第百二十一話:豪雨のプラットン
『しかしまぁ…皇子を誘拐したって言う人族の少年ってのァ来ますかね? この雨じゃあ宰相殿の追跡は躱せんでしょう。雨季のガルムス大陸に関しては誰よりも詳しい』
『万が一という事もある。少年は皇子を連れて大型の魔獣車で此方に向かっているとのことだ。ガルマリアからの移動時間を考えれば今日、必ず現れる筈だ』
『…本当に来ますかねぇ…ちぇっ、これじゃあ火も着きゃしねェ』
兵士達はドニからの要請を受けてプラットンの街でセオドア達がやって来るのを待ち受けていた。
ドニはセオドア達の追跡を開始する直前、有翼種の兵士をプラットンへと派遣し、先回りする形で待ち伏せの指示を書き留めた書状を届けていたのだ。
セオドア達を待ち受けている兵士の二人はそんなやり取りをしており、部下である方の猿顔の兵士は暇そうにシガーウッドの枝を咥えて火を着けようとするが、雨で湿気てしまったシガーウッドの枝には火は着かず、忌々しそうに地面に吐き捨てていた。
雨に晒され、ずぶ濡れになりながら兵士達は地平線を睨んでおり、セオドア達の魔獣車を今か今かと待ち詫びている。
そんな中、猿顔の兵士は地平線の向こうから丘陵を駆け下りる物体に気がついた。
『ん? ありゃあ…魔獣車か?』
『何か見えたか?』
上官の問いかけにも応えず猿顔の兵士は眼を凝らし、駆け下りる物体を注視する。
三頭の縞駿馬が並んで大型の幌付き荷台を引いている。間違い無い、指示にあった魔獣車だ。
『ま、魔獣車だ!ガルマリアの兵士達の追跡を逃れて来やがった!』
『何っ!? …突っ込んでくるつもりか? …全兵構え!魔獣車を止めろ!』
上官である兵士が全兵に向けて指揮を執ると、兵士達は腰を落として爪を構え戦闘に備えていた。
『…? 変だ、頭を下げてんのか? 馭者が見つかんねェぞ…?』
接近してくる魔獣車には縞駿馬を操る馭者の姿は無い。猿顔の兵士は不審に思い首を傾げるが、魔獣車は依然として速度を落とす様子も無かった。
『来るぞっ!抵抗するならば戦闘を許可するっ!魔獣車を止めるぞっ!』
兵士達はひと塊りに集まると突っ込んで来る魔獣車の前に立ちはだかる。
兵士達の通行止めに驚いた縞駿馬達は上半身を浮かせて激しく嘶くと、鼻息を荒げたままその場に停止し、兵士達は魔獣車をあっという間に取り囲んだ。
『魔獣車が止まった!幌車の中を検めろ!』
『はっ!』
魔獣車を取り囲んだ兵士達は上官の命令を聞くと直ちに幌車の中に乗り込んでいく。
しかし中からは兵士達のどよめく声だけしか聞こえて来なかった。
『た、隊長!もぬけの殻ですっ!誰も…馭者すらいませんっ!』
先に幌車の中を調べた兵士が慌てて報告をしに戻ってくる。
中はがらんどうでせいぜいあるのは保存食の干し肉の切れ端が一欠片残っている程度だ。
実に不可解な状況に兵士達はただただどよめく以外に何もできておらず、兵を束ねる隊長も混乱し始め、頭を抱えている。
『囮…ですかね? 実はもう別の場所から街に入り込まれてたりして…』
『そんな筈があるか!もう一つの門も別の隊が守っている。塀を乗り越えてきたとしても塀の上に兵を配置している以上、入り込めば直ぐに気付いている筈だ!』
ーーー
「…なんて言ってるんだろうな。まさか俺達が上空から侵入してるなんて思いもしてないだろ」
「そりゃあ僕達には有翼種の獣人族もいないんだし、陸路を進んで来るだろうと思ってるだろうからねぇ」
俺が上空から配置されている兵士達がもぬけの殻になっている魔獣車に注意を惹きつけられている様を見ながら呟くと、それにフォルクが薄ら笑いを浮かべて相槌を打つ。
「と言っても、グリオネール皇子の予測あってのものですわ。それを聞いて直ぐに作戦を思いついたのはセオ様ですけれど」
「どちらにせよ、獣人族の兵士達との戦闘を避けられたのは幸運でしょう。殺傷無しであれだけの獣人族と事を構えるのは我々と言えど骨が折れます」
「それに、あの亀のおじいさんが追いかけるのを諦めたかどうか分からないわ。もし追っかけて来てて挟み撃ちなんかになったらそれこそ最悪よ」
上から見る限り、俺達を待ち受けていた兵士の人数は百を下らない。もし真正面からぶつかっていれば全員無傷とは言わないだろう。さらに言えば、別の門を守る兵士達が応援に駆けつけた場合は更に手に負えなくなるだろう。
ドニ達については恐らくあれ以上追いかけては来ないだろうが、仮に追いかけて来るのを諦めていなかったなら兵士達を相手している内に追いつかれる可能性も無くはないだろう。想像しただけでも肝が冷える。
「そろそろ降りよう。あのスラム街なら入り組んでるし逃げやすそうだ」
周囲を見回し、見張っている兵士の視線が向いていないか確認してプラットンの街に降下する。
俺達が降り立ったスラム街、ここはタップを追いかけて入ったスラム街だ。
土を盛って固め、くり抜いた穴倉の様な家が並んでいる。
この辺りは鼠人種達の棲む縄張りとなっており、タップの自宅もここにある。
「さて…兵士は…いないな」
『おーい、アンタら!』
「マズい、見つかったか!?」
降下して早々、声を掛けられて驚いた俺は手に魔力を練りながら声の方を振り向いた。
しかし、振り向いて声の主の姿を見ると、見覚えのある顔であり、直ぐに練った魔力を引っ込めた。
『ああやっぱりだ、アンタらタップを捕まえてた人族だろ? 一緒にブルダーの村に行ったって聞いてたんだがよ、タップの奴ァどうしたんだい?』
偶然にも居合わせたのはタップの父親だ。タップがいない事に気付いた彼はその事について尋ねてきた。
『ああ、どうもお久しぶりです。タップのお父さん、でしたよね? あの後俺達はガルマリアの方に行ってまして、その後訳あって彼とは別れました。彼の事についてはブルダーの村の戦士長の夫婦、エリウッドさんとヴァイダさんに頼んでますのでじきにプラットンに戻って来るはずです』
経緯を説明しているとタップの父親は少し疑いの眼差しを向けるが、エリウッドとヴァイダの名を出すとそれも直ぐに無くなった。
『ああ、あの戦士長さん、本当に戻って来てたんだな。あの二人の名前が出て来たんなら心配なさそうだ、正直アンタらに攫われちまったもんかと思っちまったよ。ハハ、悪いな!』
タップの父は俺たちを誘拐犯と疑った事を毒気なくも謝るが、現状誘拐犯として追われている事を考えると耳が痛い。
『そういや昨日あたりから兵士が街中彷徨いててな、どうも皇族の誰だったが攫われたって話だ。犯人は人族って話だが…相手は獅子人種だ、今頃攫った本人の方が捕まって食われてんじゃねぇかね、全く。おかげで仕事がやり難いったらねぇよ…』
やはり本気で分かってて皮肉を言っているのでは、と疑いたくなるような的確な話に俺は内心穏やかでは無かった。
『そうなんですね。成る程、そのおかげで兵士さん達が彷徨いてるわけだ。だとすれば俺たちも気をつけないと捕まったら色々と面倒そうですねぇ』
『ああ、今朝も若い人族の冒険者だろうな、先日吹っ飛んだ酒場の辺りで兵士達に捕まって土砂降りの雨の中小一時間問い詰められてたぜ。全く兵士さん達もそいつも大変だよなぁ』
白々しく相槌を打ちながら話を続けていたが別の話題が飛び出してくる辺り、タップの父親は俺達の事に気付いてはいないらしい。
『俺達もスリで生計の足しにしてる以上、ちとやりにくくてな、と言ってもそもそも雨季に入ったおかげで人の往来も少ねえからスリもやる相手がいねぇんだけどな!』
『はは、気をつけて。おっと、そろそろ行かないと。この雨ですし今日の宿を早いとこ見つけないと…』
『おっとそりゃ悪かったな!んじゃ俺も帰るぜ、じゃあな!』
気付かれていないことが分かれば、彼のどうでもいい話にこれ以上付き合う必要はない。
適当な嘘で話を切り上げるとタップの父親はさっさとその場を離れて何処かへと走って行った。
「…行くか」
「ああ、そうしよう…」
スラム街を抜け、俺達は港へと向かう。
途中、哨戒中の兵士もいたが、激しい雨のおかげで匂いによる発覚が無かったのは幸いだった。
時にやり過ごし、時に魔術や体術を駆使して発覚前に意識を奪い、着実に港へと近付いて行く。
港が目視出来る位置まで辿り着くとグリオネールはある事に気が付き足を止めた。
『どうしたんだグリオネール? 港は目前だ、急ごう』
『ありゃあ…帝国の船だな。親父、何処かに視察でも行くつもりだったのか…?』
グリオネールは立ち止まって考え込んでしまう。
『グリオネール、先を急ぐぞ!』
『…ん、ああ悪ィ。普段は大陸の北にある帝国の管理してる港にしか無いはずの船がここにあったから少し考えちまった』
グリオネールの視線の先、そこにあったのは大きな帆船で所々に金の装飾まで入った豪華な船だ。
今まで利用していた連絡船とは異なりふた回りは大きく、また頑丈そうに見える。
『…まァ今の俺たちには関係ねェな、さあ行くか!』
頭を振って気持ちを切り替えたのか、グリオネールはそう言って再び港へ走り出す。
この国には未練もあるだろう。両親や姉に満足に挨拶も交わせずに逃げる様に宮殿を飛び出して来た。
そしてこの先数年は帰れないであろう旅へと出る以上、何も感じない筈もない。
だが彼は雨に濡れる顔を拭い、足を止める事無く走り続けていた。
『セ、セオドア・ホワイトロックだな!?』
『とっ、止まれっ!』
港の入り口、哨戒していた兵士達が俺達の姿を認めると静止する様に呼びかけてくる。
『止まれと言われて止まる奴がいるわけ無いだろ!』
『ちょ待…おわぁっ!』
『ダメだ止ま…ぬおわっ!』
走る勢いに任せて兵士を蹴り飛ばし、港へと押し入る。
雨季のせいか船は全て流されない様に厳重に縄で固定されており、どの船からも桟橋が下されている。
連絡船の受付をしている小屋の扉にも雨季の為に暫くは連絡船が来ないと言う掛け札がぶら下がっている。
辺りを見回すと一つだけ桟橋がかかったままの船が残っているが、見上げた船は連絡船ではなく先程グリオネールが見つめていた帝国の船だった。
『この船を奪うしか無いか…?』
『つってもこの海の荒れようじゃ素人がこんな船動かせやしねェぞ』
『でも船を出さなければ捕まるのを待つばかりです』
荒れる海に浮かぶ帆船の前で俺達はどうすべきかと迷っていた。
『兎にも角にも船を奪うしか無いだろ、ここまで来て数日で来るかもわからない連絡船なんて待ってられない』
こうして待っている間にいつ帝国兵達がやってくるかも分からない以上、逃げる為に船は必須だ。
俺が帝国の船を奪う事をクリスとグリオネールに訴えると、船の搭乗口から声が聞こえてきた。
『…その必要は無い』
聞こえてきた声に振り向くと船の搭乗口から人影が見えてくる。
真紅の外套を翻し、姿を現したのはティグリオンだった。
『よくぞここまで逃げ果せたものだ…』
『くそっ、先回りされてたか!』
ティグリオンは自ら兵を率いて船を用いてこのプラットンまで先回りをしていたらしい。
「皇帝自ら出張ってきたって事は…」
フォルクが呟いているとティグリオンが手を挙げる。すると、予め伏せていたであろう帝国兵達が次々に姿を現した。
「まぁ…こうなりますわね…!」
『予めここに来るとわかってて兵を伏せてやがったか…!』
あっと言う間に港は完全に包囲され、空中にも有翼種の兵士が待機している。当然水中にも獣人の影が映っている。
最早退路などは無く、俺達は完全に袋の鼠となっていた。
「さて…どうする?」
「逃げられないなら…船を奪うしかないよねぇ」
「空にも逃げられないならそうする他ありませんわね」
「帝国の兵達と正面から事を構えずに済めば良かったのですが…仕方ありませんね…」
「ちょっと冗談きついわね…。セオ、流石にこの数の兵士を抑えるのに手加減なんてしてらんないわよ!」
「兄様、最悪の場合私達の安全を優先します!」
『こうなりゃ俺だって守られてばかりもいられねェだろ…!』
全員が武器や魔術を構えて、取り囲む兵士達と対峙する。
こちらはたかだか七人に対して相手は二百人をゆうに超える大軍、それも訓練された兵士達だ。
個々は相手を超えていても圧倒的な兵力を前にどれだけ戦えるかはわからない。
俺達と取り囲む兵士達との睨み合いが始まった。




