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「役立たずの記録係はいらない」と婚約破棄されましたが、王国を救ったのは私の帳簿でした  作者: 北野風人


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門を通らなかった荷車

### 第42話 門を通らなかった荷車


 ハルトの病室へ入ったとき、窓の外では正午の鐘がまだ鳴っていた。


 寝台の横には、すでにアルベルトが立っている。


 呼び出しを受け、私たちより先に来ていたらしい。


 ハルトは上半身を起こしていた。


 顔色は悪く、左腕には包帯が巻かれている。それでも、以前のように意識が途切れる様子はなかった。


 私とギルバートが入ると、彼は扉の方へ目を向けた。


「三人、揃ったな」


 部屋の隅にはノラが座っていた。


 膝の上に記録板を置いている。


「事情聴取の記録は、私が担当します」


 ノラが言った。


「構わない」


 ハルトは答えた。


 私は寝台のそばへ進んだ。


「八台目の荷車は北門を通っていない。その意味を、最初から説明してください」


「その前に、確認したい」


 ハルトはアルベルトを見た。


「七年前、お前が用意した荷車は何台だった」


「八台だ」


 アルベルトはすぐに答えた。


「食糧も、御者も、八台分を揃えた。私が自分で確認した」


「出発前に?」


「ああ」


「北門へ到着したときもか」


 アルベルトの返事が止まった。


「北門では……先頭にいた。すべての荷車を、もう一度数えたわけではない」


「私は数えた」


 ハルトが言った。


「門を通ったのは七台だ」


「なぜ、その場で言わなかった」


 アルベルトの声が低くなる。


「言った」


 ハルトは目を閉じた。


「八台目はどうしたと、御者頭に聞いた」


 ノラの筆が紙の上を進む。


「何と答えましたか」


「北門の手前で、車輪が外れた。修理が終わり次第、あとから追わせる、と」


「御者頭の名前は?」


「覚えている。だが、そいつは三年前に死んでいる」


「確認できる記録はありますか」


 私が尋ねる。


「あるはずだ。だが、今は名前より、何が起きたかを聞け」


 ハルトの声には、まだ力が戻りきっていなかった。


 それでも、言葉ははっきりしている。


「雪はすでに降り始めていた。門を開けたままにはできない。七台を通したあと、私は北門を閉じた」


「八台目が来るのを待たなかったのですか」


「待てなかった。そもそも、私たちは正式な許可を得ていなかった」


 ハルトはアルベルトを見た。


「北門を開けたこと自体が、命令違反だった」


「私が頼んだ」


 アルベルトが言った。


「お前だけの責任ではない」


「だが、門を開けたのは私だ」


 二人の間に、七年前から続いてきた言葉が置かれた。


 どちらも自分が責任を負うと言いながら、誰にも話さなかった。


「翌朝、どうなりましたか」


 私は尋ねた。


「八台すべてが北部へ向かったと報告を受けた」


「誰から?」


「救済物資の輸送担当だ。八台目は修理後、旧王室穀倉の北側搬出口から出て、夜明け前に隊列へ合流したと言った」


「旧王室穀倉?」


 ギルバートが口を開いた。


「北門の城壁に接していた倉庫か」


「そうだ」


 旧王室穀倉は、北門の内側に建てられた古い建物だった。


 王都側の中庭と、城壁沿いの軍用通路の両方に出入口がある。通常の北門を通さず、軍用物資を外側の集積所へ出すこともできた。


「その搬出口を使った記録は?」


 私が尋ねる。


「確認しなかった」


 ハルトの答えに、ノラの筆が一瞬止まった。


「なぜですか」


「八台分の到着報告が出たからだ」


「到着先からの?」


「いや。輸送隊からの中間報告だ」


「受領者の署名は?」


「なかった」


「それでも信じたのですか」


 ハルトは私を見た。


「信じたかった」


 短い言葉だった。


「十一の村から、食糧が届いたという知らせが来ていた。凍死者も出なかった。門を無断で開けた責任を問われれば、次の救済まで止まるかもしれなかった」


「だから、八台目を確認しなかった」


「ああ」


「結果が正しければ、手続きを調べなくてもよいと思ったのですか」


 ハルトはしばらく黙っていた。


「そう思ったことにした」


 アルベルトが椅子を引き、寝台のそばへ座った。


「私も同じだ」


 彼は両手を組んだ。


「八台すべてが届いたという報告を見た。各地から感謝状も届いた。救った人数を数えることばかり考えて、その食糧を誰が、どこで受け取ったのかまでは確認しなかった」


「疑わなかったのですか」


「疑った」


 アルベルトは答えた。


「だが、確認すれば、私がハルトへ違法な命令を出したことも明らかになる」


「命令ではない」


 ハルトが言った。


「私が決めて開けた」


「今さら、そこを争うつもりはない」


 アルベルトは低い声で答えた。


「私は、人を救ったという結果だけを見た。その陰で、誰かが空いた一台を使った」


 部屋が静かになった。


 ノラの筆が紙を擦る音だけが聞こえる。


「ギルバート」


 ハルトが呼んだ。


「お前も、あの夜にいた」


「ああ」


「八台目を見たか」


 ギルバートの顔が強張った。


「北門の手前に残されていた荷車は見た」


「状態は?」


「車輪が外されていた」


「壊れていたか?」


 ギルバートは答えなかった。


 私は彼を見る。


「覚えていることを、そのまま話してください」


「車軸は折れていなかった」


 ギルバートがようやく言った。


「車輪を固定する木楔が抜かれていた。車輪は荷台の横に置かれていた」


「誰かが意図的に外した可能性は?」


「ある」


「当時、そう思わなかったのですか」


「輸送隊の者が、車輪を外したほうが修理しやすいと言った。私は、それを信じた」


「なぜ?」


 ギルバートの視線が、アルベルトとハルトの間を動いた。


「その夜、誰もが村を救おうとしていたからだ」


「だから、疑う必要はないと?」


「疑えば、門が閉まると思った」


 若かったギルバートは、正しいことをしている大人たちを止めたくなかった。


 ハルトは、救済を止められたくなかった。


 アルベルトは、自分の命令が問題になることを恐れた。


 三人とも、食糧を必要とする村を救おうとしていた。


 そして三人とも、八台目を確かめなかった。


「八台目の荷車は、翌朝、本当に北部へ向かったのでしょうか」


 ノラが尋ねた。


「分からない」


 ハルトが答えた。


「私は見ていない」


「私もだ」


 ギルバートが言う。


 アルベルトも首を横に振った。


「では、確認できたのは七台だけです」


 私は言った。


「それでも帳簿には、八台が送られたと記録された」


 八台目が実在したかどうかではない。


 食糧も荷車も、出発前には存在していた。


 問題は、その先だった。


 北門を通った七台。


 修理のために残された一台。


 そして翌朝、八台すべてが届いたと書かれた報告。


「私たちは、同じ荷車を探していました」


 私は言った。


「何?」


 アルベルトが顔を上げる。


「三年前に黒い手袋の者が扱った八台目。今年、セラ村へ向かおうとした八台目。そして七年前、北門を通らなかった八台目」


「同じではないのか」


「同じ番号を使っています。ですが、同じ荷車である必要はありません」


 私はノラが書いた七と八の数字を指した。


「一度でも『八台すべてが届いた』という記録が認められれば、次の年から八台分の食糧を用意できます」


 七台を正規の経路へ送る。


 残る一台は、別の場所へ動かす。


 帳簿上では、八台すべてが北部へ到着したことにする。


 受領者には、すでに記録から消されたセラ村や、署名できない者の名前を使う。


「探すべきだったのは、荷車ではありません」


 私は言った。


「七台しか北門を通っていないのに、八台すべてが届いたことにできた空白です」


「その空白を作ったのは、私たちだ」


 アルベルトが言った。


「違う」


 ハルトは首を横に振った。


「空白を作った者は別にいる。私たちは、それを閉じなかった」


 その違いは重要だった。


 誰かが最初から八台目を利用するつもりで、車輪を外した。


 だが、アルベルト、ハルト、ギルバートが確認を怠らなければ、その一度で終わった可能性がある。


「旧王室穀倉は、今も残っていますか」


 私が尋ねると、ギルバートの表情が変わった。


「残っている。だが、今日から改修が始まる」


「何のために?」


「冬季軍用倉庫へ戻す。古い棚、壊れた車具、空箱をすべて運び出す予定だ」


「誰の命令ですか」


「私だ」


 ギルバートは即答した。


「北部の救済倉庫が不足している。三日前に許可した」


 以前の彼なら、そのまま一人で穀倉へ向かったかもしれない。


 だが、彼はノラの記録板を見た。


「撤去作業を止める」


「口頭命令ではなく、書面にしてください」


 私が言うと、ギルバートは反論しなかった。


 ノラから用紙を受け取り、その場で停止命令を書く。


 旧王室穀倉内の物品搬出を一時停止。


 現場責任者は、現在位置にあるすべての物品を保存すること。


 調査責任者――ギルバート・レイン。


 共同確認者の欄が残った。


 彼は私へ筆を差し出した。


 私は内容を読み、自分の名前を書いた。


「急使を出します」


 ノラが用紙を受け取った。


「私が受付番号を取ります」


「頼む」


 ギルバートが言った。


 ハルトは寝台から降りようとした。


「私も行く」


「動けません」


 私は止めた。


「見れば分かる」


「見なくても分かります」


「何が?」


「今のあなたが歩けないことです」


「七年前の荷車なら、私が――」


「七年前に見たことを話してください。今日の現場は、私たちが確認します」


 ハルトは不満そうだったが、立ち上がることはできなかった。


 アルベルトが椅子から立つ。


「私が行く」


「歩けますか」


「ハルトよりはな」


「比較の基準が低すぎます」


 ノラが思わず顔を伏せた。


 笑ったのかもしれない。


 ハルトは目を閉じ、枕へ背を預けた。


「エリナ」


「はい」


「車軸を見ろ」


「車軸?」


「当時の救済車には、番号を焼き付けていた。荷台は取り替えられる。布も車輪も交換できる。だが、太い車軸は簡単には替えない」


「八台目の印は?」


「ローマ数字の八だ」


「ほかには?」


 ハルトは少し考えた。


「王宮の救済車なら、外側に麦穂の印がある」


 黒い手袋の銀色の留め具と同じ印だった。


 私とギルバート、アルベルトは病室を出た。


 ノラは停止命令を登録するため、別の廊下へ走る。


 旧王室穀倉は、北門の東側にあった。


 石造りの壁に囲まれた、細長い建物だった。


 到着したとき、作業はすでに始まっていた。


 中庭には古い木箱、壊れた車輪、腐った棚板が積み上げられている。


 一台の荷車が、廃材を載せて門から出ようとしていた。


「止めろ!」


 ギルバートの声が響いた。


 御者が手綱を引く。


 作業員たちが振り返った。


 現場責任者が駆け寄ってくる。


「司令代理、何か問題が?」


「搬出停止命令が出る。すべて元の場所に置け」


「しかし、半分はすでに運び出しました」


「どこへ?」


「北門の薪置き場です。腐った木材は、今夜から燃料に使う予定で」


 ギルバートの顔が硬くなる。


「まだ燃やすな。一本もだ」


 私たちは中庭に積まれた木材を確認した。


 棚板。


 樽の蓋。


 壊れた扉。


 荷車の側板。


 雪と泥で汚れ、元の用途が分からないものも多い。


「七年前のものが残っていると思いますか」


 私が尋ねると、アルベルトは首を横に振った。


「分からない。だが、当時の荷車は急いで集めた。新しいものばかりではなかった」


 彼は積まれた木材の前へしゃがみ込んだ。


 一つずつ持ち上げ、裏側を見る。


 私とギルバートも手分けした。


 車軸は棚の支柱として再利用されている可能性がある。


 太く、まっすぐな木材を探す。


 倉庫の奥で、壁際の棚が解体されていた。


 作業員二人が、太い横木を外そうとしている。


「待ってください」


 私は近づいた。


 横木は黒く変色していた。


 表面には、長年荷物を載せた跡ではなく、車輪の金具が擦れたような溝がある。


「これを下ろしてください」


 作業員たちが横木を床へ置いた。


 雪解け水で濡らした布を借り、表面の埃を拭う。


 古い焼き印が現れた。


 一本。


 その隣に三本。


 さらに一本と三本。


「八だ」


 アルベルトが言った。


 ローマ数字の八。


 ハルトが話した、八台目の印だった。


 ギルバートが反対側を確認する。


「麦穂の印もある」


 王宮救済車に使われていた車軸。


 七年前のものだと断定するには、まだ確認が必要だった。


 だが、八の焼き印が付いた救済車の車軸が、北門を通らなかった荷車の置かれた旧穀倉に残っていた。


「これだけでは、その荷車が北部へ行かなかった証明にはなりません」


 私は言った。


「ああ」


 ギルバートが答える。


「だが、修理して追いかけたのなら、車軸だけがここに残るのは不自然だ」


 車軸の中央には、別の焼き印もあった。


 麦穂の印より新しく、線が深い。


 四一。


 その下に、王宮内務輸送を示す小さな冠の印。


「これは?」


 私が尋ねると、アルベルトの顔色が変わった。


「王宮内部の運搬車へ付ける番号だ」


「四十一号?」


「ああ」


「同じ車軸に、二つの管理番号があるのですか」


「通常はない。救済車としての登録を外し、内務輸送車へ組み替えたときでなければ」


 七年前、八台目として用意された荷車。


 北門の手前で車輪を外され、旧王室穀倉へ残された。


 翌朝には、北部へ追いついたと報告された。


 だが、車軸はここにある。


 そして後から、王宮内部で使う荷車の番号を与えられていた。


 アルベルトが、車軸へ手を置いた。


「この荷車は、北へ行かなかった」


 彼の声が、空になりかけた倉庫へ響いた。


「王宮へ戻されていたんだ」

お読みいただき、ありがとうございます。

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