第百二話:圧倒
シェリーの試合から翌日、既に日は落ち始めている。
間も無く闘技大会の第一回戦の最終試合、つまり俺の試合が始まろうとしていた。
「では兄様、お気をつけて…」
「シェリー様ではありませんが相手は獣人族、最後まで何をしてくるかわかりません。努々お忘れなきよう」
「まぁ変に緊張せず、いつも通り行けばきっと勝てるさ」
「セオ様の勝利を信じてお待ちしてますわ」
「心配なんてしてないわよ? 相手が優勝候補とかならともかく、あの小悪党みたいな蛇人種じゃあね」
「ああ、でもたかが一回戦、されど一回戦だ。油断せずにしっかり勝ってくるよ」
仲間達に見送られながら俺は控え室への扉をくぐると、布をかけられた担架が運び出されている所に遭遇する。
かけられた布は全く動いていない。恐らくあの布の下には試合で命を落とした選手の亡骸があったのだろう。
『ああ、セオドア選手ですね? 間も無く試合が始まりますので入場の準備をお願いします』
『ええ、準備なら済んでます。ところで今のは前の試合の選手ですか?』
分かりきった事を案内係を務める兎人種の女性に尋ねてみる。
『まぁこんな大会です。選手同士の力量に大きな差があれば少なからずこういった事は起きますよ。セオドア選手もああならない様に気をつけて下さいね』
女性は特に様子を変える事無く淡々と質問に答えている。弱肉強食という分かりやすい社会規範が根付くガルムス大陸だからこその反応だろう。
そう話している内に入場口が軋みながら門戸を開く。いよいよだ。
『ではセオドア選手、入場して下さい』
案内係の女性に促され、闘技場へ続く薄暗い通路へと足を踏み出す。
闘技場から入ってくる強い光をやや眩しく目を細めながら前へと進み闘技場に入場すると、通り抜けた門が閉まる。退路は断たれた、あとは相手との決着が着くまでは出られはしない。
相手側の門が閉まると結界が発動したのか先程まで見えていた観客席の前には壁が現れ、その歓声も遮断される。
反対側の閉じた門の前には今夜の対戦相手となる蛇人種の男、ランドルフ・ティラクラトルが手に持つ短剣の刃を舐めながら待っている。相手も準備万端、戦いの開始を今か今かと待っている様子だ。
俺も背中の騎士剣を抜いて、切っ先をランドルフに向ける。
『では両選手、準備はよろしいですね?』
審判を務めるラヘアが俺とランドルフに尋ねる。
お互いに相手の目を睨みながら、無言で一度だけ首を縦に振ると、ラヘアは右手を挙げる。
『闘技大会第一回戦、第八試合、始めッ!』
ラヘアから試合の開始が宣言されると同時に身を低くしたランドルフが尻尾を振り払い地面の砂を飛ばす。
見え透いた目潰しを後ろに飛び退いて躱すと、その裏側から先程持っていた短剣がこちらに刃を向けて飛んでくる。
こちらも簡単に撃ち落とすとランドルフはにたにたと笑っていた。
『シュハハッ、まぁこんくらいは避けて貰わねえとなぁ。せいぜい楽しませてくれよな、人族の坊ちゃんよぉ』
『ああ、そちらこそ、開会セレモニーであんな大見得切ったんだ、この大観衆の前で大恥かかないようにな』
『けっ、言いやがる。まぁどこまでその余裕面が保つか見ものだぜ』
ランドルフは地面に身体を捩り擦り付けながら間合いを図り始める。
すると、徐々に姿が見え難くなっていった。
『シュハハハ…どうだ、そろそろ見えなくなってきただろう? さぁどこから攻めてやろうか? どこから動けなくしてやろうか…? シュハハハ、もしかしてもう震えて動けねぇか?』
全身に砂を纏い、完全に姿を隠したランドルフが声を発する。
ランドルフは姿を消した上で完全に気配を殺しており、声の方向からある程度の位置は判ったものの声が止むと再び認識が出来なくなる。
この気配の殺し方、姿の眩ませ方からランドルフは暗殺技能に優れた相手だと確信する。
『なるほどな…確かに厄介に思えるよ。全く見えないし気配も感じない。今の状態なら全くどこにいるかも見当もつかない。でもその全てを打ち破って俺は勝つよ』
俺は姿の見えないランドルフにそう宣言して魔力を込める。
『そうかいそうかい、シュハハハ…なら今どうやって俺を見つけるんだ? こうやって声を発した位置でも探って手当たり次第にその大層な剣を振り回してみるか? その隙に俺はお前を斬り刻んでやるけどなぁ、シュハハハハッ!』
『それは流石に不合理ってもんだろ、こうするのさ"大落流"!』
溜めた魔力を解放し、闘技場に暗雲を生み出す。
暗雲は直ぐに激しい雨を降らせ、闘技場の地面全体に敷かれた砂を湿らせた。
暗雲が降らせた大雨は地面の砂を湿らせただけでなく、ランドルフが纏っていた砂と舞い上がっていた砂煙を流し落としていき、次第に砂が落ちた事で消えていたランドルフの姿が現れる。
『チッ…水魔術も操れんのか。シュハハハ…やりにくいぜ…なぁ?』
『ああ、やりやすくさせるつもりは全く無い。常に戦いの主導権は俺が握らせてもらう』
『そうかい、じゃあこいつはどうだ?』
ランドルフは短い手足を引っ込めて地面を這い回る。
今度は泥を身体に纏わせて姿を消すつもりの様だ。
『またか。でもまだ泥を纏い切ってないなら姿は追える。"地縛縄"!』
『うおっ、泥がっ…!?』
ランドルフが身に纏おうとする泥を操り、身体を締め上げる。
泥に身体を拘束されたランドルフは身体をくねらせながら抜け出そうと藻搔いていた。
『ぐ…こんのっ…抜けられねぇ…』
『流石に蛇人種というだけあって身体が柔らかいな…とは言え全身が拘束されてるんじゃまともに動けないだろう?』
もがき続けるランドルフを見下しながら構えを解くと、彼はこちらを睨み付ける。
その瞬間、ランドルフの縦長の瞳孔が妖しく光った。
恐らく開会セレモニーの時に見せた観客に対して放った身体の自由を奪う凝視能力だろう。しかし、一瞬瞳の輝きに目を奪われただけで特に問題はない。だがランドルフの隙を伺うために俺は魔術によるランドルフの拘束を解いて敢えて身体の自由が奪われた振りをしていた。
『シュハハハッ!動けねえだろう? 声も出ねえか? シュハハ…さぁ拘束も解けた事だし…どうやって料理してやろうか…』
ランドルフは凝視能力が効いたものと思い込んでその顔を醜く歪ませていた。
『よぉし、決めたぜぇ…この術の効果は短ぇからな、先ずは毒で本当に動けなくしてからいたぶってやるよ…!さぁ…覚悟しなぁ、シュハハハッ!』
ランドルフは動かない俺に警戒を解いて地べたを這いながらにじり寄ってくる。そして至近に近づくと、その大きな口を開いて肩口に噛み付こうと牙を剥いた。
『さぁ残虐ショーの始まりだぁっ…グボェッ!?』
無防備に近付き、噛み付こうと牙を剥いたランドルフの腹に強烈な蹴りを入れる。
突然の出来事にランドルフは完全に泡を食い、吐瀉物を撒き散らしながら地面でのたうち回っていた。
『オッ…オゴッ…て、テメェ…効いて…ゲホッ…効いてなかったのかっ…!』
『見ての通りさ。その相手の動きを止める能力、どうせ相手が自分より弱かったり、苦手意識を持っている相手じゃないと効かないんじゃないか?』
腹を蹴られ、息も絶え絶えになったランドルフに鼻で笑いながらそう言い放つ。
彼の擬態能力は確かに完成度が高く、対処方法が無ければ厄介だろうが、姿さえ見えていれば幾らでも対応はできるという確信を持っており、俺とランドルフ為、彼の相手の動きを止めるという凝視能力は俺には通用しなかった。
『テメェ…俺を本気で怒らせたな…!』
『御託はいいからさっさと来い。全部叩き潰してやる!』
ランドルフは俺に対する怒りを燃やしながら口の中へと手を突っ込むと、腹の中からふた振りのサーベルを取り出す。
そして長い身体を捻ると、錐揉みしながら突っ込んでくる。その姿はまるでミキサーの刃の様だった。
しかし、その動きは見た事のあるような動きではあるが、それに比べると遅く、見切るのは造作もない。
がら空きの顔面に勢いよく飛び込み、両足で蹴りを叩き込む、所謂ドロップキックという奴だ。
蹴り飛ばされたランドルフは今度は口から弓矢を取り出すと、立て続けに放ってくる。
四つ目の武器は勿論反則の筈だが、ランドルフと言う悪人を俺が叩きのめしている状況であり、ラヘアは試合を止める素ぶりもない。
半長耳種の様な弓の技術もなく、更に何の魔力も纏っていない矢を避けるのは造作も無く、少しずつ躱しながら距離を詰めて再び顔面に蹴りを食らわせる。
たたらを踏んだランドルフは今度は盾と短槍を取り出すが、こちらも手に持った剣で応戦する。右手の槍から繰り出される突きはそれなりには鋭いが、左手の盾との連携は無く、俺はあっさりと懐に潜り込むと剣を地面に突き刺し、素手でランドルフの腹に連打を叩き込む。
連打を受け、苦し紛れに尻尾を振り抜いてくるが、その速度も十分に見切れる速度で難なく躱すと、先程地面に突き刺した剣を引き抜いては、振り抜かれて隙だらけの尻尾に斬りつける。
『あああァァァァ!俺の…俺の尻尾があああァァッ!』
ランドルフから切り離された尻尾が地面に転がりのたうち回る。
切り離された尻尾が跳ねる度に赤い血が一面に撒き散らされていた。
『邪魔な尻尾は切らせて貰った。これで小細工もできないだろ』
『絶対に許さねぇ…絶対に許さねぇぞ…』
ランドルフが怒りを露わにして牙を剥き出している。
ただの威嚇だと思っていた矢先の事だった。剥き出した牙の先端から得体の知れない液体を噴射してきた。
噴き出した液体を躱そうとしたものの、ばら撒かれた液体は完全に避けきれず、腕に数滴かかってしまった。
『熱っ…毒かっ!』
『へへっ…漸くだ…。直接送り込めりゃ直ぐに回るが…まぁ十分だ…。俺の毒は少量でも浴びれば徐々に身体の自由を奪っていく…。斬られた尻尾の恨みもあるしな、このまま嬲り殺しにしてやるぜ…!』
『だったら解毒すればいい、"解…"』
『させるかっ!』
解毒魔術を使おうとした瞬間、ランドルフが矢を放つ。
蛇の毒は消化液と聞いた事がある。ランドルフが放つ矢は彼の腹の中から取り出されたものである以上、そちらにも毒が塗られている恐れがあり、俺は魔術の使用を中止して回避を優先した。
『回復させる時間は与えねえぞ…、さあどうする?』
『だったらさっさとお前を倒して解毒するだけさ。毒を浴びさせて勝ったつもりでいるならとんだ勘違いだぞ?』
瞬時に魔力を脚に込め、ランドルフの懐に入り込む。
一瞬で間合いに入り、驚く間も与えぬ内に握り拳を腹にねじ込む。
速度の乗った痛烈な一撃にランドルフはたたらを踏んだ。
『こっちが動けなくなる前に自分が倒される心配はしなかったのか?』
ランドルフが怯む間に更に顔面や腹を殴りつける。話しかけてはいるが、当然回答などさせるつもりもない。声を出させる暇を与えるつもりもない。
『…ガ……カ…、ハ……ハガ…』
倒れる隙もない程に俺に殴られ、僅かに朦朧とした意識だけを残し、ランドルフは船を漕ぎながらもまだ倒れてはいない。
止めの一撃を刺す為の握り拳を作り、振りかぶる。
その瞬間、切り離してのたうち回っていたランドルフの尻尾がまるで計ったかのように纏わりついてくる。
『ハッ…ハッ…、…どうやら…今度は…ゲフッ…俺に運が、ゴホッ…向いたらしい…シュハハ…いたぶンのは…ハァ…ヤメだ…、致死量の毒を…流し込んでやるぜ…ハッ…シュアァァァ!』
身動きが取れない俺の首筋にランドルフの毒牙が迫る。このまま行けばランドルフの毒牙は俺の首筋を捉え、致死量の毒を流し込まれてしまうだろう。そう、このまま行けば。
『動けなくても…魔術は使える。"|氷河の一滴《グラシアルティアー"』
体に巻き付いた尻尾の僅かな隙間から伸びた指先から魔力を凝縮させた雫を生み出し、迫りくるランドルフに放つ。
ランドルフは俺の放った氷河の一滴に気にする事なく噛みつこうとするが、それよりも早くランドルフに当たって弾けた。
弾けた雫はランドルフの全身を伝播するように凍て付かせて行く。
一瞬の内にランドルフを凍て付かせた氷はそのまま足から地面へと広がり、無数の氷柱を生みながら壁まで伝って行く。
身体に纏わりつくランドルフの尻尾を引き剥がして一直線に伸びた氷河へ放り投げると、その尻尾も瞬時に凍りつき、二度と動くことは無かった。
「おっと、解毒しとかないと…"解毒"」
体から毒が抜けて行くと同時に周りを見渡すと、いつしか結界は解かれており、観客席が目に映る。
結界が解除されたという事はつまり決着だ。
観客達は俺の放った魔術で出来た巨大な氷塊に目を奪われ完全に沈黙している。
『しょ…勝者はセオドア選手ッ!我々近衛兵団が苦労して捕らえたランドルフ選手を剣を振るうまでもないと言わんばかりにほぼ体術のみで終始圧倒ッ!彼の毒を浴びておきながらもセオドア選手には特に効いた様子もなく、一瞬ヒヤリとする場面もありましたが、最後は強力な氷魔術による迎撃が直撃ッ、ランドルフ選手を一瞬で氷漬けにして決着となりましたッ!体術のキレもさることながら、この強力な魔術、優勝候補の一人として皆さんに印象付けたのではないでしょうかッ!このアトラシアから来た少年剣士、未だその実力の底を見せてはいない模様ッ!その剣を抜いた時の実力はどれほどのものか、今後の試合に期待しましょうッ!』
結界のあったその外からティリスのマイクを通した総評が聞こえると、場内から歓声と拍手の嵐が巻き起こる。
獣人族達は非常に分かりやすい社会で成り立っている。
強い者こそが偉いのだ。魔術であろうと不意打ちであろうと関係はなく、種族や取った戦術、その人物の人となりに関わらず、勝った者には分け隔てない祝福が送られるのだ。
魔術を解除すると先程までランドルフを飲み込んだ氷塊が霧散し、淡雪のように消えて行く。
氷漬けから解放されたランドルフは完全に気絶しており、鎧を着た帝国の兵士によって担ぎ出されて行く。
担ぎ出される直前、ランドルフには手枷と足枷を取り付けられていた。恐らくランドルフはこのまま再び監獄に送られるのだろう。
『会場にお越し頂いた皆様、大会二日目、本日行われる試合の全てが終了しました。明日、三日目は二回戦の全試合が行われますので明日も是非お越し下さい』
ティリスのアナウンスと帰途に就く観客達のざわめきを背に俺は案内されるまま退場し、選手控え室へと戻るとそこには腕を組んで壁に寄りかかっているグリオネールが待っていた。
『よォ、まずは一回戦突破おめでとう、と言った所か』
『なんでグリオネール皇子がこんな所に…』
『まぁちょっとした敵情視察のつもりだったんだが…、アテが外れたな。本気で戦ってないんだろ?』
『ええ、あの程度なら剣を使う程でも』
グリオネールは俺の返答を聞いて笑いが込み上げてきたのか、体を小さく震わせている。
『くっ…ハハッ、闘技場の中で逃げ場はないとは言えあのランドルフは近衛隊がやっとの思いで捕まえたヤツでな。それを本命の剣無しで倒しちまうとは、どうにも期待以上にやってくれそうで嬉しい限りだ』
『さぁ…どうですかね。相性が良かっただけかも知れませんよ?』
『いいや、お前は決勝まで上がってくるよ。俺のカンがそう言ってる──。俺のカンはよく当たるんだ』
不敵に笑うグリオネールはさも自信ありげにそう告げる。
グリオネールは見た所、理性や計算と言った言葉とは無縁に見える。俺に対する評価は肌で感じた直感なのだろう。
『おっと、そろそろ宮殿に戻らねぇと姉上殿に怒られちまう。じゃあ次は決勝で、な?』
『そちらも準決勝でシェリーさんと当たるんですからまだ分かりませんよ?』
『クハハハッ、確かにあの猫人種の女も強いな!…でも、決勝に上がるのは俺だ。三日後にはわかる。じゃあな』
グリオネールは豪快に笑いながら黄金のたてがみを揺らして控え室を後にする。
それを見送った後、俺もゆっくりと控え室を後にした。




