第九十八話:特別待遇
『姉上殿、手続きの方は頼んだぜ。開会セレモニーは明日、陰の一刻だ、遅れるなよ?』
『あっ、ちょっ…』
一方的な決定に戸惑い、待ったをかけようと俺が手を伸ばすがグリオネールは俺の名前も聞かずに兵士達を連れて酒場を出て行ってしまった。
「…行ってしまいましたね」
「ああ…行ってしまったね」
制止できず、強引に闘技大会に出場させられる事になり、俺は呆然と立ち尽くす。
するとレオナがやや小走りで酒場へと戻ってくる。
『あっ、よかったレオナ皇女!グリオネール皇子に伝えて欲しいんですが…』
『その事についてですが、残念ながら皇子がああ言い出しましたらもう私では止められません。申し訳ありませんが、諦めてください。それと皇子が貴方様のお名前を聞き忘れておりましたのでお聞かせ願えませんか』
『あ、えっと僕はセオドア、セオドア・ホワイトロックと申します』
『セオドア様、ですね。皇子にはお伝えしておきますので…それでは』
『あっ、ちょっと待っ…もういない…』
レオナにグリオネールへの伝言を頼もうとするも、レオナは俺が話す途中からその事について諦める様に言うと、再びドレスのスカートの裾を摘み上げて一礼した後、すぐに踵を返して去っていった。
後を追おうと酒場を飛び出すも、既に彼女の姿は無く、ただ砂埃が混じる風が吹き抜けるだけだった。
「速い…」
「こうなった以上、出るしかあるまい」
「挑戦状を送り付けられた、そう思うしかなさそうね」
クローディアは挑戦状と例えるが、あまりに一方的な挑戦状に俺は肩を落とす。
「…仕方ない、とりあえず滞在先だけでも決めてしまおう」
「そうですね、プラットンの街に上陸して毎日歩き詰めですから…」
「ええ、これでは疲れも取れませんわ」
「それにセオは今朝、小巨獣を倒すのに"制約解放"を使ってるんだし、闘技大会に出るのが決まっちゃった以上はしっかり休んだ方がいいだろうからね」
話しながら既に俺達は大通りへと歩みを進めている。
俺自身まだ平気な顔をしているつもりではあるが多少の疲労感は拭えず、また仲間達もブルダーから行動を共にするエリウッドとヴァイダを除いて若干の疲れを感じている様だ。
『…とは言ってもこの時期だ、街の中心近くのいい宿は期待できないと思うよ?』
エリウッドの通訳で宿探しを行う事を聞いたヴァイダの話ではいい宿はほぼ全滅だろうとの事だ。
それもそうだろう。殆どがガルムス大陸の獣人ばかりが出場する闘技大会とは言え四年に一度の大会である。元の世界で言うならば古代のオリンピックの様な物で、娯楽の少ないこの世界においては数少ない大イベントだ。エーテルスクエア中から沢山の人々が詰めかけるのも頷ける話だ。
「…どうしたもんか」
「ご心配には及びませんよ」
宿の確保に頭を悩ませているとどこからともなく声が聞こえてくる。少なくとも声の主は俺達の中の誰のものでもない。
「セオ、上だ!」
フォルクの声に反応して上を向くと、路地の薄暗がりから黒い影が飛び降りてくる。
周囲の暗さとフードを被っている為、素顔は見えないが、腰から伸びた尻尾から獣人族であることだけは分かる。
黒い影は建物の間に張られたロープを尻尾で掴むと、今度は壁から壁へ不規則かつ縦横無尽に跳ね回りながら此方へと近づいてくる。
素早く跳ね回る影は俺とフォルク、アリーシャがどうにか目で追える程だが、俺の場合は完璧に目で追っている訳ではなく、着地点と動き出す向きで次の着地点を予想しているだけだ。
「来るっ!」
黒い影の着地点からの動き出しの方向は俺に向いていた。
それがわかると瞬時に腰に下げた普段は使わない長剣を抜き、黒い影が伸ばす腕に向けて長剣をかざす。
黒い影が伸ばした腕の先には鋭い爪が鈍く光っており、銀の刃に受け止められて震えていた。
「何者だ!」
大声で問いかけると、黒い影は後ろ向きに宙返りをして俺との距離を取る。先程の身のこなしと言い、かなりの手練れだろうと予測できる。
「成る程、多少の疲れは見えますが皇子の見立て通り、人族にしてはなかなか…、申し遅れました、私はガルム帝国近衛兵長、ノアール・キャトリニア。皇子の遣いです」
被っていたフードを取り去るとその人物の健康的な褐色の肌が露わになり、短髪の黒髪から尖った耳を生やした猫人種の少女が顔を表す。
様子を見るに俺を試したと言った所か。
「グリオネール皇子の遣いか、俺達を試しに来たのか?」
ノアールにそう尋ねると、彼女は目を閉じてふるふると首を横に振る。
「確かにそれもありますが…、レオナ皇女の仰せでセオドア様御一行を選手用の宿へ案内する様にと言われております」
「また伝え忘れか…適当すぎだろグリオネール皇子…、…!?」
先程の名前の聞き忘れの件といい、色々と忘れがちなグリオネールに対し、つい愚痴を溢すとノアールから一瞬強い殺気を感じ、大きく後ろに飛び退く。
その瞬間にアンリが割って入り、赤龍の籠手でノアールが振り抜こうとする爪を受け止めていた。
「口には気をつけて下さい。グリオネール皇子に対しての悪口はガルム帝国に対しての悪口と同義ですよ」
「…だとすればその客人に対して手を上げようとしている貴女は帝国に対して手を上げていると同義ではなくて?」
売り言葉に買い言葉だ。ノアールは後ろに飛び退いて、アンリに対して口から尖った牙を覗かせて怒りを露わにしている。
「人族はやはり図々しい…!皇子も何故この様な者を…!」
「仮にも王族であるならば客人のもてなし方ぐらい学ぶべきでは? 国家としての程度が知れますわね!」
「減らず口を…!」
アンリの言葉にノアールの堪忍袋の尾が切れる。
振りかぶった鋭爪がアンリに襲いかかり、アンリは背にした槍を取りノアールへと穂先を向ける。
「…!」
二人の攻撃がぶつかる瞬間、エリウッドがアンリの槍の柄を、ヴァイダがノアールの手首を掴み二人を制止する。
「はいはいそこまで。アンリ、そんなに彼女を挑発しちゃダメだよ」
「ここは戦いの場ではない。無益な争いは避けるべきだ」
『ノアールと言ったね。この国は確かアトラシアのマクシミリアン帝国と友好を結んでいるはずだよ? 向こうは人族が治めてる国の筈だけど、皇帝サマが人族と友好を結ぶって言ってんのに近衛のアンタが人族にその態度じゃアンリにそう言われても仕方ないんじゃないかい?』
フォルク、エリウッド、ヴァイダの制止によりアンリとノアールは互いに武器を納める。
とは言え二人は険しい表情で睨み合っており、一触即発の状況は相変わらずだ。
「アンリエッタ様、ノアール様、怒りをお鎮め下さい。セオドア様、ここは私にお任せを。ノアール様、少し宜しいでしょうか」
睨み合い一触即発の状況が続く二人の間にアリーシャが入り込み、俺に自分に任せて欲しいとそう言うとノアールを連れて二人で路地の陰へと移動する。
「…」
「…それはっ…!…」
「…」
「…」
一度だけノアールの驚く声が聞こえるがそれ以外に二人の話は聞こえない。
数分が経ち、一通り話がついたのか二人は落ち着いた表情で路地から戻ってくる。
「とりあえずはノアール様も落ち着かれた様です」
「申し訳御座いませんセオドア様、私とした事がとんだご無礼を致しました。謹んでお詫び申し上げます」
「…? …ああ、いえ、此方こそ口が滑ったとは言え皇子に対しての失言、お詫び致します」
アリーシャとの会話を終えたノアールは態度が一変し、自ら謝るどころか膝をついて首を垂れている。
アリーシャと何を話したのかは見当がつかないが、少なくとも彼女のお陰で険悪な空気は払拭されたらしい。
「…では大会期間中に滞在して頂く宿へとご案内致しますので逸れぬ様お願い致します」
ノアールは立ち上がりそう言うとペコリと小さく頭を下げ大通りへと俺達を案内し始める。
「アリーシャ、彼女と何を話したんです?」
「ふふ、秘密ですよ」
クリスはアリーシャにノアールとの会話について尋ねたがアリーシャは優しく微笑み、秘密、とだけ答えていた。
アリーシャが獣人族と何かしらの接点があるという心当たりは全くない為、俺とクリスだけでなく他の全員がノアールの態度の豹変に首を傾げるばかりだった。
ーーー
「到着致しました。此方が闘技大会に出場される方に用意致しました宿で御座います」
俺達がノアールに案内された宿はガルマリアで最も規模の大きな宿泊施設だった。
精巧に掘られた壁や柱の彫刻、細部にある金や銀の造形に数々の調度品、一眼で一流の宿泊施設だと分かる程の立派な施設で、普通に泊まろうものなら最低でも白金貨数枚は下らないだろう。
「では私は皆様の宿泊の受け付けを済ませますので暫くお掛けになってお待ち下さいませ」
ノアールはそう言って正面に待ち受ける受付へと向かう。
俺達はと言うと、初めて入った高級宿泊施設のロビーの豪華さに圧倒されたままだったが、それ以上にタップに関しては自分と全く無縁であろう施設の中で落ち着けず、忙しなくきょろきょろと辺りを見回していた。
「ふむ、この調度品も一流の…」
「わかりますか、アンリエッタ様」
「ええ、私も家を飛び出したとは言え、ブリュンヒルデの上流騎士の生まれですから…、その様子ですとアリーシャさんもお分かりになられるみたいですわね」
「私は以前勤めていた所の職業柄…とでもいいますかね」
アンリとアリーシャはロビーに飾ってある調度品の数々に目を輝かせている。
アリーシャはホワイトロック家に仕える前は冒険者だったと聞いたが、それも随分前で実際にホワイトロック家に奉公していたのは両親が結婚した頃であり、およそ十五年前となる。
アリーシャは現在三十四歳だが少なくとも十四までは冒険者だった事を考えると五年程の空白があるがその間については話してくれた事はない。
アリーシャの過去について逡巡している間にノアールが客室への案内を行う犬人種の獣人を連れてくる。
「…様、セオドア様?」
「…ん? ああ、受付が済んだんですかね」
「はい、ここからは係の者がご案内致します。また明日の夕刻にお迎えにあがりますので遅れぬ様お願い致します」
「わかりました。ノアールさん、色々とありがとう」
「いえ、近衛として任務を全うさせて頂いているだけですので」
俺が彼女に礼を言った辺りから、彼女はまるで俺が国賓であるかの様に片膝をついて首を垂れたまま微動だにしなかった。いつまでそうしていたかはわからないが、少なくとも俺達が吹き抜けとなったロビーの大ホールから客室の廊下に入るまで、つまり目の届く範囲にいる間はその状態だった。
「お待たせしました、此方の四部屋がセオドア様達にお使い頂く客室となっております。ご不明点やご要望がありましたら、部屋に備え付けてありますベルを鳴らしていただきますと係の者が伺いますので何なりとお申し付け下さいませ。それではごゆっくり…」
案内役の従業員は説明を終えると深々と頭を下げて下階へと戻って行く。
彼が去った後に俺達は部屋の扉を開け、中の様子を確認した。
「…凄い部屋だな」
「上流貴族向けの部屋ですわね。恐らく最も等級の高い部屋かと思いますわ」
まさに部屋はスイートルームと言って間違いはないだろう。広い間取りでありながら三部屋に跨る広々とした空間があり、ロビーにあったものよりも更に高価そうな調度品が並ぶ。
二つ並んだベッドも滑らかな肌触りのシーツが陽の光を反射しており、その感触はまるで雲でも詰め込んだかの様に柔らかい。
部屋内の設備を見て回っていると別の部屋の様子を調べに行っていたフォルクがやってきて部屋の割り振りについて尋ねてきた。
「セオ、部屋はどう振り分けようか、一番奥の一部屋だけ三人分のベッドが用意されてるけど…」
「じゃあとりあえず二人部屋の一つはエリウッドさんとヴァイダさんで。夫婦ってのもありますし」
「そうだね、じゃあ二人には先に言って休んでもらうとするよ、あとの七人についても考えておいてね」
フォルクがエリウッド夫婦に伝えるために部屋を一旦後にする。
「男女は分けておいた方がいいだろうし…、だとしたら三人部屋は俺達男性陣で女性陣は二人部屋に二組がベストかね…」
『待ちな、タップはこっちで引き受けるよ。獣人族同士だし、アンタらと一緒よりは落ち着くはずだ』
『へ? あっ、オイラ!?』
部屋の割り振りを決めていると先程フォルクが声をかけに行ったヴァイダがやってくる。
彼女はタップの小さい身体を軽く持ち上げて肩に担ぐとそのままエリウッドと共に最奥の三人部屋へと入って行った。
「となりますと、セオドア様とフォルクハルト様がご一緒の部屋に、残った我々女性は二人ずつ各部屋に、という事ですか」
「そうなりますわね」
「まあそれが一番無難だろうな」
「でもそれじゃありきたりじゃない?」
俺達はアリーシャの言う割り振りでほぼ満場一致だったがそこにクローディアが異を唱える。
「えっと、クローディア?」
「ほら、別に同じベッドで寝るわけでもないし、着替えなんかも別の部屋でできるんだし、男女混合なんてセオとクリスが兄妹って事で一緒の時がある程度じゃない、たまにはいいんじゃないかしら?」
「あはは、セオはどうだい? 嫌じゃなければそれでも面白いと思うよ?」
「まぁ仮にアンリやクローディアと一緒になってもクリスと一緒の時みたいにすればいいし、今回は部屋も多いから問題ないだろうけど…」
俺の主観で言うならばクリスやアリーシャについては家族やそれに準ずる関係で、フォルクは同性である以上、この三人に関しては概ね問題はない。
フォルクも反対せず、また他の女性陣が反対しなかったのにも理由がある。
以前、ドルムの街に滞在した時に酔ったクローディアが夜にフォルクの部屋に飛び込み、服を脱ぎ捨てて襲いかかったという事があったそうだ。
しかし、フォルクはクローディアの出るところは出て締まるところ締まった生まれたままの姿を見ても全く動じるどころか、そのままクローディアをベッドに寝かしつけて自分は椅子で眠っていたと言う事件があったと言う。
フォルクも長耳種や半長耳種はそういった欲は弱いと説明しており、また酒の勢いや雰囲気に流された様な行為は彼自身好きではないと話していた。
「私は…アリーシャはともかく、兄様が他の女性と同じ部屋と言うのは…」
やはりと言うべきか、クリスからは反対意見が出る。
クリスにはややブラコンじみた所があり、普段から俺に好意を寄せるアンリに目を光らせており、アンリもそれがわかっている為か、以前アトラシアで迷宮を攻略してから以降はそういった行動は控えている。
「まぁまぁクリス、俺もまだ未成年だしそういった間違いは起こさないよ」
俺はそう言ってクリスの耳元に顔を寄せる。
「…少なくとも酒に酔って兄の隣で全裸になって寝たりする様な事はないから」
他の誰にも聞こえない程の声でクリスにそう耳打ちすると、彼女は透き通る様な白い肌を一気に赤らめる。
「うっ…それは…!…わかりました」
「よし、クリスもわかってくれたみたいだし、せっかくだしクローディアの案で行くとしてクジで決めようか」
俺は部屋の中にある紙を切り分けてクジを作り、それぞれ全員が引く。クジは丸と三角と四角が二つずつ描かれており、同じマーク同士が同室となる。
勿論、クジを作った俺は最後の余りのクジだ。
「ふふふふ…、セオ様と同室…!」
「うっ…アンリさん、絶対に間違いは起こさないようにっ!」
「僕は…クローディアとだね。よろしく」
「うーん、ちょっと気まずいわね…」
「セオドア様、アンリエッタ様から好意を寄せられているのは私も知ってはいますが…」
「ああ、少なくとも成人まではそういった事は無いつもりだ。それよりもクリスを頼んだよ」
クジの結果、俺はアンリと、クリスはアリーシャ、フォルクはクローディアと同じ部屋に決まる。
フォルクとクローディアはさっさと部屋の中に入っていき、クリスはずっと心配そうな目で此方を見ていたが、アリーシャの手が肩に置かれると諦めた様に部屋に入っていった。
部屋に入って荷物を置き、先程までよく見れてなかった客室を再び見て回ると、客室には個別の広い浴場が備えられているのに気付く。
「風呂か…そういえば旅の間は身体を拭くぐらいしかできなかったな…」
「セオ様、お先に入られては? お疲れでしょうし、闘技大会の事もありますのでゆっくり休まれた方がよろしいかと思いますわ」
「じゃあお言葉に甘えて先に入らせて貰おうかな。結構広いみたいだし、アンリも後でゆっくり入るといい」
「ええ、そうさせて貰いますわ。…では、ごゆっくり…」
ひらひらと手を振るアンリに見送られながら俺は風呂へと向かった。
ーーー
先に風呂を済ませた俺は少し火照った身体を冷ます為、部屋のバルコニーで風に当たっていた。見下ろす景色には燦燦と降り注ぐ真っ赤な陽光に照らされた大きな広場とそこを行き交う多くの人々、そして正面には大闘技場が見える。
「獣人族の猛者が集う闘技大会…。グリオネールにシェリーも出るんだっけか…」
自分の力を推し量るには丁度いい機会であり、また、今まで戦ったことのない獣人族達に、彼らの操る爪術に今まで培ってきた自分の剣術と魔術がどこまで通用するのか。
想像すると冷ましている筈の身体が奥から熱くなってくるのを感じ、無意識の内に右手は握り拳を作っていた。




