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「役立たずの記録係はいらない」と婚約破棄されましたが、王国を救ったのは私の帳簿でした  作者: 北野風人
八台目の行き先

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代筆された名前

 翌朝、ネラは木札を両手で持ってきた。


 昨日、私が書いた名前の下に、炭の線が増えている。


 最初の文字は形になっていた。次の文字は途中で曲がり、その先が黒く塗りつぶされている。


「ここ、違う?」


「少しだけ。でも、昨日より書けています」


 ネラは黒くなった指先を見た。


「書けないときは、誰かに書いてもらっていい?」


「はい」


「それでも、私の名前になる?」


 私は答えかけて、机の上へ目を向けた。


 ノラから届いた、七年前の救済受領書の写し。


 違う村の、違う代表者。


 二つの名前は、同じ手で書かれていた。


「名前を書いてもらうことはできます。ただ、その紙に何が書いてあるか、先に教えてもらってください」


「名前だけじゃないの?」


「何を受け取ったのか。何を約束したのか。名前を書く理由も残ることがあります」


 ネラは木札を胸へ引き寄せた。


「これは?」


「名前を練習した木札です。それだけです」


「なら、もう一回書く」


 彼女は広場へ走っていった。


 私は二枚の写しを並べ直した。


 筆跡が同じであることは確認できる。


 だが、二人とも代筆を頼んでいたのなら、その一致だけで偽造とは言えない。


 受領時刻も同じ正午になっている。荷を受け取ったあと、一人の文書官がまとめて記入した可能性はあった。


 昨夜の報告には、まだ書き加えない。


 まず、名前を使われた本人に会う必要がある。


     ◇


 セラで配給確認を終え、私は北方街道へ戻った。


 残る二村のうち、手前の村では、アルベルトたちが荷車を届ける予定になっている。村の代表と地方の救済担当官も、受領確認に立ち会う。


 私は宿場から調査予定を王都へ送り、ノラには旧受領書の原本と交接記録の照合を頼んだ。


 村へ着いたとき、広場では秤を据える作業が始まっていた。


 荷車はまだ到着していない。


 アルベルトに写しを見せると、彼は日付を確かめた。


「七年前の代表者は、まだここにいる」


「話を聞けますか」


「ああ。今日の救済と、旧記録の調査は分けて進めよう」


 呼ばれてきたのは、指の節が太い老人だった。


 外套の肘には、何度も縫い直した跡がある。


 私は名を確かめ、受領書に記されたものと一致することを確認した。


「この紙について、お尋ねします」


 写しを机に置く。


 老人は文字を読もうとせず、私を見た。


「何の紙だ」


「七年前、この村が救済穀物を全量受け取ったという記録です。代表者として、あなたの名前があります」


「俺は字が書けない」


「誰かに書いてもらいましたか」


「商会の人に頼んだ」


「でしたら、受領は成立していますね」


 広場の端から、男が近づいてきた。


 革の書類鞄を持ち、胸にベルク商会の章をつけている。


「御本人の承諾による代筆です。珍しいことではありません」


「お名前と担当を教えてください」


 男は足を止めた。


 北方支店の取引記録を管理していると名乗り、現在の支払いについて確認するため村へ来たと説明した。


 同行の記録官が書き留める。


「七年前、この取引に立ち会いましたか」


「いいえ。記録を引き継いでいます」


「では、当時の説明は、御本人に確認します」


 私は老人へ向き直った。


「名前を書いてもらう前に、何の紙だと言われましたか」


「麦を買った証だ」


「無料の救済を受け取った証ではなく?」


「買ったんだ。村で金を集めた」


 商会の男が、鞄の持ち手を握り直した。


「七年前の話です。記憶が混じっているのかもしれません」


「その可能性も含めて調べます」


 私は老人に尋ねた。


「当時の紙は残っていますか」


「家にある」


「見せていただけますか」


 老人はうなずいた。


「払った分まで、払っていないことにされたら困る。捨てるなと言われていた」


     ◇


 老人の家には、空になった道具掛けがあった。


 壁に残った金具の下だけ、板の色が薄い。


 彼は炉の横から小さな木箱を取り出した。中には、布に包まれた紙が数枚ある。


 最も古い一枚は折り目が擦り切れ、四隅が丸くなっていた。


 私は机に布を敷き、その上へ置いてもらった。


 ベルク商会北方支店。


 保存穀物、売渡証。


 日付は王宮の救済受領書と同じだった。


 重量も一致している。


 左上には荷の管理番号があった。王宮受領書の摘要欄に記されたものと、数字も枝番号も同じだった。


「このとき、穀物は何度届きましたか」


「一度だ」


「同じ時期に、王宮から無料の穀物を受け取ったことは?」


「ない。待っても来なかったから、買った」


「袋の数を覚えていますか」


 老人は首を横に振った。


「正確には覚えていない」


 私はその返答を記録官に残してもらった。


 次に、村の共同支出記録を借りた。


 麦を買うために集めた金。


 家ごとの負担。


 商会へ支払った額。


 売渡証の初回支払額と一致していた。


 その後の支払いも、別の紙に残っている。どの領収書にも商会の受領印があった。


 最後の一枚だけは、日付が新しい。


 今年の収穫後に、残額を支払うよう求める通知だった。


「今も返済を続けているのですか」


「何度か期限を延ばしてもらった。払えた年も、払えなかった年もある」


 老人は壁の道具掛けを見た。


「道具を売った家は、次の年に畑を耕すのも難しくなった。麦を食べれば、それで終わりというわけにはいかなかった」


 私は通知に記された残額を確かめた。


 七年前の取引は、この村ではまだ終わっていなかった。


「支払いは、正当な契約に基づいています」


 商会の男が言った。


「この方も、購入したと認めています」


「はい。購入そのものは否定していません」


「では、問題はないでしょう」


 私は二枚を並べた。


「こちらは、無償救済を全量受け取ったという記録です。こちらは、同じ番号、同じ重量の穀物を買った証です」


「番号の転記誤りでは?」


「どちらの番号が誤っていますか」


「そこまでは、今すぐには」


「では、支店の原簿と照合してください。元になった記録も必要です」


 男は紙へ目を落とした。


「村に残った一枚だけで、商会の帳簿を疑うのですか」


「王宮の受領書と、商会の売渡証と、村の支出記録を照合しています」


 私は売渡証を指した。


「この紙も、あなたの商会が発行したものです」


 男は黙った。


 記録官へ、確認できた範囲を伝える。


 本人は代筆を依頼した。


 購入の証明だと説明された。


 無償救済の受領書として説明された記憶はない。


 村の支出記録と商会の売渡証は、初回支払額が一致する。


 無償救済として別の荷を受け取ったかどうかは、ほかの村人にも確認する。


 老人は、読み上げられる言葉を一つずつ聞いていた。


「俺の名前があれば、何でも俺が認めたことになると思っていた」


「何を認めたのか、確かめる必要があります」


「字が読めなくてもか」


「はい。紙の内容を説明されたかどうかは、大切な確認です」


 老人はしばらく黙っていた。


 やがて、今年の支払通知を私の前へ押した。


「なら、これも調べてくれ」


     ◇


 広場へ戻ると、救済荷車が到着していた。


 アルベルトが荷札を確かめ、村人たちが袋を下ろしている。


 今日の受領作業は、そのまま続けてもらった。


 私は地方の救済担当官へ、旧取引の照合結果を示した。


 担当官は売渡証、王宮受領書の写し、村の共同支出記録を順に読んだ。


「この債務を取り消すよう求めるのですか」


「今は、請求の根拠を確認するまで、追徴を保留していただきたいです」


 私は今年の通知を置いた。


「同じ荷について、救済完了と売買の二つの記録があります。どちらが誤っているかを確認する前に、村の財産を処分させるべきではありません」


 担当官は商会の男に尋ねた。


「差押えや担保処分の手続きは、始まっていますか」


「まだです。支払期限が近づいているだけです」


「では、この一件を争いのある請求として受け付ける。追徴手続きの保留を管轄へ申請する」


「商会への支払いをすべて止めるのですか」


「対象は、この管理番号に結びつく残額だけです」


 担当官は村側の異議申立てを受け付け、請求番号と照合中の資料を記した。


 審査中の追徴を一時保留する権限の範囲を確認し、申請が受領されるまでの措置として署名する。


 商会へ一通。


 村へ一通。


 管轄への申請に一通。


 受領者の名も、それぞれ残した。


 借金が消えたわけではない。


 だが、説明のつかない記録を根拠に、明日にも財産を処分される心配は、ひとまずなくなった。


 老人は控えを受け取った。


「この紙は、何を認めた紙だ」


「あなたが古い請求に異議を申し立てたことと、確認が済むまで追徴を保留することです」


「分かった。これは、そういう紙なんだな」


 彼は折らずに持ち、そばにいた若い村人へ、家まで一緒に来てくれるよう頼んだ。


 私は売渡証と支払通知の写しを作った。


 原本の状態、保管者、確認した場所を記録する。読み上げた内容に間違いがないか、老人にも確かめてもらった。


 原本は担当官の保全預かりとし、村側へ預かり証を渡した。


 王都へは照合結果と写しを送る。


 その間、商会の男は口を挟まなかった。


 私が記録を閉じると、ようやく前へ出た。


「こちらも、確認していただけますか」


 革鞄から、厚い紙を取り出す。


「古い取引についてお尋ねになると聞き、支店から持参しました」


 王宮会計室の書式だった。


 建国祭中止に伴う余剰品売却。


 ベルク商会への販売を認める文面。


 下には印影があり、登録番号が付されている。


「商会が保管している許可書です」


 男は私の前へ置いた。


「私たちは、王宮から売却を認められた物を買いました。代金も支払っています」


 私は文面を読んだ。


 品目は保存穀物。


 印影の形は、知っているものと一致していた。番号の位置も書式どおりだった。


 真正かどうかは、登録簿との照合が必要だ。


「この許可書も確認します」


「どうぞ。支店では、正式な取引として保管しています」


 男の声に、落ち着きが戻っていた。


「王宮が売ってよいと決めた物です。その購入代金まで、商会の不正だと言われるおつもりですか」


「購入代金を不正だとは、まだ申し上げていません」


 私は許可書と売渡証を並べた。


「この許可が、どの穀物に対して出されたのかを確認します」


 男は指先を許可書の印へ置いた。


「ここに、王宮の印があります」


「はい。だから、王宮の登録を調べます」


 広場では、新しい荷袋の重量が読み上げられていた。


 村の代表が聞き、倉庫側の代理が確かめ、記録官が書いている。


 私は許可書の日付を、照会書へ写した。


 次に、救済受領書と売渡証に共通する番号を書く。


 商会が、この荷を勝手に奪ったとは限らない。


 王宮の側で、売れる物へ変えた者がいるのかもしれない。


 まず調べるのは、穀物の用途を変更した日。


 その次は、販売を許可した日。


 私は二つの照合欄を作った。


 どちらにも、まだ確認者の名前は入れなかった。

お読みいただき、ありがとうございます。

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