第百十九話:雨季到来
進路を変えて一日が経つ。帝国からの追跡の手はまだ迫ってはいないが空を覆う雲は厚みを増しており、エリウッド達と別れた日の夜は星空も見えない程にまで広がっていた。
草原を走っている途中、何度も百獣王の様な凶暴な肉食の四肢獣種の近くを通り過ぎたが、襲ってくる事は無く、それどころか此方を見向きもしなかった。
『早けりゃ今夜あたりから降り始めそうだな…』
グリオネールは曇天の空を見上げ、鼻をひくつかせて小さく呟いた。
遠くでは既に降り始めているのかグリオネールやフォルクの鼻でなくても、微かに漂ってくる雨の匂いを俺も感じていた。
「…セオ、お客さんが来てる、ちょっと数が多そうだ!」
馭者台のフォルクが長く尖った耳を立てている。
フォルクの言葉に従い、後方を見ると遠くに砂煙をあげて迫ってくる騎馬の一団が見えていた。
「逃げながら迎え撃つ!フォルク、全速のままだ!」
「了解、ハイヤッ!」
フォルクの持つ手綱がしなり、快音を立てる。
とは言えやはり魔獣車を引いている関係上、追手達との差は縮まるばかりだ。
俺とクリスは二人で荷台の後方に立ち、迎撃態勢を整えていた。
「兄様、先に行きます!」
「ああ、俺がカバーする、やってくれ!」
両手をかざして魔力を練っていたクリスの手が赤く輝く。
「"火球・複射"ッ!」
クリスが輝いた両手から無数の火球を広範に渡ってばら撒くと、追ってくる騎馬の一団の前に着弾し、火球は着弾点から大きな火柱を立てて燃え上がる。
突然現れた火柱に兵士達は慌てて避けようとするが、密集していた事が災いして躱そうとした際に隣の兵士と接触して転倒したり、火柱を避けきれず炎に巻かれて慌てたが為に落馬したり、火柱に驚いた縞駿馬が暴走して振り落とされたりなど、兵士達は次々に脱落していき大混乱に陥っていた。
三十騎はいたであろう兵士達はクリスの火球で大きく数を減らすと、僅かに数騎が追ってくるのみとなっている。
「後は俺が…"土槍の庭"ッ!」
追従する残った兵士達に対し無数の土の槍が地面から襲いかかる。
幾重に並んだ土の槍は馬防柵となり、飛び越えようとする縞駿馬の脚を容赦なく傷付けた。
残っていた兵士達の駆っている縞駿馬達は土槍の馬防柵の前に脚を止めたり、突出していた縞駿馬が馬防柵に脚を取られたりと追跡不能に陥り、俺達は再び彼らとの距離を広げていた。
「今のうちに振り切りましょう!」
「…いや待って、…まだだ、まだ後詰めがいる!」
追手の一団を撃退しクリスは手を叩いているが、その後ろにまだ後詰の追手がいる事にフォルクが気付く。
『ありゃあ…近衛の連中だな…』
グリオネールが背後に迫る後詰を見て呟く。
グリオネールの呟きを聞いて、俺も幌車から身を乗り出すと金属の馬鎧を纏った縞駿馬達に乗った集団が真っ直ぐに此方を追ってきているのを自身の眼でも捉えていた。
「だったらもう一度ですッ!"火球・複射"ッ!」
再びクリスが火球をばら撒き火柱の炎上網を築き上げる。
しかし馬鎧に守られている縞駿馬達は炎上網を物ともせず、近衛の騎馬隊は誰一人欠ける事なく追跡を続けてきていた。
「…っ!威力を抑えてだと効果が無さそうですね…」
クリスが騎馬隊を睨みながら呟く。
丈夫な馬鎧に身を包んだ縞駿馬は炎を恐れもせず、また脚を鈍らせる事も無かった。
そんな中クローディアは馭者台の方から身を乗り出して周囲を確認していた。
「…どうしたんだい、こんな時に?」
「左手に木が沢山見えるわね、あれって森じゃない?」
「森って程木は密集してないけど…真っ直ぐ走るには厳しそうかな」
クローディアは左手に広がる森に気がつくとフォルクに確認していた。
「セオ、私に考えがあるわ!フォルク、あの森に入って頂戴!」
「ええっ!? 本気かい!?逃げ足が遅れるよ!?」
無茶苦茶としか言えないクローディアの要求にフォルクは戸惑っている。
馬で森林に入れば慎重な動きが要求され逃げ足は鈍る。勿論相手にも言える事ではあるが、魔獣車を引いている関係上、此方はそれ以上に逃げ足が鈍くなるのは必至だ。
俺は一瞬頭を抱えて考えるが、クローディアには何か確信めいた策あるのだろう。このままではいずれ追いつかれてしまうのは間違い以上、俺はそれに賭けてみる事にした。
「フォルク、クローディアの要求通りに、可能な限りで全速だ!」
「…セオまで…もう、知らないよっ!」
フォルクは縞駿馬達を操り、進路を変えて森の中へと魔獣車を走らせる。
森の中はそれほど木が密集してはいないものの、大型の魔獣車がどうにか通れる程の間隔しか無く、フォルクの顔も引き攣る程に険しい経路だ。
『森の中に逃げたぞ!』
『馬鹿め、小回りの利かぬ魔獣車で森に逃げ込むとは!』
近衛兵の追手達も森の中へと侵入し、俺達の通った後を真っ直ぐに追いかけてくる。
「クローディア、何か考えがあるのですわよね?」
「勿論よ!クリス、セオ、あいつらを森の木立の中に散らして頂戴!」
「…わかった、"石散弾ッ!」
アンリエッタが心配そうにクローディアに尋ねるがクローディアも精一杯声を張り上げて返事を返す。
彼女自身、絶対的な自信があるわけではないのだろう、空元気で誤魔化している様にも見える。
だが状況が状況だけに俺達は彼女の指示に従う事にして、一団になっている兵士達に石の散弾を撃ち込むも、鎧に弾かれており彼らは全く動じる様子もない。
『ダメだセオドア、そんな虚仮威しじゃアイツらはビビりゃしねェ』
「だったらこれならどうです!?"爆炎ッ!」
クリスはグリオネールの言葉を聞くと、間髪入れずに威力を押さえていない本気の爆炎を近衛兵達に撃ち込んだ。
『…!でかいのが来るぞ、散開っ!』
彼らは殺気を感じたのか、爆炎が発生する直前に木立の中へと散開して追跡を続けている。
「クローディア、兵士達がバラバラに木立の中に入った!これでいいのか!?」
「…ええ十分!セオ、確認しておくけど"事故"ならいいのよね?」
「…? …なんでもいいから早くっ!このままじゃ追いつかれる!」
「わかった、いくわよっ!"盲目の黒霧ッ!」
クローディアが闇魔術を発動すると漆黒の霧を両手から発生させていた。
産み出された黒い霧は追跡してくる近衛兵と彼らが駆る縞駿馬へと伸びると、彼らの頭に纏わり付いて顔を覆っていく。
「あ、まさか…」
『うわっ、ま、前がっ!?』
『マズいっ、ぶつかるっ!』
『ひいいっ、前がっ…ぐわあぁぁぁ…!』
俺が気付いた瞬間、近衛兵達は次々に轟音や悲鳴と共に木々に激突を始めていた。
彼らは黒い霧によって視界を塞がれており、彼らは木立の中にいたが為に木を避けきれずにいたのだ。
瞬く間に近衛兵達は木に激突して全滅すると、森の中へと姿を消していった。
「…まさかここまでうまくいくと思ってなかったわ」
「いや十分だ、近衛兵達を振り切れたのは大きい」
「何でもいいけど、このままじゃまともに走れないから森を抜けるよ!」
クローディアの機転で近衛兵達の追跡をも振り切った俺達はすぐに森を抜けると、それまでのルートに戻り再びプラットンを目指す。
この日は近衛兵達の追跡以降、帝国兵の追撃が来ることはなく、どうにか無事に夜を迎える事が出来た。
ーーー
「縞駿馬の消耗が思ったよりひどいね。みんな疲れ切ってるよ」
「一日中走り通しだったしな…なんとかならないか?」
「目立った怪我はないんだけどしきりに脚を気にしてるよ、何かあるのかも知れないね」
魔獣車を引いていた縞駿馬達は疲れているのか皆ぐったりと座り込んでおり、その視線は時折、自身の脚へと向けられている。
「クリス、治癒魔術って魔物にも使えるか?」
「さあ…試したことはありませんが、やってみましょうか?」
「ああ、やってみるだけやってみよう。このままじゃ明日が逃げ切れるか怪しい」
「じゃあ…"広域治癒ッ!」
クリスが治癒魔術を発動すると縞駿馬達の体から淡い光が溢れ出す。
すると、縞駿馬達は立ち上がり嘶くと、嬉しそうに尻尾を振り始めた。
「…どうやら効果あったみたいですね!」
「ああ、でも彼らも疲れてるみたいだしな…」
縞駿馬達は怪我が治って嬉しそうにしてはいるが治癒魔術で疲れが取れる事はない。
俺達は縞駿馬達に十分な食事を与え、脚を冷やさないように不要な布を使って脚を覆ってやると、さらに俺とクリスの魔術で急拵えの馬舎を作って彼らを労う事にした。
馬舎を作り、俺達も休んでいると、馬舎の屋根から小さな水音が聞こえてくるのに気付く。
「遂に降ってきたな…」
ガルマリアから離れてプラットンまでの道程の半ばに差し掛かった所で、ガルムス大陸は遂に雨季を迎える。
俺達の逃走の旅は空と同様に暗雲が立ち込めていた。
ーーー
朝を迎えると既に雨は勢いを増しており、土を固めた急拵えの馬舎の屋根からは轟音が鳴っている。
夜に振り始めた雨は朝までにかなりの勢いをつけており、既に土砂降りの雨となっていた。
勿論追手の兵士達は追跡をやめはしないだろう。俺達には出発する以外の選択肢は無い。
縞駿馬達はすっかり回復したのか鼻息を荒げて嘶いている、気合十分の様だ。
フォルクは雨具を着込んで馭者台に乗り込み、俺達は幌車へと乗り込むと、すぐに魔獣車を走らせた。
急拵えの馬舎は出発と同時に土に戻し、跡形もなく姿を消した。
草原地帯を走っている途中、辺りを見回すと雨季が到来した事が一目瞭然だった。
昨日まで草原を闊歩していた四肢獣種の姿は無く、その代わりにガルムス大陸では珍しい水棲の竜鱗種である鋏顎鰐や水場を好む巨大な四肢獣種の油河馬が我が物顔で辺りを彷徨いている。
『雨季の魔物は温厚なヤツが多いが、怒らせると乾季の魔物以上に手がつけられん奴ばかりだ。水場の近くは奴らの縄張りだから近づかねェ方がいい』
グリオネールの言うように水場の近くには多数の魔物が徘徊しており、異なる種の魔物達が争っている姿も散見される。
また土地柄なのか、水場周辺の草は極端に長く伸びており、足元も僅かに泥濘んでいる様で昨日まで草原であったこの周辺はまるで湿地帯の様に変貌していた。
「…これは縞駿馬達には辛そうだね」
「ああ…、でも頑張って貰うしかない。もうプラットンまでそう遠くない、頑張って貰おう」
水場の近くを避けながら俺達は再びプラットンを目指す。
激しい雨に打たれながら、泥濘みに脚を取られて縞駿馬達の足取りは重く、何度か途中で休ませながら先を急いでいた。
追手の兵士達もこの激しい雨と泥濘みのせいで思うように進軍できないのかこの日は一日中追いつかれる事は無かった。
ーーー
翌日、激かった雨は幾分落ち着いており、足元はやはり多少泥濘むものの、どうにか移動は続けられる程になっていた。
ただし、追手達も同じ事が言える様で昼を回った時点で二度の追撃を受けており、魔物達を嗾けることでどうにか退けたものの、昼から移動を再開した所で今日三度目の追撃部隊がやってきていた。
「本当にしつこいですね…!」
「まぁ皇子を攫ってるって事になってる以上、そりゃあしつこく追いかけてくるだろうさ。ただ今日最初の追撃からどんどん数が増えていってるみたいだよ」
フォルクの言うように追撃の手はどんどん激しくなっている。
最初は一般兵士だらけの十人強の部隊だったが、追い払って直ぐに次が来ると今度は数人の近衛兵が指揮している合計二十人強の部隊が追撃に向かってきた。
そして新たにやってきた追撃部隊は五十人程にまで増えており、半数程が近衛兵で構成されている。
『こりゃあ…多分かなり近くまで本隊が近づいてきてやがるな』
『だとしたらマズいな…ただでさえ縞駿馬達が脚を取られて逃げ足が遅れてる以上、これより数が多くなると捌ききれなくなるぞ』
追撃の頻度も物量も目に見えて増えている以上、本隊の接近が危ぶまれる。
プラットンまであと一日程の道程まで迫っており、ここまで来て捕まる訳には行かない。
「本隊でも無いのにかなりの数ですわね…捌き切れるでしょうか…」
「魔術や弓を使えない以上、指を咥えて見ている事しか出来ないのが歯痒いですね…」
逃亡戦である以上、近接戦闘しか攻撃手段の無いアリーシャとアンリエッタには出番が無く悔しそうに歯噛みする。フォルクも矢が無い現状、戦力にはならない。
グリオネールも自国の兵士に手を出させる訳にもいかず、この場で戦力となるのは魔術を扱える俺とクリス、クローディアの三人だけだ。
五十人の部隊は一網打尽にされることを恐れてか、十人単位程の分隊に別れると隊を散開させて多方向から迫ってきていた。
「ったく…しつこい男は嫌われるわよ、"麻痺毒の風"ッ!」
「…同感です、"大暴風"ッ!」
クローディアが麻痺毒の風を発生させるとそこにクリスが大暴風を重ねる。
麻痺毒を含んだ風は強力な暴風に巻き込まれると迫ってくる兵士達を襲い、兵士達や縞駿馬達を痺れさせながら巻き上げて地面に叩きつけた。
一度に半数以上の兵士を減らしたが、追撃の手はまだ止まらない。
「これならどうだっ!"地割れ"ッ!」
泥濘む地面が割れ、追いかけて来る兵士達の縞駿馬が脚を取られて派手に転倒する。
本来ならば地面を割り、そこに敵を落とした後に押し潰す魔術だが、地面が泥濘んでいる影響もあって本来の効果は発揮されず、地割れの魔術は足を取る罠の様な効果に転じていた。
「セオ、左右の死角から来てる!」
フォルクからの指示で幌車から身を乗り出すとそこには分隊に別れていた兵士が爪を剥いて左右から迫ってきている。
狙いは縞駿馬、まず俺達の脚を止めるつもりだ。
後ろにばかり気を取られていた俺達は迎撃の準備が出来ておらず、魔獣車を引く縞駿馬が倒されるのを見ていることしか出来なかった。
「くっ…マズい、これは間に合わないっ…!」
「いいえ、そうはさせませんわっ!」
「漸く我々の出番ですね」
一瞬諦めかけたその時、アンリエッタとアリーシャは魔獣車を飛び出して幌車を引いている縞駿馬に取り付くと迎撃に移っていた。
アリーシャは両手の剣で兵士達の攻撃を捌きながら兵士達の縞駿馬を斬りつけ、アンリエッタは魔導器である槍から爆風を放つと兵士達を纏めて吹き飛ばしていた。
「セオ様、左右は私達にお任せを!」
「縞駿馬達は我々が死守します」
雨に晒されてずぶ濡れになりながら二人は兵士達の攻撃を捌いている。
「えっ、アリーシャさん、乗れないんじゃなかったの?」
「いいえ、魔獣車の操縦の経験が無いだけで疾走馬の騎乗なら問題ありません。それよりも操縦はそちらですので揺らさないようにお願いしますっ!」
アリーシャは兵士の爪を受けながらフォルクの質問に答えている。
彼女は器用に足だけで縞駿馬にしがみ付いたまま、両手を使った剣戟を繰り広げており、加えて近衛兵を相手に競り勝っていた。
三度目の追撃を退けて低い丘陵を登り切ると雨で霞んではいるが漸く遠くに海が見えてくる。その手前には港があり、そこが目的地のプラットンの街だ。
『待たれぇーーいっ!』
遠くから声が響いてくる。
いつしか雨の勢いは弱まっておりそのお陰で遠くから聞こえてくる声も微かに聞き取れていた。
遠くから聞こえた事は俺とグリオネールには聞き覚えのある声だ。
背後を見るとそこには先程の追撃とは比べ物にならない数の兵士達が迫ってきていた。
ここにきて俺達は遂にドニが率いる兵団に追いつかれてしまっていた。




