第百四十五話:聖盾の戦乙女 前編
「…そこまでだ!」
アンリエッタの大楯がエーミールの細槍を受け止めた瞬間、エーミールの出てきたグリーングラス家の門の後ろから大きな声が響く。
「…兄者…!」
「オスカル兄様…!」
「エーミール、槍を収めろ。アンリは何も知らん」
「ハッ、どうだか!」
エーミールはグリーングラス家の長兄、オスカルに諌められると、槍を納めて大きく跳躍をしてその場を離れる。
「全く…、しかしアンリ、よく戻ったな。十年以上も家を離れていたお前が何故戻ってきたかは判らんが無事で何よりだ」
「いえ、エーミール兄様の怒りも尤もかと」
「いや、そうではない。確かにアンリ、お前は騎士団を勝手に抜けグリーングラス家の顔に泥を塗った。しかし今は別の理由があってな、順を追って説明せねばなるまい。中へ入れ」
門を抜けた先に広がっているのは当時と変わらぬ手入れの行き届いた庭園だ。
兄オスカルに連れられて屋敷へ向かう途中、アンリエッタは当時の事を思い出していた。
グリーングラス家は代々、ブリュンヒルデの騎士を輩出してきた名門であり、アンリエッタは現在の当主イドロシス・グリーングラスの末娘として生まれた。
二人の兄達と同様、幼少からの英才教育を受け、名門グリーングラス家の名に恥じぬ槍の技術を身につけたアンリエッタはやはり兄達と同様に騎士団に入団後、百人隊を率いており、将来を嘱望されていた。
しかし彼女はある時、突如として騎士団を辞めると、家を飛び出してエルダの街を拠点とし、冒険者へと身を落としていた。
ーーー
「どんな心変わりがあったかは判らんが、まずは茶でも飲みながらこれまでの事を聞かせてもらうとしよう」
屋敷に辿り着くとオスカルはそう言って扉を開く。
そしてそこには長く美しい桃色の挑発を纏め、煌びやかな衣装に身を包んだ女性が直立して待ち受けていた。
「お帰りなさい、アンリエッタ」
「…アンリエッタ・グリーングラス、只今長旅から帰参致しましたわ」
女性の顔は決して柔らかな表情では無く、厳しい目線をアンリエッタに向けている。
この女性の名はイザベラ、当主イドロシス・グリーングラスの妻、つまりアンリエッタの母である。
「母上、せっかくアンリが戻ってきたんだ。事情は兎も角、まずは無事を喜ぶべきだと思うが」
「…そうですね。この娘が家を出た事、突然騎士団を辞めた事は一旦忘れましょう。ですが、このタイミングで戻ってきた事に母は少しばかり恣意的なものを感じているのです」
「…何の事かは判りかねますが、先程のエーミール兄様の事といい、どうやらかなり悪いタイミングで訪れてしまったようですわね」
アンリエッタとイザベラの間には険悪なムードが漂っており、その間にいるオスカルは整えられた髪を掻きながら困り果てた表情を浮かべていた。
「まずは食堂でアンリのこれまでの話、それとこのグリーングラス家で何が起こっているのかと言う話、まずはそれをしてからにしよう。さ、母上、アンリ、食堂へ」
「…わかりました」
「そうですわね。報せもなく戻ってきたのは私の落ち度ですが、謂れの無い怒りを向けられるのは私も遺憾でしかありませんので」
食堂へ移動し、三人は長いテーブルに着くと程なく使用人がやってきてそれぞれの前に淹れたての紅茶が並べられる。
「…さて、アンリの話を聞きたい所だが、先にこの家で起こっている事からだな。何故母上とエーミールがこうピリピリとしているのか説明しておかなければな」
「お願いします、兄様」
オスカルが話を始める前に三人は紅茶に口を付ける。
「さて…まず単刀直入に言うと、父さんが二年前に倒れた。今も意識ははっきりとしているが医者の見立てではあと半年も満たない命だと言う話だ」
「…成る程、となると今グリーングラス家はオスカル兄様とエーミール兄様の家督争いの真っ最中、そこに私が戻って来たが為に、と言う事ですわね。ですが、今更私が戻った所で支持する人間もいる筈がありませんわ。世間一般では私は任務中に行方不明、となっていた筈ですから。それに私、グリーングラス家の家督については継ぐ気は毛頭ありませんので」
父、イドロシスが倒れたグリーングラス家は大きく揺れていた。
堅実で着々と騎士団での地位を築きつつあるオスカルと、現場で数々の功績を挙げのし上がろうとしているエーミールの二派閥が出来上がり、イザベラもあくまで中立と言う立場を取っていたが、ここにアンリエッタが戻ってきた事で不足の事態が起こるのでは無いか、エーミールとイザベラはその事でピリピリとしていたらしい。
「それを聞いて安心したよ。ただでさえエーミールと争っている最中だ、その上アンリとも争わなければならないとなると私としてはあまり好ましい事ではない」
「…だとすればアンリ、貴女は何故グリーングラス家へと戻って来たのです? 私はどこからかイドロシスの話を聞きつけて戻って来たものだと」
「もっと別の理由ですわ。…今度はこちらの話をする番ですわね」
アンリエッタはこれまでの経緯を掻い摘んで話す。
それまでエルダで冒険者を続けていた事、そこで出会った少年に付き合い、ドルマニアン諸島、ガルムス大陸、そして大魔大陸の魔導連邦ルミネシアまで旅をしたこと、そこで仲間達と一旦別れてアトラシアへ戻って来た事をオスカルとイザベラに伝えた。
「…そして現在に至る、と言うわけですわ。それまでお父様の事など一度も聞いておりませんので家督については今更継ぐつもりも」
「…肝心の何故この家へ戻って来たと言う理由がまだ聞けていないわ」
「ああ、家督争いに関わらない旨は了承した。…だがアンリエッタ、お前が此処に戻って来た理由、それを聞かせてくれ」
オスカルも家督争いについて表面上には出してはいなかったが、やはり内心ではアンリエッタの帰参は快く思ってはいなかったらしい。
それ故にアンリエッタが経緯を話している途中、時折苛立ちと取れる様な仕草を見せていたが、最後に彼女が家督争いに関与しない旨を話すと安堵の表情を見せると共に疑問としていた彼女が帰ってきた理由について尋ねてくる。
「ルミネシアで共に旅をしていた仲間達と別れる前に私がアトラシアから旅に出るきっかけとなった方が一時、行方不明となりましたわ。直ぐに居場所はわかったのですが、その場所は今の私や仲間達の実力では突破できぬ場所で、その人からの文で三年後にまたルミネシアで合流をと言う約束を交わし、自らを鍛える為に此処へ戻って来た次第ですわ。兄様は現在騎士団の要職に就かれているとの事。自ら退いた手前、恥を忍んで兄様にお願いがあります」
「アンリエッタが騎士団に戻れる様、私から口添えして欲しい、そう言う事だな。私としては家督争いに関与しないのであれば構わないが…、それを良しとしない者がここにいるだろうな」
アンリエッタの話の途中、オスカルがそう話すと紅茶を口にしたイザベラが食堂の入り口へと目を向ける。
「…エーミール、聴いているのだろう?」
オスカルが入り口の扉に向けてそう尋ねると扉が開かれ、鎧を着込み細槍を携えたエーミールが扉の枠に凭れかかっている。
「そりゃあそうだろう兄者。…と言うより、兄者も嬉しくない筈だろうがどう言うつもりだ?」
「アンリエッタが騎士団に復帰した所で私の状態を脅かされる心配は無いと言う事だ。反面、エーミール、お前の場合はそうではないだろうな。現場に力を注いでいる以上、アンリエッタが復帰して活躍されればお前が幾ら頑張ってもその存在が薄らぐ。故にアンリエッタの騎士団への復帰はお前に取っては面白くない話だろう。違うだろうか?」
オスカルは淡々とエーミールの問いに対して答えると、今度はほくそ笑む様にエーミール自身の内心を言い当てる。
エーミールとしては図星そのものの筈だが、眉一つ動かさずに押し黙り、食堂は一瞬、沈黙に包まれた。
「…違うさ。こんな騎士団を途中で逃げ出した妹なんて眼中に無いとも。それ以前に俺以上に現場で活躍できるとは思ってねえさ」
「ほお、ただでさえ異種族の騎士団員と功績争いをしているお前に取って、そこにアンリエッタが割って入ってくるのはお前に取っては面白くない話だろう、そう思ってな。まあ、俺はアンリエッタにはそれなりに活躍して貰えればそれでいい、お前とあの鉱山種の五百人隊長との功績争いに割って入れば尚更だ。現状騎士団の人事については私が握っているのでね、活躍さえしてくれれば私の株も上がると言うものだ」
「はっ、馬鹿馬鹿しい。なんならここで証明してやってもいいさ。こんな妹が俺より上? 有り得ねえよ、コイツは騎士団にゃ要らねえ人間だ。逃げ出した以上、兄者が認めても俺は認めんぞ」
「…だ、そうだ。私の権限で騎士団の復帰を認めてもいいが…、まぁエーミールはこの通りだ。どうする、アンリエッタ」
一通りの兄弟のやり取りを終えると、オスカルはアンリエッタへ尋ねる。と言ってもアンリエッタに取って選択肢は当然一つしか無い。
「構いませんわ。実力で示せ、とエーミール兄様が暗にそう仰るのなら、騎士団に復帰するのが私の目的である以上、応じざるを得ないでしょう」
アンリエッタはそう言って紅茶を飲み干すと、机に立て掛けていた大槍と大楯を手に掛ける。
「…よし、エーミールも、異論は無いな?」
「どうやら口で言ってもわからないのなら身体にそう教えるしかないだろう?」
「ならば半刻後に中庭で、立会いは私と母上が務めよう。二人ともそれでいいな?」
オスカルは二人にそう尋ねるとアンリエッタは静かに頷き、エーミールは槍を手にその場を去る。
その際に片手を挙げて「わかった」と暗に答えていた。
ーーー
半刻が経ち、グリーングラス家の広い中庭。そこで鎧を着込んだアンリエッタとエーミールが対峙する。
その間には長兄オスカルと母イザベラ、そして父イドロシスの姿もそこにあった。
「久しく報せも無く申し訳御座いません、お父様。アンリエッタ・グリーングラス、只今帰りました」
アンリエッタはエーミールを他所にまずはイドロシスへ帰参した事を告げる。
「良い、最早昔の事だ。ただし、よもやこの様な事になって居ようとはな」
「はっ、あんだけボロクソに言ってた癖に親父もよく言うぜ。あの時みたいに言ってやったらどうだ? "アイツはどうしようもない娘だ"ってな。全く、こっちはいい迷惑だったぜ」
エーミールは悪びれもせず悪態を吐くがイドロシスは全く意に介する事なく対峙する二人を見ていた。
「アンリエッタ、オスカルから話は聞いておる。お前が十年の旅の中で得た事、その一部、しかとこの眼で見届けさせてもらうぞ」
「ええ、そうさせて頂きますわ。さあエーミール兄様。真剣勝負と、参りましょう」
アンリエッタは大槍と大楯の両方を構え、エーミールへそう言い放つ。
それを聞いたエーミールは眉間に皺を寄せて不機嫌そうな表情へと顔色を変えた。
「…おーおー、言うじゃねえか。そこまで言うなら身体で覚えさせてやるよ。行くぞっ、アンリエッタァッ!」
強靭な脚力から見せる大きく素早い跳躍。その跳躍を以ってエーミールはアンリエッタに襲いかかる。
しかしアンリエッタはこのスピードについてこれない筈が無かった。
彼女が共に旅した仲間はこれ以上に素早く動く者が少なくとも二人、至近でならばもう一人おり、エーミール程度の速度であれば見切れない道理などない。
エーミールの細槍は大楯に受け止められ、アンリエッタがそれを押し返す。
槍を弾かれたエーミールは間合いを取り、諸手で槍を構え直した。
「俺の早い突きを見切れるかっ!?」
「…造作も、有りませんわ」
エーミールは力を込めると、五月雨の様な素早い連続した突きを繰り出す。
しかしアンリエッタはその突きを大楯で巧みに捌き、その全てを往なしていた。
「オォラァッ!」
「そこッ!」
「なぁっ!?」
大楯に阻まれ、業を煮やしたエーミールはつい力んで大振りの突きを繰り出すと、その瞬間を狙っていたアンリエッタは大槍の穂先でその軸を逸らした。
「…だが、この間合いじゃその槍で俺は突けん!」
「そうですわね。ですが、それならば相応の戦い方がありましてよ」
「…ぬあっ!?」
アンリエッタが繰り出していたのは膝蹴り。
力を込めた突きを往なされ、身体を泳がせていたエーミールの横腹にアンリエッタの膝が突き刺さる。
思わぬ反撃にエーミールは苦悶の表情と共に怯むとアンリエッタは更なる反撃を仕掛けていた。
「…ま、待て…!」
「ハァッ!」
「グホォッ…!」
アンリエッタの大楯による打撃がエーミールを捉える。
「ほお、近間での体術か。グリーングラス家の槍術には無い戦術だな」
「ええ、ですがあれだけの重装備であれだけ動けるアンリエッタ自身の能力も相応に鍛えたものかと」
全身で重量のある大楯の一撃を受けたエーミールは大きく吹き飛ぶが、頭から落ちる直前に片手で受け身を取ると、顔を上げて鼻から流した一筋の血を拭い睨みつけてくる。
「調子に乗りやがって…!」
「その様な事は。それに、その程度であれば共に旅をしていた仲間達と比べれば大した事はありませんわ」
「言うじゃねえか…!見せてやる!俺の本気をッ!」
「言うだけなら結構。さあお見せくださいな、エーミール兄様の本気とやらを」
アンリエッタは巧みな話術でエーミールの感情を逆撫でし、焚き付ける。
怒りの炎に油を注がれたエーミールは激昂すると、自慢の脚でアンリエッタの周りを駆け始める。
アンリエッタの周囲を駆けるエーミールは更に勢いを増すと、残像を残しあたかも幾人ものエーミールがアンリエッタを取り囲んでいる様に見えていた。
「どうだ、その重装備では俺を捉えられまい!そらァッ!」
「くっ…!」
周囲を駆け回るエーミールの残像に翻弄され的を絞れずにいるアンリエッタ、エーミールはその背後を的確に攻めてくる。
更にエーミールは跳躍を織り交ぜ、アンリエッタを周囲のみならず、上からも取り囲んでいた。
「さあどうする、アンリエッタよ」
「一見、為す術無しの様に見えますが、さて…」
エーミールの動きにアンリエッタがどう対応するか、イドロシスとオスカルはその一挙手一投足を注意深く見つめている。
少し面食らっていたアンリエッタも次の瞬間、目を瞑ると、小さく笑った。
「成る程、確かに疾い。私の装備では目で追うのがやっと。…ですが、あるいはグリ…レオさんならばこう言うでしょうね。"しゃらくせぇ!"と!」
「…む!」
「槍を逆手に…?」
イドロシス、オスカルはアンリエッタの動きに目を疑う。
刀剣ならばまだしも、槍に逆手を使った構えなど、投擲か、あるいは倒れた相手に追い討ちをかける際にしか使うことは無い。
況してやアンリエッタの様な大槍と大楯をそれぞれの手に持つ場合ならば尚更だ。
微かな笑みと共に槍を逆手に持つアンリエッタ、その背後からエーミールが飛び込んで来る。
「この美しい庭園を荒らしてしまうのは忍び無いのですが…」
逆手に持った大槍、アンリエッタはそれをエーミールの槍が届く寸でのところで庭園の石畳に打ち付けた。
「…ぬあァッ!?」
大槍の穂先から放たれた激しい衝撃波と共に砕けた石畳が巻き上げられ、飛び掛かって槍を突き立てようとするエーミールごと吹き飛ばす。
その際にエーミールは散弾のようになった小石を全身に受け、幾つもの痣をその身に作り、尻餅をついてしまっていた。
「な、なんだ今のは…。…!」
訳も分からぬ内に吹き飛ばされたエーミールは混乱しており、無防備に起き上がろうとするが、喉元にはアンリエッタの大槍、その切っ先が突きつけられていた。
「これでお解り頂けましたでしょうか、エーミール兄様」
「ぐっ…!」
「勝負あり、ですね。父上」
「うむ。この勝負、アンリエッタの勝利とする」
イドロシスの発した決着の宣言、共に立ち会っていたオスカルとイザベラからの異論も無い。
大槍を収め背を向けるアンリエッタ、それを物悔しそうに睨みつけエーミールは歯軋りしていた。




