青い封蝋
青い封蝋の欠片は、白い布の上に置かれていた。
小指の爪ほどしかない。
鳥の翼と、その向こうに浮かぶ細い月。
欠けてはいるが、見間違えるはずはなかった。
かつて私は、その紋章が刻まれた屋敷へ何度も足を運んだ。
婚約者として。
そして最後には、役立たずの記録係として追い返された。
「王宮儀礼調達室の記録を確認しました」
ノラが一枚の控えを机へ置いた。
「四十一号車は三日前、この家へ銀器箱を運んでいます。翌日、空箱を積んで王宮へ戻りました」
記された家名は、封蝋の紋章と一致していた。
ギルベルトが封蝋へ視線を落とす。
「では、この欠片は三日前についた可能性がある」
「はい」
私は答えた。
「七年前の荷車との関係を示す証拠にはなりません」
紋章がある。
だから、その家が罪を犯した。
そんなふうには書けない。
四十一号という番号を現在の車が受け継いでいたように、箱も、印章も、封蝋も、長く使われることがある。
残されたものが古いからといって、それに触れた人間まで同じとは限らない。
「私が話を聞こう」
ギルベルトが言った。
「君が行く必要はない」
「なぜですか」
「理由は、聞かなくても分かるだろう」
責めるような口調ではなかった。
けれど、その気遣いを受け入れることはできなかった。
「私が避ければ、あの家だけを特別に扱うことになります」
「だが、君には私情がある」
「あります」
私は否定しなかった。
忘れたわけでも、許したわけでもない。
あの日の声も、周囲の笑いも、今でも思い出せる。
「だからこそ、私が確認します。憎しみも、ためらいも、記録の理由にはなりません」
ギルベルトはしばらく私を見ていた。
やがて息を吐き、調査命令書を差し出した。
「ならば、私も同行する」
「お願いします」
命令書には、彼と私、二人の署名が並んでいた。
屋敷は以前と変わっていなかった。
灰色の石壁。
よく磨かれた玄関扉。
門柱には、翼を広げた鳥と細い月の紋章が彫られている。
変わったのは、私の立場だけだった。
以前は門前で名を告げ、許可を待った。
今日は王国調査官として、命令書を示した。
私たちは応接室へ通された。
彼は間もなく現れた。
私の姿を見た瞬間、その足がわずかに止まった。
けれど、すぐに何事もなかったような顔をした。
「久しぶりだな、エリナ」
「ご無沙汰しております」
「記録係が、王宮の調査にまで関わるようになったとは聞いている」
昔と同じ呼び方だった。
けれど、今の私には、その言葉を否定する理由がなかった。
「その記録について、確認に参りました」
私は白い布を開いた。
彼の表情が変わった。
「この紋章に覚えはありますか」
「私の家のものだ」
「四十一号車の中から見つかりました」
「四十一号?」
「王宮儀礼調達室が管理する車です。三日前、この屋敷へ銀器を運んでいる」
彼は背後に控えていた家令を見た。
家令がうなずく。
「王宮の宴で使用する銀器を預かり、磨き直して返却した。それだけだ」
「返却に使った箱を確認させてください」
「家の紋章がついていたというだけで、私たちを疑うのか」
「疑っているとは申し上げていません」
私は彼の目を見た。
「関係があるかどうかを確認しています」
「家の名を傷つける質問には、正式な命令が必要だ」
私はギルベルトから受け取った書面を、彼の前へ置いた。
「こちらが正式な調査命令です」
彼は文面を読み、最後に並んだ二つの署名を見た。
しばらくして、家令へ命じた。
「箱を持ってこい」
運ばれてきたのは、黒く塗られた木箱だった。
蓋には新しい修繕跡がある。
底の角には、青い蝋が薄くこびりついていた。
ノラが欠片を近づける。
色も、厚みも一致する。
「この箱は、いつから使っていますか」
「王宮から運ばれてきたものだ。うちの所有物ではない」
「紋章は?」
「銀器を返す際に、こちらで封じた」
「使用した封蝋を見せてください」
家令が現在使っている封蝋を持ってきた。
同じ青だった。
だが、並べると違いが分かった。
新しい蝋は深い藍色をしている。
四十一号車から見つかった欠片は、もっと白く濁った青だった。
長い年月で色あせたようにも見える。
彼は欠片を手に取り、窓から差し込む光に透かした。
「これは、うちの蝋ではない」
「紋章は一致しています」
「紋章の形ではなく、色の話だ」
彼は現在の封蝋を指した。
「七年前まで、王宮はこの灰青色の蝋を儀礼用に支給していた。各家の印章を預かり、招待状や返礼品を王宮内で封じるためだ」
「家の外でも、この紋章を押せたということですか」
「王宮儀礼調達室なら」
ギルベルトの目が細くなった。
「印章そのものを預けていたのか」
「複製印だ。正式な登録を受け、王宮内でのみ使うことを許されていた。古い蝋の使用が終わったとき、複製印もすべて廃棄されたはずだ」
「廃棄を確認しましたか」
彼は答えなかった。
家令も目を伏せた。
やがて彼は、私ではなく机の上の封蝋を見ながら言った。
「王宮から廃棄済みとの通知を受けた。それ以上は調べていない」
確認したのではない。
書面に書かれた結果を信じただけだ。
私はノラに記録するよう合図した。
彼はペンの動きを見ていたが、ふいに口を開いた。
「七年前も、君は同じことをしていたな」
「何のことでしょう」
「書面に書かれたことを、そのまま信じなかった」
部屋の空気が止まった。
ギルベルトが彼を見る。
「七年前のエリナについて、何を知っている」
「婚約を解消する前、私の家に内部報告が届いた」
初めて聞く話だった。
「どのような報告ですか」
私が尋ねると、彼は答えるまでに時間を置いた。
「君が救済物資の記録を無断で写し、王宮の輸送車について嗅ぎ回っていると書かれていた」
「輸送車の番号は?」
「四十一号」
指先が冷たくなった。
けれど、声は乱さなかった。
「報告を受け取った日を覚えていますか」
「婚約を解消する前日だ」
「誰が届けましたか」
「王宮の使者だ。封がしてあり、差出人の名はなかった」
「なぜ、私に確認しなかったのですか」
彼の視線が、ようやく私へ戻った。
「家を守る必要があった」
「質問への答えになっていません」
「君が何もしていないと言えば、私は君を信じなければならなくなる」
「信じることの、何が問題だったのですか」
彼の唇がわずかに動いた。
「君を信じれば、私も、私の家も、その記録の中へ引きずり込まれる」
静かな声だった。
言い訳ではなかった。
だからこそ、よく分かった。
彼は騙されただけではない。
疑う機会を与えられながら、確かめないことを選んだ。
家名を守るために、私の名を切り捨てた。
「それで、私を役立たずと呼んだのですか」
彼は目を伏せた。
「ああ言えば、家が君と完全に縁を切ったと示せると思った」
「私が本当に役立たずだと思っていたわけではない?」
「違う」
彼は短く答えた。
「君が記録を読む人間だったから、恐れた」
胸の奥に、七年間残っていた何かが動いた。
痛みが消えたわけではない。
ただ、形が変わった。
私は能力を見下されて捨てられたのではなかった。
記録を確かめようとしたから、邪魔な存在として切り離されたのだ。
「エリナ。あのときのことは――」
「今日は謝罪を受け取りに来たのではありません」
私は一枚の証言書を彼の前へ置いた。
「報告を受け取ったこと。内容を私に確認しなかったこと。そして、事実を確かめないまま、公の場で私を非難したこと」
ペンを添える。
「あなたの名前で残してください」
「それで、君は納得できるのか」
「私が納得するためではありません」
私は答えた。
「同じ方法で、次の誰かが記録から消されないようにするためです」
彼は長い間、ペンに触れなかった。
家令が何か言おうとしたが、彼は片手を上げて止めた。
そして証言書を読み、自分で数行を書き加えた。
最後に署名する。
かつて婚約誓約書に記されたものと、同じ名前だった。
けれど今日の署名は、未来を約束するためのものではない。
過去の責任から逃げないためのものだった。
「報告書は残っていますか」
私が尋ねると、彼は立ち上がった。
「捨てたつもりだった」
壁際の古い書棚を開け、奥から小さな箱を取り出す。
「だが父が、家に届いた警告文を処分するなと言った」
箱の中には、黄ばんだ封筒があった。
紙の端は傷み、封蝋は剥がされている。
差出人の名前はない。
私は手袋をつけ、報告書を取り出した。
そこには確かに、私の名前があった。
救済記録の無断複写。
王宮内部車両への不当な詮索。
貴族家との婚約を利用した情報収集。
どれも、事実の一部だけを切り取れば、そう書けなくはない。
だが、私は記録を盗んでいない。
北門を通った荷車が七台しかない理由を、確かめようとしただけだ。
「この下端を見てください」
ノラが言った。
報告書の下側は、不自然に切り取られていた。
私は紙を窓辺へ運び、光に透かした。
薄い模様が浮かぶ。
冠。
その下に、儀礼調達室を示す麦穂の印。
「王宮儀礼調達室の用紙です」
ギルベルトが言った。
「少なくとも、そこから持ち出された紙に書かれている」
私は日付を確認した。
七年前。
婚約を解消される前日。
そして――
「どうした」
ギルベルトが尋ねた。
「この日です」
私は日付を指した。
「私が初めて、北門の通過記録について質問した日です」
八台出発したはずの救済荷車。
北門を通ったのは七台。
その食い違いについて尋ねた、その日のうちに、私を疑わせる報告書が作られた。
翌日、婚約は解消された。
私は家とのつながりを失い、王宮内部の記録に触れる理由も失った。
彼が低い声で言った。
「では、婚約を解消させることも、目的の一つだったのか」
「まだ、そうとは書けません」
私は報告書を元の位置へ戻した。
「ですが、日付が偶然だとも書けません」
青い封蝋。
四十一号車。
王宮儀礼調達室。
七年前の匿名報告。
ばらばらだったものが、ようやく一本の線になり始めていた。
その線の上から、私は一度、切り落とされている。
役立たずだからではない。
見てはいけない空白を、見つけたからだ。
私は証言書と報告書を封筒へ収めた。
「この二点を、正式な証拠として預かります」
彼はうなずいた。
私たちが立ち上がると、背後から声がした。
「エリナ」
振り返る。
彼は何かを言おうとしていた。
けれど結局、謝罪の言葉は口にしなかった。
「今度は、最後まで調べるのか」
「はい」
「たとえ、その先に私の家があっても?」
私は答えた。
「誰の家名があっても、そこで止める理由にはなりません」
屋敷を出ると、午後の光が石畳に差していた。
私は七年前と同じ門を通った。
あの日は、名前を奪われたように感じていた。
けれど今、私の手には、自分の名で預かった証拠がある。
私が第八の荷車について尋ねた、その翌日。
私は記録から外された。
そして七年後。
同じ四十一号が、再び私の前へ戻ってきた。
偶然だとは、もう書けなかった。
お読みいただき、ありがとうございます。




