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「役立たずの記録係はいらない」と婚約破棄されましたが、王国を救ったのは私の帳簿でした  作者: 北野風人


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現場を信じる男

「三度報告して、ようやく来たのが帳簿係か」


 ベルナ倉庫へ着いて最初にかけられた言葉が、それだった。


 王都を出て五日目の午後。


 雪に覆われた北街道の先に、灰色の石壁で囲まれた倉庫が見えた。


 門の前には二台の馬車が止まっている。


 一台は荷台を空にし、もう一台には小麦袋が積まれたままだった。御者と倉庫の役人たちが、何かを巡って言い争っている。


 その中心に、背の高い男が立っていた。


 三十歳には届かないだろう。


 濃い灰色の外套をまとい、腰には長剣を下げている。貴族が飾りとして持つ剣ではない。柄の革は擦り切れ、鞘にはいくつもの傷が残っていた。


 男は私たちを見ると、露骨に眉を寄せた。


「財務局の監査官と護衛二名。それから、王宮記録局のエリナ・ヴァルトです」


 同行してきた監査官が紹介した。


「あなたが、カイル・レグナード管理官ですね」


「ああ」


 彼は監査官ではなく、私を見ていた。


「現地の確認が必要だと、報告書に書いたはずだ。また帳簿を数えに来ただけなら、五日もかけて来る意味はない」


「帳簿を数えに来たのではありません」


「では、何をしに来た」


「帳簿に書かれた量と、実際に運ばれた量が一致しているか確かめに来ました」


 カイルは、私が抱えている書類箱へ目を落とした。


「結局、紙から始めるのか」


「あなたの報告も、紙に書かれていました」


 彼の眉が動く。


「現場を見て書いた報告だ」


「記録されていなければ、王都には届きません」


「三度書いて、三度無視された」


「だから四度目に、私が来ました」


 しばらく、互いに目をそらさなかった。


 先に視線を外したのはカイルだった。


「口だけの役人よりは、ましか」


「褒めてくださっているのでしょうか」


「そう聞こえたなら、王都の言葉は便利だな」


 監査官が咳払いをした。


「話はそこまでにしましょう。王命に基づく検査です。まず倉庫長に命令書を――」


「その前に、こちらを見てほしい」


 カイルは、門の前に止まった二台の馬車を指した。


 ベルナ倉庫長が慌てて割って入る。


「管理官殿。倉庫内の確認が先ではありませんか。帳簿も量器も、すでに用意しております」


「だからだ」


 カイルの声が低くなった。


「用意されていないものから見てもらう」


 倉庫長の顔が強張った。


「輸送設備も検査対象に含まれています」


 私が言うと、監査官は渋々頷いた。


「手短にお願いします」


「十分だ」


 カイルは積み荷の残る馬車へ向かった。


 私も後を追う。


 雪は止んでいたが、風は冷たかった。五日間馬車に揺られた身体は固まり、足元の雪を踏むたびに膝が痛む。


 カイルは一度だけ私の足元を見た。


 何も言わず、歩調を少し落とした。


「この馬車は、北部備蓄庫から小麦を運んできた」


 荷台には、王室の封印が押された麻袋が積まれている。


「途中で袋を開けた形跡は?」


「見た限りではない」


 私は一番手前の袋を確認した。


 紐の結び目には赤い封蝋がつき、北部備蓄庫の印章が残っている。傷も、付け直した跡も見当たらなかった。


「ここへ着くまでに、中身が減った可能性は低いですね」


「ここへ着くまではな」


「ここへ着いてから、何が行われるのですか」


 カイルは倉庫の建物を指した。


「北部備蓄庫では、王国規格の升で小麦を量り、一定量ごとに袋へ詰めて封印する。ここへ届いた後、袋を開け、品質と水分を確かめるために量り直す」


「その後、新しい袋へ詰めて王都へ送る」


「ああ」


「量り直すこと自体は、規則に沿った作業ですね」


「本当に確認しているだけならな」


 倉庫長が声を上げた。


「何をおっしゃるのです。すべて規則どおりに行っております」


 カイルは答えず、馬車の前にしゃがんだ。


 雪の下から、黒く濡れた地面がのぞいている。


「ここだけ雪がありません」


「馬車が何度も通るからでしょう」


「それもある。倉庫の井戸水が流れ込むせいで、門の内側は冬でも泥が柔らかい」


 地面には何本もの轍が残っていた。


 カイルは、積み荷のある馬車の轍へ指を差し入れる。


 次に、倉庫から街道へ向かって続く別の跡を示した。


「深さが違う」


 私が言うと、彼の表情がわずかに変わった。


「分かるのか」


「倉庫へ入る馬車の跡のほうが深い」


「王都行きの馬車は、帳簿上では同じ量の小麦を積んでいる」


「馬車の型は?」


「同じだ。車輪の幅も変わらない」


 私はしゃがみ、二本の轍を見比べた。


 北部からベルナ倉庫へ入る馬車。


 ベルナ倉庫から王都へ出ていく馬車。


 同じ量を積んでいるのなら、地面へ残す深さも大きくは変わらないはずだ。


「いつから気づいていたのですか」


「去年の春だ」


「報告書には、轍の記載がありませんでした」


「最初の報告に別紙をつけた。轍の幅と深さを測り、図にしたものだ」


 私は財務局監査官を見た。


 監査官は首を横に振る。


「王都へ届いた報告に、別紙はありませんでした」


 カイルの目つきが変わった。


「途中でなくなったのか」


「報告を受理した部署で、外された可能性もあります」


「だから紙は信用できない」


「紙が、自分で別紙を外したのではありません」


 私は携帯してきた定規を取り出し、轍へ差し入れた。


「外した人がいるのです」


 カイルは黙った。


 私は作業帳に測定結果を書き込む。


 入庫側と出庫側の轍の深さ。


 車輪の幅。


 地面の状態。


 測定時刻と天候。


「また書くのか」


「今度は、なくされないようにします」


「同じ紙だろう」


「三部作ります。一部は財務局、一部は記録局、もう一部はあなたに確認していただきます」


「俺に?」


「現場の責任者として、測定内容を確認し、署名してください」


「俺の署名を信用するのか」


「署名だけを信用するわけではありません。誰が、どこで、何を確認したのかを残します」


 カイルは私の手元を見た。


 冷たさで指先の感覚が薄れ、文字を書く線が少し震えていた。


 彼は何も言わず、馬車の荷台に置かれていた角灯を取り、私のそばへ置いた。


 灯りの熱が、わずかに指へ届く。


「エリナ・ヴァルト」


 初めて、彼が私の名前を呼んだ。


「はい」


「王都の帳簿係は、全員そこまで面倒なのか」


「私だけだと思います」


「そうか」


 カイルは作業帳を受け取り、測定した数字を自分でも確認した。


 それから、頁の下へ署名する。


「なら、四度目は外れではなかったらしい」


     ◇


 倉庫内の検査が始まったのは、それからだった。


 ベルナ倉庫長は、私たちを中央の計量場へ案内した。


 石造りの広い倉庫に、小麦の匂いが満ちている。壁際には袋が高く積まれ、中央には小麦を量るための木製の升が並べられていた。


「こちらが、現在使用している王国規格の升です」


 倉庫長が一つを持ち上げる。


 四角い木製の量器。


 底には王室の刻印。


 側面には、穀物管理局の検査印が押されている。


 私は升を受け取り、内側を確かめた。


 底は平らで、ひび割れもない。


 持参した規格寸法表と照合する。


 縦、横、深さ。


 すべて一致していた。


「問題はないようだな」


 財務局監査官が言った。


 倉庫長の表情が緩む。


「当然です。当倉庫では、規則を厳守しております」


 私は升の縁へ指を滑らせた。


 木の表面は、滑らかだった。


 長く小麦を量ってきた道具なら、内側に穀粒が擦れた細かな傷が残る。角も少しずつ丸くなる。


 けれど、この升には、それがない。


「ほかの升も見せてください」


「すべて、こちらに用意しております」


 全部で十二個。


 一つずつ手に取り、内側、底、刻印を確かめた。


 どれも寸法に異常はない。


 そして、どれも同じように新しかった。


「交換したのはいつですか」


 私が尋ねると、倉庫長の返事が一瞬遅れた。


「先月です」


「理由は?」


「古いものが傷んだためです」


「交換記録をお願いします」


 倉庫長が部下へ命じ、備品帳簿を持ってこさせた。


 該当する頁には、こう記されていた。


『穀物升十二個。破損につき交換』


 日付は、先月ではない。


 二日前だった。


 私たちの検査を知らせる先行の騎馬便が、ベルナ倉庫へ到着した日だ。


「先月交換したと、おっしゃいましたね」


 私が顔を上げると、倉庫長の額に汗が浮かんでいた。


「日付を取り違えただけです」


「十二個すべてが、同じ日に壊れたのですか」


「以前から傷んでいたため、まとめて交換したのです」


「古い升はどこにありますか」


「処分しました」


「処分方法は?」


「薪と一緒に焼却しました」


「誰が確認しましたか」


「それは……」


「処分記録を見せてください」


 倉庫長は答えなかった。


 カイルが低い声で言う。


「用意がよすぎると言っただろう」


 私は並べられた十二個の升を見た。


 王室の刻印。


 規格どおりの寸法。


 傷一つない内側。


 検査の知らせが届いた日に交換され、その日のうちに焼かれた古い量器。


 目の前の新しい升は、何も証明しない。


 私たちが見つけなければならないのは、消えた十二個のほうだった。

お読みいただき、ありがとうございます。

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