアンリエッタと現当主オスカル、前当主であるイドロシスを除く三人のうち、エーミール以外はオスカルとイドロシスが下した聖女の盾の継承を認める判断に納得をしていた。
ただ独り、新旧の当主が下した裁定に不服を示すエーミールは槍を取り、オスカルへとその切っ先を向ける。
「納得がいかねぇな。負けたのになんで家宝がアンリエッタに渡る? まさかとは思うがよ…兄者も親父殿とグルだってことか? アァ?」
「妹に嫉妬? なっさけないわねェ。ほーんとなんでこんなのが私と同じ五百人長なんだか、恥ずかしいったら無いわね」
「ンだとォ!?」
「…その意味がわからない様ならまだ聖槍も神槍も、お前に任せるわけにはいかないな」
オスカルはエーミールに向けられた槍になど意に介する事無くアンリエッタを担いだままトリスタンとマリオンの前まで歩いていく。
「騎士団長、マリオン五百人長、グリーングラス家の行事にご協力頂き、感謝致します」
「なぁに、構わないさ。それに、面白いものを見せてもらったからね」
「ええ、十分な対価は貰ったつもりよ。片付けについてはどうせウチの隊がこの後使うからやらせておくわ、気にしないで頂戴」
「ああ、そうして貰えると助かる。宜しく頼む、マリオン」
「…それとアンリの治療だけど」
「気持ちだけ貰っておく。今日くらいは私が看護するよ。たまには兄らしい事をしないとな」
「そ、じゃあウチの副官は宜しく頼むわね」
話が終わり、オスカルはそのまま練兵場を後にしようとするが、怒りに震えるエーミールが彼の前に回り込む。
「…試練は終わった、俺はアンリエッタの治療をせねばならん。道を開けろ、エーミール」
「やなこった。さっきから聞いてりゃ勝手に決めやがって…、親父殿と兄者が認めても俺はコイツが家宝を受け継ぐなんて認めねぇぞ!」
激しい剣幕で迫るエーミールに対してオスカルは大きな溜息で返す。
それを受けてエーミールは更に怒りの炎を燃え上がらせた。
「たしかに俺は以前、親父殿の試練を受けて手も足も出なかった!コイツだって兄貴に一撃も当てられなかっただろう!それで家宝を受け継ぐだと? 納得出来るはずがねぇ!」
「…だったらどうする?」
激昂するエーミールの言葉に対してオスカルが短く尋ねる。
「…!」
「どうするのかと聞いている」
話を聞き返されたエーミールが固まる。
この時エーミールが見たオスカルの顔は今までに見た事の無い表情であり、怒気どころの騒ぎでは無い程の感情が込められていた。
殺気とも取れる感情を込められた短い言葉を受け、エーミールは固まらざるを得なかったが、それすらも怒りで振り払い、再び手に持つ槍をオスカルへ向ける。
「…マリオン、暫し妹を頼む」
「え?…ええ、わかったわ」
「…兄者、ここで俺が勝ったら聖槍は俺が受け継ぐからな!」
肩に担いだアンリエッタをマリオンに渡し、彼女が両手で引き継ぐと、オスカルは左手の槍を持ち替えて石突で地面を強く突いた。
「行くぞ兄者ァッ!」
「…行くぞ、だと? もう終わっている事にも気付かんのか?」
エーミールが地面を蹴り出そうとする瞬間、練兵場全体が激しい光に包まれる。
その光は強烈な雷が放った光であり、雷の柱がエーミールの身を包んでいた。
「あ?…グアアァァッ!?」
「試練ではなく勝負を挑むと言うなら話は別だ、容赦するつもりもない。己の浅はかさをそこで改めろ」
オスカルはエーミールが雷に打たれ倒れゆくのを冷ややかな視線で見届けながらそう言い放つと、マリオンから再びアンリエッタを引き受けて練兵場の外へと歩いていった。
「悪いがマリオン、そこの愚かな弟も適当な場所に動かしておいてくれ。君達の訓練の邪魔になってしまう」
「…イドロシス殿、屋敷までお送りします」
「すまんなトリスタン、宜しく頼む。それとオスカルとアンリエッタはともかく…、エーミールの事も頼んだぞ」
「ええ、勿論。実際三人ともよくやってはくれていますが…」
オスカルとイドロシス、そしてトリスタンが練兵場を後にして、マリオンと倒れたまま痙攣し続けるエーミールだけがこの場に残る。
トリスタンがイドロシスへの返答の言葉尻を濁していたがマリオンにはどうでもいい事だ。
「さってと…、アンリの隊は今日はアタシが受け持とうかしらね。エーミールはとりあえず入り口に転がしとけばいいかしら」
マリオンはエーミールを担ぎ、入り口付近の壁に降ろすと、外に待機していた自身の隊員達を呼び出しに向かった。




