第百一話:過去を断ち切る真紅の鉤爪
『魔光珠の力によって大鷲の姿となったヴァーミエリ選手ッ!ここからどう仕掛けるのでしょうかッ!』
咆哮を終えたヴァーミエリはシェリーと距離を取ると翼を大きく振り上げる。
『私の爪術、貴様に受けきれるかッ!"烈空刃"!』
ヴァーミエリが叫びながらシェリー目掛けて翼を打つと舞い上がった砂煙が裂ける様に霧散する。
『…!ここだっ!』
シェリーが虚空に向けて鉤爪を振り抜くと、シェリーの爪から鋼鉄の刃がぶつかった様に火花が散り、彼女の後ろの地面には鋭利な刃物で斬りつけられたような痕跡が残る。
ヴァーミエリが羽ばたいて生み出したのは質量を持った風の刃による斬撃だった。
『とんでもない斬れ味だ…まともに当たりゃタダじゃ済まないだろうね…』
『ほう見事…だが、どこまで受けきれるか見ものだな』
『ヴァーミエリ選手が起こした突風はなんと風の斬撃だったァッ!そしてご覧くださいッ!シェリス選手の背後には深々とした斬撃の痕ッ!大鷲となったヴァーミエリ選手の攻撃能力の高さを物語っております!』
ヴァーミエリは再び翼を広げて烈空刃を放つ体勢に入る。
シェリーも先程と同様に鉤爪の一撃で相殺する腹づもりらしく、鉤爪を構える。
その後もヴァーミエリは何度も何度も繰り返し烈空刃を放ち、シェリーも烈空刃が放たれる度にそれを迎撃し続けていた。
しかしヴァーミエリもただひたすら烈空刃を放つだけではなく、数発に一度、自らもその足の爪でシェリーに襲いかかり、シェリーは徐々に傷と疲労を溜め、追い込まれつつあった。
『なかなか耐えるものだ、だがそろそろ疲れが見えてきたな』
『…ハァ…ハァ…、はっ、これしき…どうってこと…ないさ…!…そっちこそ…そろそろ打つ手が…なくなって来てるんじゃないかい?』
『シェリス選手防戦一方ッ!ヴァーミエリ選手の上空からの一方的な猛攻を必死に耐えてはいますがいよいよ疲れが見えておりますッ!このまま押し切られてしまうのかッ!』
シェリーは立て続けに襲いかかるヴァーミエリの攻撃に防戦一方であり、肩で息をする程に消耗していた。
それでもなおシェリーは気丈に振る舞い、闘志を燃やしている。
『ではそろそろ終わりにしようか…』
ヴァーミエリは今まで以上に力を込めて羽ばたくと錐揉みしながら更に上空へと舞い上がる。
『クエェェーーーッ!これで、仕舞いとしよう!"嵐空刃"ッ!』
今まで放ってきた烈空刃の動きとは異なり、ヴァーミエリは咆哮の後に空中で踊る様に風を纏い始める。
そして十分に風を纏ったヴァーミエリは烈空刃を放つ時以上に力を込め、渾身の力で羽ばたいた。
ヴァーミエリが纏っていた数多の風の刃がシェリーに向かって降り注ぐ。
シェリーは無数の刃を必死に受けているものの、あまりの斬撃の多さに全ては受けきれず、肩や足、横腹に小さな傷を作っていた。
『物凄い猛攻ッ!シェリス選手、手も足も出ませんッ!必死に受け続けてはいますが最早押し切られるのは時間の問題かァーッ!? …あぁっとォ、遂にシェリス選手、遂に完全に防御の体勢に入った様ですッ!』
シェリーは鉤爪で風の刃を受ける事を止め、腕を身体の前で交差させたまま身体を丸くしていた。
それでもなお降り注ぐ風の刃は容赦無くシェリーの身体を斬り刻む。
風の刃がシェリーの皮膚を斬りつける度に彼女の身体から血が飛沫く。そして風が止むと彼女は身体を血に染めたまま、その場に立っていた。
ゆっくりとシェリーは顔を上げ、交差させた腕を戻す。
頭や顔から流れた血が頰を伝って滴り落ちる。
『そんなチンケな風じゃ…アタシと言う炎は消せやしないよ…!満身創痍にでも見えてるんなら…大間違いさ…!』
シェリーがヴァーミエリを見上げる。しかし、彼の姿は見当たらない。
ヴァーミエリはシェリーが嵐空刃を受け続けている間に忽然と姿を消していた。
『…アレに耐えきるとは見事。ならばせめて最期は貴様の父を葬った攻撃で仕留めるとしよう!』
ヴァーミエリの声が背後から聞こえる。
シェリーの背後には大きな鷲が既に足を向けて迫って来ていた。
『あぁーっと!シェリス選手、何とか猛攻を凌いだものの防御に集中する余り、背後に迫っていたヴァーミエリ選手に気付けず両腕を拘束されてしまったァーーッ!これは絶対絶命ッ!』
『くっ…離しなッ…!』
シェリーは背後から両腕を大きな足で掴まれる。
振り解こうと藻掻くがヴァーミエリの強靭な足の握力の前にはびくともしない。
そしてヴァーミエリはシェリーを掴んだまま少しずつ上昇し始めていた。
最初はゆっくりと、しかし加速度的に上昇し、あっという間に三十メートルはあろう大闘技場の天井付近まで到達し、シェリーの目からは下にいる審判のラヘアが豆粒に見えていた。
最初は藻搔いていたシェリーも既に諦めたかのようにただ為すがままヴァーミエリに掴まれていた。
ヴァーミエリは大人しくしているシェリーを少し訝しむが、既に振り解かれたとしても落下すれば無事では済まない高度まで上昇していた為、杞憂だと思ったのかシェリーに対して声をかける。
『最期に何か言い遺す言葉はあるか?』
『…そうだね、獣人族は気絶するか死ぬまで何をするかわからない、とだけ言っておこうか』
『戯言を、猫人種であろうとこの高さから落とされれば無事では済まんぞ?』
誰がどう見ても絶対絶命と言わざるを得ない状況にも関わらず、シェリーはにやりと口を歪ませる。
直接聞いているヴァーミエリを始め、それを見ていた観客もシェリーのその表情はただの強がりだと考えていた。
『…もういい、では終わりにするとしよう!』
ヴァーミエリはシェリーを掴んだままくるりと宙返りすると、地面に頭を向ける。
『終わりだ、"大鷲落とし"!』
『ヴァーミエリ選手ッ、シェリス選手を掴んだまま地面に向かって直滑降ッ!この高さと速度ではまず助からないでしょうッ!これは勝負あったかッ!?』
地面に一直線に滑降しながらヴァーミエリは落ちて行く身体を捻り錐揉みし始める。
そんな中、両腕を拘束されたままのシェリーは両手に握ったままの鉤爪から炎を生み出し、錐揉みしながら落ちる二人に渦状の炎の軌跡が残る。
『無駄だ、その体勢から私の体を焼く事は出来んぞ?』
『…さぁ、どうだかね』
既に二人の眼前には地面が迫っている。
シェリーは鉤爪を付けた手首を地面に向け、紅い鉤爪に更に魔素を送り込む。
シェリーは他の殆どの獣人族と同様、魔術を扱う資質は持ち合わせてはいないが、炎魔術の効果に加え、魔力の増幅効果を持つ赤龍の鉤爪を身につけて一年程戦い続けていたのだ。
彼女は一般的な魔素総量でも魔術の資質が無くとも多少の炎魔術が操れる様になっていた。
シェリーから魔素を送り込まれた鉤爪は更に輝きを増し、放たれる炎は更に勢いを増して、ちょっとした大炎となっていた。
『何をする気か知らんがもう遅いッ!』
地面に激突する寸前、ヴァーミエリはシェリーを掴んでいた足を離すと、勢いそのままに放り出されたシェリーの頭に地面が迫る。
『死んでたまるもんかいッ!』
『何ッ!?』
シェリーが地面に激突する寸前、鉤爪に込めた魔力を解放すると、激突しようとする地面に向けて強力な爆発を発生させた。
シェリーを離して激突から逃れようとしたヴァーミエリも方向転換を仕切れず、シェリーが起こした爆発に巻き込まれる形となった。
『巨大な爆発ッ!これはシェリス選手が叩き付けられた際に起こったものかッ、それともシェリス選手の悪あがきによるものかッ!両者共、砂煙に包まれており、こちらからは中の様子はわかりませんッ!』
爆発によって発生した砂煙が結界内に充満しており、戦いの行方を見守る観客席からはどよめきが起こる。
やがて薄っすらと砂煙が晴れだすと、そこには肩を抑えて立っている二人の影が映っていた。
『あぁーっと、決着かと思いましたが両者未だ健在ィーッ!しかし負傷故か、両者共に辛い様子ッ!さぁ漸く砂煙が晴れましたが…、ヴァーミエリ選手は先程の爆発に巻き込まれたのでしょうかッ、羽の一部が焼けてしまった様子ッ!方やシェリス選手は先程の傷に加えて爆発による火傷を負った模様ッ、最早気力が彼女を支えている、そんな印象ですッ!』
『爆発で勢いを殺したか、まさか自爆覚悟とは恐れ入る』
『ハッ…ハッ…言ったろ…、何をするか…ハァ…わからないってさ…!』
ボロボロの体でもシェリーの闘志は未だ熱く燃えており、その眼はまだ死んではいない。
肩を抑えていた手を離し、再び両手に鉤爪を持って構えている。
対するヴァーミエリは魔光珠の効果が切れたのか、大鷲の姿から人型へと戻っており、両翼の先が爆発に巻き込まれた事によって黒く煤けていた。
『とは言え、限界なのは事実だろう。このまま仕留めてくれるっ!』
ヴァーミエリが両腕を広げて飛び上がり、翼状の腕を羽ばたかせる。
『ぬっ!?』
ヴァーミエリは上空に飛ぼうとしたが、上手く風を掴めずにバランスを崩してしまう。
その瞬間をシェリーは見逃してはおらず、ヴァーミエリより高く飛び上がった彼女は紅い鉤爪を振り下ろす。
ヴァーミエリは撃墜され、地面を二度、三度と跳ねながら地面を転がされた。
『シェリス選手の攻撃が直撃ッ!飛ぶ前のヴァーミエリ選手を叩き落としたァーッ!ヴァーミエリ選手、先程はほぼダメージは無い様に見えましたが、先程の爆発で思った以上にダメージを受けていたのかッ!?さぁこの試合、わからなくなって参りましたァッ!』
『セオの言った通りだったね…。モウキンルイがどうとかってのはよくわかんないけど、あんたらには風切羽ってのが翼の先にあるって言ってたんだが、それを失うと自由に飛べなくなるらしい。実際に今バランスを崩したのが何よりの証拠だね』
シェリーは血の混じった唾を地面に吐きながらヴァーミエリにそう言い放つ。
ヴァーミエリは最大の武器を奪われていた事に気付いていなかったらしく、立ち上がりながら焼けて煤けた風切羽に視線を向けていた。
『…ハッ、まさかあの時ッ!?』
『そう、お察しの通りだよ』
シェリーはヴァーミエリが大鷲落としを敢行する途中に鉤爪から炎を放ち、ヴァーミエリの風切羽を炙り続けていた。
滑降速度のせいで炎上させるには至らなかったものの、風切羽を焼いた事で直撃とは行かないまでも、爆発の回避に失敗していた。
『さぁて、ふぅ…随分とやられたけど…こっからはアタシの番だね…、覚悟しな!』
『ぬぅ…、翼を失ったとしても貴様も限界の筈だッ!』
『おいおいアンタ、陸の王者・獅子人種の近縁である猫人種を舐めちゃいないかい?』
シェリーの踏み込みが爆発的な推進力を生む。
上空から狙われていた時は一方的に攻撃を受け続けるしかなかったが、ヴァーミエリが空を飛べない今この状況、まさに形成逆転と言うべき状態だった。
ヴァーミエリは飛ぶ事も敵わず、足の鉤爪で応戦するものの、陸上での戦闘能力は猫人種のシェリーには遠く及ばない。
『シェリス選手の猛反撃ィッ!どうした事でしょうかヴァーミエリ選手ッ!先程の攻撃が効いてきたのか飛んで離脱することも適わず、シェリス選手の鉤爪を食らい続けていますッ!』
『グッ…そのボロボロの体のどこにそれだけの力が…!』
『アンタも知っての通り、獣人族ってのはタフさがウリだろう? 一見ボロボロに見えるかも知れないけど…アンタの攻撃、アタシは今までただの一発たりともまともに食らっちゃいないよ』
シェリーはヴァーミエリの攻撃で派手に傷を負ったものの、どれも皮膚を斬られただけに過ぎず、骨身に沁みる程の深い傷は一切無かった。
『ぬおおォォッ!"烈空刃"ッ!』
追い込まれたヴァーミエリは全力で翼を打ち、風の刃を放とうとする。
それに対してシェリーは砂煙を鬱陶しそうに片手で目を覆う程度の反応しかせず、とても防御とは思えぬ立ち姿でヴァーミエリの風の刃を迎えうつ。
ヴァーミエリの起こした風がシェリーの紅い髪を激しく揺らす。
しかし、ヴァーミエリが放ったのは風の刃ではなく、ただの突風だった。
『な…なん…だと…』
『…これじゃ子鬼も殺せないねぇ。もう諦めな、これで終いだよ』
ヴァーミエリの起こした突風が止むと同時にシェリーは距離を詰める。
彼女の鉤爪が防御の構えすらないヴァーミエリの左肩に迫る。
殴りつける様に振り抜かれた鉤爪は肩に食い込み、そのままヴァーミエリの胸、そして脇腹へと袈裟掛けに滑り、大きな傷を作り出す。
シェリーの勢いある攻撃はヴァーミエリの身体を引き裂くだけに留まらず、そのまま彼を結界の壁にまで吹き飛ばし叩きつけた。
大の字で結界の壁に叩きつけられたヴァーミエリは一瞬動きを止めるとゆっくりと崩れ、尻餅をついた様な姿のまま動く様子はない。
完全に動かなくなったヴァーミエリに審判であるラヘアが近づくと、首を横に振って、さらに両手を頭の上で大きく振る。
『ヴァーミエリ選手戦闘不能ッ!決着!決着ですッ!第一回戦、第四試合ッ!勝者はシェリス・キャトリニア選手ッ!最後は鉤爪による渾身の一撃が炸裂しましたッ!劣勢下からの目が醒める様な猛反撃、多くの傷を負いながらも、諦める事無く戦局をひっくり返しましたッ!』
ラヘアの合図と共に結界が解除され、ティリスの試合終了の宣言が闘技場全体に響く。
それを聞いたシェリスが息を吐きながら腰に手を当てて、観客席に向けて手を振ると、闘技場が揺れんばかりの歓声と拍手が巻き起こる。
闘技場の出入口となる門が開き、シェリーはゆっくりと門へと進み、それと入れ替わりに白衣の獣人達が担架を持って入ってくる。
二人の闘いを讃える歓声と拍手は、両者の退場が済むまで続けられていた。
ーーー
俺達は戦闘を終えたシェリーが戻ってくる控え室で彼女を待っていた。
出入口の門が開くと、激戦を制し、足取りをふらつかせたシェリーがゆっくりと戻ってくる。
「やあみんな、ボロボロのナリだけど何とか勝ってきたよ」
シェリーは俺達に勝利を報告すると、ベンチにどっかと腰掛ける。
「ふぅー…、キツいのは貰って無いんだけど流石に血を流し過ぎたかね、頭がクラクラするよ」
「初戦突破お疲れ様です。大丈夫ですか?」
息を吐きながら疲れた様子のシェリーに声をかけると、シェリーは大丈夫、と言わんばかりに握り拳を作る。
とは言え、全身に無数の細かい傷を負い、ふらふらと戻ってきた所を見る限り、少なくとも余裕のある戦いでは無かった事が窺え、クリスがすぐに治癒魔術をシェリーに施した。
治癒魔術では傷自体は治療できるものの、失った血が戻るわけではない。
傷の癒えたシェリーはベンチからふらつきながらゆっくりと立つとにかっとした満面の笑みを見せていた。
「漸く、だね。形はどうあれ、父さんを殺したアイツに勝てたよ。この鉤爪やセオの助言に助けられた部分はあるだろうけど、これでアタシの中で一区切りはついた。さ、血も流し過ぎたし、失った体力を回復させなきゃあね!みんな、メシにしようじゃないか!」
彼女の屈託の無い笑顔と明るい言動に俺達も笑顔をこぼす。
過去を断ち切った彼女の顔は今まで以上に明るく輝いていた。




