代筆された名前
翌朝、ネラは木札を両手で持ってきた。
昨日、私が書いた名前の下に、炭の線が増えている。
最初の文字は形になっていた。次の文字は途中で曲がり、その先が黒く塗りつぶされている。
「ここ、違う?」
「少しだけ。でも、昨日より書けています」
ネラは黒くなった指先を見た。
「書けないときは、誰かに書いてもらっていい?」
「はい」
「それでも、私の名前になる?」
私は答えかけて、机の上へ目を向けた。
ノラから届いた、七年前の救済受領書の写し。
違う村の、違う代表者。
二つの名前は、同じ手で書かれていた。
「名前を書いてもらうことはできます。ただ、その紙に何が書いてあるか、先に教えてもらってください」
「名前だけじゃないの?」
「何を受け取ったのか。何を約束したのか。名前を書く理由も残ることがあります」
ネラは木札を胸へ引き寄せた。
「これは?」
「名前を練習した木札です。それだけです」
「なら、もう一回書く」
彼女は広場へ走っていった。
私は二枚の写しを並べ直した。
筆跡が同じであることは確認できる。
だが、二人とも代筆を頼んでいたのなら、その一致だけで偽造とは言えない。
受領時刻も同じ正午になっている。荷を受け取ったあと、一人の文書官がまとめて記入した可能性はあった。
昨夜の報告には、まだ書き加えない。
まず、名前を使われた本人に会う必要がある。
◇
セラで配給確認を終え、私は北方街道へ戻った。
残る二村のうち、手前の村では、アルベルトたちが荷車を届ける予定になっている。村の代表と地方の救済担当官も、受領確認に立ち会う。
私は宿場から調査予定を王都へ送り、ノラには旧受領書の原本と交接記録の照合を頼んだ。
村へ着いたとき、広場では秤を据える作業が始まっていた。
荷車はまだ到着していない。
アルベルトに写しを見せると、彼は日付を確かめた。
「七年前の代表者は、まだここにいる」
「話を聞けますか」
「ああ。今日の救済と、旧記録の調査は分けて進めよう」
呼ばれてきたのは、指の節が太い老人だった。
外套の肘には、何度も縫い直した跡がある。
私は名を確かめ、受領書に記されたものと一致することを確認した。
「この紙について、お尋ねします」
写しを机に置く。
老人は文字を読もうとせず、私を見た。
「何の紙だ」
「七年前、この村が救済穀物を全量受け取ったという記録です。代表者として、あなたの名前があります」
「俺は字が書けない」
「誰かに書いてもらいましたか」
「商会の人に頼んだ」
「でしたら、受領は成立していますね」
広場の端から、男が近づいてきた。
革の書類鞄を持ち、胸にベルク商会の章をつけている。
「御本人の承諾による代筆です。珍しいことではありません」
「お名前と担当を教えてください」
男は足を止めた。
北方支店の取引記録を管理していると名乗り、現在の支払いについて確認するため村へ来たと説明した。
同行の記録官が書き留める。
「七年前、この取引に立ち会いましたか」
「いいえ。記録を引き継いでいます」
「では、当時の説明は、御本人に確認します」
私は老人へ向き直った。
「名前を書いてもらう前に、何の紙だと言われましたか」
「麦を買った証だ」
「無料の救済を受け取った証ではなく?」
「買ったんだ。村で金を集めた」
商会の男が、鞄の持ち手を握り直した。
「七年前の話です。記憶が混じっているのかもしれません」
「その可能性も含めて調べます」
私は老人に尋ねた。
「当時の紙は残っていますか」
「家にある」
「見せていただけますか」
老人はうなずいた。
「払った分まで、払っていないことにされたら困る。捨てるなと言われていた」
◇
老人の家には、空になった道具掛けがあった。
壁に残った金具の下だけ、板の色が薄い。
彼は炉の横から小さな木箱を取り出した。中には、布に包まれた紙が数枚ある。
最も古い一枚は折り目が擦り切れ、四隅が丸くなっていた。
私は机に布を敷き、その上へ置いてもらった。
ベルク商会北方支店。
保存穀物、売渡証。
日付は王宮の救済受領書と同じだった。
重量も一致している。
左上には荷の管理番号があった。王宮受領書の摘要欄に記されたものと、数字も枝番号も同じだった。
「このとき、穀物は何度届きましたか」
「一度だ」
「同じ時期に、王宮から無料の穀物を受け取ったことは?」
「ない。待っても来なかったから、買った」
「袋の数を覚えていますか」
老人は首を横に振った。
「正確には覚えていない」
私はその返答を記録官に残してもらった。
次に、村の共同支出記録を借りた。
麦を買うために集めた金。
家ごとの負担。
商会へ支払った額。
売渡証の初回支払額と一致していた。
その後の支払いも、別の紙に残っている。どの領収書にも商会の受領印があった。
最後の一枚だけは、日付が新しい。
今年の収穫後に、残額を支払うよう求める通知だった。
「今も返済を続けているのですか」
「何度か期限を延ばしてもらった。払えた年も、払えなかった年もある」
老人は壁の道具掛けを見た。
「道具を売った家は、次の年に畑を耕すのも難しくなった。麦を食べれば、それで終わりというわけにはいかなかった」
私は通知に記された残額を確かめた。
七年前の取引は、この村ではまだ終わっていなかった。
「支払いは、正当な契約に基づいています」
商会の男が言った。
「この方も、購入したと認めています」
「はい。購入そのものは否定していません」
「では、問題はないでしょう」
私は二枚を並べた。
「こちらは、無償救済を全量受け取ったという記録です。こちらは、同じ番号、同じ重量の穀物を買った証です」
「番号の転記誤りでは?」
「どちらの番号が誤っていますか」
「そこまでは、今すぐには」
「では、支店の原簿と照合してください。元になった記録も必要です」
男は紙へ目を落とした。
「村に残った一枚だけで、商会の帳簿を疑うのですか」
「王宮の受領書と、商会の売渡証と、村の支出記録を照合しています」
私は売渡証を指した。
「この紙も、あなたの商会が発行したものです」
男は黙った。
記録官へ、確認できた範囲を伝える。
本人は代筆を依頼した。
購入の証明だと説明された。
無償救済の受領書として説明された記憶はない。
村の支出記録と商会の売渡証は、初回支払額が一致する。
無償救済として別の荷を受け取ったかどうかは、ほかの村人にも確認する。
老人は、読み上げられる言葉を一つずつ聞いていた。
「俺の名前があれば、何でも俺が認めたことになると思っていた」
「何を認めたのか、確かめる必要があります」
「字が読めなくてもか」
「はい。紙の内容を説明されたかどうかは、大切な確認です」
老人はしばらく黙っていた。
やがて、今年の支払通知を私の前へ押した。
「なら、これも調べてくれ」
◇
広場へ戻ると、救済荷車が到着していた。
アルベルトが荷札を確かめ、村人たちが袋を下ろしている。
今日の受領作業は、そのまま続けてもらった。
私は地方の救済担当官へ、旧取引の照合結果を示した。
担当官は売渡証、王宮受領書の写し、村の共同支出記録を順に読んだ。
「この債務を取り消すよう求めるのですか」
「今は、請求の根拠を確認するまで、追徴を保留していただきたいです」
私は今年の通知を置いた。
「同じ荷について、救済完了と売買の二つの記録があります。どちらが誤っているかを確認する前に、村の財産を処分させるべきではありません」
担当官は商会の男に尋ねた。
「差押えや担保処分の手続きは、始まっていますか」
「まだです。支払期限が近づいているだけです」
「では、この一件を争いのある請求として受け付ける。追徴手続きの保留を管轄へ申請する」
「商会への支払いをすべて止めるのですか」
「対象は、この管理番号に結びつく残額だけです」
担当官は村側の異議申立てを受け付け、請求番号と照合中の資料を記した。
審査中の追徴を一時保留する権限の範囲を確認し、申請が受領されるまでの措置として署名する。
商会へ一通。
村へ一通。
管轄への申請に一通。
受領者の名も、それぞれ残した。
借金が消えたわけではない。
だが、説明のつかない記録を根拠に、明日にも財産を処分される心配は、ひとまずなくなった。
老人は控えを受け取った。
「この紙は、何を認めた紙だ」
「あなたが古い請求に異議を申し立てたことと、確認が済むまで追徴を保留することです」
「分かった。これは、そういう紙なんだな」
彼は折らずに持ち、そばにいた若い村人へ、家まで一緒に来てくれるよう頼んだ。
私は売渡証と支払通知の写しを作った。
原本の状態、保管者、確認した場所を記録する。読み上げた内容に間違いがないか、老人にも確かめてもらった。
原本は担当官の保全預かりとし、村側へ預かり証を渡した。
王都へは照合結果と写しを送る。
その間、商会の男は口を挟まなかった。
私が記録を閉じると、ようやく前へ出た。
「こちらも、確認していただけますか」
革鞄から、厚い紙を取り出す。
「古い取引についてお尋ねになると聞き、支店から持参しました」
王宮会計室の書式だった。
建国祭中止に伴う余剰品売却。
ベルク商会への販売を認める文面。
下には印影があり、登録番号が付されている。
「商会が保管している許可書です」
男は私の前へ置いた。
「私たちは、王宮から売却を認められた物を買いました。代金も支払っています」
私は文面を読んだ。
品目は保存穀物。
印影の形は、知っているものと一致していた。番号の位置も書式どおりだった。
真正かどうかは、登録簿との照合が必要だ。
「この許可書も確認します」
「どうぞ。支店では、正式な取引として保管しています」
男の声に、落ち着きが戻っていた。
「王宮が売ってよいと決めた物です。その購入代金まで、商会の不正だと言われるおつもりですか」
「購入代金を不正だとは、まだ申し上げていません」
私は許可書と売渡証を並べた。
「この許可が、どの穀物に対して出されたのかを確認します」
男は指先を許可書の印へ置いた。
「ここに、王宮の印があります」
「はい。だから、王宮の登録を調べます」
広場では、新しい荷袋の重量が読み上げられていた。
村の代表が聞き、倉庫側の代理が確かめ、記録官が書いている。
私は許可書の日付を、照会書へ写した。
次に、救済受領書と売渡証に共通する番号を書く。
商会が、この荷を勝手に奪ったとは限らない。
王宮の側で、売れる物へ変えた者がいるのかもしれない。
まず調べるのは、穀物の用途を変更した日。
その次は、販売を許可した日。
私は二つの照合欄を作った。
どちらにも、まだ確認者の名前は入れなかった。
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