第百五十二話:澱み濁る大水郷 後編
「思い出したわ、ここら一帯を蝕んでる疫病。"黒腐病"よ」
「黒腐病…?始めて聞いた名前だ」
休憩をしている際、クローディアが唐突に出した大水郷を蝕む病名にフォルクは頭を捻る。
「そりゃそうよ。歴史上でも蔓延したのはただの一度、大昔の話だから。まだ小さかった頃に村で読んだ本にあったのを思い出したの。よくは覚えてないけれど、これに罹ると草木も生き物もみんな徐々に黒くなっていって、いずれ死に至らしめるの。そして死んだ後は一気に腐り果てて不死種として動き始める。確かとある魔物から漏れ出る瘴気が原因で、最終的には創造神様とそのお供に討たれると同時に感染は収まったって話だったと思うけど…」
「何にせよ、僕らでなんとかするしかないね…」
ーーー
フォルクとクローディアは一休みした後、再び澱んだ川を辿り、その上流を目指す。
クローディアは地面を、フォルクは地上に滞留する瘴気を避けて木の上を伝うようにして先を急ぐものの、やはり上流に近付くにつれて瘴気が濃くなっており、それに比例するように遭遇する不死種の数も増えていた。
「流石にこの数をまともに相手になんてしてらんないわね…!」
「抜けられそうになかったら直ぐに言ってね!上から援護するよ!」
「頼りにしてるわよ!…早速だけど頼むわ!」
「…っ、了解っ!」
クローディアの進路を蘇生者の群れが塞ぐ。
フォルクは彼女の援護要請を聞くと、直ぐに振り返って弓を引き、蘇生者達の背後から光の矢の雨を降らせていた。
「…いい加減通しなさい、よっ!」
「オォ…」
フォルクの光の矢になぎ倒された蘇生者達を足蹴にしてクローディアは行く手を阻む彼らを踏み越える。
尚も次々に現れる蘇生者や腐餓狼達を躱しながら、二人は少しずつではあるが上流へと迫っていた。
「クローディアッ、この先沢山不死種が待ち構えてるよ!迂回しないととても通れそうにないっ!」
「構わないわ、一掃するっ!残った奴を頼むわよ!」
少し先行するフォルクが前方に待ち構える不死種の群れを発見し、クローディアに伝えて迂回を提案するが、彼女はそのまま進路を変えない事を伝えると、両手に魔力を練り始めた。
前方には蘇生者や腐餓狼の群れ、数体の屍肉巨像までもが待ち構えており、これまでの群れとは一線を画す規模だが、クローディアは不死種達の群れの前に姿を現わすと先程から練っていた魔力を直ぐに放つ。
「道を開けてもらうわよっ、魔吸門ッ!」
クローディアが魔術を放つと不死者達の群れの中心から空間が引き裂かれ、底知れぬ闇の風穴が開かれる。
そして闇の風穴は周囲の草木や土を巻き上げながら不死種達の群れをも吸い込み始めた。
闇の風穴の吸引力は凄まじく、身体の脆い不死種達はその場で肉や骨に分解させられながら次々に吸い込まれると、あっと言う間にその大半を飲み込んで消えてしまう。
吸い込まれずにいた不死種もその大半が完全な形では存在しておらず、腕や脚を失っていた。
間髪入れずにフォルクの援護射撃が次々に生き残りを貫くと、一旦足を止めていたクローディアも少し蹌踉めきながら再び川の上流へと足を進め始めており、二人は大規模な不死種達の群れの突破に成功していた。
「凄い威力だ…、あれって…」
「海上市場でアシュレイが使った魔術を真似てみたけど正直燃費は最悪ね、このくらい瘴気が濃く無かったら一発で魔素欠乏で倒れてるわ!」
一目見ただけで強力な魔術を真似たクローディアはその威力と引き換えとなる魔素の消費量に腹を立てる様にそう吐き捨てるが、今現在二人を取り巻く環境が殆どリスク無くそれだけの魔術を放てる様にしており、クローディア自身もそれを理解していた。
彼女自身、扱う魔術に対する魔素総量の少なさは自認しているが、放つ魔術の威力や精度については非常に高く、またその学習能力は超一流の魔術士のそれに引けを取らない。
魔素総量の低さを除けば彼女は闇魔術のスペシャリスト、とそう言っても過言ではないだろう。
「…いよいよ本気で瘴気が濃くなってきたわね。フォルク、出来るだけ木から降りない方がいいわ」
「…言われなくてもそうするよ。実際、もう木の上にいてもそれなりに瘴気が漂ってるしね」
二人は漸く森を抜け、川の水源である精霊の寝ぐらを前にしていた。
「さてと、精霊の寝ぐらってあの樹の中よね」
「ああ、でもそう簡単に入れては貰えなさそうだ。周りにある樹、ただの枯樹に見えるけど…魔物だね」
フォルクが精霊の寝ぐらの前にある泉の周辺に立ち並ぶ樹々を指差してそう話す。
一見、全てただの枯樹に見えるが、それら全てが枯樹に擬態した不死種の魔物である腐死木人だとフォルクは看破していた。
「んー…どうしかけようか。あまりもたもたも出来ないよ?」
「植生種ベースの不死種だったかしら…。…いいわ、私が囮になる、フォルクは後ろから腐死木人を射って頂戴」
クローディアは長いスカートの裾をたくし上げ、服をはだけて隠している黒い翼を広げると、足を伸ばして腐死木人を凝視する。
「本当に大丈夫かい?」
「本気で逃げ回るんならそれなりに自信はあるわ。じゃ、任せたわよ?」
心配そうに視線を送るフォルクに対して、クローディアは笑顔で応えると、翼を一度はためかせて腐死木人達の前へと走り出した。
「ウゥゥ…」
「オォォ…」
近づいてきたクローディアに反応した腐死木人達が唸り声を上げて足の様な根を腐った土の中から引き抜き、全身を揺らしながらゆっくりとクローディアへと接近してくる。
「木人型の魔物だったら大体攻撃手段は同じの筈…!」
クローディアは迫ってくる腐死木人が腕の様な枝を振り上げたのを見計らって一歩後ろに飛び退くと、身体を捻って振り下ろされる枝を躱す。
「オォ…」
「そして、本命はこっちね!」
着地と同時にクローディアは背中の翼を広げて、大きく羽ばたくと、その足元の土が盛り上がり、鋭い木の根が突き出してくる。
次々と地面から突き出す木の根をクローディアは大きく後方へ宙返りをして躱し、体勢を戻すと同時に背中の翼で素早く滑空しては腐死木人を翻弄していた。
「ふふっ、こっちこっち!"影蝙蝠ッ!」
腐死木人の攻撃を躱しながら、クローディアは隙を見つけては影から生み出した蝙蝠をけしかけては腐死木人の注意を惹きつける。
そして泉の周辺の森の中ではフォルクが弓を引き絞り、腐死木人達を一網打尽にするその機会を伺っていた。
「…もう少し、あと二歩…。…よし、そこだッ!"風精の宝剣"ッ!」
森の木々を切り裂きながら腐死木人の群れの中をフォルクの放った一矢が通り抜ける。
閃光の様に放たれた矢は他の木々と同様に腐死木人達を切り倒すと、更にその先にある澱んだ水を吐き出している精霊の寝ぐらとされている大樹にも大きく深い傷を与えていた。
「これでもまだ動くか…、でもこれなら私でもっ!"火矢"ッ!」
フォルクの矢で切り倒された腐死木人達は切り株の様な姿になってなお、クローディアを追ってくる。
しかし弱り切っているのは間違いなく、動きが鈍っているのを見たクローディアは手に小さな火球を生み出して腐死木人達へと放っていく。
彼女は闇魔術以外の属性の魔術については適正が低く、せいぜい下級の魔術程度しか見についてはいないが、弱り切った腐死木人を倒すには十分と見て得意ではない炎の魔術で応戦し始めていた。
「オォ…オォォ…!」
「やっぱり植生種ベースなら炎魔術は効くわね!」
クローディアの放った火矢が腐死木人に当たると、瞬く間に燃え移り、次々に炎上し始める。
苦しむ様な唸り声を上げながら炎に身を包まれた腐死木人はゆっくりと動きを止めて燃え尽きていった。
「終わったわ、フォルク。もういいわよ!」
「クローディア、まだだ!後ろを見て!」
腐死木人達が全て消し炭となり、フォルクのいる森の方へ向かってクローディアが呼びかけてくるが、その背後にいる巨大な影に気付いたフォルクが指をさしてその存在を知らせる。
「後ろ…? な、何これっ!?」
「一旦離れるんだ!クローディアッ、急いでっ!」
澱んだ水を吐き出し続ける大樹に刻まれたフォルクの矢傷から肉腫の様なものが漏れ出ると、次々に大樹の幹から同じような肉腫が漏れ出して一つに集まり始める。
一つになった肉腫は脈動しながら徐々に形を変えると、蕾の様になり、動きを止める。
そして肉の蕾がゆっくり花開くと、その中心から腕を組んだ赤黒い男児の上半身が姿を現した。
「"木精"…にしては随分と邪悪な姿だね…」
「…思い出したわ…!大魔大陸の南側一帯を腐らせて枯れさせた黒腐病、その原因がこいつ、"不浄の人花"…!大樹に寄生する植生種よ!放っておけばこの森だけじゃない、いずれ黒腐病が大魔大陸全体を覆って殆どの人間や魔物が死に絶えてしまうわ!」
不浄の人花を指差して、クローディアが魔力を練り始めると、すぐに影から槍を放ち不浄の人花へ攻撃を仕掛ける。
影の槍が不浄の人花を貫く寸前、大樹の幹から何本もの太い蔓が伸び出し、盾となって影の槍を防いでしまった。
「完全に寄生されてる…!クローディア、気をつけて!」
不浄の人花に寄生された大樹はまるで生物の様に先程影の槍を叩き落とした蔓を振り回し、クローディアへと襲いかかる。
更に不浄の人花もそれに続く形で魔力を練り始めていた。
「くっ、一発でもまともに貰えばアウトね…!」
大樹の蔓が腐った大地を抉り、枯れた木々を薙ぎ倒す。その威力は強烈そのものだ。
「クローディア、大樹の蔓もだけど不浄の人花の方にも気をつけてっ!何かしかけてくるつもりだ!」
「…何ですって!?」
フォルクがクローディアに注意を促すと同時に不浄の人花が両腕を広げて練っていた魔力を解き放つ。
すると、クローディアの足元から勢いよく紫色の霧が噴き出し、あっという間に彼女を呑み込んでしまった。
「ケホッ、ケホッ…、"噴毒霧…!」
「解毒薬は無いし…、早くこいつを倒さないと…!」
不浄の人花の魔術によってクローディアは毒に侵されてしまい、咳き込んでしまう。
二人の持ち物に解毒薬は無く、フォルクは早急にこの魔物を倒す必要があると判断すると、直ぐに弓を構えて不浄の人花へ光の矢を次々と射かけていた。
しかし、不浄の人花は大樹の中を移動しては光の矢の直撃を躱し、大樹にその攻撃を肩代わりさせる。
「…だったら、ケホッ、これならどう?"邪歪力"ッ!」
毒に侵されたクローディアがフォルクの矢を躱しきった不浄の人花の隙を狙い、自身の最大の攻撃魔術を放つ。
相手の姿と実体さえあれば必中かつ必殺の魔術である闇魔術、"邪歪力"が大樹の幹で踏ん反り返る不浄の人花を襲った。
「ヌ…ウゥッ…!」
得体の知れない力が不浄の人花の身体を縛り、押し潰そうとするが、不浄の人花は苦しみはしているものの、それによって絶命する事は無かった。
「ダメね…!奴の核や心臓がわからないし、再生能力が高すぎて仕留めきれないわ…!」
「…という事は直接奴を吹き飛ばすしか無いか…」
邪歪力は闇の力で狙った相手の致命的な器官を内部から破壊し死に至らしめる魔術であり、その体構造を理解していなかったり、対象となる相手の再生能力如何によってはその効果を十分に発揮出来ない魔術である。
不浄の人花は人の上半身を模した姿をしているが、その体構造は人のそれとは全く異なり、更には植生種故の強力な再生能力を有しているが故に、クローディアの邪歪力も大した効果を発揮できはしなかった。
邪歪力による攻撃を受けた不浄の人花は立ち直るとクローディアの方へ顔を向け、大樹から伸ばした蔓をけしかける。
「…!まっずっ…!」
大きく魔素を消費した事による魔素欠乏と身体に回った毒で一瞬反応が遅れたクローディアは迫ってくる大樹の蔓への回避体勢が取れず、身体が硬直してしまっていた。
もう回避が間に合わず、クローディアは覚悟を決めた様に目を瞑るが、蔓が大地を打ち鳴らす音だけが周囲に響くのみだった。
「…ふうっ、間一髪…」
「…っ、フォルクッ!」
蔓が振り下ろされる寸前、フォルクは既に木から飛び降りてクローディアの救助に向かっており、彼女を抱き抱えてその場を脱していた。
「…ケホッ、行き当たりばったりで勝てる相手じゃない、ケホッケホッ、毒で辛いかもしれないけれどここは一旦退くしかない、逃げるよ!」
何とか事なきを得て、フォルクは咳き込みながらそう言うと、クローディアを抱いたまま森の中へと走り、戦闘から離脱した。
ーーー
片や黒腐病に、片や毒に侵されていた二人はまだ瘴気の影響の少ない小さな洞窟へと逃げ込みお互いの治療にあたっていた。
「ケホッ、まだ枯れてない薬草と木の実があったよ。これで毒の治療ができる。…ケホッ、ちょっと待っててね」
「…ケホッ…また足を引っ張っちゃったわね…」
フォルクは僅かに採取できた薬草と木の実をすり潰して薬にするとクローディアに与える。
「ケホッ、苦いだろうけど即効性のある薬草だから直ぐに楽になるはずだよ。ケホッケホッ…」
「…うっ、ホントに苦いわね…」
フォルクが調合した薬を飲んだクローディアは一瞬吐きそうになるが、それを無理やり飲み込むと、何とも言えない様な表情を見せる。
「さ、今度はこっちが治療する番ね。フォルク、目を瞑って…」
「…ん」
再び黒腐病の黒い斑点が全身に出ていたフォルクの治療の為、クローディアはフォルクの唇に自らの唇を重ねると、フォルクの魔素を蓄積された瘴気とともに吸い出す。
フォルクの全身に浮き出た黒斑は瘴気が吸い出されると同時に小さくなり、やがて消えていった。
「…はい、お終い」
「あ、ああ…」
長い接吻けを交わした二人はお互いに顔を赤く染め、沈黙したまま目線を逸らす。
治療の為に仕方ないとは言え、恋人同士の接吻けの様な長い接吻けは二人は今まで経験が無い為、お互いに複雑な気持ちに陥っていた。
「え、えっとー…」
「う、うん…」
クローディアが気まずい雰囲気を変える為に話を切り出そうとするが直ぐに言葉が出ず、フォルクもただ短く返事を返したきり、二人は再び黙ってしまう。
「ど、どうやってあの不浄の人花を倒すか…考えなきゃねっ!」
「あ、ああ…、そ、そうだねっ!」
顔を真っ赤にしながら二人は無理矢理今の雰囲気を払拭する為に不浄の人花を討伐する手立てを考える事にした。
「──という事は植生種ベースの不死種だから、つまり…」
「ああ炎は恐らく最大の弱点、光も多分効くはずだ。逆に水や風、闇はかなり効果は薄いだろうし、土に至ってはまず効かないだろうね」
「…相性最悪ね。ホントこういう時にセオやクリスがいたらって考えちゃうわ。…まぁそこは置いといて、実際どうする気? 離れれば大した攻撃はできないしすぐ避けられる、近づけば蔓の鞭と闇魔術で滅多撃ちよ、流石に私じゃ避けきれ無いわ、瘴気も濃いからフォルクも迂闊に近付けないでしょ?」
二人が少しだけ不浄の人花と戦って得た情報をお互いに共有し合い、どうやって攻めるかという話題となるが、大樹の中を自由自在に動き回る不浄の人花に対して攻撃を加えるには近くから移動される前を叩くしか無い。
しかし大樹に寄生し、大樹を介して瘴気を吐き出し続けている不浄の人花への接近はフォルクにとっては自殺行為に等しい。
「ああ、僕が近づければいいんだけど…、その…」
「!…そうね、毎回毎回キス…するわけにも…」
クローディアという存在がその自殺行為を可能にする。その事はフォルクも理解はしているものの、その話題を出した事で二人はまた顔を赤く染めてしまい、三度、言葉を失ってしまうが、フォルクは意を決してそれを払拭する案を出す。
「…あ、ああ、その事なんだけど…、…」
「…何か、いい案があるの…?」
「う…うん、…いっそ、恋人同士になっちゃえばいいと思うんだ」
「…えっ、あっ!? ほ、本気っ!?」
フォルクが出した案を聞いてクローディアは驚くと共に、錯乱したかの様に取り乱す。
「…ああ、本気さ。不浄の人花を倒す為だけってわけじゃない。今まで僕もあまり意識してはいなかったけど、クローディアとキスを重ねる度に黒腐病の進行が止まって楽になるだけじゃない、何かこう…心から嬉しく思う気持ちになるんだ。それに…」
「ちょ、ちょっと待って!私は淫魔種だから、きっとキスをして無意識にあなたを魅了してしまってるだけ…」
クローディアがしどろもどろになりながらフォルクに落ちつくように言うが、言葉の途中でフォルクは彼女を優しく抱きしめると、耳元でさらに優しく囁いた。
「…そうだとしても構わないさ。今まで僕自身、恋愛感情なんて考えた事もなかったし、人から聞いてもピンとも来なかった。でもクローディアがそれを僕に教えてくれた。さっきも言ったけどこういう時だからじゃない、きっと今まで気がついてなかっただけで僕はクローディアの事が好きだったんだと思う。君が一緒に来てくれた時、実は凄く嬉しかった。…それとも僕じゃ嫌かい?」
クローディアは慌てて反射的にフォルクを振り解こうとしたが、そう囁かれた時、クローディアは振り解こうとする手を止めてフォルクを受け入れる。
「…本気、なのね?」
「ああ、紛れもなく」
クローディアの短い問いかけにフォルクも直ぐに短い返事を返す。
それを耳にした時、クローディアの手も自然とフォルクの背中へと回っていた。
「…セオの事もあるけど、私達の為にも」
「ああ、必ず二人で生きてあの不浄の人花を倒すんだ」
フォルクとクローディアは不浄の人花を倒す意気込みを口にすると、今度は治療の為ではない情熱的な長い接吻けを交わしていた。




