第百九話:百獣皇子グリオネール
遂に始まる決勝戦を前に、俺は選手控え室の奥にある個室にいた。
「"超越の加護"を頼りにしすぎるなよ」
「使い切ったら彼には勝てないよ、出来るだけ温存する事を忘れないようにね」
「ああ、わかってるさ。ただ、ここ一番で出し惜しみして負けても意味がない。そうだろう?」
傍目から見れば異様な光景だろう。
一人三役で会話をしている頭のおかしい人間にしか見えない筈だ。
「問題は奴の人獣化だ。ただの人獣化ではない事だけは重々注意するようにな」
「彼の瞬発力にも注意だよ。一気に間合いを詰めてくるだろうし遠距離からの魔術はただ撃ってるだけじゃ当たりそうに無いと思う」
「それに加えて野生の勘、か。一見隙はなさそうだけど…臨機応変に立ち回るしかなさそうだな」
眉間に皺を寄せているとセオドアが溜息をつく姿が頭に浮かぶ。
「今までだって君は頭をフル回転させて対処してきたんだ。向こうは本能的な勘の良さがあるけど君は逆に理性的な勘の良さを持ってる。後手にはなるだろうけど出たとこ勝負はグリオネールの専売特許じゃない筈だよ」
「そう、後手に回っても後の先を取ればいい。お前ならできる筈だ」
シャルディンが相変わらずの無表情で意識の奥から静かにセオドアに合わせて語りかけてくる。
少し俯いた顔を上げ、俺は右手で握り拳を作った。
「俺ならできる…絶対に…。行くぞっ!」
自らを鼓舞して個室を飛びだすと、丁度試合開始の時間が訪れたらしく、闘技場への門が開き始めていた。
門を潜り、松明が揺らぐ薄暗い通路を進むと、既に観客席からは溢れんばかりの歓声があがっているのがわかる。
通路の最奥、闘技場内へと続く大きな門が軋む音と共に開くと、その歓声がより大きくなる。
門から射し込む光に目を細めると、対面する門の先に腕を組んだ獣人族の男が口を歪ませており、そこから覗いている白い牙が鋭く光る。
グリオネールは先日のボロとは異なり、今日は正装とでも言うべきだろうか、金糸の刺繍が施された白を基調とした燕尾服の様な服にこれまた同様に金糸の刺繍の入った緋色のマントを羽織っている。
『さぁ決勝を争う両選手のッ、ン入場ですッ!』
ティリスの声と共に歓声が一層大きくなり、それと同時に俺とグリオネールは向かいあったまま闘技場へと足を踏み出して入場門を潜り抜ける。
門を潜り抜けて三歩程前に進むと、入ってきた門の扉が軋む音と共に閉じる。もう戻れはしない。次に戻る時はどちらかが戦闘不能となった時だ。
『さァていよいよ、だなァ』
『そうですね、…勝ちますよ』
グリオネールは全く動じる様子も無く小さく口を歪ませる。
『フン、わざわざ言うまでもねェ。負ける為に戦う奴なんていねぇさ、お互いそうだろ?』
『そう…ですね。でも敢えて言いますよ、俺が勝ちます』
この時、グリオネールが突然吹き出して笑う。大声を上げて短く笑うと直ぐに表情を戻し、そうか、と一言溢すとたなびく緋色のマントを投げ捨てた。
そして、全身の筋肉に力を込めて隆起させると身につけていた白い燕尾服はまるで風船が破裂するかのように張り裂ける。
『…加減はしねェ、…いやできねェからな?』
『ならこっちは"加減"しながら戦いますよ』
剣を抜いてグリオネールに切っ先を向けると、グリオネールも俺の剣の刀身に交差させる様に腕を伸ばした。
同時に結界が発動し俺たちは観客席と切り離され、場内が一気に静まり返る。
『それでは闘技大会決勝戦ッ、開始ィッ!』
ティリスの合図と共に本人を含め、俺達はお互い後ろに飛び退いて間合いを離す。
しかし、グリオネールはそう見せかけてあっという間に間合いを詰めてくる。
彼は着地の瞬間に強靭な脚力で地面を蹴り、つんのめる様な姿勢で右腕の爪を振りかぶっていた。だがこれは想定の範囲内、グリオネールが突っ込んだ先、そこには俺は既にいない。
『チッ読まれたかッ…!』
俺はグリオネールが突っ込んで来るであろうと読み、此方も着地の瞬間に"超越の加護"を僅かに解放し、突っ込んで来るグリオネールを飛び越える様に踏み出していた。
『まずは挨拶代りです…"石散弾"ッ!』
空中で回転して逆さになるとグリオネールの背中に向けて魔力を込めた左手を伸ばし石の散弾を放つ。
グリオネールもそれに対抗すべく、すぐに此方を振り返り、腕を交差させて防御の体勢をとっていた。
『ぐ…うッ…!…効きゃァしねェよッ!』
至近距離とまではいかないが、充分な威力を発揮する距離で石散弾を受け止めたグリオネールが吠える様に叫ぶ。
普通の魔物や人間ならば胴体が吹き飛ぶ程の衝撃だった筈だが、グリオネールは吹き飛ぶどころかたった二本の腕で受け止めてしまっていた。
「…来るっ!」
石散弾を受け止めたグリオネールはそのまま間合いを詰め、再び右腕の爪を振りかぶる。
「そこっ…だぁっ!」
グリオネールの振りかぶる爪の軌道上に剣を滑り込ませ、衝突する瞬間に再び"超越の加護"を剣を支える両手と踏みとどまる両足に施した。
剣と爪とが衝突すると、俺達を中心に衝撃波が発生し砂埃が舞い上がる。
「うわっとと…!」
どうにかグリオネールの攻撃を受け止めるのに成功したものの、一瞬だけ"超越の加護"の効果を切るのが早く、グリオネールの攻撃の勢いに押されて蹌踉めいてしまった。
『貰ったァッ!』
グリオネールの放った膝蹴りの衝撃が内臓を突き抜け、身体が浮遊感を覚える。
息が出来ず一瞬意識が飛びそうになるが、歯をくいしばって千切れそうになる意識を取り戻す。しかし受け身を取り損ね、俺はまるで投げ捨てられた人形のように地面を跳ねる。
「かっ…かはっ…オエッ…」
手痛い一撃を受け、思わず口から吐瀉物を撒き散らしそうになるが、歯を食いしばって腹の中へと運び戻す。
『へへっ、効いたろ?』
「…ッ、…ッッ…!」
ニヤリと笑うグリオネールの言葉に返す程の余裕はなく、今はとにかく息を戻すことしか考えられない。
だが、グリオネールは大人しくそれをさせてくれる程甘くはない。
『…とと、弱ってんなら畳み掛けねェとなッ!』
「くっ…!」
重い一撃を食らって覚束ない足でグリオネールが次から次に放つ爪による斬撃を往なす。力を込めた一撃ではない為"超越の加護"の力を使う程ではないが、それでも剣で受けきれずに体捌きだけで躱す場面もあり、何度か皮膚を切り裂かれてしまう。
『オラオラオラオラァッ!』
「くっ…このっ…!」
防戦一方だがまだ直撃は受けていない。やや押されがちではあるが、とりあえずはグリオネールの攻撃は追えており、攻めあぐねているグリオネールの攻撃が徐々に単調化して行くのがわかる。
『埓があかねェな…このォッ…!』
痺れを切らしたグリオネールが爪を大きく振り上げる。確かにここでグリオネールの渾身の一撃を受けようものなら一発で体勢を崩されるだろう。しかしその瞬間こそが狙い撃つべき最大の隙だった。
『隙ありっ!』
『うおッ…!?』
グリオネールが爪を振り下ろそうとする寸前、俺は姿勢を低くして彼の懐へ入り込む。
彼は渾身の一撃を繰り出そうと爪を振り上げて大きく足を踏み込んでいる。つまり、先程食らった蹴りも今の体勢では放つ事は不可能な体勢だ。
『"暴風"ッ!』
『ウッ…オアアアアァァァァッ!?』
がら空きの腹に左手の掌底を叩き込み、ゼロ距離で暴風の魔術を放つ。
グリオネールの隆起した腹筋が一瞬大きく凹み、そのまま吹き飛ばすと、結界の壁に背中から叩き付けられていた。
『…てて、頭打っちまった…』
暴風に吹き飛ばされ背中から壁へと叩き付けられいた筈だが、グリオネールは殆どダメージを受けていないのか、軽く後頭部をさすりながら立ち上がる。
『少しばっかり驚いたが…、その程度じゃ俺は倒せねェぜ?』
『…呆れたタフネスですね』
『ガッハッハッハッ!頑丈さも売りの一つだからな!』
グリオネールが高笑いし親指を立てる。
彼はパワーもスピードも勿論高い水準にあり、一瞬の瞬発力も凄まじいが、それ以上に特筆すべきがその鍛え抜かれた肉体からくるタフネスだ。
本人も自負しているらしく、少なくとも半端な攻撃では通用しない事は分かっていたが、至近距離の上級魔術ですら殆どダメージを与えられていない様だ。
生半可な魔術は彼には効かない、それに加えて打撃にもどうやら強いらしい。
「さて…どうしたもんか…」
『そっちが来ないってんならこっちから行くぜェ…』
考えるような素振りを見せているとグリオネールの方からこちらへと走ってくる。
『…なーんて…"土壁"ッ!』
『ケッ、そんな壁ッ!』
グリオネールは俺の前に現れた土の壁を認めると右腕を振りかぶり思い切り振り抜いた。
グリオネールの馬鹿力で殴られた土壁にはあっという間に亀裂が走り、瓦礫となって崩れ去る。
『…居ねェ…? 穴…下かッ!』
『いいや残念、上でしたッ!喰らえッ"土槍の庭"ッ!』
囮に作った穴に気をとられたグリオネールが俺の声に反応して慌てて上を向く。土壁の裏から別の土壁で姿を隠しながら自分の体を打ち上げ、俺は空中へと離脱していたが、そちらも俺自身を囮に使った罠であり、空中から魔術を放つ。
『…ッ!? グオアッ!』
"土槍の庭"は地面から無数の土槍を放つ魔術で単発の攻撃である土槍を隙間なく生やす魔術だ。
土壁を突き抜けて俺の真下に入り込んだグリオネールは"土壁の庭"の攻撃範囲のど真ん中にいた。
空中にいる俺に気付き、攻撃の気配を嗅ぎつけて咄嗟に回避を試みたが、完全には回避し切れず数本の土槍がグリオネールの脇腹を貫いた。
『危ねェ危ねェ、もう少しで全身串刺しになるトコだ』
グリオネールは血が流れる脇腹を抑えたままニヤリと口を歪ませる。
その姿はまさに戦いを楽しんでいると言わんばかりであり、回避できなかった事を寧ろ喜んでいるかの様だった。
『じゃア次はこっちの番だな…』
グリオネールはそう言って右腕の筋肉を隆起させて震わせ始めた。
だが俺とグリオネールの間にはそれなりに間合いがあり、その右腕を振るった所で攻撃が届く距離ではない。
また走り込んでくるのだろうか、そう思った瞬間、嫌な予感が脳裏をよぎった。
『…っ!"飛翔物防御"ッ!』
『オラアッ!』
嫌な予感を感じた俺は咄嗟に"飛翔物防御"の魔術を放つ。
その予感は的中し、グリオネールが大きな声と共に地面を殴りつけると無数の大小様々な石飛礫が俺を襲う。
魔術による防御を敷いていた事によって魔力の通わぬ石飛礫は俺の目の前で全て叩き落とされ、瓦礫の山を築いていった。
『チッ、やっぱそう簡単にゃ当たりやしねェか、悪くねェと思ったんだがな』
石飛礫が通用せずグリオネールが少し悔しそうに舌を打つ。
それと同時に俺は魔術による防御が間に合った事に胸を撫で下ろしていた。
『まァ…だったらだったで…こうするだけだけどなッ!』
グリオネールは石飛礫が通用しないとわかるなり、すぐに両手の爪を剥いて走り込んでくる。
彼の両手の爪による攻撃は先程は一本の剣で受けていたが、それでも時には受け切れず回避せざるを得ない状況があった。最終的には彼が痺れを切らして大振りの一撃を放って来た為、その隙につけ込んで反撃に転じたが、彼の戦闘センスを考慮すれば二度同じ過ちをするとは考えにくい。
『ならこっちだって…!』
左手で腰に挿した銀の直剣を逆手に抜き、直ぐに順手に持ち替え、二刀を構えた俺は突っ込んでくるグリオネールを迎え討つ。
左手に構えた直剣の切っ先をグリオネールの喉に向け、右手の騎士剣を大上段に構えると、早速グリオネールの両爪が迫ってくる。
『行くぜェッ!』
『甘いッ!』
左手の直剣の切っ先を小さく回してグリオネールの爪を往なし、腕を巻き込むと彼は自身の勢いで大きく体勢を崩していた。
『うおっ腕が巻き込ま…危ねえッ!』
『そこっ!』
直剣の切っ先に腕を巻き込まれ、体勢を崩してよろめいたグリオネールの肩を目掛けて大上段に構えた右手の騎士剣を振り下ろす。
『こなくそッ…!』
体勢を崩しながらもグリオネールは体を捻りながら飛び込む様にして剣を躱す。
振り下ろした騎士剣には切り落としたグリオネールのたてがみの毛束の一部が纏わりついていた。
『くっそ…剣が一本増えただけで随分厄介になったな…。手数を増やしてくるのかと思ったらそうじゃねェ。受けてんのは左手の剣だけだが、いつ右側が来るかわかったモンじゃねぇ以上、思い切って攻めれねェ。左手の剣が盾に見えてくらァ…!』
二刀流とは本来、攻めの型ではなく防御の型だ。
一見両手に剣を構える事で連続した攻撃が出来る様に見える為、攻めに特化した構えに見えるが、人間は両手に剣を持ったところで別々に振っても相手がただの人間でなければまともな攻撃にはならないし、同時に振っても外れれば大きく隙を晒すだけなのだ。
この構えは両方の剣がそれぞれ別々の役割を持っている。
左手の直剣はいわば盗賊達の扱う短剣だ。直接的な攻撃と防御の役割を持っており、単純に斬ったり突いたりという攻撃として扱う他、敵の攻撃を受け止めたり受け流すと言った防御として扱う。
それに対して右手の騎士剣は剣士の長剣であり、短剣役の左手の陰から常に必殺の一撃を狙っている。
迂闊に攻めれば左手で受けられ、強力な右手の反撃が襲い、慎重に攻めれば両手の剣の牽制によってまともに動けなくなる。いざとなれば此方を防御に使い、密着した相手を左手で突くと戦いも可能だ。
グリオネールはこれに気付いたが為に安直に攻める事が出来ず、柄にもなく慎重に立ち回らざるを得なくなっていた。
優位が入れ替わってから尚もグリオネールは何度か強行に攻撃を試みるもその全てが失敗に終わり、直撃こそ無いものの、俺の反撃によって幾つかの傷を負っていた。
『…やっぱもうウダウダ考えンのはヤメだ。考えりゃ考えるほど真っ向からぶっ潰すくらいしか思い付かねェ』
距離を取って構えを解いたグリオネールが呟き、おもむろに首から下げていたネックレスを引きちぎる。
彼が首から下げているのは獣人族がより本来の力を引き出せる人獣形態に変身する為に使う"魔光珠"、その上位版と言える秘石"真魔光珠"。
準決勝のシェリーとの戦いでも使っていたが、その力の全容はまだ明らかにはなっていない。
一つだけ言える事はここからがグリオネールとの本当の戦いだと言う事だ。
『俺の願いはこの前話した通りだがよ、俺は帝国の次期皇帝だ。多くの獣人族の頂点である獅子人の皇子として、負けるわけにゃあいかねェのよ』
グリオネールは"真魔光珠"を握り締め、真の戦いの幕開けを告げる様に輝き始める。その光の中では百獣の王、獅子の象徴である金色のたてがみが静かに揺らめいている。
それはまるで彼の放つ威圧感がそうさせている様にすら俺の目に映っていた。




