第百十一話:吐露
『皇子、勝負ありです。その傷は放置すれば助かりません、参ったと言って下さい。直ぐに治療します』
グリオネールは仰向けに大の字で倒れていた。
身体は血に塗れており、自分がつけたものながら痛々しい程に深い傷が鎖骨から横腹に袈裟掛けに走っている。
──ドクン
また脈動が聞こえる。
強靭な肉体を持つグリオネールだからだろうか、普通の人間なら聞こえる事など無い心音がはっきりと聞こえていた。
『…へ…へへ…バカ言え…、まだ…まだ終わっちゃ…いねェ…!』
『…そんな傷でまだ戦うと…?』
グリオネールは身体を弱々しく起こし、肘で身体を支えにして此方を向く。
身体を起こす際、胴体の傷から再び夥しい血が噴き出す。このままでは失血死しかねない程、否、常人なら良くて気絶、最悪死んでいてもおかしくない出血だ。
これ以上の戦いはそもそも不可能だろうがグリオネールは弱っていながらも未だに諦めた目はしてはいない。
──ドクン、──ドクン
鼓動の音が早くなる。
そしてグリオネールは血を噴かせながら静かに笑みを浮かべていた。
『まだだ…まだ…終わって…ねェ…! これで…最後だ…。…俺に参った…って…言わせ…てェなら…、止めて…みな…!』
─ドクン、─ドクン、─ドクン、─ドクン
そう言って更にグリオネールの心臓の鼓動が早くなると、先程まで血を噴き出していた胴体の傷は既に塞がっていた。
『おオ…ウオおおオオぉォ!』
グリオネールは唸り声の様な声を上げながらゆっくりと立ち上がると身体から光を放ち、やがて眩い光が彼の体を包み込んだ。
『これデ正真正銘、最後ダ。往生際が悪ィトでモ言いてェだロウが…、俺ハ意地っ張りでナ。生命を削っテデも…、イや、全部出シ切る前に負ケヲ認メルくレェなら死ンダ方がマシダ』
直視出来ない程の光の中からグリオネールの声が聞こえる。
先程の様な弱り切った様な声では無くはっきりとした声だ。
だとすれば加護の力も真っ青の超回復能力だろうか、そう考えていると頭の中から声が響く。
(セオ、気をつけろ。奴は真魔光珠の力を生命を削って引き出そうとしている。先刻まで弱っていた奴だと思うな、来るぞ!)
シャルディンの声が聞こえて来ると同時に激しい光が消え始め、その中からグリオネールが姿を現わす。
「こう言う場合、化け物…って言うべきなんだろうな…。逃げ場も無いし、覚悟…決めるか!」
真魔光珠の力を引き出したグリオネールは最早禍々しさすら感じる姿となっていた。
獅子をベースにした魔物に近い姿であり、口に収まらない程に伸びた上下の牙、獲物をその場で切り刻む為に伸びた前脚の爪、皮膚は鈍く黒ずみ、身体の巨大化に追いつけなかったのだろう、所々に裂け目が生じ、剥き出しになった筋繊維が見受けられる。体毛は色はそのままに巨大化に合わせて伸びた様だ。
そして何よりも元々三メートルに届かんばかりのグリオネールの巨体は更に大きくなり、倍以上の大きさとなっていた。
『行くゼ、セオドア!ゴアアアアァァァァッ!』
『気は抜けない、か…。この体格差、どう戦うか…!』
落ちていた銀の直剣を拾い左手に握る。
ふらつく身体を両の足を踏みしめて支えると、剣を構えた。
グリオネールが走り出す。
進化の過程で重量が増した所為か、進化前程の瞬発力は無いがそれでもリーチが増した結果、進化前と対して速度は落ちていない。
『ガアアウッ!』
「くっ…!」
接近して振り抜いてきた右腕を空歩法の力で空中を駆け抜けて躱す。
巨大になった分、攻撃は大振りになり見切り易くはなっているがその代わり攻撃範囲が広くなっており、回避はギリギリだ。
攻撃を回避した俺は腹の下へと潜り込むと電撃を帯びた騎士剣を彼の腹に振り抜いた。
「…硬いかっ…!?」
進化によってグリオネールの皮膚は鋭い騎士剣を以ってしても歯が立たない程に硬くなっていた。
騎士剣の攻撃を受けても全く反応は無く、電撃すらも効いていない様だ。
『懐二潜り込めバ安全ダナンて思うナヨ!』
グリオネールがそう叫ぶと同時に巨体が眼前に迫る。
彼は四本の足を投げ出し、その巨体で懐にいる俺を押し潰す為にボディープレスを仕掛けてきていた。
「やっば…!」
超重量の身体が地面に叩きつけられるが、空歩法で両足を踏み切って飛び出した俺は辛くもグリオネールの腹下から逃れていた。
しかし安心するのも束の間、すぐに立ち直ったグリオネールの右腕が迫る。
幾ら鋼鉄化で身体を強化しているとは言え、あの巨腕から繰り出される爪の一撃は耐えられないと直感した俺は両手の剣を交差させて直撃を回避した。
「ぐうゥッ…!」
グリオネールの爪を受け止めたものの、その膂力は止められる様なものでは無かった。
圧倒的な体格と膂力の差に俺の身体は簡単に弾き飛ばされ、結界の壁へと叩きつけられる。
「…グハッ…パワーが…違いすぎるっ…!」
叩きつけられた結界から地面にずり落ち、両膝をついて四つん這いの様な状態となった俺は口の中に鉄の味が広がるのを感じていた。
鋼鉄化が無ければ今の一撃で確実に死が訪れていただろう。
口から数滴の赤い雫が垂れたのを見て顔を上げると、そこには頭を低く構えたグリオネールが突っ込んで来ている。
「避けないと…!…クソッ…体が…動け、動けェッ…!」
全身が悲鳴を上げる。骨は軋み、目は霞む。
超重量の一撃を受けてボロボロとなった身体を無理矢理動かそうとするが言う事を聞かない。
『とドメだッ!』
グリオネールの巨体が迫る。彼は結界の壁と自身の身体で押し潰すつもりなのだろう。
グリオネールがいからせた肩が迫る。最早迎撃はおろか、回避も間に合わない。防御も耐えられないだろう。
「制御は出来ても加減は出来ない」と、彼はそう言っていた。だとすればこの攻撃は紛れも無い全力の一撃で、俺を確実に死に至らしめる攻撃だろう。
死の感覚が脳裏をよぎった瞬間、ふと元の世界の家族、こちらの世界での家族や仲間の姿が浮かぶ。
その中の一人、火継坂杏奈が頭を傾けて笑いかける。
「…成る程、走馬灯ってやつか…。でも…」
軋む身体に鞭を打つ。痛みが全身に走るが歯を食いしばって我慢し、ボロボロの身体を起こす。
"満身創痍"、今の俺の状態を表すのにぴったりの言葉だ。
「…そう簡単に…死んでたまるかっ!」
顔を上げて突っ込んでくるグリオネールの肩を見据えて俺は咆哮する。
絶体絶命の状況には変わりないが、何故か負ける気がしない。
一瞬目に映った杏奈の笑顔を見た瞬間、ボロボロで動けなくなった身体に火が入る。
「そうだ、元の世界に戻る為にも…俺はまだ死ねないっ!」
超越の加護の力が全身に纏わせると既にグリオネールの肩が目前に迫っていた。
両手の剣を握り締め、グリオネールの肩へと振り抜く。
『ぬウォッ!?』
グリオネールの硬い皮膚はやはり斬れはしないが、力尽くでその肩を逸らし、俺は突進の直撃を免れる。
攻撃を逸らされたグリオネールは驚きの声を上げると共に結界へと突っ込むと、地面を揺らがせていた。
(カムイ、加護の力を使い過ぎだ。すぐに動けなく…!?)
シャルディンの声も聞こえてはいるが、加護の力を加減して捌ける相手でもない。だが今現在、超越の加護の力を全開にしていながらも、何故か疲れる気がしない。
先程まで攻撃を喰らい、軋んでいた身体も、その痛みも吹き飛んだかの様に身体中に力が溢れてくる。
「──"魔力付与・金剛剣"」
両手の剣に魔力を付与すると、刀身は周囲の光を反射して、煌めくような輝きを湛え始める。
『火事場ノ馬鹿力ッてカ? あノ状態カらマサか弾かレるなんテ思ッてもなかッタぜ…。何の属性カは知らンが…ソの剣じャ今の俺ハ斬れンゾ。サあどうスる?』
『普通に斬ってもダメ、鎧も貫通する雷属性でもダメ。これでダメなら本当にダメでしょうけど…、試してもない内から諦めるなんてのはしたくないんで…!』
グリオネールの言葉に返答すると同時に踏み込み、彼の左の前足に斬りかかる。
グリオネールは超越の加護を知らない為、「どこにそんな体力が」と言わんばかりの表情で俺の急接近に面食らっていた。
『ヌおっ…!?:』
振りかぶった騎士剣でグリオネールの左前足を斬りつける。
急接近に驚いたグリオネールが身体を引いた為、切っ先が僅かに届くのみに留まったが、彼はその結果に更に驚く事になる。
『セオドア…何の属性をそノ剣に…!』
グリオネールが声を絞り出すと切っ先が触れた彼の左脚から赤い血が流れ出す。
『…土属性ですよ。土属性の魔術による攻撃の殆どは地面を隆起させたり岩を作って相手にぶつけたりと物理的な力を持つものが殆ど、故に特別弱点とする相手も耐性を持つ相手も少ない。ただし土魔術には唯一の特性があって、鉱物の状態を変化させる事ができる。…今俺が持ってる剣はその頑丈な皮膚を斬れる程に、鋭く、硬くしています』
『…ナる程、つまリこレデ単ナる力押シはデキねェ、そウいう事カ』
グリオネールはそう言ってその巨体を起こし二足歩行の状態になる。
『真魔光珠の力による変身能力もある程度理解できましたが一つだけ疑問があります。グリオネール皇子の場合、普段が人獣化状態じゃないんですか? 貴方だけは他の獅子人種に比べると人間離れしすぎている、例えば貴方の姉であるレオナ皇女、彼女は人の姿に近い。しかし最初の変身時にはなぜかより人の姿になっていました』
グリオネールは少しだけ沈黙すると元の変身前の姿に戻り、口を開く。
『あー…別に隠してたワケじゃねェンだが俺は獣人族の中でも異質でな、元がこの人獣の姿なんだ。初代皇帝のウルフェン様もそうだったらしい。代々ガルマリア皇帝に受け継がれるこの真魔光珠は他の獣人族には使えねェ。ウルフェン様や俺みてェな元から人獣の姿の獣人にしか使えねェンだ。俺の親父、ティグリオン陛下は"これはお前が持つべきだ"、ってな、俺が十五の時に渡されたンだ』
『…隔世遺伝、と言った所ですか。…だったら尚更この国を出る訳にはいかないのでは? 姿は違えど初代皇帝の生まれ変わり、そう見られているのなら皇子はこの国の象徴として残るべきでしょう』
グリオネールが俺の言葉を聞くと強く足を踏む。その表情は僅かな怒りと強い決意を孕んでいた。
『だろうな、お前の言う通りなんだろう。だがな、俺は俺だ!皇帝になる運命は避けられねェ、勿論そりゃわかってる!こんな姿だしそうするべきだ、でも俺は世界を知らねェ!このガルマリア帝国は親父の代で漸く世界と手を取り合う方向へ舵を切り始めた!世界と手を取り合おうとする国を背負う人間が世界を知らねェなんて滑稽だろうが!親父の考えには概ね賛成だが、俺も親父も世界を見てきちゃいねェ!この国で外の世界を見てきてんのは冒険者を目指すヤツばかりだ、それだからこの国は閉鎖的な社会がいつまでたっても抜けやしねェ!俺はこの国をもっと外の世界に目を向ける様にしてェンだ、だったらその頭である人間が外の世界の上も下もこの目で見てくるべきだ!だから世界に出る為に、旅をする為に自らを鍛えてきた、そしてその実力を認めて貰う為にこの大会にお前を招待したンだ!』
グリオネールが語気を強めて持論を口にする。
彼らしい真っ直ぐな持論であり、俺は黙って頷きながら彼の言葉を聞いていた。
人とは違う故に敷かれたレールを歩んできたが彼はその中で自分の意思を貫き違う道を歩もうとしている。
まだ生まれ変わったばかりのこの国で彼はこのままでは国は変わらないと考えている。
実際に初めて俺達がこの国を訪れた時も獣人族達は奇異の眼差しを向けており、未だに閉鎖的な社会が根深く残っているのも事実なのだろう。
『…理想の為に俺を利用して、それでいて手加減もするなと…全くもってワガママな皇子ですね。だったら直接陛下に言えばよかったのでは?』
『それが出来りゃ最初からこんな茶番は演じちゃいねェよ!だからこの大会で実力を示して認めて貰った上で願い出るつもりなんだ!』
グリオネールが再び魔物の様な姿に戻り、身をかがめて身構えると、俺も直剣を納めて騎士剣を構える。
合図があったわけでも無く、お互い同時に地面を蹴ると振り抜いた剣と爪がぶつかり火花を散らす。
『決着を…つけましょう!』
『あア望ム所だ、ドッちが勝っテモ恨ミっこハ無しダ!』
交差する剣と爪越しに顔を突き合わせた瞬間、俺達はこの戦いが最終局面に差し掛かった事を肌で感じていた。




