第百二十七話:海上市場
『船長、見えました!』
『漸く見えたゲロね、まだ遠いゲロがあれが大魔大陸は魔族の治める地、デモンガルドの南に広がる大砂海マー・アンバールですゲロ!』
ブルックが指差す先、まだ遠くにしか見えないが紫がかった霞の奥にかすかに陸地が見える。
グリモルテ大魔大陸の南側にある大魔帝国デモンガルド、その国土の大半は砂漠や岩場に覆われており、その東側に広がる広大な砂漠は大砂海マー・アンバールと呼ばれている。
瘴気に覆われている為、遠くからでは紫がかって見えるが、近くで見ればそこには美しく輝く琥珀色の砂の海が広がっているのだそうだ。
とは言え砂漠と言う厳しい土地柄故、強力な魔物も多く生息しており、不用意に踏み込んで倒れ、砂漠の砂に飲み込まれていった冒険者達も星の数程いると言う話だ。
「冒険者にとっては天国とも地獄ともされる地…ですわね」
「一度訪れた冒険者は地獄だったってみんな口を揃えて答えるわ。天国なんて言ってるのは一度も訪れた事のない冒険者くらいのものよ」
アンリの何でもない呟きにクローディアが反応を返すと、俺を含めて全員がクローディアに視線を向ける。
「やけに詳しいじゃねェか、行ったことあンのか?」
「そりゃあ行ったも何も、私の故郷の村、その大砂海の中にあるんだから」
レオがクローディアに尋ねると、彼女は自身の故郷とそれを取り巻く環境について語り始めた。
「大砂海を南に抜けた先には迷宮探索を目的にした冒険者で賑わう街、ラビリアがあるけれど幾ら実力のある冒険者でも大砂海を進む命知らずは殆どいないわ。仮に大砂海を進んだとして本当に縦断できるのはごく一握り、大抵は魔物にやられるか、あるいは飢えと渇きに倒れるかのどちらかね。いつかラビリアに向かうのなら多少遠回りでも西岸の"病める岩場を抜けるべきだわ。まぁ今の私達にはまだ関係のない話だけれど」
俺達の中でも彼女は唯一の大魔帝国デモンガルド出身であり、彼女だけが知る大魔帝国と言う土地、その取り巻く険しい環境、彼女の口から事細かに語られる情報の数々に俺達は静かに耳を傾けていた。
『北に針路、面舵一杯、ゲロォ!』
『『アイアイ船長!』』
ブルックが喉を鳴らしながら威勢良く号令を発し船員一同が小気味のいい返事を返すと甲板の上がやや忙しなくなる。
『さてセオドア様方、この船はこれより北へ針路を変えて大魔大陸東岸沿いを進みますケロ。現時点で全航海計画の三割から四割程を終える所ですケロ』
いつの間にか副船長のゼネルが俺達の背後に着くと現在の航海状況について報告を始めた為、それに応じる形で一点だけ彼に尋ねたい事があった。
『そう言えば一つ気になってたんですが…』
『何ですケロ? 私でわかる事であれば何でもお答えいたしますケロ』
俺がその点について尋ねようとすると、ゼネルは温和な表情で質問を受けようする。
『でしたら…食料の件ですがこの船に始めて乗った時に色々案内してもらいましたけど、最初はその量に驚きましたが今になって考えたら…』
『足りないのでは、そう仰りたいと言った所ですケロね。確かに現時点でこの船に載っている食料は持っておよそ二十日分、とても魔導連邦までは持ちませんケロ』
ゼネルは表情を崩す事無く淡々と俺の質問に回答する。
海上における食料の備蓄は当に死活問題だが、彼は何一つ心配は無いと言わんばかりだ。
『では、どこかの港に寄港する予定ですか?』
『いいえ、その予定はありませんケロ…ですが数日後にわかりますケロ。それまでは秘密と言う事でどうか宜しくお願い致しますケロ、ケロケロ』
補給の為の寄港はあるのかとな尋ねるとゼネルははっきりノーと示し、少しだけ含み笑いを浮かべながら秘密だと言葉を濁した。
らしく無いゼネルの態度に俺達は全員揃って首を傾げつつも、彼の"数日後にわかる"と言う言葉を呑む事にした。
ーーー
ゼネルの話を聞いて五日が経ち、船は相変わらず北に向けて進んでいた。
一時は見えていた大砂海マー・アンバールも今は船の周辺に濃い靄がかかっており、視界に全く映らない。
靄が一層濃くなったあたりでブルックが船長室から姿を現わす。
『んん、この辺りゲロ。停船の準備ゲロォ!』
『帆をたたんで錨を降ろすケロォ!』
『『アイアイ、船長!』』
ブルック、ゼネルの号令で船員達が突然、海の真ん中、靄の真っ只中で停船の準備を進めだす。
突然の意味不明な行動に俺達は呆然と見ている事しか出来なかったが、その直後に靄の奥に動きがあった。
「セオ、船だ!小さい船が沢山近づいてきてる!」
フォルクが靄の中から近付く多数の船を察知するが、停船した船はどうする事も出来ず、統率された動きであっという間に取り囲まれてしまう。
フォルクの小さいと言うのはあくまでこの船と比べてでの話であり、実際はアトラシアからガルムスに至るまでに乗った連絡船程の大きさではあるが歴とした帆船だ。
『ブルック船長、囲まれた!』
俺はブルックに呼びかけながら背中の騎士剣に手をかけるが、ブルックは隣に来ると左手で剣を抜く必要は無いと合図し、取り囲んだ帆船に対してハンドサインを送る。
『ゲロゲロゲロゲロ…、慌てなくても敵じゃないゲロ。まぁ見てるゲロ』
「…?」
ブルックの言葉を信じて帆船の一団を見ていると、
各船から船員達が長い板を取り出しては隣の帆船同士に橋渡しし始めており、中央の船からはこちらの船に
一際長く太い橋となる板が渡される。
全ての船が行き来出来るようになると同時に中央の船から渡された橋を渡ってサーベルを腰に挿した男がこちらにやって来た。
『どーもどーも、海賊ですよっとォ…。金目のものを置いて…必要なもんはあんのかい?』
飄々とした態度で瘦せぎすの男が海賊と名乗った瞬間、俺は再び騎士剣に手をかけそうになるが、男から戦闘の意思は全く感じられず、ましてや略奪行為や戦いに身を置く様な姿ではない事に気付いて手を戻す。
よく見れば男は人族とも獣人族とも付かぬ姿ではあるが、それ以前に男性の様な体格ではあるが女性の様に胸の膨らみも見受けられる。
加えて仮面の様なもので目と鼻を隠しているがその顔はけむくじゃらで、頭の左右に二本の巻角が伸びている。
『お世辞にも海の男には見えないからつまらない冗談は止すゲロ』
『へっへっへ…ジョークよ、ジョーク。久しぶりだなぁブルック、皇帝様は元気かい?ってか乗ってんのか?』
どうやら帆船団を率いてきたこの男はブルックや他の船員達とは旧知の仲の様だ。
男はこちらの船に飛び乗ってくるなりブルックの肩に手を回してニカッとした屈託の無い笑顔を見せ再会を喜んでいる。
『ブルック船長、この人は?』
ブルックに尋ねると、返答しようと口を開きだすブルックの前にこの男は割って入ってくる。
『オイオイオイオイ見ない顔だなぁ、帝国ご自慢の大型帆船にまさか人族に魔族まで乗ってるたぁ珍しい。んアンタは皇族だなぁ、…ああ隠さなくてもいい、グリオネール皇子だろう? わかってるわかってる、皆まで言わなくていい。皇子が直下の家臣も連れずにいるってことはそういう事だろ、まぁ言いふらしたりはしねぇから安心しな』
男は俺達に馴れ馴れしく近寄って来ると、一人でベラベラと勝手に話を続けた。
だが察しはいいのか、話す内容はこちらの事情を捉えており、俺達はただただその異様さに面食らっていた。
『あー…、セオドアさん。この山羊頭種の男はアシュレイっていうゲロ。見ての通りの変人ではあるけどこの商船団を纏めてる大店ゲロ』
「へっへっへ、まぁ名前なんてなんでもいいやな。信じられるのはまず金だ。金さえあれば大抵のモンは手に入る。買えないモンなんてせいぜい二つ目の命ぐらいのもんだ。アンタら金の匂いがするなぁ…まぁ欲しいモンがあったら言ってみな、大抵のモンは揃ってる。さぁさぁ海上市場開催開催、ってな」
アシュレイが手を叩くと商船団の乗組員達が一斉に風呂敷を広げ商品と看板を並べ始める。
靄に覆われてはいるが船上は一気に活気に満ちた市場へと変わり、商人達の呼び込みの声があちらこちらから上がり始めた。
それと同時にゼネルが補給の為に寄港はしないと言っていた意味を理解した。
『さて…あっしらは食料の調達に行ってくるゲロ。半日程はここにいるんでセオドアさん達はこの海上市場をゆっくり見て貰って構わんゲロ』
『商人だけでなく鍛治師なんかも揃っていますケロ。一つの街にあるような商店や施設は一通り揃ってますので長旅のリフレッシュに活用していってくださいケロ』
ブルックとゼネルはそう言ってがま口の鞄を袈裟懸けにして商船へと向かって行くと、船員達も財布を握りしめ、数人の舟番を残してそれに続く。
「俺達も行ってみようか」
一度船室に財布を取りに戻った後、俺達は思い思いに船上市場を歩き回る事にした。
ーーー
商船団にはゼネルの言っていた様に商店のみならず、宿泊施設や鍛冶屋、賭場、果ては娼館までもが揃っていた。
甲板だけではなく船室に至るまで、全てが商業施設なのだ。
一通り見て回った後、俺は食料の買い付けを行っているブルックとゼネルを発見した。
『六十日、約六十人分の食料か…。その量だとウチだけじゃ用意しきれねェな…』
食料品を売っている商人はブルックの要求に対して眉間に皺を寄せていた。
話を聞く限り約四千食分の食料と言う事で個人の商人にはどうにもならない様だ。
『どうにかならんゲロ?』
『ウチだけじゃ、な。おーいみんなー!』
店主が他の仲間達を大声で呼ぶと直ぐに他の船から同様に食料品を扱う商人達が続々と集まってくる。
『…こっちは五百食分までなら用意できるぜ』
『ウチは千食だ』
『くうーっ、ウチは百食分…こんなんだったらもっと仕入れときゃ良かった…』
食料品店の店主達はひと塊りに集まって四千食分の食料を売る会議を始めていた。
四半刻も話さぬ内に話がついたのか、店主達はそれぞれの商店へと戻ると、先程ブルック達が話していた店主が算盤を弾いている。
『よっしゃ、四千食の食料をかき集める算段がついたぜ。とりあえずウチから直ぐに用意できるのは五百、他の商店からは合計で千五百だ。残りは夕刻までに準備できる。それでいいかい?』
『ああ、構わんゲロ。お代はどうすればいいゲロ?』
『そっちが納品の確認終わってからで構わんぜ、白金貨で三枚…って言いてえ所だが会長の恩人でお得意さんとありゃあそうだな…白金貨二枚と金貨六枚でどうだい?』
『わかったゲロ、納品は夕刻に纏めて頼むゲロ、じゃあまた後でゲロ』
『あいよ毎度ありっ!』
商談が成立し、ブルックは店を後にすると俺に気付いた。
『おおセオドアさん、楽しんでるゲロ?』
『はい。海のど真ん中なのに凄いですね、街の市場とまるで変わらない。それはそうと、さっき店主が夕刻までに届けるって言ってましたけどここまでどうやって運ぶんです?』
『それは良かったゲロ。とりあえずあれを見るゲロ』
ブルックは俺の質問を聞くと、その回答として先程の食料品店の店主を指差した。
店主は傍らに置いていた籠を開けると中から魔獣として飼っている小型の鳥種を取り出し、その脚に手紙を括り付けては空へと放す。
空に放たれた鳥種の魔獣は僅かにバタついた後、方向を見定めると矢のような勢いで飛び去っていった。
『あんなの始めて見たな…』
『セオドアさんは確かアトラシアの出身ゲロ? だったら馴染みが無いのは仕方ないゲロ。アレは調教の末、魔獣化した音速燕ゲロ。とにかく速い鳥種の魔物で半日足らずで大魔帝国を縦断する程ゲロ。ここの店主達はみんな飼ってて、ここに商品を置いて無くとも注文が入れば直ぐに大魔大陸にある自分の店に飛ばして取り寄せるゲロゲロ』
伝書鳩、いや伝書燕か。
この世界にもやはりこういった通信手段は存在していたらしい。
とは言え、魔獣として魔物を調教する技術については魔族の得意分野であり、魔族の国、大魔帝国デモンガルドがある大魔大陸においては民間にも浸透した技術であるのに対して、魔族との繋がりが浅いアトラシアやドルマニアン、ガルムスではまだまだ浸透し切れていない技術である。
故にそちらでは一般的には使われてはおらず、認知されていないのが現状のようだ。
『注文書を受け取ったら直ぐに商品を用意して各街にある彩巨鳥タクシーを使って運んでくるわけですケロ』
『彩巨鳥タクシー?』
『彩巨鳥は白蛇山脈に生息する色鮮やかな羽を持つ大型の鳥種ですケロ。調教されて魔獣化した彩巨鳥を使って、大魔大陸では荷物や人の輸送に役立っているのですケロ』
話を聞く限り、大魔大陸には他の大陸とは異なり、陸送、海運に加えて空輸の概念が存在する様だ。
それだけでも大魔大陸には高度な文明が存在する事が窺える。
『さて、あっしらはもう少しばかり必需品を見ていくゲロ』
『ですので我々に構わず、海上市場を楽しんで行ってくださいケロ』
ブルック達はそう言って別の船へと移動を始める。
それを見送った後、俺も再び別の船へと足を運ぶ事にした。




