第百二十六話:航路異常なし
半魚人達の縄張りとなっていた縄張りを抜けてから数日が経ち、俺達の航海は順調に進んでいた。
魔物襲撃自体はやはり何度かはあるが、何れも下級の魔物で小規模故に船員達だけで何とかなってしまう程だ。
船室でただのんびりとしているだけというのも彼らに申し訳ないと考えていた。
ブルックやゼネルは寛いでいて構わないと言うが、このままでは体や勘が鈍ってしまう。そこで俺達は他船員達を手伝う事を提案する。
厳密に言えば、大きく分けて見張り、炊事、掃除、訓練である。
見張りはフォルクとレオ、炊事はクリスとアリーシャ、掃除はクローディア、訓練については俺とアンリがそれぞれ分担するが訓練については他の五人についても日替わりで参加する。
襲撃自体も小規模かつ稀である為、訓練に参加でもしておかないと体が鈍ると言うのはレオとアリーシャの談だ。その点については全員概ね賛成であり、自身の持ち場の手が空いた場合は自由参加という形にする様にした。
専ら俺とアンリについては指導側と言う立場での参加になっているが、俺達も船員達と一緒に甲板を走り込んでいる。
『ゼェ…ゼェ…、あの二人の体力…俺達以上なんじゃねェか…?』
『…ああ、さっきから休まずに甲板ずっと走ってるけど…、もう何十周したか…』
『…もう…、二十周から先は数えてないわ…ハァ…』
『まだ船長の方が…、ゲホッ…、楽だった…』
走り込みから脱落した船員達がマスト周辺で大の字で寝転びながら愚痴をこぼし合う。
大半が既に脱落しており、残っている船員も皆揃って這う這うの体で必死に食らいついている。
「イッチニッ、イッチニッ…、と…これで六十周ぐらいか、アンリはまだいけるか?」
「ええ、まだまだいけますわ。この号令走、走るリズムが作りやすくていいですわね」
先頭を走る俺達は雑談を交えながら走っているが、その後ろを走る船員達はと言うと、少し遅れて皆必死の形相だ。
『はいはい皆さん、声が出てませんよ!元気よく声出して行きましょう!イーッチ、イーッチ、イッチニッサンシッ!』
『『…!…イーッチ、イーッチ、イッチニッサンシッ…!』』
船員達は半ばヤケになりながら気力を絞り号令に続く。
限界寸前ではあるのだろうが身体能力では人族には負けないと言う獣人族のプライドが彼らを支えているのだろう。
甲板の上とは言え、非常に広い甲板を何十周も走り通しで特にリタイアが多いのは瞬発力に優れる猫人種や豹人種等、逆に犬人種や狼人種は疲れは見えているもののまだ少しばかり余力はありそうだ。
更に十周強を走り、俺は後ろを振り返る。
『じゃああと二十周で終わりにしましょう!』
食らいついていた船員達の表情が晴れる。
終わり無く感じていた号令走の終わりが見え、船員達は号令を上げる声を大きくする。
『その代わり、ペース上げて行きましょう!はいイーッチイーッチ、イッチニッサンシッ!』
『イーッチイーッチ、イッチニッサンシッ!』
『『…イーッチイーッチ、イッチニッサンシッ…』
晴れかけた表情が再び曇り、船員達の余裕が再び消え失せる。
そんな中、船内の掃除を終えたクローディア並びに共に清掃にあたっていた船員達は船内へ続く階段の中から甲板の様子を覗いていた。
『言っとくけど私はあんな体力ないからね?』
『『う、ウス』』
『あんまり早く終わらなくてホント良かったわ…』
走り込みが終わるとどうにか食らいついていた船員達も脱落した船員達と共に甲板に大の字になっていた。
『じゃあ少し休憩にしましょう。しっかり足や手を伸ばして怪我には注意して下さいね』
『『…ウス…』』
船員達は誰一人として立ち上がれず、体も起こさないまま弱々しく返事を返す。
俺とアンリは死屍累々の船員達を他所に柔軟体操を始めていた。
そんな中見張りをしていたフォルクの声が聞こえてくる。
「セオ、正面から大きめの鳥種の魔物が二体近づいてきてる、多分海禿鷹だ!」
フォルクから魔物の名前が挙がると船員は慌てて立ち上がろうとするが、疲労仕切っていた船員達はすぐには立ち上がれずにいた。
「了解!…みんな疲れ切ってるな…、アンリいけるか?」
「ええ勿論、準備運動の延長線にはもってこいの相手ですわ」
アンリは手首を交互に伸ばしながら、視線をこちらに向かってくる海禿鷹に向ける。
海禿鷹もアンリが相対する相手と認めたのか、二羽の内の片方が首を上げるとアンリ目掛けて急降下を仕掛けてくる。
「クエェーーッ!」
「…今晩は夕食が一品増えそうですわね」
そんな事を呟きながらアンリは海禿鷹の突撃に合わせて跳躍すると、鋭い嘴を自身の心の臓に突き立てようとする海禿鷹を前に上体を逸らして突撃を躱す。
「見切れない速さではありませんわね。これなら槍も必要なさそう」
海禿鷹は突撃を躱された事に腹を立てたのか振り返ると単調にも同じように突進を繰り返した。
アンリも再び同じ様に跳躍し、突撃を仕掛ける海禿鷹の長い首筋に右手を添えると一気に海禿鷹の首を鷲掴みにする。
「グ…グエッ…!?」
アンリに首を鷲掴みにされた海禿鷹は絞り出したような鳴き声を上げながら巨大な翼を振り回すが、アンリの手は万力のようしっかりと首筋を捉えており離れる事はない。
「はいっ!」
空いていた左手が同様に首を捉えると、アンリは掛け声と共に両手に力を加える。
鈍い音が鳴ると同時に暴れていた海禿鷹はぐったりと力を無くし、物言わぬ姿となっていた。
「セオ様、もう一羽がそちらへ!」
「…大丈夫、わかってる」
一羽を仕留めたアンリがもう一羽の動向に気が付き俺に声をかける。
勿論、俺は片方をアンリに任せた手前、もう一羽の動向に注意を払っていた。
俺を狙った海禿鷹は急降下してくると、アンリに仕留められた方とは異なり、今度は鋭い蹴爪を光らせていた。
「ギャッ、ギャッ、クエエッ!」
「んっ、んっ、…来たな、…"爆風"ッ!」
伸脚運動をしながら俺は海禿鷹に右手を伸ばすと、その掌から風の塊を破裂させた様な激しい爆風を巻き起こす。
「グエッ!?」
爆風にあおられてバランスを崩した海禿鷹は羽毛を撒き散らしながら側頭部から甲板に叩きつけられると、何が起きたのかわからないといった様子で甲板に突っ伏したまま混乱していた。
「グエ」
「よっと…一丁あがりっと」
腰に挿していた短剣で首を落とすと、海禿鷹は一瞬だけ短い鳴き声を上げて絶命した。
アンリが仕留めた海禿鷹を受け取り、同様に首を落とすと、脚を縄で縛り上げ、甲板の外に逆さにして吊るす。
「後でクリス達のいる厨房へ持って行こう」
「あの大きさならローストが良さそうですわね」
俺とアンリが仕留めた海禿鷹は決して雑魚と言える様な魔物ではない。
魔物としての位階はA−と並の冒険者では心臓をその鋭い嘴でひと突きにされてしまう者も多く、船乗り達の間では"海の刺突者"として恐れられる魔物である。
『おいおい、マジかよ…』
『"海の刺突者"をあんなに動いた後で軽く遇らっちまいやがった…』
船員達はあっという間に魔物を仕留めた俺達に目を丸くしている。
改めて大きな力の差を目の当たりにして驚いていると言った所だ。
『さて、と…実戦訓練、やりましょうか』
「クローディアさんも、見てばかりではお暇でしょう? 手が空いてるんならこちらへ来て一緒にいかが?」
俺とアンリは船内へ続く階段の方に顔を向けていた。
「バレてたわね…わかったわよ、やればいいんでしょ!」
観念したかの様にクローディアが一緒に掃除をしていた船員達と船内から甲板へと出てくる。
「で、実戦訓練って? 一対一で船員と戦えばいいの?」
投げやりな態度で出てきたクローディアは面倒くさそうに尋ねてくるが、俺とアンリは首を振る。
「言っただろ、実戦訓練って。この間、半魚人達と戦った時ってどんな状況だった?」
「どんな状況って…そりゃあ大量の半魚人を相手にしてたけど、…まさか」
クローディアは俺からの不穏な質問とその内容に気付き顔を引攣らせて苦笑いを浮かべる。
それとは対照的に俺とアンリは口元を上げて笑みを浮かべた。
「ひいふうみい…、まぁ数はあの時程じゃないにしろ、皆んなには半魚人側のつもりでかかってきてもらう。まぁこちらからすれば半魚人達に囲まれた時の俺達、向こうからすれば指揮者半魚人達を囲んでた時の俺達を想定する感じだな」
『皆さん、これから私達三人で皆さんをお相手しますわ。準備運動の時点でぼろぼろの皆さんでは闘技大会を制したセオドア様擁する我々の相手にならないかも知れませんが、遠慮なさらず全力でかかってらっしゃいまし』
船員達はアンリの挑発に焚きつけられ、続々と立ち上がる。
獣人族は己の肉体に絶対の自信を持っている為、一般的に身体能力で勝る人族や魔族にハンディキャップをつけられる様な事を言われては黙ってはいられず、船員達は怒りというよりは殺意に近い闘志に火をつけていた。
『人族が調子に乗りやがって…!』
『グリオネール殿下に勝って優勝したからって何だ…』
『アタシら虚仮にしちゃタダじゃおかないよ…!』
船首付近で俺とアンリは腕を組んだまま立ち上がる船員を眺めていたが、クローディアはそんな船員達を見て慌てふためいている。
「んーん、いい反応。やっと本気出してくれた」
「安い挑発ですが、獣人族の皆さん達には本当に効果覿面ですわね」
「ちょっ…、獣人族焚きつけてどうすんのよ!…もうっ、禁じ手は!?」
「即行動不能にするのと大怪我させるのはナシで!…来るぞっ!」
怒りを露わにした獣人族の船員達を前にクローディアも腹を括った様だ。すぐに視線を船員達に向けて翼を広げ、手に魔力を練り始めた。
ーーー
「何やら上が騒がしくなってますね」
「魔物でも現れたのかしら…」
厨房ではクリスとアリーシャは夕食の支度を手伝っていた。
「いや、セオ達が実戦訓練とか言って船員達を相手に大立ち回りしてるだけだよ」
クリスとアリーシャは食堂にやって来ていたフォルクの声に振り向く。
「ああフォルクさん、見張りはいいんですか?」
「少し休憩中、今はレオが見張ってくれてるよ。はいアリーシャさん」
「…これは?」
「海禿鷹だよ。さっきセオとアンリが仕留めたんだ。血抜きは終わってるし、羽毛は僕の方で処理しといた。食べられそうかい?」
アリーシャは唐突に下処理の済んだ海禿鷹を渡されて少し困惑するが、すぐに状態を確認して頷いた。
「少し匂いはキツいですが…、幸いここの厨房には香辛料も充分にありますからなんとかなるかと。匂いさえなければ脂乗りも良さそうな上等な肉ですね。腕がなります」
「そう、良かった。そういえばアンリがローストにすれば良さそうとか言ってたよ。じゃ、僕はそろそろ持ち場に戻ることにするよ」
フォルクはそう言ってヒラヒラと手を振りながら甲板へと戻って行く。
「これはローストよりも香草で臭みをけしながらのグリルの方が良さそうですね。クリスティン様、忙しくなりますがお手伝い頂けますか?」
「ええアリーシャ、勿論よ」
甲板の訓練組と同様、厨房でも女二人の戦いが始まろうとしていた。
ーーー
「ハァ…ハァ…、もう無理!もう無理だから…!」
「これしきで根をあげるなんてだらしないですわ、クローディアさん」
「まぁまぁアンリ、クローディアさんは元々前衛じゃないし仕方ないさ」
甲板の上での実戦訓練が終わり、クローディアは尻餅をついて上がった息を整えていた。
俺達も側にいるが、傍らには積み上がった船員達がぐったりとしている。
『ぐ…クソッ…!』
『なんて…強さ…なの…』
『まともに…ハァ触らせても…くれないゲホッ…なんて…』
『まさか船員同士で…殴り合いをさせられるとは…!』
俺とアンリは船員達の攻撃を受け流しながら戦っていたが、クローディアはと言うと攻撃を必死に躱しながら魔術で視界を奪ったり、時には幻覚を見せながらの搦め手を駆使して戦っていた。
『やれやれ、これだけの人数でかかっといてこれじゃあガルムス一の船乗りも形無しゲロ。セオドアさん、今後もこいつらの訓練を頼むゲロ』
『ああブルック船長、お疲れ様です』
『それはこっちの台詞ですケロ。我が部下達ながら面目ありませんケロ』
船長室からブルックとゼネルは顔を出すと、申し訳なさそうに挨拶をしてくる。
『航海の方は順調に進んでいるんですか?』
『問題ありませんケロ』
『明日には一度大魔大陸が見えてくる筈ゲロ』
まさかの早さに俺は驚くが、ブルック達は首を横に振る。
『と言ってもまだ大魔大陸の南側、デモンガルドの大砂海が見えるだけゲロ。あっしらの目的地は大魔大陸の北側に位置するルミネシア魔導連邦ゲロ』
『まだ全航海計画の半分も終わってませんケロ。船旅はまだまだ続きますケロ』
『…ですよね』
少し落胆はしたが、よくよく考えれば当たり前の話だ。それでもアトラシアからドルマニアン間を移動するのに使った定期船に比べると明らかに早い。流石はガルム帝国擁する大型帆船と言った所だ、速さがまるで違う。
『まだまだ不安要素がいくつかあるゲロが…、セオドアさん達なら何とかなる筈ゲロ』
『完全にあてにしているつもりはありませんケロ、いざと言う時はよろしくお願いしますケロ』
『ええ勿論。あくまで僕達の旅ですし全部おんぶに抱っこと言うわけにはいきませんから』
丁寧に頭を下げるゼネルに俺は胸を叩くと、傍らに積み上がった船員達を一瞥して苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
『…そう言って頂けると助かりますケロ。不甲斐ない船員達で申し訳ありませんケロ』
『ほらお前らいつまで寝てるゲロ。もうすぐ夕飯ゲロ、さっさと準備に行かないと夕食抜きゲロ!』
ブルックがそう言うと先程まで精も魂も尽き果てていた船員達はすぐに起き上がり食堂へと階段へと駆け下りていってしまった。
『ったく…現金な奴らゲロ…』
『兎にも角にも、船員達の訓練を頼まれて頂きありがとうございますケロ…』
ブルックとゼネルは呆れた様に溜息を吐くと二人揃って深々と頭を下げていた。
『さ、俺達も食堂に行きましょう。今日はご馳走が一品増えてる筈ですよ』
『おお、それは楽しみゲロ!ゼネル、後は任せたゲロ!』
『アイアイ、船長』
船長室に残るゼネルを置いて俺達はブルックと共に食堂へと向かう。
食堂では既に夕食の準備が済んでおり、テーブルには食事が既に並んでいた。
今日の夕食は半魚人のアヒージョの白パン添えに、日中に仕留めた海禿鷹の香草焼きだ。
食堂内には香草の芳しい香りが漂っている。
ここしばらくは先日の半魚人の襲撃で仕留めた半魚人を使った食事が続いていた為、この追加の一品に全員舌鼓を打っていた。
『ブルック船長、冷めない内にゼネル副船長にも持っていってあげてください』
『そうゲロね、じゃあ行ってくるゲロ!』
ブルックは軽やかな足取りで食事の乗ったトレーを持って船長室へと向かって行った。
ーーー
「…ねぇレオ、レオ』
「んー? どうしたフォルク」
「僕達忘れられてないかな?」
「…そういやそうだな」
静かな夜の海の上で二人の腹の鳴る音が潮騒の音の中へと消えていった。




