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第百四十四話:澱み濁る大水郷 前編

 フォルクは目の前に広がる信じられない光景に同行していたクローディアを置いて湖畔を走る。

 本来澄んだ清らかな水が湖を満たし、周囲の森を育み美しい姿を見せていた筈の大水郷は暗く澱み、周囲の森を腐らせていた。

 息を切らし全速力で走るフォルクは故郷の村、長耳種(エルフ)の隠れ里へと辿り着くとその光景に愕然と膝から崩れ落ちてしまう。


 フォルクの足跡を追い、クローディアが漸く追い着くと、フォルクがあまりの光景に言葉を失い放心していた。

 

 「何よ…これ…!?」


 村は寂れ朽ち果てており、荒れた土と黒く枯れ果てた樹木に蝕まれている。

 豊かな自然に囲まれた秘境の隠れ里、しかし今は荒れ果て冒された死に満ちた廃墟の様になっていた。


 「…うぅ…」


 朽ちた民家の中から聞こえる唸り声にフォルクが気が付き我に帰ると、無言のまま立ち上がり駆け込む様に声の元へと向かう。


 「…うぅうっ…」

 「じいちゃん!ばあちゃん!」


 朽ち果てた民家の居間には長耳種の老人夫婦が倒れており、掠れた呼吸と夫婦の唸り声だけが聞こえている。

 民家に飛び込んだフォルクは老夫婦を抱き起こし、呼びかけているが衰弱し切っており、口をパクパクと動かすばかりで返事はない。

 クローディアが後から追いかけてくると、フォルクが老人を揺すり起こそうとした際に横顔が見える。

 白い絹糸のような長い髪の陰に一瞬黒い斑点が目に入り、何かに冒されている事がわかった。


 「…うぅ…フォルク…か…?」

 「…じいちゃん!ああ、僕だ、フォルクだ。一体何があったんだい?」

 「…わからん…のだ…気がつけ…ば…もう…、村が…こうなる前から…、異変が…」


 掠れた声を絞り出す様に老人が話す。

 今は完全に蝕まれてしまった後だが、この老人が倒れる前はまだ村も冒された形跡は無かったらしい。


 「…フォルク。この一帯全部瘴気に蝕まれてるわ。村も、森も、何もかもね」

 

 フォルクが老人を起こしている間に辺りを調べていたクローディアがこの村を冒していたものに気付く。


 「確か何かの本で見た気がするんだけど…とにかく原因が何か判らないと解決のしようもないわね…!」

 「…村の…若い守人達…、その原因を…探るために村の外に…行ったまま…帰って…おらん…」


 辺りに立ち込める瘴気が辺りの森、水、土、何もかもを蝕んでいる。

 そしてその原因を探るために守人達が蝕まれた身体で村の外に行ったきり戻っていないと老人は弱々しくフォルクに告げた。


 「…クローディア、僕達の水を村のみんなに飲ませて来てくれないかい。長耳種も半長耳種(ハーフエルフ)も周囲の環境、とりわけ水に関しては特に影響を受けやすい。もしあの大水郷の水が原因なら幾分いい筈だ」

 「私達の分が無くなる…なんて言ってられないわね。わかったわ」


 クローディアは水の入った革袋を取り出すと、民家を出て行く。

 フォルクは老人と老婆をそれぞれ寝床へ運ぶと更に話を聞き出していた。


 「じいちゃん、いつ頃からこうなったんだい? 湖だって真っ黒だった」

 「…それが…わからんのだ…。少なくとも…三十日程前から…若い者達が不調を…訴え…だしてな…。それから十日もした頃から…、儂等老人達にも…体調を崩す者が現れ…始めた…。その頃にはもう…既に若者全員が蝕まれておったが…、病を推して調査に出て行ったきり…戻ってきて…おらん…。儂等が見た時はまだ…湖も濁っては…おらんかったから…な…」


 里を襲った病はいつの間にか里全体を蝕み、気づいた頃にはまともに動ける若者はおらず、その原因すらも掴めず仕舞いと言う状況だった。


 「フォルク。みんなに水、飲ませてきたわ。それと瘴気に少しは落ち着いたみたい。…でも気休めね。村に残っていたのは数人の子供と大人、あとは老人ばかり。特に子供達の状態はかなり酷いわ、このままじゃ数日と持たないかも」

 「…今動けるのは僕達だけだ。なんとしても僕達が原因を突き止めて何とかしないと…」

 「フォルクは…大丈夫なの? あなただって半長耳種、無影響とは思えないけど」

 「…ああ、もう僕も蝕まれ始めてる。さっきから頭痛がしてるんだ。だから動ける内に、ね」


 フォルクが頭を押さえながら髪を搔き上げるとフォルクの側頭部にも小さな黒点が現れていた。

 

 「フォルク…もう儂等は…お前に頼る他ない…。儂の部屋に…弓がある…。かつて創造神様と共にいた…儂等の先祖の使っていた凄弓だ…、まだ加護は消えてはおらん筈…。…何かの助けに…なるやも知れん…。お前一人に…背負わせて申し訳無いが…村の皆を…、この大水郷を…、救って…おく…れ…ゲホッ…!ゴホッ!ゴホホッ!ガッ…ガフッ!」

 「じいちゃん!」

 「水を飲ませるわ!」


 クローディアは革袋の水を口に含むと老人に口移しで水を与えると突然悪化した容態は直ぐに静まり、呼吸も幾分整う。

 それはフォルクが想定していた結果より大きい効果が出ていた。


 「クローディア、これは…」

 「私がいなきゃ危ない所ね。ホントはあんまり無闇にやりたくはないんだけどお爺さんを蝕んでた瘴気を"魔素吸収(エーテルドレイン)で魔素と一緒に吸ったのよ。瘴気ってのは澱んだ魔素だから」

 「でもそれだとクローディアが蝕まれるんじゃ…」

 「ああ、私? 前に言ったでしょ、私の出身。私、大砂海の中の村の生まれだから瘴気には強くてね。"自浄作用"っていうのかしらね、特に私達"淫魔種(サキュバス)"は瘴気すらも魔素に換えられるから、瘴気の心配は多分いらないわ」


 クローディアはそう言ってフォルクの祖母からも魔素吸収を試みると一息ついていた。


 「村に残ってる人達はこれで終わりね。…で、行くんでしょ、この瘴気の原因を探しに」

 「ああ、クローディアが吸い出したからと言っても一時凌ぎに過ぎない。このままじゃ多分大水郷も村も、森全体が蝕まれてしまう。そんな事はさせないよ」


 フォルクは頭を抱えながらも立ち上がり、彼の祖父の部屋へと向かう。

 かつて先祖が使っていたと祖父が話す弓を取りに。


 「小さい頃は触らせてもくれなかったけど…、そんな事言ってる場合じゃないか」


 壁に掛けてある古ぼけた弓、それを見上げていたフォルクが手を伸ばした。

 弓を手に取ったフォルクは射つ振りをしたりして弓の状態を確かめる。


 「少し埃は被ってるけど軽くていい弓だ、弦も弓も上等な素材が使われてるね」

 「うっすらだけど魔素が残ってるわね。これがお祖父さんの言ってた"加護"なのかしら」


 フォルクが手に取った弓にクローディアが触れる。

 クローディアによるとその弓には薄っすらとした魔素が宿っており、弓そのものを覆っているようだ。


 「わからないけど多分そうだろう。さ、僕自身もそんなに時間が無い筈だし、早速行こう、クローディア」

 「そうね、辛かったら言って、私が瘴気を吸ってあげるわ」


 二人は瘴気に蝕まれた村を後にしてまずは大水郷に流れ込む滝の上を目指す。

 切り立った崖や朽ち倒れた木々が途中いくつもあったが、その度にフォルクがクローディアを抱きかかえて飛び越えていた。


 漸く二人が滝の上へとたどり着くと、そこには村の守人らしき半長耳種の青年が二人が倒れていた。

 すでにかなり蝕まれている所為か、側頭部から首筋にかけた刺青の様な痕が滲み出している。


 「おい、大丈夫か!?」

 「…かなり蝕まれてるわね。…失礼」


 クローディアが二人の半長耳種の青年に接吻ると浅く短くなっていた呼吸が幾分か元に戻る。


 「これで大丈夫かしらね。…フォルク?」


 二人の瘴気を吸い、処置を終えたクローディアはフォルクが鬱蒼と茂った木立の向こうを睨んでいる。

 そして瞬く間に弓を手に取り、矢を放った。


 「キャワンッ!」

 「クローディアッ、囲まれてる、気をつけてっ!」


 木立の陰から一匹の魔物がゆっくりと倒れる。

 その姿は皮が所々から剥がれ、青黒い肉を覗かせた狼でフォルクの放った矢が頭を半分吹き飛ばしていた。


 「グルルル…」

 「…瘴気の影響ね。不死種(アンデッド)の魔物、腐餓狼(ロトンウルフ)よ」

 「ああ、こんな魔物、昔はいなかったからね…」

 

 木立の陰から現れたのは同種の魔物、それが七匹。

 姿を現わすと同時に辺りに瘴気混じりの腐臭が立ち込める。


 「奴らの爪と牙は色んな毒が含まれてるわ、気をつけて!」

 「グワウッ!」


 腐り果ててなお血に飢える七匹の腐餓狼が一斉に二人に襲いかかってくる。

 しかし二人は慌てる様子もなかった。


 「"速射(ラピッドショット)"ッ!」

 「"影槍(シャドースパイク)"」


 フォルクが飛び掛かってくる腐餓狼へ矢を射かけ、クローディアが地を走ってくる腐餓狼へ影から生み出した無数の槍で応戦する。

 腐餓狼の身体は腐り果てているが故に防御や回避を行うと言った知能は無く、肉体の強度も無い。

 その為、二人の攻撃をまともに受けた腐餓狼は頭や胴体を弾けさせてその場で力尽きていた。


 「あと三匹…!」

 「いや、四匹ね」


 フォルクの矢を受けた腐餓狼の一匹が首に矢を受けたまま立ち上がる。

 本来ならば急所と言える箇所だが、肉体が健在ならば幾らそういった場所に攻撃を加えても致命傷とはなり得ない、不死種ならではの特性だ。

 

 「ウゥゥゥ…ガァウッ!」

 「…きゃッ!」


 猛毒の爪と牙を剥き、一匹の腐餓狼がクローディアに飛び掛かるが、彼女は短く叫びながら持っていた杖を両手で受け止める。

 腐り果てて不揃いとなった牙が杖に食い込むと、ギリリギリリ、と軋む音を立てていた。


 「…クローディアッ!」


 フォルクがすぐに振り返り、クローディアの杖に食らいつく腐牙狼へ矢を放つと胸から下を吹き飛ばして辺りに肉片が弾け飛ぶ。

 しかしながら上半身だけとなったにも関わらず、杖に食らいついたまま離そうとはしなかった。


 「…しつこいのよッ!」

 「キャワウッ…!」

 

 下肢を失い、踏ん張る力を失ったところをクローディアはすかさず杖ごと木に叩き付ける。

 頭から叩き付けられた腐牙狼は頭が潰れ、脳漿を撒き散らすと漸く力を失いクローディアの杖から離れて、鈍い音と共に地面にずり落ちた、ら


 「…ふう、危なかったわね。助かっ…フォルク後ろッ…"邪歪力(イビルフォース)"ッ!」

 「ギャンッ…!」


 フォルクに援護をしてもらい、礼を述べようと振り返るとその背後から襲いかかろうとしている腐餓狼を発見したクローディアは即座に自分自身に於ける最大の魔術を放ち、今度はフォルクに降りかかる攻撃を防いだ。

 不可視の強力な力が腐餓狼を襲うと、咀嚼するようにあらゆる方向から圧し潰し、青黒い血を噴き出させながらあっという間に肉と骨が入り混じった塊へと変貌させる。


 「あと二体、大丈夫かいクローディア?」

 「…ええ、瘴気のお陰で魔素欠乏にはなってないわ、まだ動ける!」


 残った二匹の腐餓狼は仲間が全てやられても怯む事無く二人に向けて走り込み、両の前脚を広げて飛び掛かってくる。

 不死種であるが故に恐怖と言った感情は無いらしい。


 「こうなればただ単純なだけね!」

 「ああ、お終いだッ!」


 フォルクの放った矢が、クローディアの振り抜く杖の先端が腐牙狼の頭を吹き飛ばす。

 頭を失った腐餓狼はそのまま地面に突っ伏し、再び立ち上がると、しばらくは何があったのかすら理解をしていないかの様にゆっくりと一歩、二歩と足を進めるが、直ぐに力尽きてゆっくりと横たえ、二度と動かなくなってしまった。


 「頑丈さは無いけどこの生命力は侮れないね…」

 「ええ、頭を吹き飛ばすか、身体ごとバラバラにしてやるか。あとは私達には出来ないけれど纏った瘴気を浄化してやるか生命力を逆転させるか、それが不死種を倒す方法ね」


 仕留めた腐餓狼の死骸を見てフォルクが溢す。

 そして彼はその近くに流れるどす黒く濁った川が滝へと注いでいるのを見つけた。


 「…放っては置けないけれど…」

 「…ああ、村まで運んでる余裕はない、今はこの原因を突き止めるのが先だね」


 そう言ってフォルクは川の上流へと足を踏み出そうとするが、クローディアは逆に踏み出そうとした足を逆に止める。


 「…フォルク、首。あなたかなり無理してない?」

 「…そんな事はないさ。それに今里の人間で動けるのは僕だけだ、僕が行かないと。クローディアこそ、魔素使い過ぎたりしてないよね?」


 フォルクの横顔に出来ていた黒い斑点はいつの間にか進行し、先程見た若い半長耳種の守人と同じ様に首筋にまで伸びようとしていた。

 それに気づいたクローディアが彼に問い質すと彼は後ろを向いたまま戯けた様な仕草でそう返す。


 「ご心配無く、私は瘴気のお陰ですぐ回復できるわ。…辛くなったらちゃんと言ってね、あなたまで倒れられたら私一人じゃ手に負えないから…」

 「…ああ、わかった。気をつけるよ」


 二人は川の上流を目指し、更に森の奥へと進む。

 森を、大水郷を、村を蝕んだその瘴気の原因を探る為に。

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