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「役立たずの記録係はいらない」と婚約破棄されましたが、王国を救ったのは私の帳簿でした  作者: 北野風人
婚約を失った夜、帳簿を開く

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第5話 同じ一杯、違う重さ

消えた十二個の升は、その日のうちには見つからなかった。


 倉庫の裏にある焼却場には、黒い灰と炭になった木片が残っていた。


 カイルが長い棒で灰を崩す。


 焦げた板。


 錆びた釘。


 割れた桶の金具。


 王室の刻印が残る木片は、一つもない。


「本当に、ここで焼いたのでしょうか」


「分からない」


 カイルは短く答えた。


「だが、十二個の升を二日前に燃やしたにしては、木が少なすぎる」


 財務局監査官が灰を見下ろした。


「燃え残りを片づけた可能性もあります」


「何のために?」


「焼却場を清潔に保つためでしょう」


「検査の知らせが来た日だけ、急にか」


 監査官は答えなかった。


「ほかの場所を確認しましょう」


 私が言うと、カイルは棒を置いた。


「どこを見る」


「古い道具を再利用しそうな場所です」


「再利用?」


「取っ手が壊れただけなら、穀物の取引以外には使えます」


 倉庫長は、二日前まで使っていた十二個をすべて焼却したと言った。


 けれど、この倉庫が処分した升は、それだけではない。


 三か月前に確認した備品記録では、ベルナ倉庫は少なくとも十五年前から、何度も升を交換している。


 過去の升まで、本当にすべて焼かれたのだろうか。


「馬小屋だ」


 カイルが言った。


「飼料を量るのに、古い桶や箱を使う」


     ◇


 馬小屋へ入ると、乾いた藁と馬の体温で、冷え切った指先が少しだけ緩んだ。


 壁際には、飼葉用の道具が並んでいた。


 片方の取っ手が取れた桶。


 底を補修した木箱。


 欠けた水入れ。


 どれも、壊れた後まで使い続けている。


「倉庫で使っていた古い升が、こちらへ回されたことは?」


 カイルが馬番に尋ねた。


 白髪交じりの男は、しばらく考えてから、馬房の奥を見た。


「一つなら、あります」


 私とカイルは同時に顔を上げた。


 馬番が取り出したのは、泥のついた木製の箱だった。


 片方の取っ手が割れ、縁の一部が欠けている。


 外側には何度もぶつけた傷があり、角も丸くなっていた。


 それでも形は、王国規格の穀物升と同じだった。


 底面を返す。


 汚れの下に、王室の刻印が残っている。


「いつから、ここにありますか」


「三年ほど前です。倉庫で捨てるというので、馬の燕麦を量るためにもらいました」


「誰から?」


「前の副倉庫長です。今はもう、辞めています」


「壊れていたのですか」


「取っ手だけです。量る分には困りません」


 馬番は不安そうに私たちを見た。


「持っていてはいけなかったでしょうか」


「あなたを責めるための検査ではありません」


 私は升を受け取った。


 外側の縦と横は、倉庫に並べられていた新しい升と変わらない。


 王室の刻印も本物に見える。


 けれど、持ち上げたとき、わずかな違和感があった。


「軽い」


 私が呟くと、カイルが升を受け取った。


「三年も馬小屋にあった。木が乾いたのではないか」


「その可能性はあります」


 私は内側へ手を入れた。


 底は平らだった。


 ただ、縁から底までが、新しい升より浅く見える。


「計量場で確かめましょう」


     ◇


 古い升と新しい升を、同じ台の上へ並べた。


 外から見れば、大きさはほとんど変わらない。


 王室の刻印。


 穀物管理局の検査印。


 四角い形。


 違うのは、古さだけに見えた。


 私は規格寸法表を開き、新しい升の内側へ定規を入れた。


 規定どおりの深さ。


 次に、馬小屋から見つかった升を測る。


「底が二指分、高い」


 財務局監査官が身を乗り出した。


「木が膨らんだのでは?」


「二指分も、均等に膨らむとは考えられません」


 カイルが古い升の内側を指の関節で叩いた。


 鈍い音がする。


 続いて、外側の底板を叩く。


 今度は、少し高い音が返ってきた。


「底が二重になっている」


 彼は腰の短刀を抜き、内側の隅へ刃先を差し込んだ。


 薄い板がわずかに浮く。


 倉庫長の顔から血の気が引いた。


「お待ちください。証拠品を傷つけるおつもりですか」


「三年前に処分した道具なのだろう」


 カイルは手を止めなかった。


 板の周囲には、木の粉と油を混ぜたものが塗られていた。そこへ穀物の粉が入り込み、継ぎ目はほとんど見えない。


 刃先を少しずつ動かすと、内側の底板が外れた。


 その下から、浅い空洞が現れる。


 外側の底板には、王室の刻印がある。


 内側へ後から加えられた板には、刻印がない。


「王国の検査を受けた後で、上げ底を加えたのですね」


 私が言うと、倉庫長は首を振った。


「私は知りません。この升は、私が倉庫長になる前のものです」


「少なくとも、この倉庫で使われていた量器に細工があったことは事実です」


 私は二つの升へ、同じ小麦を縁まで入れた。


 表面を平らな板でならし、それぞれの中身を秤へ載せる。


 新しい升。


 規定どおりの重さ。


 古い升。


 それより、ほぼ一割軽い。


 中身を空にし、もう一度量った。


 結果は同じだった。


 三度目も変わらない。


「同じ一杯なのに……」


 財務局監査官が呟いた。


「重さが違う」


「この升で百杯を量れば、実際に渡される小麦は九十杯分ほどです」


 私は測定結果を作業帳へ記した。


「北部備蓄庫で正しく量られた百升分の小麦を、ここで量り直す。この上げ底の升を使えば、百十杯前後に分けられます」


「そのうち百杯だけを帳簿へ書き、王都へ送る」


 カイルが続けた。


「残りを別へ回しても、帳簿の上では入庫も出庫も百升のままだ」


「だから、王都へ向かう馬車は軽くなります」


 倉庫長が声を荒らげた。


「三年前の升一つで、現在の倉庫を疑うのですか。前の副倉庫長が勝手にしたことかもしれない!」


「その可能性はあります」


「ならば――」


「だから、過去と現在の記録を確認します」


 私が答えると、カイルが倉庫長の前へ立った。


「小麦を量り直した日の勤務表。袋と封蝋の使用数。馬車の入出庫記録。夜間の門の開閉記録。すべて出してもらう」


 倉庫長は答えなかった。


 私は古い升を布で包み、調査隊が持参した木箱へ入れた。


 箱の蓋を閉じ、財務局の封蝋を落とす。


 私。


 カイル。


 財務局監査官。


 二人の護衛。


 升を保管していた馬番。


 六人が、発見場所と測定結果を記した確認書へ署名した。


 升の寸法、三度の重量、二重底の構造も三部に書き写す。


「そこまでするのか」


 カイルが尋ねた。


「あなたの報告から、一度別紙がなくなっています」


「同じことは繰り返さない、か」


「はい」


 カイルは封印された木箱を持ち上げた。


「これは俺が運ぶ」


「証拠品です。落とさないでください」


「人に物を頼む言い方ではないな」


「お願いではなく、注意です」


 彼は何か言い返しかけ、やめた。


「やはり、面倒な帳簿係だ」


 そう言った声は、最初に会ったときほど冷たくなかった。


     ◇


 火が出たのは、その夜だった。


「火事だ!」


 叫び声と鐘の音で、私は目を覚ました。


 窓の外が赤い。


 宿舎を飛び出すと、倉庫の東棟から炎が上がっていた。風にあおられた火の粉が、雪の上へ降り注いでいる。


「水を運べ!」


「東の扉を開けろ!」


「夜番が中に残っている!」


 人々が叫びながら走っていた。


 私は調査隊の部屋へ戻り、封印した木箱と三部に分けた確認書の一部を抱えた。


 廊下へ出たところで、カイルと鉢合わせる。


「何をしている」


「証拠品を外へ出します。その後、受払簿と勤務表を――」


「戻るな」


「ですが、記録が燃えたら――」


「人が先だ」


 カイルは外套で口元を覆い、炎の上がる東棟へ走った。


「カイル!」


 彼は振り返らなかった。


 二人の護衛が、私と証拠品を門の外へ移動させる。


 間もなく、煙の中からカイルが現れた。


 肩に若い夜番を担いでいる。


 髪の一部が焦げ、右手には火傷を負っていた。


 夜番を雪の上へ下ろすと、再び建物へ戻ろうとする。


「待ってください」


 私は彼の腕を掴んだ。


「まだ誰かいる」


「点呼を取ります。中へ戻るのは、その後です」


 勤務表の控えを持つ役人を探し、夜番の名前を一人ずつ読み上げさせた。


 一人。


 二人。


 三人。


 最後の一人だけ、返事がない。


 倉庫長を補佐していた書記だった。


「今夜の担当場所は?」


「記録室です」


 その瞬間、東棟の屋根が大きな音を立てて崩れた。


     ◇


 夜明け前、火はようやく消えた。


 穀物を保管する主倉庫の一部。


 計量場。


 記録室。


 小麦の受払簿も、袋と封蝋の使用記録も、馬車の入出庫記録も焼けた。


 行方の分からない書記は、遺体すら見つからなかった。


 雪の上に、黒い灰が降り積もっている。


 上げ底の升は残った。


 六人の署名が入った確認書も、三部すべて無事だった。


 それでも、この升がいつから、誰の指示で、どれほど使われたのかを示す記録は失われた。


「偶然だと思うか」


 隣に立つカイルが尋ねた。


 右手には白い布が巻かれている。


「まだ、放火だとは断定できません」


「そう言うと思った」


「ですが、火の広がり方は確認できます」


「何が分かった」


 私は焼け落ちた建物を見た。


「最初に炎が上がったのは記録室です。その直後、離れた計量場からも火が出ています」


 二つの建物の間には雪が積もり、燃え移るものはなかった。


「火元が二か所あるのか」


「その可能性が高いです」


 カイルは、燃え残った門へ目を向けた。


 雪の上には、人と馬車の足跡が入り乱れている。どれが火事の前についたものなのか、もう見分けられない。


「それに、書記が一人いなくなっています」


 私たちは、不正に使われた量器を見つけた。


 けれど、その夜。


 誰が、いつ、どこへ小麦を運んだのかを記した帳簿は、すべて灰になった。

お読みいただき、ありがとうございます。

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