↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「役立たずの記録係はいらない」と婚約破棄されましたが、王国を救ったのは私の帳簿でした  作者: 北野風人


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
15/49

生きている私の死亡告示

 四台の荷車から、種麦の袋が一つずつ下ろされていった。


 朝露の残る畑の脇に、七つの村の人々が集まっている。


 誰も歓声を上げなかった。


 運ばれてきた袋を見つめ、数を確認し、自分の手で封を開く。


 失われたと思っていた種が、本当に戻ったことを確かめるように。


「ベルナ村、二十八袋」


 私が読み上げる。


 村長が袋を数え、本物の村印を受領簿へ押した。


「二十八袋。受け取りました」


 同じ内容の受領簿を三通作成する。


 一通は村が保管する。


 一通は北部穀物管理所。


 もう一通は、王国監察院へ送る。


 前回の受領証は、一つの机の上で偽造された。


 今回は、種を受け取る者たちの目の前で書いた。


 袋の数。


 重さ。


 封の状態。


 受領時刻。


 立ち会った者の名前。


 確認を終えるたび、三通へ同じ印を押していく。


「次、ローデン村」


 私は書類をめくろうとして、右手を止めた。


 手のひらの火傷に巻かれた布が、紙の端へ引っかかっている。


「俺が持つ」


 隣にいたカイルが受領簿を取った。


「読めますか」


「数字くらい読める」


「二十八の次は?」


「三十一だ」


「合っています」


「試したのか」


「確認しただけです」


 彼は何か言いたそうな顔をしたが、受領簿を戻さなかった。


 私が数字を読み、カイルが頁をめくる。


 二人の前で、七つの村の受領記録が完成していった。


「これで最後です」


 ハインツ村の代表が印を押す。


 四台分の種麦は、すべて配り終えた。


 不正がなければ、もっと多くの畑に蒔けたはずだった。


 それでも、一つも種を受け取れない村はなくなった。


 最初に訪れた村で、播種まで十日しかないと教えてくれた農夫がいた。


 彼は袋を一つ担ぎ、自分の畑へ向かった。


 袋の口を開き、土の上に種を落とす。


 一粒。


 もう一粒。


 やがて、一定の間隔で歩きながら、種を蒔き始めた。


 その後ろから、村人たちも畑へ入る。


 誰も私を見ていなかった。


 それでよかった。


 取り戻したかったのは、感謝の言葉ではない。


 この景色だった。


     ◇


 同じ日の午後、北部穀物管理所で臨時聴聞会が開かれた。


 長机の中央に、ローディス監察官が座る。


 左右にはカイル、オスカー、七村の代表、北部守備隊の責任者。


 廃鉱山で拘束された護送員のうち、証言に応じた六人も出席していた。


 グレンとユリウスは、守衛に挟まれている。


 私の席だけが、長机から少し離されていた。


 廃鉱山から戻ったあとも、私に対する逮捕命令は正式には取り消されていない。


 私はまだ、被疑者だった。


「聴聞を開始します」


 ローディス監察官が宣言した。


「本日は有罪か無罪かを決める場ではありません。北部種麦不正移送事件に関する証拠を確認し、王都へ送る記録を確定します」


 七枚の偽造受領証が並べられた。


 死亡したことにされたオスカーの署名。


 同じ木から作られた、七つの偽造村印。


 カイルの承認印が押された輸送許可書。


 グレンは予備の鍵を使い、保管箱から印章を取り出したことを認めている。


 その隣には、私の名で作られた輸送停止命令。


 裏面に記された、監査用紙第二十七号。


 そして、その命令書が発見される前に王都から出された私の逮捕状。


「逮捕状には、第二十七号という番号まで書かれています」


 ローディス監察官が言った。


「発行時点では、北部の誰も、その番号を確認していませんでした」


 さらに、最後の種麦が見つかった廃関税倉庫の買い付け証。


 保証金の支出元は、王国監察院の地方調査備品費。


 最後に、廃鉱山でユリウスが作成した移送命令が置かれた。


 私を西部鉱山へ移し、その過程で死亡しても護送責任を問わないと記されている。


 黒い封蝋には、右翼の欠けた鷹。


「この文書を書いたのは、あなたですか」


 ローディス監察官が尋ねた。


「違う」


 ユリウスは答えた。


「護送員六名が、あなたが左手で書いたと証言しています」


「脅されているのでしょう」


「筆跡も、あなたが作成した備品記録と一致しています」


「筆跡など、いくらでも真似できる。ヴァルト記録官の署名も偽造された」


「その可能性は記録します」


 ローディス監察官は、すぐには否定しなかった。


「だからこそ、筆跡だけでは判断しません」


 正規の護送経路を外れた記録。


 残翼の鷹の封印。


 護送員六名の証言。


 ユリウスの鞄から見つかった、私の死亡後に使用する予定だった命令書。


 別々の証拠が、同じ場所を指している。


「それでも、私一人の指示ではない」


 ユリウスが言った。


 室内の視線が集まる。


「誰の指示ですか」


「王国財務評議会議長だ」


「証明できますか」


「命令書に議長印がある」


 私の死亡後、王国記録監査室を解散する。


 二つの穀物事件に関する記録を、中央財務評議会へ移管する。


 その文書には、確かに議長印が押されていた。


「印章が本物であることは確認しました」


 ローディス監察官が言う。


 部屋がざわめく。


「では――」


「本物の印章が使われたことと、その持ち主が命令したことは別です」


 ローディス監察官は、カイルの輸送許可書へ目を向けた。


 そこに押された印章も本物だった。


 だが、カイルは押していない。


「財務評議会議長の関与を認定するには、誰が印章を保管し、誰が命令書を作成し、どの経路でユリウスへ渡したのかを確認する必要があります」


 ユリウスの顔から、わずかに余裕が消えた。


 高い地位。


 本物の印章。


 それだけで命令が正しいと信じられる。


 彼らが利用してきたのは、その思い込みだった。


     ◇


 証拠の確認が終わると、ローディス監察官は私の前へ立った。


「王国記録監査官エリナ・ヴァルト」


「はい」


「現時点の証拠により、あなたが種麦の不正移送を命じた可能性は低いと判断します」


 彼は私の監察官印を机へ置いた。


「あなたに対する拘束を一時解除します」


 七村の代表者たちから、安堵の息が漏れた。


 カイルは何も言わなかった。


 ただ、ずっと握っていた拳を開いた。


「ただし、逮捕命令を撤回する権限は、私にはありません」


「わかっています」


「王都で正式な再審査が必要です。それまでは、監査官としての権限も停止されます」


 私は机の上の印章を見た。


 手を伸ばせば、取ることができる。


 けれど、触れなかった。


「この印章は、封印してください」


「拘束は解除されました」


「それでも、私の名と権限が不正に使われた疑いは残っています」


 印章そのものが命令を出すわけではない。


 その印が正しく使われていると人が信じるから、力を持つ。


「疑いが晴れるまで、私はこの印を使いません」


 ローディス監察官は静かに頷いた。


 監察官印を布で包み、封蝋を落とす。


 封印の上へ、私と彼の名を並べて記録した。


     ◇


 それから四日間、私たちは王都へ送る証拠を整理した。


 ユリウスとグレンの供述。


 六名の護送員の証言。


 オスカーの死亡記録と、本人の生存確認書。


 種麦を受け取った七村の受領簿。


 同じ書類を二組作り、別々の護衛へ持たせる。


 一方を奪われても、もう一方が残るように。


 王都へ送った再審査請求が届くころ、オスカーも短い距離なら馬車で移動できるまで回復した。


 私たちは、王都へ戻る日を決めた。


 その日の朝、新しい命令書が届いた。


 宛先は、北部穀物管理所。


 発行元は、中央財務評議会。


「内容を読み上げます」


 ローディス監察官が封を切った。


「北部で回収された三台分の種麦を、証拠品として中央財務評議会へ移送せよ」


「三台?」


 カイルが顔を上げた。


「戻った種麦は四台だ」


「正しい記録では、そうです」


 三という数字を書いたのは、一通だけ。


 王都へ送った再審査請求に添えた、検証用覚書だ。


「北部管理所に残した覚書には、四台と書きました」


 私は言った。


「ユリウスの護送箱には、二台と」


「そして、王都へ送った再審査請求には三台」


 ローディス監察官が、命令書の送付経路を確認する。


「再審査請求は二日前、王都の中央審査室へ到着している」


 財務評議会の命令書が発行されたのも、同じ日だった。


「三という数字は、中央審査室から流れた」


 ユリウスは、すでに北部で拘束されている。


 彼がこの命令を作ることはできない。


 情報は王都へ届き、中央審査室から財務評議会へ渡った。


「中央審査室にも、協力者がいる」


 ローディス監察官が低い声で言った。


 ユリウスを捕らえても、残翼の鷹は止まっていなかった。


     ◇


 王都へ向けて出発するのは、翌朝と決まった。


 ユリウスとグレン。


 証言を拒んだ護送員二名。


 事件に関する二組の証拠箱。


 ローディス監察官。


 オスカーも、証人として同行する。


「俺も行く」


 カイルが言った。


「行けません」


「またそれか」


「七つの村では、播種が始まったばかりです」


「管理所の者に任せられる」


「その管理所で不正が起きたばかりです」


 種麦は戻った。


 けれど、正しく蒔かれ、残りが来年用に保管されるまで、事件は終わっていない。


「北部穀物管理責任者は、あなたです」


「お前は一人で王都へ戻るのか」


「一人ではありません。ローディス監察官も、守備隊も、証人もいます」


「俺はいない」


 その言葉だけが、少し不満そうに聞こえた。


「あなたには、ここで種を守ってもらいます」


「また待てと言うのか」


「はい」


「今度は何日だ」


「すべての畑に蒔き終わるまで」


 カイルは村の方角を見た。


 人々は今も、土の上を歩きながら種を蒔いている。


 彼も、それを置いてはいけないとわかっていた。


「全部蒔き終えたら、王都へ行く」


「仕事を終えてから?」


「仕事が終わったあとも隣にいてほしいと言ったのは、俺だ」


 あの新しい帳簿を開いた日、彼が口にした言葉。


「覚えていたのですね」


「お前ほどではない」


「忘れていません」


 私は言った。


「仕事の言葉ではありませんでしたから」


 カイルは少し目を見開いた。


 それから、私の火傷をした手を取ろうとして、途中で止めた。


「まだ痛むか」


「少しだけ」


「王都へ着くまでに治しておけ」


「命令ですか」


「頼んでいる」


 その言い方が、以前と同じだった。


「わかりました」


 私が答えると、彼はようやく手を離した。


 触れていないのに、手のひらだけが少し温かく感じた。


     ◇


 管理所の門から声が上がったのは、その直後だった。


「王国公報です!」


 一名の驛騎が、丸めた紙の束を抱えて入ってくる。


 各地の役所や宿駅に掲示するための公式公報だった。


 発行日は三日前。


 廃鉱山でユリウスが捕らえられた翌日だ。


 だが、王都にはまだ、その知らせが届いていない時刻だった。


 ローディス監察官が一枚を受け取る。


 読み始めた途端、顔色が変わった。


「どうしました」


 彼は答えず、紙を私へ差し出した。


 上部には、王国の正式な紋章。


 私は本文を読んだ。


 王国記録監査官エリナ・ヴァルトは、公文書偽造および北部種麦横領の容疑で拘束された。


 王都への護送中に逃亡。


 西部廃鉱山付近の崖から転落し、死亡したものと確認する。


「死亡したものと確認……」


 私の声が、自分のものではないように聞こえた。


「遺体はない」


 カイルが言った。


「確認した者もいない」


「それでも、公報はすでに発行されています」


 同じ紙が、王都にも、地方の役所にも、街道の宿駅にも届いている。


 公式記録の中で、私は死んだ。


 役職は失われる。


 私名義の文書は無効になる。


 王都へ戻っても、偽物だと言われるかもしれない。


「お前は、ここにいる」


 カイルが公報を握りしめた。


「はい」


 私は自分の両手を見た。


 火傷の痛みがある。


 心臓も動いている。


 私は生きている。


「でも、王国の記録では、私はもう死んでいます」


 生きている私の手には、私の死亡を知らせる公文書があった。


 王都へ戻る理由が、もう一つ増えた。


 私は、自分が生きていることから証明しなければならない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。