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第百四十六話:魔導士から魔剣士へ 前編

 「ハァ…ハァ…。まさかこんなに体力が落ちてるなんて…」

 「まだまだ。魔術に頼り過ぎた結果ですね」


 セオドアの剣を引き継いだクリスは三年後、セオドアが自力で魔術が使えないヘレ氷原を突破できなかった場合に備え、テラービブの離れである雪原にてアリーシャと日々剣の稽古に励んでいた。

 身の丈と不釣り合いな騎士剣、振りかざしては往なされ、雪の上に転がされては雪と泥でクリスの服も、美しい白金の髪も、玉のような肌も汚れに塗れていた。


 「ハァ…、でも一本を取るまではっ…!…きゃあッ!」

 「技術も力も体力も、速さすらセオドア様の五割にも及びません、そのままでは一年経っても掠りもしませんよ、クリスティン様」


 アリーシャは厳しい現実を躊躇なくクリスに突きつける。

 アリーシャの稽古に容赦は無く、元々魔術士であるクリスでさえ例外は無い。

 カルマン村にいた頃、父アルフレッドが不在の時は専らアリーシャが稽古をつけており、その時もアリーシャの手心無き稽古に二人は立ち上がれなくなるまで厳しい稽古を課されていた。


 「さて、一度この辺りで宿に戻りましょう。風邪をひいてしまいます」

 「まだ…まだ…」


 肩で息をしながらクリスは立ち上がり剣を構えるが、それを見たアリーシャは鼻で溜息をつく。


 「…せええやぁっ!」

 「…力尽きる寸前でその底力は認めますが、その疲弊し切った状態では剣で受けるまでもありませんよ…」

 「きゃああっ!」


 走り込んで破れかぶれのクリスの振り下ろしはアリーシャに掠りすらもせず、上体の移動だけで躱されてしまうと、アリーシャの出した足に躓き、頭から積雪の上へと倒れ込んだ。


 「…このくらいにしておきましょう。これ以上は何の身にもなりません。よく動き、よく食べ、よく休んでまずは体力からつけませんと。一朝一夕で強くなれる程、剣の道はそう甘くはありません」

 「…わかってるわ」


 雪に埋めた顔を上げてクリスは直ぐに曇天の空を見上げていた。

 今までは"兄が剣ならば自分は魔術を"と、そうしてきたが、自ら剣を使うと決心した結果がこの体たらくだ。

 思い返してみれば兄セオドアは普段の剣の鍛錬は当然ながら、最低限魔術の修練も欠かしてはいなかった。

 反面、クリスはと言うと旅に出て直ぐ、エルダに到着して暫くまではセオドアに付き合う形で剣の鍛錬をしていたが、アンリエッタやアリーシャなどをパーティーに迎え入れて以降は彼女らに任せる形で魔術の修練のみに傾倒していた為、すっかり体力が落ちてしまっていた。


 「何が"『流星』のアルフレッドの娘"よ…」


 疲れ果て、立ち上がるのもやっとという状態でクリスは小さな握り拳を震わせて溢していた。


 ーーー


 半年程の間、クリスは只管に剣を振り、毎日の様にアリーシャに足腰が立たなくなるまで厳しい鍛錬を課されていた。


 「はぁっ!やっ!」

 「ふふ、漸く当時の頃くらいまでには動ける様になってきましたね。…ですが、まだまだ甘い!はあぁっ!」

 「くうっ!」


 まだアリーシャは本来の七割も力を出してはいないが半年前の様にクリスの剣戟を軽くあしらう余裕は既に無くなっていた。

 とは言え、彼女が少し本気を出せば攻勢があっさり覆されてしまう程度にはその実力差はまだまだはっきりとしており、その結果、一瞬の防御の隙にアリーシャの足払いを受けて態勢を崩したクリスは肩から放たれたタックルを受けて夏の間僅かに覗かせる短い草が茂る地面を転がっていた。


 「やはりまだまだ一本はあげられませんね。ですが、たった半年でそれだけ動ける様になったのは予想外でした。やはりこれも血筋でしょう、もう半年もすれば私もそろそろ危ういかと」


 クリスを吹き飛ばしたアリーシャは一旦剣を腰に納め、そう話しながら歩み寄ってくると、草の上で大の字になったクリスに手を差し出す。


 「兄様のようにはなかなか上手くいかないものね」


 アリーシャの手を掴み、立ち上がるクリスがそう言うと、彼女は少し顔を綻ばせ、"当然でしょう"と、短く返していた。


 「あっ、親分!やっぱり噂は本当だったみたいですぜ!」

 「…げへへ…、可愛らしい女二人が毎日のようにここで剣の稽古をしてるって聞いてたが本当だったな…!」


 突然、品の無い顔つきの男がぞろぞろと子分を引き連れてやってくる。

 少なくとも好意的な人物とは呼べず、その頭と思しき男は口から垂らした涎を舌で拭い、汚らしい下卑た笑みを覗かせていた。


 「何か御用でも?」

 「へっへへ…、せっかくだからよ、俺達が教えてやろうってんだ。なぁに優しく教えてやるからよぉ」

 「ぎゃははは!そう、"優しく"な!ぎゃははははははっ!」

 

 男達は下品な笑い声を上げながらアリーシャに歩み寄り手を伸ばすと、その肩を掴む。


 「男も知らなさそうな若い娘と女盛りの美女、俺達の指導にも熱が入るってもんだ!さぁついて来…」

 「いいえ、結構」


 アリーシャがそう答えたと同時に男の腕が飛び、斬り口から大量の血が噴き出す。


 「ぎゃああああっ!俺の…!俺の腕があぁぁぁっ!」

 「この(アマ)!や…やりやがった…!」


 男達は眼の色を変え、剣や斧といった得物を取り出し怒りを露わにするが、対するアリーシャはと言うと大きな溜息をついて頭を抱えている。


 「全く…、貴方がたの様な人間は本当に何処の土地に行っても見かけますね…。まぁ丁度良いと言えば丁度良い、そう考えるべきでしょうか。クリスティン様」

 「…ええ」

 「実戦に勝る訓練無し、少なくともあの親分格の大男以外は取るに足らぬ相手でしょう。危なくなったならばお助け致しますので、ここはクリスティン様、お一人でお相手くださいませ」


 クリスは剣の鍛錬ならばそれなりに経験はあるが、剣を使った実戦となれば話は別だ。

 面と向かって剣で斬り合うと言う経験は皆無であり、アリーシャはこれを契機だと考えていた。


 「…やってみるわ」


 クリスは訓練用の木剣を投げ、セオドアの騎士剣を手に取ると、一歩退いたアリーシャから狙いを変えた男達がぞろぞろと集まってくる。

 しかし男達は騎士剣を構えたクリスを見るとその表情を緩ませていた。


 「ぎゃっははは、なんだそりゃ!お嬢ちゃん、それでちゃんと触れるのかい?」

 「こいつぁ傑作だ!短剣(ショートソード)短刀(ダガー)ならわかるけどよ!よりによってそのナリで長剣(ロングソード)どころか騎士剣(バスタードソード)なんて流石に背伸びが過ぎるだろうよ!」


 クリスはけして背が低い訳では無い、とは言えあくまで女性の中ではという括りでの話であり、セオドアの騎士剣も長さとしてはクリスの身長とさして変わりは無い。

 加えて細身である事も手伝って、クリスに対してセオドアの騎士剣はまさに不釣り合いと呼ぶに相応しい。

 その立ち姿はまるで子供がおもちゃの長剣を持っているのをそのままやや大きくしたかの様に見えていただろう。


 「へっ、女二人が剣持ってるだけの話。舐めてかかって釣りが来る。殺さねえ程度に痛めつけてやれ!」

 「へい、親分!ヒャッホーウッ!」


 向かってくる男達を前にクリスは騎士剣を握り直し、微かに不安の表情を浮かべていた。


 「クリスティン様、カルマン村での稽古、そしてこの半年間やってきた事をお忘れ無く。そうすれば自ずと結果はついて来る筈です」


 突き放すようなアリーシャの言葉だが、クリスは判っていた。基本通りに戦えば負けることはない、ただその事を靄がからせているのは圧倒的な経験不足である。


 「貰ったあぁっ!」


 突出してきた男が短刀を片手に飛びかかってくる。が、クリスの目から見ても隙だらけだ。


 「…っ!せやぁっ!」


 飛びかかってくる男に神経を集中させ、クリスは騎士剣を薙ぐ。


 「ひぎゃっ…!」


 木剣よりも遥かに軽い騎士剣の重さに驚き、剣を振り抜いたまま勢い余ってたたらを踏んでしまうが、振り返った先には上半身と下半身が分離した男が血を噴いて動かなくなっており、本当に自分がやったものかと目を疑う。


 「お見事。…ですが次が来ます。今は目前の敵に集中を」

 「…っ!ええ!」

 「うおおおおっ!」


 クリスは迫り来る男達に対して、アリーシャに教えて貰った剣の技術を忠実に実践する。

 どれだけ剣を振り、突いたのか、どのように動いたのかも覚えていないが、何十回、何百回、何千回と反復して行った動きはいつしか身体に染み付いており、自然とそう身体が動いていた。


 「ハァッ…ハァッ…!」


 無心で剣を振ったクリスは剣を構えたまま、肩を上下させて息を荒げていた。

 そこに立つ人間は三人だけ、クリスとアリーシャ、そして賊の親分格の男の三人だけ、それ以外にあるのは既に物言わぬ屍と成り果てた賊達だけだった。

 平原に吹き抜けた風に棚引いていたのは緑ではなく、クリスに斬り捨てられた賊達の血で赤く染められた草であり、身に纏っていたローブも夥しい返り血で染められている。


 「チッ、不甲斐ねえ野郎どもだ。たかだか騎士剣握っただけの小娘一人に全滅しやがって…。まぁいいや、お陰でこんな別嬪二人、纏めて相手に出来るんだけどよぉっ!」


 賊の親分は大きな鉞を目一杯に振り上げるとそれをクリス目掛けて振り下ろし、クリスはそれを防ぐ為に剣を構える。

 そして金属のぶつかる激しい音が辺りに鳴り響くと、賊の親分の振り下ろしは交差させた二本の直剣に受け止められていた。


 「ほお、俺の一撃を受け止めるたぁ、やるじゃねぇか」

 「…取るに足りませんね。貴方のお相手、私がお引き受け致しましょう」


 賊の親分はアリーシャの挑発に乗ると、受け止められた鉞に全体重をかけて圧し斬ろうとする。

 しかし、その鉞はそのまま往なされ、空を切ると地面に突き刺さっていた。


 「へへ…姐さんが先にヤらせてくれんのかい、こりゃあ期待しちまうなぁ…」

 「そうですね、…と言っても、私で"討ち止め"ですが」


 二人はお互いに間合いを取り言葉を交わし対峙する。

 片やアリーシャは両手に直剣を持っている以外は半身の自然体で長い亜麻色の髪を風に揺らしており、片や男は両手に持つ鉞の刃を研ぐように擦り合わせていた。


 「さぁて、楽しませてもらうとしようじゃねぇ…かっ!」


 男は右手に持つ鉞を大きく振りかぶってアリーシャに向けて投げつける。

 勢いよく回転し、鉞はアリーシャに向けて飛んでいくがアリーシャが落ち着いて上体を逸らすと数本の髪の毛を切って彼女の前を通り過ぎていく。


 「へはは、まぁそりゃ当たらねえよなぁ!…そらっ!」


 鉞が外れたのを見届けて男は懐から玉の様な何かを取り出すとアリーシャの足元へと投げつけた。


 「…煙幕…!見かけによらず小賢しい真似を…!」


 アリーシャは身を翻して広がった煙幕の外に出るが、どうやら男も煙幕の中に紛れ込んだらしく、その姿は見当たらない。

 更に煙の中から今度は氷の棘が飛び出すと、アリーシャを捉えんとしていた。


 「魔術の様にも見えますが…!」


 咄嗟にアリーシャは左手の直剣を鞘に納めると黒いマントを脱ぎ、氷の棘をそのマントで払い除ける。

 

 「アリーシャ、後ろっ!」

 「ゲハハハッ、遅えっ!」


 先程男が投げた鉞が戻ってくるのに気付いたクリスがアリーシャに声をかけるも、それと同時に男が煙から飛び出してくる。

 前方からは男、後方からは鉞が、アリーシャの退路を塞ぎ、同時に迫ってきていた。


 「…見くびられたものですね」


 アリーシャは薄く唇を歪ませると前から迫る男に向け自分から突っ込み間合いを詰める。

 クリスの目から見れば無謀な突撃、そうに見えていたが、実際にはそうではなく、アリーシャ自身からすれは見切れる相手だと、そう判断しての突撃だ。


 「へへ…俺にヤられる方を選んだってワケかい」

 「本当にそう思いますか…?」


 お互いに右手に持った得物を振りかぶりつつ激突する、かと思っていたが、男が薙いだ鉞は大きな風切り音だけを残して空を切っていた。


 「な、何ぃ!?」


 男が鉞を薙ぐ寸前、アリーシャは素早い身のこなしで跳躍しており、男の頭の上に片手で手をつくと、そのまま背中を蹴りながら背後にまわり、その際に僅かに男を怯ませていた。


 「うおっと…!」


 離れ際にアリーシャに背中を足蹴にされ、つんのめる男は直ぐに立ち直ると背後のアリーシャに鉞を向けながら振り返る。


 「いいんですか、こっちを向いていて」

 「…寧ろ何で斬らなかったかわからねぇが」

 「斬る必要がありませんから」

 「は?…ぬああっ!?」


 立ち位置が入れ替わった事でブーメランの様に戻ってきた鉞が男の背中に突き刺さる。

 こうなる事を狙っていた為、アリーシャは敢えて背後を取った際に斬りかからず、男を静観していた。


 「うおおおお、痛ってええぇ!」

 「ご自分で処理いただけて何より」


 男は激痛に身を悶えさせながらも、背中に深々と刺さった鉞に手を伸ばし、今にも泣き出しそうな息遣いをしながら一気に引き抜いた。


 「…まだ、やりますか?」

 「フーッ…フーッ。ぐおお…、クソッ、覚えてやがれっ!」


 男はクリスとアリーシャに前後に立たれており、分が悪いと判断すると、背中から血を流しながら一目散に逃げ出す。

 クリスは一瞬、追いかけるものと考えて足を踏み出そうとするが、アリーシャが首を横に振るのを見て直ぐに足を止めていた。


 「身を守る為ならば仕方ありませんが、無益な殺生をする必要はありません。それにあの傷では治癒魔術でもない限りは当分は襲っては来ないでしょう。…それよりも如何でしたか、初めて人を斬った感想は」

 「…正直一杯一杯だったから…けど、あまり気持ちのいいものじゃないわね」


 クリスの答えを聞いたアリーシャは小さく頷く。


 「それで構いません。寧ろ今気持ちいいと答えられれば私はクリスティン様に剣を教えた事を後悔していたでしょう。これからもその事だけは肝に銘じておいてください」

 「ええ、そうするわ。…さ、片付けないと」


 クリスは積み上がった賊の死体を炎の魔術で焼き払うと、土魔術で残った骨を地面に埋める。

 更に水魔術で雨を降らせて草や地面に付着していた血を洗い落とした。


 「こんなところかしら」

 「手際がいいですね。人の手でやればなかなか手がかかるのですが」

 「そう考えると魔術っていかに便利かよくわかるわね。…兄様は大丈夫かしら」


 クリスはヘレ氷原で魔術の使えないセオドアを想起して北の空を見上げる。

 クリスにとっては魔術の使えない状況など考えもつかない状況だ。


 「…その為に今こうして剣を扱える様にしている所でしょう。さぁ、続きと参りましょうか」

 「ん、そうね」


 風が草を揺らし、葉の上に着いた雫が滴り落ちる。

 再び平原には二つの木剣がぶつかり合う甲高い音が鳴り響き始めた。

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