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「役立たずの記録係はいらない」と婚約破棄されましたが、王国を救ったのは私の帳簿でした  作者: 北野風人


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命令どおりに逮捕されます

「私を拘束してください」


 私が両手を差し出すと、カイルの顔から表情が消えた。


「何を言っている」


「この逮捕状には、王国監察院の正式な印があります」


「だが、二日前に書かれている。お前が偽造命令書を見つける前だ」


「だからといって、ここで拒めば、私は王国の命令に背いたことになります」


 逮捕状の内容には、明らかな矛盾がある。


 それでも、書式も印章も本物だった。


 私が逃げれば、相手はこれ以上証拠を偽造する必要さえない。


 王国の命令に背き、逃亡した。


 その事実だけで、私を罪人として扱える。


「ローディス監察官」


 私は彼へ向き直った。


「命令を執行してください」


 ローディス監察官は、すぐには動かなかった。


「自分から拘束されれば、王都へ送られることになります」


「わかっています」


「途中で何が起きるかもわかりません」


「それでも、記録の外へ逃げることはできません」


 ローディス監察官は私を見つめたあと、使者が持ってきた逮捕状を折り畳んだ。


「わかりました。王国記録監査官エリナ・ヴァルト。公文書偽造および北部種麦横領の容疑により、あなたを拘束します」


 守衛が私の腰から監察官印を外す。


 記録箱も預けた。


 手首に縄はかけられなかった。


 しかし、これ以降、私は一人で移動することも、許可なく文書に触れることもできない。


「ただし、三つ条件があります」


 私は言った。


 王都から来た使者が眉を寄せる。


「被疑者が条件を出すのですか」


「逮捕を拒む条件ではありません。証拠を保全するための手続きです」


 私は橋のそばに並んだ種麦と、縄で縛られたグレンを指した。


「第一に、逮捕時点で三台分の種麦が回収されていたこと」


「第二に、グレン・ハルト副管理官が、種麦の不正移送中に拘束されたこと」


「第三に、私の署名が入った偽造命令書は、この逮捕状が発行された翌日に発見されたこと」


 その三点を、逮捕記録へ明記してほしい。


「証拠の一覧は三通作成してください。一通はローディス監察官が保管し、一通は北部穀物管理所へ。残る一通は、七村の代表者に預けます」


「村人に渡すのですか」


 使者が聞いた。


「はい」


「王国の事件記録を?」


「同じ記録を一か所に集めた結果、何が起きたのか、私たちはすでに知っています」


 一か所にしかない記録は、消された瞬間に存在しなかったことにされる。


 三通すべてを消すには、王国監察院、北部管理所、七つの村を同時に黙らせなければならない。


「認めます」


 ローディス監察官が答えた。


「私の監督下で、三通作成します」


「ありがとうございます」


「待て」


 カイルが私の前に立った。


「俺も王都へ行く」


「いいえ」


「お前を一人で行かせると思うのか」


「最後の一台を追ってください」


 石橋の向こうには、種麦を積んだ最後の荷車が逃げている。


 取り戻した三台分だけでも、七村が最低限の種を蒔くことはできる。


 だが、それでは来年の種まで十分に残らない。


「あの一台が必要です」


「お前が捕らえられているのに?」


「だからこそです」


 私は橋の向こうへ続く街道を見た。


「私を守るために村の種を見捨てたら、あなたまで私と同じ罪を背負うことになります」


「お前は罪を犯していない」


「それを証明するのは、これからです」


 カイルは何も言わなかった。


 拳を握り、私の後ろに立つ使者を見る。


「カイル」


 呼びかけると、ようやく私へ視線を戻した。


「あなたが戻ってくるまで、証拠を守ります」


「戻らなかったら?」


「戻ってきてください」


 私がそう答えると、彼は小さく息を吐いた。


「種を取り戻したら、必ず迎えに行く」


「証拠も持ってきてください」


「それだけでいいのか」


「……あなたも一緒なら、なおいいです」


 カイルは一瞬、目を見開いた。


 それから、ようやくいつものように口元を緩めた。


「わかった」


 彼は二人の守衛と村人から借りた荷車を連れ、石橋を渡った。


 私は、その後ろ姿が道の向こうへ消えるまで見送った。


     ◇


「では、ヴァルト記録官を引き渡していただきます」


 王都から来た使者が言った。


 彼の後ろには、一頭の馬しかいない。


「誰にですか」


 ローディス監察官が尋ねた。


「私が王都まで護送します」


「護送許可証は?」


 使者の動きが止まった。


「逮捕状があります」


「逮捕状には、エリナ・ヴァルトを拘束せよと書かれている。あなたへ身柄を引き渡せとは書かれていない」


「私は王国監察院の使者です」


「使者であることと、被疑者を護送する権限があることは別です」


 ローディス監察官は、使者が差し出した身分証を確認した。


「あなたの権限は、緊急文書の運搬までです。犯罪被疑者を拘束し、護送する権限はありません」


「しかし、命令は直ちに王都へ送れと――」


「どこに書かれていますか」


 逮捕状には、身分証と監察官印を没収し、王都へ護送すること、とある。


 だが、誰が護送するかは指定されていない。


「逮捕命令には従います」


 ローディス監察官は、使者へ文書を返さなかった。


「ただし、彼女は私の監督下に置く。証拠と証人を確保したのち、正式な護送隊を編成します」


「それでは遅すぎます」


「なぜ急ぐ必要があるのです」


「それは……」


 使者は答えられなかった。


「あなたにも、北部穀物管理所へ同行していただきます」


「私は報告のため、王都へ戻らなければ」


「この逮捕状がどのように発行されたのか、確認が必要です。調査が終わるまで、北部を離れることは認めません」


 使者の顔が強張った。


 だが、拒めば自分が疑われる。


 彼は黙って頭を下げた。


     ◇


 北部穀物管理所へ戻ると、私は鍵のかかる小部屋へ入れられた。


 窓は細く、外側には鉄格子がある。


 机と椅子。


 壁際に、小さな寝台。


 書くものは置かれていなかった。


 記録官になってから、筆も紙もない部屋に入れられたのは初めてだった。


 それでも、廊下の向こうから聞こえる声は届いた。


 隣室で、グレンの取り調べが始まっている。


 ローディス監察官は、扉を開けたままにした。


「ヴァルト記録官には発言を認めません。ただし、証言を聞くことは許可します」


 私が関係者だからではない。


 同じ証言を複数人で聞き、あとから内容を変えられないようにするためだった。


「レグナード管理官の印章を使ったことを認めますか」


 ローディス監察官が尋ねた。


 しばらく沈黙が続く。


 やがて、グレンが答えた。


「認める」


「どのように鉄箱を開けた」


「俺が予備の鍵を持っていた」


「なぜ印章を使った」


「命令されたからだ」


「誰に?」


「知らない」


 椅子が床を擦る音がした。


「知らない者の命令で、七村の種麦を盗んだというのですか」


「最初は、ただ移送先を変えるだけだと聞かされた」


「王都からの正式命令だと思った?」


「封印は本物だった」


「どの部署の印です」


 グレンはすぐには答えなかった。


「鷹だ」


「鷹?」


「片方の翼が欠けていた。黒い封蝋に押されていた」


 王国監察院の正式印は、天秤と羽根ペンだ。


 残翼の鷹ではない。


「命令書を運んできた者の顔は?」


「いつも外套の頭巾を被っていた」


「声は?」


「男だった。それ以上はわからない」


「印章を盗み、種麦を運び、受領証を偽造した。それでも相手を知らないと?」


「本当に知らない!」


 グレンの声が大きくなった。


「失敗しても、俺は疑われないと言われた。レグナードの印がある。死んだオスカーの署名もある。最後には、王国から来る記録官がすべて命じたことになると」


 胸の奥が冷えた。


 私が北部へ赴任することが決まる前から、相手は私を次の犯人にする準備をしていた。


「なぜ、エリナ・ヴァルトの名を知っていた」


「知らなかった。名前を聞いたのは、一か月前だ」


「誰から聞いた」


「同じ使者だ」


「その者は、ヴァルト記録官が北部へ来ると知っていた?」


「ああ」


 私自身が、まだ赴任日を決めていなかったころだ。


 それなのに、相手は知っていた。


「オスカーの死亡記録も、あなたが作ったのですか」


「……そうだ」


「本人はどこにいた」


「地下の保管室だ。署名が必要だった」


「彼を三か月も閉じ込めていたのか」


「殺せと言われた。だが、生かしておけば役に立つと思った」


「雪崩で見つかった遺体は誰です」


「知らない。荷車の近くで見つかった、身元のわからない男だ」


 死んだ者の名前を奪い、生きている者を帳簿の中で殺した。


 そして今度は、私の名前を使って種麦を盗んだ。


「命令を届けた者について、ほかに覚えていることは?」


「右手に手袋をしていた」


 グレンの声が低くなる。


「季節に関係なく、いつもだ」


「右手を使うところを見ましたか」


「ない。字を書くのも、封書を渡すのも左手だった」


 残翼の鷹。


 右手の手袋。


 左手で字を書く男。


 手がかりは増えた。


 それでも、名前には届かない。


     ◇


 オスカーが目を覚ましたのは、夜が更けてからだった。


 医師の許可を得て、ローディス監察官が寝台のそばで話を聞いた。


 私は守衛に付き添われ、少し離れた椅子へ座った。


「死亡記録が作られた経緯を話せますか」


 ローディス監察官が尋ねる。


 オスカーは青白い顔で頷いた。


「種麦の数が、合わなかったんです」


「いつ気づいたのですか」


「三か月前です。保管簿では増えているのに、倉庫の床に残る袋の跡は減っていた。馬の飼料も、記録より多く使われていました」


 帳簿ではなく、周囲の記録から異常を見つけた。


 彼も、同じ方法で真実へ近づいていた。


「王都へ報告しようとしました。でも、グレンに知られた」


「それで、雪崩事故を利用された?」


「雪崩のあと、身元のわからない遺体が見つかりました。グレンは私の外套と銅牌を、その遺体へ移した」


「あなたは?」


「殴られて、古い軍用倉庫へ運ばれました。何度も受領証へ署名させられた」


「拒まなかったのですか」


 オスカーは目を閉じた。


「最初は拒みました」


 声が震えていた。


「でも、妻と娘の住む家を知っていると言われた」


 部屋の中が静かになる。


「私は署名しました。七枚すべてに」


 つまり、受領証にあるオスカーの署名は模写ではない。


 本人が書かされたものだった。


「昨日、なぜ管理所へ戻ったのです」


「グレンが私を連れ出しました。最後の書類を書かせたら、今度こそ始末するつもりだったのでしょう」


「文書庫で抵抗した?」


「はい。あの命令書が残れば、ヴァルト記録官が捕まると聞いていました」


 オスカーが私を見た。


「すみません。もっと早く、逃げるべきでした」


「生きて証言してくれました」


 私は答えた。


「それが、一番重要な記録です」


 彼は目を伏せた。


「命令を持ってきた者を見ましたか」


「一度だけ」


「顔は?」


「見えませんでした。ただ、左手で書いていた。右手には黒い手袋をしていました」


 グレンの証言と一致している。


「ほかには?」


「封書の蝋に、翼の欠けた鷹がありました」


 二人が別々に、同じ特徴を証言した。


 偶然ではない。


 だが、その印を使う者が誰なのか、私たちはまだ知らなかった。


     ◇


 小部屋へ戻されたあと、ローディス監察官が逮捕状を持ってきた。


「確認してほしいことがあります」


「私は被疑者です。文書に触れてもよいのですか」


「触れずに読んでください。私が持ちます」


 彼は逮捕状を机の上へ広げ、私の前に立った。


「罪状の部分です」


 公文書偽造。


 北部種麦の横領。


 証拠隠滅。


 そこまでは、橋のそばで読んだ。


 しかし、その下には、証拠の詳細が記されていた。


 私は一行ずつ目で追った。


 そして、ある箇所で止まった。


「監査用紙……第二十七号」


 声が漏れた。


 逮捕状には、はっきりと書かれていた。


 王国記録監査官エリナ・ヴァルトは、監査用紙第二十七号を複製し、北部七村への種麦輸送停止命令を偽造した疑いがある。


「二十七号だとわかったのは、いつです」


 ローディス監察官が尋ねた。


「昨日です。文書庫で焦げた命令書の裏面を確認したときです」


「それ以前に、誰かへ知らせましたか」


「いいえ。あの場にいた者しか知りません」


「私も、昨日初めて知った」


 私は逮捕状の発行日を見た。


 二日前。


 王都から使者が出発した日だ。


「この逮捕状を書いた者は、二十七号の偽造命令書が北部に置かれることを知っていた」


「それだけではありません」


 私は紙に触れないよう、番号の部分を指した。


「私がそれを見つけ、番号を確認することまで知っていました」


 ローディス監察官は逮捕状を畳まなかった。


 扉の外には守衛がいる。


 王都から来た使者も、別室で監視されている。


「使者を拘束しますか」


「まだです」


「なぜ?」


「この文書を作った者と、運んだ者が同じとは限りません」


 使者は、封書の中身を知らずに運んだだけかもしれない。


 ここで焦って一人を犯人にすれば、本当の内通者が証拠を消す時間を与える。


「逮捕状を封印してください」


 私は言った。


「写しを三通作り、発行日と到着時刻も記録してください」


「あなたは自分を捕らえた文書を、証拠として残すのですね」


「私が拘束されたことも、すでに起きた事実です」


 消すことはできない。


 ならば、正しく残すしかない。


 二日前に書かれた逮捕状には、昨日見つけた証拠の番号が記されていた。


 これは、私の罪を調べた文書ではない。


 私がどこで、何を見つけ、どんな容疑で捕らえられるのか。


 最初から書き終えられていた筋書きだった。


 そして今、私はその筋書きどおり、拘束されている。

お読みいただき、ありがとうございます。

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