第百五十一話:百獣皇子、雪山に挑む。後編
「ふんぬっ…!」
「ぬゥン…!」
雪が舞う白蛇山脈の奥地、其処には到底道と呼べるものは無く、岩と氷と雪ばかりが一面に広がる殺風景な場所だった。
レオとマクニールは二年近くをかけて漸くその山頂へと到達しようと、切り立った崖を登っており、先行したレオがマクニールの手を取り、崖の上へと引き上げる。
「ふぅっ…魔物と戦ってる方がまだ幾分楽だなこりゃ…。もうちっと痩せたらどうだマクニールさんよ」
「えェ、善処しますよォ。尤もォ、この二年で幾分痩せたつもりィ、なんですがねェ…」
初めてレオがマクニールと出会った当初、でっぷりと肥え太っていた彼も二年の間で心なしか僅かに痩せている様に見えていた。
とは言え彼の荷物の量は相変わらず多く、彼自身の重量に加えると相当な重さであり、引き上げるにもレオの力を以ってしてもかなりの労力を強いられる。
「もう少しで山頂ゥ…、ですが、どうやらレオさんもお疲れのご様子ゥ、ですなァ」
「…まァな。丁度洞窟もあらァ、ぼちぼちまた吹雪になるだろうから今日はここでキャンプにしよう」
レオが振り返ると、更に上へと続く崖の近くに洞窟を発見する。
降り続く雪も勢いを増しており、いずれ吹雪となるだろう。
目の前にある洞窟は吹雪をやり過ごすのに正に御誂え向きだった。
「わァかりましたァ。…ですがァ、この辺りは既に強力な魔物の縄張りィ、この洞窟もォ、魔物の巣かもォ知れませんのでェ、気をつけて行きましょォ」
「…だな」
洞窟に立ち入り、マクニールは背中の荷物から取り出したカンテラで辺りを照らし出す。
洞窟の壁や天井は糸で覆われているが、そのほとんどが引き千切られており、更にその糸には砕けた鱗がいくつも付着している。
「ふむゥ…、恐らくゥ魔物はいないようですなァ」
「…みたいだな。完全に巣を荒らされた跡ってトコだろ」
「襲われたのは王虫種ゥ、骨蜘蛛ァ…でしょォ。この骨のような甲殻といいィ、巨大な人の頭蓋骨のような腹甲といい、まず間違いないでしょォなァ。…そして」
マクニールが糸に絡まった鱗の欠片を手に取りカンテラの光で照らすと、その割れ口から青緑色の宝石の輝きを跳ね返している。
「…青龍だな?」
「ええェ。まァさしずめェ、ここに営巣していたァ骨蜘蛛が丸ごと青龍の餌食になったァ…そんなトコでしょォ。卵から何からァ、全てやられてるみたいですからねェ…」
マクニールは垂れ下がる糸を引き千切り、その手触りを確かめている。
「フゥム…これなら上質な糸になりそうですなァ、是非採取して…とォ、今は青龍でしたな」
「ああ、もう縄張りの中なんだろ? こっから先、どこで奴と遭遇してもおかしくねェ、気ィ引き締めとかねェとな!」
レオが拳を合わせて気合い充分、と言った様子で鼻息を荒げる。
一方でマクニールはというと、多少不安もあるのか、背中の荷物を床に広げて念入りに手持ちの道具の数量を数えていた。
「まァ龍種と戦おうってんだ、不安にもなるわな…」
「ええェ。龍種の魔物はァ、他の魔物と比べて圧倒的な力を持っていますからァ。準備に越したことァ無いィ、寧ろこれでも足りないくらいですともォ」
「生憎、俺は成体の龍種と事ォ構えんのは初めてだからな。知らねェからこそ、逆に燃えてくるッて言うのかね」
指を鳴らし、レオはそう言って吹雪が吹き荒れる洞窟の外を見る。
人里に現れればそれだけで天災級の被害を齎すと言われる成体の龍種との戦いを前に、レオは武者震いが止まらないと言った様子だ。
「…とにかく、無理はされんよォに。とっておきの霊薬はァ用意してはいますがァ…、死んでしまってはァ意味がありませんからァ」
「ああ、わァってるよ。…楽しみに思ってる反面、かなり近くまで来て怖ェって思ってる自分もいてな。セオ達が赤龍と戦った時、どんな気分だったんだろうな」
レオは天井を見上げてセオドアが赤龍と対峙した場面をマクニールから得られた断片的な情報を基に想像する。
それと同時にもしその場に自分がいたらと言うイメージを頭に浮かべていた。
「それを聞くためにもォ、必ずやァ生きて帰らねばァ、なりませんともォ」
「ま、どうしようもなきゃ尻尾巻いて逃げるしかねェさ。さ、少し寝とこうぜ。青龍に襲われた巣なら魔物が入ってくる事もねェ筈だ」
「私はァ道具の手入れをしておきましょうかねェ、いざという時に使えなければァ、持って来た意味がありませんからァ。私はァ、その後で寝るとしましょうかねェ」
マクニールの持ってきた武器は剣、槍、斧、弓、さらには魔砲や鉤爪まで多岐に亘る。
彼は魔術こそ使えないが、それすらも手持ちの魔石や人造魔導器を用いて見た目にそぐわない器用な戦いを展開する。
動きも決して遅いわけでは無く、下手な冒険者よりも遥かに戦闘能力は高く、商人である事を忘れてしまいそうになる程だ。
「…それが魔砲ってヤツか?」
マクニールが布で丁寧に磨いている筒を見て、レオが尋ねる。
「ええェ、私の切り札ァ…、魔力を封じられた弾を撃ち出すルミネシアで生まれた兵器でしてェ、魔術を使えない私でもそれを使えるというモンですなァ」
「へェ…どんなモンか想像もつかねェが…ふァ…ま、期待してるぜ…」
「フッフッフ、まァお楽しみにィ。レオさんもォ、しっかり頼みましたよォ?」
レオはそのまま大の字になるといびきをかいて眠りにつく。
マクニールもしっかりと魔砲を磨き上げた後、寝袋の中で眠りに就いていた。
ーーー
夜になって吹雪が止み、二人は洞窟を出て再び頂上を目指す。
今夜は満月で、月の光が雪に反射して辺りは十分に明るかった。
「さてェ…おそらくこの辺りィ…の筈ですがァ…」
「ん、アレじゃねェか?」
幾ら月明かりで明るいとは言え遠くは見えない。だが、種族柄夜目が利くレオは少し離れた場所に何者かが掘ったと思われる巨大な横穴を見つけていた。
「…ふむ、行ってみましょォ」
レオとマクニールが巨大な横穴の前まで着くと、足元にまだ新しい青い鱗の欠片落ちている事に気付く。
「ここで間違いなさそうですなァ」
「どうも最近出入りがあったみてェだ。ここが青龍の巣穴で間違い無ェだろう」
二人は顔を見合わせてお互いに頷くと、小さく身構える。
「いよいよォ…ですなァ」
「ああ、今まで鍛えてきたモンをぶつける時だ。さァ、行くぜ!」
広く暗い洞穴を進むに連れて徐々に辺りが明るくなり、気がつけばカンテラも必要ない程に明るくなっていく。
そして青龍が掘ったとされる、岩肌が露出していた穴は氷のように輝く水晶に覆われた空間に繋がっていた。
「水晶の鉱脈ですかなァ、随分と立派なものですがァ…」
「…だとしても、こうも明るいモンかね。明かりらしいモンは一切見つかんねェが…」
レオの言う通り、周囲に光源となる様なものは見当たらず、洞窟の中は水晶が反射する光で照らされている様だ。
「それにィ…、青龍の気配もありませんなァ」
「言われてみりゃ…。あそこが最奥だな」
青龍の痕跡はあるが、その青龍は不在の様だ。
レオは洞穴の奥に広く開けた空間を見つけ、指を指すと足早にその場所を目指す。
洞穴の最奥である開けた空間には剥がれて間もない青い鱗やまだ肉が残っている捕らえられた獲物の骨、砕かれた水晶の欠片が散乱しており、ごく最近まで青龍がいた事を物語っていた。
更に後から追いついてきたマクニールが、明るく照らされた洞穴のその原因に気付く。
「ぬゥ…これは…!」
マクニールが見つけたのは子供の体格程はあろう大きく歪な球体で、いくつかある内の一つが太陽のように輝いては周囲を明るく照らしていた。
「…なんだこりゃ」
「"黄金の卵"ォ…、話にはァ聞いたこともありますがァ…私も見るのはァ初めて、ですなァ」
燦然と輝く青龍の黄金の卵が強い光を放ち、水晶に反射して洞穴の中を明るく照らしている。
他の卵については白い殻の普通の卵であり、やや暖かみはあるものの、光を放っている様子は無い。
「一説にはァ、口にすれば強ォ大な龍の力を得られェ、その卵から生まれた龍は他の龍と一線を画す程の力を持つゥ、などと言われていますがァ…」
「そんな話はいいけどよ、どうすんだ? 肝心の青龍は留守みたいだぜ?」
黄金の卵を見つけて一人ぶつぶつと独り言の様に話すマクニールに青龍が不在で肩透かしを食らったレオ
がどうしようかと尋ねると、マクニールは漸く我に返った。
「うゥむ…、是非持ち帰りたい所ではァありますがァ…」
「流石にこれを持って雪山を下るってなると無茶が過ぎねェか…?」
運び出すにしてもこの黄金に輝く卵は非常に重く、レオですら両手で漸く少し持ちあげられる程の重量だ。
加えてこれだけ輝きを放たれては下山中に青龍や、他の魔物を呼び寄せてしまうだろう。
放っておいたとしても、いずれは孵化し、周囲の街を脅かす可能性もある事を考えられる。
そう考えたマクニールは渋々、ある結論を出した。
「…勿体無くはありますがァ、これはここで割ってしまうべき、でしょうなァ」
「ま、そうだろうな…」
「ギャオオォォッ!」
「むゥ…!青龍…ですかなァ!?」
「チッ、最悪のタイミングで帰ってきやがったな…!」
マクニールが卵を破壊する結論を出し、レオが腕を振り上げた瞬間、二人がやってきた方向から咆哮が響く。
巣に戻ってきた青龍が二人の侵入に気付き、威嚇しているのだろう、そして間も無く水晶の洞穴を這って青龍が姿を現した。
「ギャオッ、ギャオオォォッ!」
「…弁解の余地は、無さそうだな?」
「そりゃァ、そうでしょォ。来ますよォ、レオさんッ!」
水晶の洞穴を這い出した青龍が翼を広げ、巣穴の中で空中を舞う。
風に舞う様にしなやかに羽ばたく青龍は見惚れてしまいそうな程に美しいが、それと同時に二人に対して凶悪な殺意を向けていた。
「ギャオオッ…」
空中に漂う青龍が大きく息を吸い込む。
それを見たレオは直ぐに一歩踏み出し、両手を広げて仁王立ちをしてみせた。
「吐息かッ!マクニール、俺の後ろに隠れとけッ!」
「了解しましたァ!」
「ギャアアオオッ!」
マクニールがレオの背後に回ると同時に青龍は咆哮を上げながら、吹雪の様に白く輝く冷たい息をレオに向けて吐き付ける。
「うおおッ…!」
レオは両腕を頭の前で交差させると、吐きつけられた極寒の吐息を全身で受け止める。
吹雪の様な吐息に晒されたレオは体の前面やたてがみを白く染めていた。
「…ふぅッ!俺じゃなきゃ死んでたな、マクニール!」
青龍の吐息を耐えたレオは首を震わせて息を吐いた後、背後のマクニールに声をかける。
マクニールも防寒能力の高い外套で防御の体勢をとっており、しばらく動きを止めていた。
「…ですなァ。さァてェ、どうしますかァ、レオさん!」
「卵を抱えりゃ怒りはするだろうが…滅多な攻撃はできねェよな…?」
「…何ですってェ!?」
青龍の卵を一瞥して、レオは凶暴な笑みをみせながらそう話すと、マクニールはまさかの提案に驚く。
「マクニール、先行しろ!ここじゃあの吐息は躱せねェ、一旦出るぞッ!」
「むゥ…たしかにそうですなァ…」
レオが卵に向けて走り出すと同時にマクニールは背中の荷物から魔砲を取り出し、青龍にその砲口を向ける。
「…ギャオッ!」
卵に危険が及ぶと思ったのか青龍は砲口を向けられているにも関わらず、空中を泳ぐ様にして一気にレオの背後に迫ると、後脚の鋭い爪で斬りつけようとしていた。
「魔砲をォ向けられて無視とはァ…無知とはァ怖いもんですなァッ!」
「ギャオォッ!?」
背を向けた青龍を狙った魔砲の砲口が火を噴くと、青龍の背を捉え、凄じい爆発が青龍を吹き飛ばし洞穴の壁へと叩きつける。
「…こりゃ凄え…と、見惚れてる場合じゃねェな、マクニール!走れッ!直ぐ起き上がって追っかけてくるぞッ!」
「わァかりましたァッ!レオさんも急いでェッ!」
光り輝く青龍の黄金の卵を抱え、レオはマクニールに出口を目指す様に叫ぶと、マクニールは魔砲に次の弾薬を込めながら出口に向けて走り出す。
レオもその後を追い、起き上がろうとする青龍を背にして出口を目指す。
水晶の洞穴を走り抜ける二人を這って追いかける青龍は何度もその前脚を伸ばして捕らえようとしていた。
「うおっと!?」
「装填完了ォ…喰らえィッ!」
「ギャオォッ…!」
逃げながらマクニールが魔砲を青龍に何度も撃ち込むが、大きく怯み、傷を負わせてはいるものの、決定的なダメージとはなっていない様だ。
魔砲の直撃にも、爆風で崩れ落ちる鋭い水晶の崩落にも晒されながら青龍は一心不乱に追いかけて来る。
「むゥッ!?」
「どうしたマクニール?」
「…弾がァ詰まりましたなァ、距離も少し離れてる、このままァ逃げ切りましょォ」
弾詰まりを起こした魔砲と青龍の卵を抱え、二人は出口を目指す。
怯ませて開いた距離も徐々に詰められ、外が見えて来た瞬間、その前脚が伸びてくるが、洞穴を飛び出す様にして躱すと、転がりながら二人は地上へと抜け出した。
そして洞穴を這い出してきた青龍も外に出ると同時に翼を広げて空を舞う。
「…間一髪ゥ、ですなァ。レオさん、怪我はありませんかァ…?」
マクニールは青龍を睨みながら、後方にいるであろうレオに怪我はないかと声をかける。
「…んん?」
返事が返ってこず、不思議に思ったマクニールが後ろを振り返ると、なんとレオは持ち出した黄金の卵を割り、抱え上げてその中身を飲んでいた。
加えて、洞穴を抜ける寸前、青龍の前脚の爪を受けてレオの左腕からは夥しい量の血が流れており、真っ赤に染めている。
「…ぷはッ、せっかく持ち出したんだしな、それに口にすりゃ力が得られるんだろ?」
卵を飲み干し、レオは光を失った殻を投げ捨てる。
すると間も無くレオに異変が起き始める。
「お?…おおっ!?」
元々筋骨隆々なレオの身体が躍動する様に盛り上がり、身につけていた外套の袖が弾け飛ぶ。
左腕の爪痕も一瞬血を噴かせていたが、直ぐに塞がってしまい、完全に治癒してしまった。
そして黄金の卵を摂取したことで得られた力はそれだけではない。
「…どうやら話はァ、本当だったみたいですなァ」
「…らしいな。見た目もそうだが…、どうにも身体の奥から魔素が湧き上がってくるのがわかるぜ…!」
卵を摂取した事で起こった身体の変化を確かめる様にレオは手を握っては開いている。
だが当然、目の前で卵を台無しにされた青龍も黙ってはいなかった。
「ギャアアァァァァッ!」
「疾いィッ!?レオさんッ!」
怒りを露わにした青龍がその牙を剥き出しにしてレオへと迫る。
マクニールが声をかけるがレオは微動だにしない。
──しかしレオは動けなかったのではなく、動かなかったのだ。
それどころか、レオは左腕で自ら青龍の噛みつきを受け止めており、横で見ていたマクニールはその光景を狂人でも見るかの様な目で見ていた。
「ちょっ…、レオさん!?」
「…へっへ、どうしたィマクニール、青龍の噛みつきを自ら受けに行くなんて馬鹿な真似を、とか思ってんだろ?」
青龍の顎に力が入るものの、食い千切ったり、噛み砕く事はおろか、肉を抉る事も出来ずにただレオが力を入れる左腕を震わせるばかりであり、レオはその状態のままマクニールに不敵な笑みを見せていた。
そしてレオは青龍に噛み付かれたままの左腕を振り上げると、目一杯の力で青龍の頭ごと地面に叩きつけ、思わず顎を離した青龍の側頭部に渾身の右の拳を叩き込む。
「…ギャアオッ…!」
「龍の力って凄ェな。最初は厳しい戦いになると思ってたんだが…、まるで負ける気がしねェや」
本物の龍をも凌駕する力を得たレオが吹き飛んだ青龍を見たまま腕を回してそう呟く。
龍の力を得た獅子の皇子は睨みつけてくる青龍の顔を睨み返すと、白い牙を剥き出しにして笑ったかと思えば、雪山全体を震わせるほどの大声で咆哮した。




