第百十話:野生開放
真魔光珠から放たれていた光が消え、人獣化したグリオネールが姿を現わす。
その姿は準決勝でシェリーと戦っていた時と同じく、人獣化前の筋骨隆々とした姿から打って変わってしなやかさを感じるスリムな体型だ。
『そンじゃあ第二ラウンドといこうじゃねェか』
そう呟くと共に鋭くなった爪を備えた右腕を振りかぶってグリオネールは突っ込んでくる。
元々瞬発力が高く、人獣化したことで更に増した瞬発力はその一踏みに顕著に表れていた。
たった一度の踏み込みの速度は人獣化前の倍程の速度にまで増している。とは言え人よりやや大きい程度の体格の人間が突っ込んでくるだけだ。元の世界では百五十キロの速度で飛んでくる拳程しかない球を高校生が打ち返すのだからこの世界で生まれ変わり鍛えてきた俺が見切る事など訳はない。
遠目からとは言え、既に見たことのある速度なら充分対応は出来る、そう思った瞬間だった。
『どうせ見切られてんのぐらいお見通しだよ。そっちが動くつもりがねェんなら、こっちから動いてもらうだけさ』
突っ込んでくるグリオネールは急に失速すると振りかぶった右腕を地面に叩きつける。
速度の乗った拳は地面に亀裂を走らせる。するとその衝撃は地面を伝い、俺の足元にまで波及していた。
『なんて威力…くっ…!』
地面に走った亀裂が大きく広がると、割れると同時に隆起する。
不安定な足場では戦えないと後ろに飛び退いた瞬間、目前にグリオネールの腕が迫っているのに気付く。
「なっ…!? …うわあああぁぁっ!!」
グリオネールの攻撃に気付き咄嗟に首を躱して直撃は免れたが、僅かに掠っただけで俺は大きく吹き飛ばされ、肩から地面を滑っていた。
『んん、直撃じゃねェが…これでその二刀流で待ち構えるってなァもうできねェだろ?』
グリオネールが拳に付着した俺の返り血を舐めながら呟く。
(…これでこっちからも動く必要が出てきた…。あのパワーとスピード、一撃でもまともに食らったら終わりだな…)
『…"治癒"』
起き上がりながら頭に出来た傷を治療する。
その間、グリオネールはただこちらを見つめたまま立ち尽くしていた。
『治療は済んだか?』
グリオネールはわざわざこちらの治療が終わるのを待っていた。
治癒魔術によって傷が塞がり、流れていた血が止まる。しかし本来ならばそのまま畳み掛ければいいものを、わざわざ此方の治療待つグリオネールの意図が読めず、俺は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
『情けでもかけたつもりですか?』
『ん? ああ、そう受け取ったんなら悪ィな、そんなつもりは無かったんだが…まァ、こうした方がもっと面白ェ戦いができるんじゃねェかって思ってな。ただの気まぐれさ』
俺に問い掛けられたグリオネールは一瞬驚いたような表情をしていた。
彼の返答は紛れもなく本心からの言葉だろうが、少なくとも此方としては自尊心を傷付けられた気しかしない。
『…わかりました、ならもうその気まぐれが起こらない様にします。"魔力付与・雷牙"、"水刀"』
騎士剣に雷属性、直剣に水属性を付与し、再び二刀流の構えを取る。
『魔力付与、しかも別々の属性とは器用じゃねェか。さぁどうする、そのまま待ってもさっきの二の舞だぜ?』
『ええ、今度はこっちの番です』
大きく踏み込んで直剣を薙ぎ払うとグリオネールも後ろに飛び退いて斬撃を躱す。しかし水属性を帯びた刀身から滲み出た水の弾丸がグリオネールに追撃をかける。
『水!? いや、こんなモン撃ち落としゃ問題無ェ!』
グリオネールは水の弾丸の追撃に驚くが、すぐに対応し、素早い打撃で撃ち落とす。
グリオネールの打撃によって水の弾丸は全て弾け飛ぶが、それによって彼は弾けた水を浴びてずぶ濡れになっていた。
狙い通り、グリオネールが水を浴びたのを確認すると今度は騎士剣をグリオネールに向けて突き出した。
『ただの突きか、そんなの当たりゃしねェぞ?』
『いいや、避けるならしっかり避けないと大変な目に遭いますよ』
『ん? …ウオオオオオッ!?』
グリオネールは俺が突き出した騎士剣の切っ先を上体だけで躱そうとする。
身体を反らせたグリオネールの胸の上を剣の切っ先が通り抜ける。しかし剣が帯びた電撃は彼を逃がさず、ずぶ濡れになっていたグリオネールの体に襲いかかり、彼の全身を駆け巡った。
『ウオオオオオッ、アァァァァアァァァァッ!』
グリオネールは電撃を受けて痙攣しながら身体を仰け反らせている。
身体の自由を奪われ、硬直する身体を捩らせながら辛くも電撃から脱すると先ずは電撃による追撃を避ける為に後ろに飛び退いた。
しかし、そうは問屋が卸さない。飛び退くグリオネールを追って間合いを詰めると、電撃から抜け出すのに精一杯で防御を疎かにしていた胴体に超越の加護で強化した右足を叩き込む。
『グッハッ…!』
無防備な胸を蹴り飛ばすとしなやかなグリオネールの身体がもの凄い速度で結界の壁へと叩き付けられる。
『まだまだだっ!"炎槍"ッ!』
騎士剣を握った右手の指先から放った炎の槍で追撃をかける。
大の字で結界に叩き付けられたグリオネールは回避も防御もする余裕もなく、蹴りを受けた胸に更に炎の槍の追撃を受けた。
『うごっ…おおおお…』
叩き付けられた結界からずり落ち、四つん這いになったグリオネールが苦悶の表情で唸っている。
しかしまだ戦意は失っておらず、握り拳を作って地面に叩きつけて立ち上がろうとしていた。
痙攣の残る身体を起こそうとするグリオネールに対して追撃を仕掛けようと走り出すと、彼は此方を睨みつけてくる。その瞳にはまだ闘志が宿っており、諦めた様子は微塵も感じられない。むしろより威圧感を増したとさえ思える程だ。
それにも怯まず走って近づくと、グリオネールのたてがみが妖しく揺らめき始めた。
『…まァだ…終わっちゃいねェぞ…!』
『だったらここで終わらせるっ!』
電撃を帯びた騎士剣を構えて突き出そうとすると、グリオネールの身体に変化が現れる。
人間らしさがある体格が再び筋肉質な大きな体格に戻り始め、今度は骨格が変化し始める。
その姿はまさに獅子そのものへと変化すると、四つん這いの姿勢はいつの間にか四足歩行の姿勢へと変化しており、後脚で地面を蹴ると突き出した剣をすり抜けて飛び掛かってきた。
『グルルラララァァァッ!!』
「何ッ!?」
剣を擦り抜けたグリオネールの頭が迫る。
彼は低い声、いや鳴き声をあげながら大きな口を開くと大小生え揃い、刃の荒い鋸の様になった牙を覗かせていた。
「しまっ…!」
『ガアアアァァッ!』
グリオネールの牙が鎧の肩当ごと噛み砕こうと左肩へと食らいつく。
その瞬間、肩に鋭い痛みが走ると同時に鎧の肩口から赤い血が流れ出してきていた。
鎧の肩部分、その上側には赤龍の鱗が使われている。裏側についてもバーバデールという超一流の職人によって鍛え上げられた強靭な金属で覆われているがグリオネールの鋭い牙はその金属を易々と貫いており、そして尚も顎に力を入れて喰い千切る積もりの様だ。
「うあああぁぁっ!…マズいッ!」
肩に牙を食い込ませたグリオネールが更に顎に力を入れると、鎧からぎりり、ぎりりと軋む音が聞こえてくる。
このまま為す術もなく立ち尽くしていれば鎧ごと左肩を食い千切られてしまうと思った俺は右手の騎士剣を地面に突き刺し手放すと、魔力を掌に練り始める。
自滅もやむ無し、左肩に食らいつくグリオネールの頭に魔力を練った右手の掌を当てる。
「ぐっ…ううっ…!"放…電撃"ッ…グアアアァァァァッ…!」
肩に食らいつくグリオネールに放った放電撃が牙を介して自身を巻き込み駆け巡る。
千切れそうな意識を必死に掴みながら電撃による痛みを耐え続けた。
『ガウゥッ…!』
電撃によるダメージで怯んだグリオネールの顎の力が弱まる。
朦朧とした意識を戻した俺は漸くグリオネールの牙を振り解き、足に力を込めた。
獣の姿となっているグリオネールの巨体に超越の加護で強化した足で蹴りを浴びせると、吹き飛びこそはしなかったものの僅かに身体を浮かせて怯んだ為、その隙に騎士剣を抜いて後退し、距離を取る。
『危なかった…、もしあのまま何もしてなかったら肩を食いちぎられ…』
痛む左肩を動かそうとするが、力が入らず左腕はだらんとぶら下がったままだった。
噛まれた肩は鎧に包まれてはいたがグリオネールはたった一噛みでその鎧の防御を貫き左肩の骨を噛み砕いていたのだ。
『グルルルッ…ガアウッ!』
「…マズいな、治療したいとこだけど…簡単にはそうさせてくれなさそうだな」
怯んでいたグリオネールは既に立ち直り、こちらを睨みながら唸り声を上げている。隙を見せればまた先程の様に飛び掛かってくる積もりだろう。
『グルル…ゴアアアアァァァァッ!』
喉を鳴らしながらグリオネールが上を向いて雄叫びを上げる。
威圧感を孕んだ雄叫びは周囲を揺るがし、闘技場の結界の中の全体を震わせ、それに圧倒された俺は足が竦んでしまう。
勿論、グリオネールもそれを見逃してはいなかった。俺が怯んだのを見るなり、その強靭な四肢でこちらへと走り出す。
「ヤバい…!"火矢"ッ!」
騎士剣を持つ右手の指先から炎の矢を飛ばし抵抗を試みるが、グリオネールは左右に身体を揺らしながら走り出して的を絞らせてはくれず、彼の横を炎の矢は虚しくすり抜けて結界に当たって消えて行く。
「右…左…? どっちだ…──いや…こっちだッ!」
『グゥルラアアアッ!』
左右に身体を振って接近してくるグリオネールが飛び掛かってくる。
グリオネールが素早い動きで移動してきた為、攻撃方向の予測がつかなかった俺は迎撃を諦める事にした。
「"飛翔"」
飛び掛かったグリオネールの爪が肩に届く寸前、飛翔の魔術で上空へと逃がれる。
本来ならば移動の為の魔術である飛翔の魔術だが、ごく短距離の移動も不可能ではない。実質、"飛翔"と言うよりも"大跳躍と言うべきではあるが。
「さて、どうしたもんか…、安全に降りれば着地を狙われるだろうけど…。ん…?」
飛翔の魔術の効果で浮かんでいる間は他の魔術は使えない。これは全身で魔力を放出している為である。
グリオネールは真下だろうか、そう思って真下を覗き込むとそこにグリオネールの姿はなかった。
「あれ、どこに行った…?」
地上にはグリオネールの姿は見つからない。辺りを見回していると、漸く彼を発見した。彼は円形の闘技場を取り囲み、壁に見えている結界を斜めに駆け上がってきていたのだ。
「…逃げ場無し、って事か。でも空中戦ならこっちに分がある!」
『ガァウッ!』
グリオネールが行くぞ、と言わんばかりに短く鳴き声を上げると体勢を変えて壁を蹴り、飛び掛かってくる。
『残念、丁度着地ですよ』
『ガウッ!?』
グリオネールが壁を蹴ると同時に"飛翔"の魔術での移動先である闘技場の中央に到着し、急降下を始める。
飛び掛かってきたグリオネールを躱して瞬時に着地すると、見当を外したグリオネールが後を追いかけるように降りてくる。
攻撃を外した後から爪は剥き出しのまま振りかぶり直してはいるが、グリオネールは重力に任せて自由落下している状態ある。
「周りに何も無い空中じゃ身動きは取れない筈ッ!"大暴風"ッ!」
右手から渦巻いた風の塊を発生させ、グリオネールが落ちてくる真上に放つ。
風の塊は右手から離れると一気に開放し、凄じい風が吹き荒れる。
自由落下しているグリオネールに回避する術は無く、風の渦に巻き込まれると激しい風圧に顔を歪ませながら再び上空に巻き上げられていた。
「よし、今の内だ…"大治療"、"腕力強化"、"鋼鉄化"、"空歩法"」
グリオネールが巻き上げられている内に砕かれた肩の治療と自己強化を施す。
自身への強化魔術を施している間に、いつしか大暴風の魔術は周囲の瓦礫や石を巻き込んでおり、グリオネールと共に大暴風の中を舞っていた。
当然グリオネールもただでは済んでおらず、大暴風の中を舞っている間に幾度も瓦礫と衝突したらしく、身体に無数の傷を負っており、身体を丸めてひたすら防御の体勢で耐え続けていた。
風が弱まるに連れ、大暴風が巻き混んでいた瓦礫が闘技場の端に弾き飛ばされ落ちてくる。
グリオネールも結界の壁に打ち付けられると体を入れ替えて壁を蹴り、真っ直ぐにこちらへと爪を剥き出しに襲いかかってきていた。
『ガアアァァッ!』
「この速度なら見切れるッ!」
ダメージを受けていた事もあるが、地に足がついていないグリオネールはその瞬発力が活かせていない為、以前幼少期に戦った弾丸猪の速度程も出ていない。
飛び降りてくるグリオネールに対してこちらも空歩法で彼に真っ向から挑む為に空中を駆け上がる。
『グアアッ!』
グリオネールの爪が首筋を襲うが、鋼鉄化によって強化された事でグリオネールの攻撃は俺の皮膚を薄く裂くのみに留まる。
グリオネールの攻撃を受けながら俺は構えていた電気を帯びた剣を振り抜き、彼を背にしてすれ違う。
『ガアッ…!』
「ハァ…ハァ…」
振り抜いた剣には確かに手応えを感じた。
同時に着地したグリオネールと俺の間に僅かな静寂が生まれる。
二人の息遣いだけが微かに聞こえるだけだ。
斬られた首の皮膚がゆっくりと熱を帯びて行く。そしてその熱は徐々に肌を伝っていくと、今度はその傷跡から勢いよく血が噴き出す。
「うっ…これは…!」
グリオネールの爪は僅かに首の太い血管まで届いていたらしい。
急に大量の血を流した事で足元がふらつき片膝をついてしまう。
「…止血を…、グリオネールは…?」
片膝をついて首の傷を手で押さえながら振り向くと、いつの間にか最初の姿に戻っていたグリオネールが背を向けたまま立っている。そして静かにほんの少しだけ口を歪ませると、胴体から派手に血を吹き出し、膝から崩れ落ちる。
「勝った…のか…?…いや、とりあえずは止血だな、"治癒"」
斬り裂かれた首の傷が塞がると、剣を杖にして立ち上がる。
そしてグリオネールの方を向き直ると自らの血でできた血溜まりに沈んでいた。
「───違う」
自己強化で確かに腕力を増していたとは言え、あのグリオネールがたった一度の斬撃で急所を捉えた訳でもないのにこうもあっさり倒れる筈はない。
───ドクン
倒れたままのグリオネールから一度だけ、微かな脈動の音が聞こえていた。




