第八章断章A:湯煙に揺れる恋情
長旅の疲れや身体の汚れを気にしてアンリがかけた言葉に疑いもせず、すぐに浴場へと向かった。
個室の浴場としては今までで最も広く、浴槽は足を伸ばせるどころか大の字で浮く事が出来る程だ。
「セオ様、お湯加減はいかがですか?」
「ああ、最高だよ。久しぶりってのもあるけどいいお湯だ」
脱衣場にいるアンリから声がかかり、扉越しに声を返す。
「…そうですか」
「ん、アンリ…?」
俺達を隔てていた扉が開くとそこにはアンリが立っていた。彼女は大きなタオルを一枚巻いているだけでそれ以外は何も身につけてはいない。
まさか本当に入ってくるとは思わず、備えつけのタオル一枚で問題ないと思っていた俺は壁にかけられたタオルに手を伸ばそうとするも手が届かず、すぐに湯船に身体を沈める。
「ちょっ…アンリ、そういうのはナシって言っただろう!?」
「ええ勿論、私はお背中を流しにきただけですわ。セオ様、タオルをどうぞ」
アンリは俺の手の届かなかったタオルを取ると、俺に渡す。
最早堂々と俺のいる風呂に入ってくるアンリの覚悟に圧され、俺は差し出されたタオルを受け取って腰に巻いた。
「…一応念を押しとくけど、本当にそういうのはナシだからな?」
「ええ、心得ておりますわ。私は本当にセオ様のお背中を流しにきただけ。…ですが、襲われた時は素直に受け入れる覚悟はありますわ」
「バッ…!…そんな事は…しない…」
「ふふっ、さぁさ、背中を向けてお座りくださいまし」
完全にアンリのペースに俺はハマっていた。
最近はあまり行動的ではなかった為、俺自身油断していたのもあるが、二人きりになった瞬間にアンリは積極的なアプローチを仕掛けてきた。それも水際のギリギリをだ。
もしアンリから襲いかかったとすれば俺は言い逃れが効くし、クリスやアリーシャから白い目で見られるのは明白だが俺から襲ってしまう様な事になれば話は別だ。
そんな事を悶々と思っているとアンリから声がかかる。
「セオ様、痛かったり痒かったりはありませんか?」
「…ああ、大丈夫」
「…わかりました」
俺の身体を洗うアンリの手が首、肩から背中、胸へと移動する。
泡越しに触れるアンリの手は普段大槍や大盾を持っている様な手とは思えない程か細く華奢だった。
胸を洗い終えた手が今度は腹へと動き、タオルを持っていない左手が臍の上で止まる。
「やっぱり…跡は残ってしまわれたのですね」
「ああ、少しだけ」
「あの時は心配しましたわ…赤黒い血を流されていましたし、口からも大量に血を吐かれていましたので…」
「ああ、普通なら死んでておかしくない出血だったんだけどおかげ様で生きてた。アンリも輸血してくれたんだろ? …助かった、ありがとう」
少しの沈黙の後、俺の身体を洗うアンリの手が再び動きだし、タオルで覆っていた腰回りを避けて足へと伸びる。
彼女は俺の太股から足の指の間までを丁寧に洗うと付着した泡を綺麗に洗い流し終えて手を止めた。
「ん? アンリ、どうした?」
「…えっと、その…」
振り返るとアンリは頰を赤らめて目を逸らしていた。
次に洗う場所に手を伸ばそうとしたが躊躇っているのがわかり、それがどこかに俺も気付く。
「…あ、ああ、そこは自分で洗うよ」
「え、ええ、私は後ろを向いていますので…」
アンリからタオルを受け取り、後ろを向いた事を確認してタオルで覆っていた腰回りを洗い始める。
その間、俺達は背中あわせにお互い沈黙しており、俺は腰回りを洗い終えるとタオルを絞り、再び腰に巻いた。
「洗い終わったから、もうこっちを向いてもいいぞ」
「…あ…は、はい」
声をかけるとアンリは俺の方に向き直り、顔を赤らめたまま下唇を噛んでいた。
俺とアンリはお互い直視出来ず、お互い身体だけを向き合わせたまま再び黙り込んでしまう。
俺は微かに気まずさを感じ、回らない頭を捻って漸く言葉を絞りだす。
「…えっと…、その、俺も…背中、流そうか…?」
「えっ、あっ…? …じゃ…じゃあお願い…致します…わ…」
何を思ったか、言うに事欠いてアンリに対して背中を流すかと尋ねると、アンリも突然の発言に驚き、つい承諾してしまった。
アンリは慌ててさっきまで俺が座っていた椅子に腰をかける。しかし彼女は動転している所為か、タオルを巻いたままだった。
「…アンリ、その…タオルを巻いたままじゃ…洗えないんだが…」
「はっ、はいっ!…少し…お待ち下さいまし…」
アンリは深呼吸して意を決したかの様に身体に巻いた大きなタオルを取ると手早く畳みながら椅子に腰掛けて足にかける。
「で、では…お手柔らかに…」
「あ、ああ…」
俺の目の前には一糸纏わぬアンリの背中がある。
その背中は手と同様に細くはあるが、重量のある鎧を身に付けている所為か、恐らく一般的な女性よりは明らかに筋肉質なのが見てわかる。
しかし、その為に均整の取れた体型を維持しており、スレンダーでありながらも健康的な背中を見せていた。
「んっ…」
泡を立てたタオルで彼女の首筋に触れると、彼女は悩ましげな声を上げて身を捩らせる。
そのまま俺は彼女が俺にしてくれた様に首から肩、背中と洗っていき、背中を洗い終える直前に声をかけた。
「…前は自分で洗った方がいいよな…?」
アンリは少し沈黙した後に小さく返答を返す。
「前も…セオ様に洗って頂きたいの…です、が…」
「…っ!? …わ、わかった…」
アンリの大胆な発言に一瞬言葉を無くしてしまったが、そう言わせてしまったのは俺だ。
意を決して答えた彼女の顔に泥を塗る訳にはいかないと思った俺は少し身体を寄せて彼女の前へと手を回した。
「じゃ…じゃあ洗うぞ…?」
「え…ええ、お願いします…ひゃあっ!?」
確認を取って返答を返している途中のアンリの後ろから彼女の胸に手を触れると、彼女は反射的に声を上げて背を反らしてしまう。
「ハッ…ハッ…、す、すみません、そのまま…続けてくださいまし…」
アンリは小指を噛み、荒げてしまった呼吸を整えながら続ける様に答えた。
それを聞いた俺は何も答えず、背を向けたままのアンリに見えてもいないが小さく頷いて再び彼女の胸に触れる。
彼女の胸は小振りではあるが整っており、張りがある。
彼女の身体を洗い進めていく内に、彼女の息遣いは更に荒ぎ、寄せていた背中越しに心音が早くなっていくのがわかった。
そして否応無く俺は大人の女性の裸体に手を触れている事を実感させられると、緊張のあまりに微かに手に力が入ってしまう。
「あっ…、ああっ…セオ様っ…、そこっ…はぁっ…!」
アンリの声に我に返ると俺の手はツンと上を向いた双丘の先端に触れていた。
俺は慌てて手を離し、彼女から少し身を離す。
「…悪い」
「…ハー…ハー…いえ…、大丈夫、ですわ…」
一呼吸置き、俺は彼女の腹部を洗って彼女に声をかける。
「…ごめん、これ以上は俺の方が、我慢出来そうにない…。先にあがる…」
「…え、ええ…そう、ですわね…私もこれ以上は…」
俺は再びかいた汗を流し、浴場を後にしようとする。
「…っ!セオ様っ!」
突然アンリに手を引かれて振り返ると、彼女の手が俺の首に回り、身体を引き寄せられると同時に唇に柔らかい何かが触れる。
目の前にアンリの赤く染まった頰が映る。俺の唇に触れているもの、それは間違いなく彼女の唇だ。
俺は無意識に彼女の背中に手を回して少しだけ強く抱きしめ、数秒の間そのままの状態でいると、触れていた彼女の唇が俺の唇から離れた。
「…いつの間にか背、追い越されていましたのね」
彼女は照れているのを隠す様にそう言うと今度は軽く顎に口付けて俺の両腕に手を掛けてゆっくりと背中に回していた手を解いた。
「さ、早く出ませんとそろそろクリスさんが夕食の準備ができた事を伝えに来る筈ですわ。私はもう少し身体を洗いますのでセオ様はお先にお上りになって下さいまし」
アンリはくるりと背中を向けると、落ち着いた様子でそう言った。
色々と順序や表現の仕方を間違ってしまっているのだろうが、彼女が真正面からぶつけてきた愛情表現に対して俺は応える必要があるだろう。
「必ず答えを出すから、少しだけ、少しの間待っていて欲しい」
アンリは何も答えないまま、椅子に着き、泡を立てている。
まだ残ったままの唇の感触も冷めやらぬ内に、俺は浴場を後にした。




