第百七話:小さな酒宴
「大丈夫ですか兄様…、観客席で本当にハラハラしてたんですよ…?」
「ああ、心配かけて悪かった。正直加護の力を最大限に発揮する必要がある位の強敵だったんだ」
「それはわかりますが…、あの人が小巨獣よりも硬いなんて信じられなくて」
「ああ、それなんだけどあの鎧みたいな甲殻はどうも魔術に対する耐性を持ってた。元々の堅さに加えて耐性もあった所為で攻撃がなかなか通らなかったんだ」
俺は現在、控え室まで迎えに来てくれたクリスの肩を借りて闘技場を後にしようとしている所だ。
止血で済ませた左腕の治療もクリスにしてもらっている。
小巨獣の討伐時、アルムとの戦いで使った加護の力はドルマニアンを出てヒースクリフと出会った後にシャルディンから与えられたもので、一時的に全身の能力を飛躍的に向上させ、魔術に関しても瞬時に魔力を生み出して魔術を発動させられる様になる。
勿論代償が無い訳ではなく、加護の力の発揮の程度と時間は自分の意思で調節は出来るが、加護の力を発揮する程度や発揮している時間に応じて加護の力を効果を失った後に疲労が襲うなどの反動を受ける事になる。
またこの加護の力を発揮している間に限り、剣に送れる魔素の制限が外れ、強力な魔力付与による剣技が放つ事もできる様になる。俺はこれを"属性斬撃と呼ぶ事にした。
アルムとの戦いでこの加護の力を短時間とは言え最大限に発揮させた事で肩を借りて歩くのがやっとと言う状態に陥っている。
グリオネールとの戦いでも恐らくこの加護の力を頼ることになるだろうが、ハッキリ言ってしまえばこの加護の力を使って倒し切れなければ逆に此方が危機を招く。
相手は強敵、シェリーを圧倒した強力な人獣化を擁している。使い所を誤れば自滅は必至だ。
「挑むなら短期決戦だろうな…」
相手は獣人族、他の種族とは一線を画すタフネスの持ち主だ、長期戦に持ち込まれればジリ貧だろう。
虚を突いて敢えて開幕から加護の力を使うという手もあるが此方はかなりの分の悪い博打だろう。そもそも身体能力や体力面においては軒並み、どの要素も相手が上、人獣化を許せばまず凌ぎ切られてしまう。
グリオネールは勘がいい。それに加えてこの加護は力を発揮している間、右手の甲に魔方陣が浮かび上がってしまうのだ。それを彼が見落とすとは考えにくい。
「悩むのは後にして今日の所は早く帰って休みましょう。ほら、みんな待ってますよ」
「セオー、お疲れ様!」
「お疲れ様です、セオ様」
「セオドア様、ご無事でしたか?」
「少し無茶したみたいだけど無事で良かったわ」
「見事だった、鉄壁のアルムの鎧を砕くとは思わなかったぞ」
『いよいよ決勝だね…、まさかこんな可愛い顔して前回の優勝者を破るなんて夢にも思わなかったよ』
『セオ、お前ホントに強かったんだな…』
闘技場の入り口で仲間達が俺を出迎えてくれる。
エリウッド達獣人族の仲間は俺がアルムをあんな形で破るとは思っていなかった様だ。
ただ少なくとも全員一様に俺の勝利と無事を喜んでくれている。それだけでも戦いの疲れと傷の痛みが和らぐ様だ。
「クリス、セオは宿まで己れが担ごう」
「じゃあエリウッドさんお願いします。流石に兄様も鎧を着てるので少々重くて…」
「ああ、クリスありがとう。じゃあすみませんエリウッドさん、宜しくお願いします」
「承った」
エリウッドは短く答え、クリスから俺を引き受け軽々と肩へと担ぎ上げると、そのまま真っ直ぐに宿泊施設を目指した。
ーーー
「エリウッドさんすみません、ここで大丈夫です。ありがとうございました」
「礼には及ばん。今日はもう休め」
宿泊施設に到着し、俺とアンリエッタの部屋の前でエリウッドにそう伝え、肩から下ろしてもらう。
加護の力の反動である疲労感はあくまで一時的なもので通常の疲労とは異なり暫く経てば完全にと言う訳ではないがある程度は回復する。
まだ少しフラつきはするものの、どうにか両足で歩ける程に回復し、自分の足で部屋へと戻ると机の上に一枚の手紙が伏せてあり、差出人の署名がある。
どうやらグリオネールからの手紙のようだ。
ーーー
セオドアへ
まずは準決勝突破おめでとうさん。苦戦はしてたみてェだが勝てたようで何よりだ。
さて、前置きはここまでにしとくとして、明日の夜お前とサシで話がしてェ。
無理に、とは言わねェが陰の三刻に街の正門の階段を下った所で待ってる。
ーーー
「その手紙は?」
「うわっ!? アンリ、いつの間に!?」
「いえ、セオ様の後から入って来ましたが…? それよりもその手紙、グリオネール皇子からのものとは解りますが、どのような内容で?」
手紙を読んで逡巡している内にアンリは部屋に戻って来ていた様だ。
獣人語の読み書きは教えられていた為、手紙の差出人がグリオネールである事に気付いたらしい。
彼女に教えるべきか迷ったが、差出人が分かっている以上、変に隠しても不審に思われるだけだろう。俺は彼女に相談する体で手紙の内容を伝えた。
「──と言う事なんだけど、アンリはどう見る?」
「グリオネール皇子の性格を考えれば恐らく内容通りかと思いますわ。ただ、決勝の相手である以上、万が一の備えは必要かと」
「だよなぁ…、さてどうしたもんか…」
グリオネールからの手紙を手にしたままベッドに身を預け、ゴロゴロと転がりながら手にした手紙と睨めっこを始める。
このタイミングでこんな手紙を寄越す意図は?
話の内容は?
何故二人だけなのか?
罠ではないのか?
彼の性格上、それは無いのではないか?
考え出せばキリが無い。考えれば考えるほどに疑問は増えるばかりだ。
「…考えててもキリが無いな。アンリ、明日の夜行ってみようと思う」
「わかりましたわ。ただ私も話を聞いた以上、護衛として付いて行かせて貰いますわ。勿論、何も無いと判断できれば戻りますので」
「わかった、頼むよ」
アンリに明日の護衛を頼み、手紙をサイドテーブルに放る。
鎧を外して雑に床に置くと、途端に眠気が訪れる。
本当は入浴して汚れと疲れを落としたい所だったが疲れからか俺は訪れた睡魔に委ねて瞳を閉じた。
「おやすみ、アンリ…」
「ええ、セオ様、お休みなさいませ」
ーーー
再び夜が訪れ、日が完全に落ち切った頃。俺とアンリは仲間達に少し買い出しに出てくると言って宿泊施設を後にする。
クリスも付いて行くと言いだしたアンリのうまい言い訳とアリーシャの制止によってどうにか俺とアンリの二人で出かける事が出来た。
俺とアンリは今回は買い出しと言う建前で出ている為、大仰な装備は無く、軽度の旅装に最低限の護身の為の武器を持っているだけだ。
出発前にしっかりとした装備をして行くべきか迷っていたが、アンリは相手の意図を汲むならば完全な武装は相手への不信を表し、またそんな装備で外出となれば戦闘と邪推され全員連れて行く事になるだろうと助言をくれていた。
今朝にしても、昨晩脱ぎ散らかした鎧や服も全て整った形で置いてあり、入浴もせずに眠ってしまった事もあって、その用意が済まされていた。
アンリはよく気が利く女性だ。戦闘においても献身的な守備で仲間を守ってくれる。
まだなんとなくではあるが、少しずつ彼女になびいている事も自覚し始めていた。
陰の三刻を回る少し前、グリオネールに指定されていたガルマリアの街の正門から続く階段から降りた場所に着くと、そこには一人の猫人種の女性が立っていた。
魔術で灯した火で照らすとそこに立っていたのはノアールだった。
「お待ちしておりました、が…アンリエッタ様、皇子はセオドア様一人、と言う指示であった筈です」
ノアールはアンリを睨みつけるが、アンリは薄く目を瞑り、淡々とノアールの威圧的な問いに答え始める。
「指示に素直に応じなかった点についてはお詫び致しますわ。しかしながら幾ら皇子の指示とは言え、セオドア様は私の属するパーティーのリーダーでもあります。これから戦いを前にする相手と会うにあたり、疑いもせずに指示に従う訳にも参りませんわ。ですのでせめてと言う事で私一人だけ護衛として随伴した次第ですわ。皇子とセオドア様の会合の際には席を外させて頂くと言う事でどうかご容赦を」
アンリの毅然とした返答にノアールは返す言葉を失う。
恐らく約束を反故にした事を追及して優位性、あるいは主導権を握るつもりであったのだろうが、目論見が外れたようでノアールは苦虫を噛み潰したような表情だ。
その時、上から笑い声が急速に近づいてきた。
『ガハハハハッ!ノアール、腹芸は俺たちの負けみてぇだな!』
豪快な笑い声と共にグリオネールが崖の上から飛び降りて来る。
彼の着地と同時に砂塵が舞い上がると俺達三人は目を細めていた。
『お嬢さんの言う事は尤もだ、確かに敵地に行くのに指示されたからって素直に独りで来るヤツァいねェな!』
二、三十メートルはあろう崖から飛び降りたグリオネールはがっちり両足で着地しており、ケロリとした表情で笑っている。
ブロック塀から飛び降りた訳でもあるまい、その強靭な体に俺とアンリはただただ顔を痙攣らせているばかりだった。
『まぁただこっからは俺とセオドア、二人の話し合いだ、お二人さん。悪いがここらで帰って貰うぜ?』
『滅多な事だけはなさらぬ様お願いします、それでは』
「…辺りに他に気配はありませんし、私も宿へ戻りますわ。セオ様、お気をつけて」
グリオネールの指示に従い帰って行くノアールを見てアンリも察したのだろう、彼女はそう言って俺を残して街へと続く階段を上っていった。
『さァて、これで二人、俺とお前だけだ』
『で、話ってのは?』
『ハハッ、まァそう急くな。そうだな…ここで立ち話ってのもアレだ、丁度この間知ったいい店がある。赤い髪の猫人種の女将さんがやってる静かな店でな…』
赤髪の猫人…? 静かな店…? 引っかかりのある店主と店の特徴。恐らくだが俺の想像する店ではなかろうか。
『む…そういや来る時は忘れてたがお忍びで出てたんだった、衛兵に見つかると面倒だな…』
グリオネールは初めて出会った時や大会中に着ている煌びやかな服とは異なり、今日は薄汚れくたびれた旅装に身を包んでいる。
あくまでお忍びという体裁だと言う事が見て取れた。
グリオネールは面倒くさそうに飛び降りて来た崖を見上げる。
『なら空から行きましょう。この暗がりなら余程近づかない限りは見つからない筈です』
『おお!魔術でそんなこともできンのか!じゃあお言葉に甘えるとするか』
『じゃあもっと近くに、離れないでくださいね…"飛翔"』
俺とグリオネールの体が浮き上がるとガルマリアを囲う巨大な塀を飛び越えていく。
空を飛ぶ事に恐れていないどころかグリオネールは嬉々として眼下に広がるガルマリアの街にはしゃいでいた。
『ほお、これが上空から見たガルマリアか!有翼種の連中ァこんな景色をいつも見てンだなっ!』
グリオネールの言う通り、松明や魔導器の灯りでぽつぽつと照らされたガルマリアの街が美しく映る。
元の世界で見た夜景程は華やかではないが、こちらはまた違った趣のある夜景だ。
そうしている内に俺達二人は目的地である酒場の前へと到着する。
目前にある酒場、それはシェリーの母、シェスカの営む酒場だった。
『おお、ココだココ。丁度降り立った場所がココたァなァ…』
『あっ、グリオネール皇子!?』
着地するなりグリオネールはシェスカの酒場へと真っ直ぐ向かい扉を開く。
店の扉を潜るとカウンターに一人、先客が葡萄酒を煽っている。その先客もまたシェスカと同じ紅い髪をしている。
シェスカはと言うと、店の奥にいるのか姿が見えない。どうやら先客は店番も兼ねているようだ。
『なんでェ、先客がいるじゃねェか…っとォ、シェリーか、奇遇だな』
『…奇遇も何もアタシの実家だよ。ってか皇子サマがこんな寂れた店にわざわざ足運ぶんじゃないよ』
ずかずかとグリオネールがシェリーの隣の椅子を引いて腰をかける。すると話し声を聞きつけてシェスカがカウンターの奥から顔を覗かせていた。
『おや、いらっしゃい皇子サマ。ウチの娘がいるけど無視してかまわないから…ってセオもいんのかい、こりゃあ今日は大繁盛だね』
『なんだいなんだい、決勝でやり合うってのに仲のいいこったね』
『おうセオドア、こっちだこっち、ここ座れ!』
余程普段から客が少ないのかシェスカは自嘲げに肩を竦め、シェリーは少し赤らんだ顔で呆れたかのような表情をしていた。
グリオネールは隣の空いている椅子を引き、言われるままに俺はそこに腰掛けた。
『女将さん、俺はこの店で一番強いのを頼む。セオドアは…』
『じゃあ葡萄酒で』
『あいよ。ああ皇子サマ、セオは一応まだ十四だからあんまり無理に飲ませるんじゃないよ?』
『わァってるよ』
シェスカは返事をするとすぐに俺達が注文した酒の用意を始める。
『はいよ、芋の火酒と葡萄酒だ』
シェスカは両手に持った酒を俺達の前に差し出す。
俺の葡萄酒は定番通りグラスに注いであり、グリオネールの火酒はタンブラーのような器に注がれている。
飲んだ事はないが火酒はどうやら元の世界の焼酎に近いものらしい。葡萄酒よりも強い酒であり、葡萄酒、麦酒、エールに並び愛飲する者が多い酒だ。
材料は主に麦や芋、モロコシの様な穀物である為、安価であり、貧困者でも簡単に手に入る。加えて元々強めの酒であり、水で割って飲めば量に対しての費用はかなり安くなる為、うわばみには持って来いの酒である。
グリオネールは早速出された火酒を手に取り、タンブラーを傾けて一気に飲み干す。それと同時にやや癖のある火酒の強い匂いが漂ってくる。
『んん、悪かねェが…、火酒は温いままじゃさすがに匂いが鼻に残っちまうんだよな…』
『仕方ないね、魔導連邦の方じゃ氷を入れたりするみたいだけれど、この大陸じゃ氷なんか貴重品そのものだからね』
グリオネールがタンブラーを置き、シェリーと話しているとその間にシェスカが空いたタンブラーに火酒を注ぎ、グリオネールの前に戻す。
『じゃあ…こんな感じですかね』
魔術で球体の氷を生み出し、俺はそっとグリオネールのタンブラーに浮かべる。
小さくカラン、と小気味よい音が響き、マドラーで軽く攪拌すると僅かにタンブラーが結露し始める。
『なるほど、魔術かッ!じゃあ、早速…』
二杯目の火酒を勢いよく喉を鳴らしながらグリオネールは飲み干す。ぐうの音も出ない程の飲みっぷりだ。
『おお…こりゃあいいッ!ほんの少し薄くはなるが一気に飲みやすくなった!』
『へぇ…セオ、この葡萄酒もそうやって氷を入れて冷やしたら良さそうだね』
『いや、葡萄酒なら…こうした方が…』
シェリーの葡萄酒の瓶とグラスを拝借して冷気で瓶とグラス本体を冷やす。
葡萄酒は芳醇な香りが命だ。溶けた氷で薄まっては台無しになってしまう。
『なるほどね…こりゃこの暑いガルムス大陸にはぴったりだ。それにこの突き刺さる様な冷たさ、普段よりも美味く感じるよ』
このシェスカの店で扱っている酒はどれも所謂安酒だ。しかしこの酒好きの二人は美味い美味いと言って酒を進めていた。
俺もキンキンに冷やした葡萄酒のグラスを傾けてみる。
まるで唇が凍る様な冷たさだったが、それがどこかいい刺激となり、一気に喉に流し込めてしまう。
いつの間にか夜はタンブラーに浮かぶ氷の玉のようにとっぷりと更けてしまっていた。




