1【李姫 キヨウ】
この地は昔、荒れた大地と枯れ木が目立ち、ろくすっぽ作物の育たぬ痩せこけたものだった。
しかしあるとき、巫女へ神からのお告げがくだる。
『自然を育む姫が、選ばれた血筋に与えられます。やがて産まれる彼女たちは、その身体に奇跡の紋様と力を宿していることでしょう』
間も無く各地で産声を上げたのは、奇跡を宿した姫達。彼女達は果物の種を創り出し、果樹や草木であっという間に土地を彩っていった。
人々は後に、彼女達をこう呼ぶ。果物で國を彩る姫——彩果姫。
これが、豊かな自然を人々が当たり前のように享受できるようになった嚆矢であり、人々を夢中にさせる水菓子や木菓子が盛んに出回るようになった果宝年間の始まりであり、醜くも繰り返される争いの幕開けであった——
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月照らす山の中腹、木々を縫うように駆ける馬がいた。
——ダダッ、ダダッ、ダダッ!
手綱を握るは李姫守護士の青年、イガワ。年は二十五、深く蒼い目は夜目が効く。共に乗る、すもも色の髪を結った少女は薔薇ノ國李の里、彩果姫が一人、李姫。真名はキヨウ。年は十二。
李の里は焼き討ちに遭い、李姫達は命からがら数名で里を抜け出したのだが、とうとうこの二人になってしまったのだ。しかしいまだ、追手はしつこく迫ってくる。
このままでは埒が開かない——峠に差し掛かると、その一本道でイガワは馬を止めた。
——ヒヒンッ……ブルルッ。
体から湯気立たせる馬からキヨウを残し、サッと飛び降りるイガワ。
「おいイガワ……? 何をしておる、なぜ降りたんじゃ!」
嫌な予感からキヨウは叫ぶ。
「李姫。どうかお聞き入れください」
「お前まさかっ……イヤじゃ! そんなもの聞かぬぞっ……何故じゃあ! どうしてお前まで、妾を一人にしようとする!」
キヨウにとって、幼いみぎりよりずっと側で支えてきたイガワと離れるのは心が裂けるほど痛いこと。そんな想いを、もちろんイガワも承知している。そのうえで、もはやこうする他なかったのだ。
「あの狼藉者らに、あなたを傷つけさせるわけにはいかないのです。李姫、どうか」
「イヤじゃあァァ!! 嫌じゃ嫌じゃイヤじゃあっ……くっ、どうして……最後まで守ると! 妾と共におるとお前は言ったではないか! だのにどうして……なぜ妾だけ行かせようとする! どうして一人で行こうとするッ!!」
「……このままではダメなのです!」
「ならば、妾もここで戦えばよい!」
「なりませんッ!」
「なぜじゃッ!! お前のくれた小太刀ならば持っておる。技も教わった!」
「それは護身のため。手ずから戦うためのものではありません」
「もとより、お前が死のうものなら、妾とてよもや生きておっても意味は無い……それならばいっそ、死んでしまった方がマシじゃあッ!!」
「ヒメッ!」
聞いたことのない強い語気に、キヨウはハッと口を結ぶ。
「っ……」
そんなキヨウの頭を、しかし優しく撫ぜるイガワ。
「李姫……いえ、キヨウ様。こっちを見てください」
「ぐずんっ……」
涙ぐんだ視線がイガワの優しげな糸目と交わる。
「イガワ……」
「意味が無いなど、死ぬなどと……そんなことは後生ですから言わないでください」
「でも。でも……ぐずん。な、ぜじゃ……妾はイガワと共に過ごしたいだけじゃ……それは、そんなに悪いことなのか……?」
「いいえ……」
「なりたくてなったわけでもない彩果姫を、今まで我慢できたのはお前が……イガワがおったからじゃ。
お前がそばで支えてくれたから……蔑まれようと馬鹿にされようと、いまだ立派なものが生み出せなくとも、希望を持って頑張ってこれたんじゃ。それなのになぜじゃ……妾は希望を、お前を失いたくない。
神はどうして、こんな酷い仕打ちばかり強いる。どうして命を嘲笑うような運命を背負わす……あんまりではないか」
「キヨウ様……私が死ぬのは、お役目にございます。であればあなたは、生きることがお役目と言えるでしょう。私は守護士です。彩果姫であらせられる御身に仕え、守ることこそ生きる意味。使命、あるいは矜持なのです。
それに私は、もう十分素敵な時間を、生きた意味を……あなたに与えてもらいました。これ以上は、欲張りというものなのでしょう」
「そんなことはないっ……くっ、そんなこと言うな」
声が震えるキヨウの涙を拭って、イガワは言う。
「危機に晒されたならば、命を持ってしてでもあなたを守らねばならない……それが全く分からないお年頃では、もうないはずですよ。キヨウ様」
「…………」
「大丈夫! たとえ私がいなくとも、あなたは必ず立派になる。私には、分かりますよ。いままで、一番お側で見てきたのですから」
「ううっ……イガワぁ」
「私達に李を生む力はありません。しかし、あなたにはある。私達には守られる義務がないが、あなたにはその義務がある。なぜなら、世界に恵みを与えられる、たった一人の尊いお方だからです。素晴らしいです」
溢れる涙を優しく拭うイガワの手。
「本当に泣き虫ですね、キヨウ様は。しかし私は、そんなキヨウ様も、キヨウ様の作る李も大好きでなりません。
種を生むときの神々しいお姿も、他愛無いお話にけらけらと笑うお姿も、動物を愛でる優しいお姿も、些細なことで拗ねてしまわれるお姿でさえ……全てが愛おしく、美しい光景でした。
キヨウ様が生き延びること、そして李を生み出すこと……それは私たち李の里の想いを繋ぐと同義。ですのでどうか……この私の最後のワガママとしてお聞き入れください」
頭を下げるイガワ。これにキヨウは深く息を吐き、止むを得ないのだと覚悟をして天を向く——こんな時だと言うのに、かつて見たことのないほど美麗な満月の姿が、そこにはあった。
「妾は、もっとお前とおりたかった……話がしたかったし、服を直して欲しかったし、手鞠で遊んで欲しかったし、狩りにも連れて行って欲しかった……」
「はい……」
「お前こそは妾にとって、唯一無二の宝じゃった……そんなお前に命ずる——絶対に死ぬでない。生きて戻って来いッ……!」
「はい……慎んで、拝命致します」
「イガワ……感謝する」
「キヨウ様。これまでを、私も感謝致します。いつか、また李を私にお与えください。またその日まで、健やかであらんことを——」
イガワは馬へ向けて言う。
「分かってるな銀丸。さあ行けッ、姫をお守りしろ!」
——ヒヒィーンブルルッ!!
いななけば、瞬く間に駆けて行く。
「キヨウ様……どうかお達者で——」
溢れる涙を拭ってあげることはもうできないが、涙を流させないために刀を振るうことはできる。
そこへ、とうとう追っ手の音。
「いたぞーっ!! こっちだ回れいっ!!」
「……ここから先へは、たとえ死んでも通させん」
鞘からゆっくり抜かれた刀は月光を反射し、眼光は鋭く前を向く。前方、六つ七つと増える松明、迫る馬。
暗闇からイガワが一閃切り込むと、馬に乗る者の首は容易く刎ねられ、周囲がどよめく。
——ビシャっ!!
「我が名はイガワ、彩果姫、李姫守護士である!! 蛮族どもめ、貴様らの相手はこの私だアァッ——!!」
一人また一人、斬りつけること稲妻の如し。次々に敵数を減らすも、イガワを襲う刀の嵐は止まる所を知らず。
しかし、腹を斬られようとも足を刺されようとも、イガワは決して後ろに下がることはなかった——
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一方、キヨウを乗せた銀丸は峠の道を下ってゆく。
銀丸は里で一番賢く、足が速いうえスタミナもあった。たとえ芦毛で目立つ馬とはいえ、その能力は目を見張る。故に、このときもキヨウを送り届けるには、十分な体力と賢さを持っていたと言えよう。
しかし運命は、なおも酷を強いる……昨夜の雨のせいで足場が脆くなり、銀丸が通ったことでとうとう崖崩れを起こしたのだ。
——ガシャガシャーッ!!
「っわ……!?」
ふわっと浮いたと思えば、銀丸もろとも崖の下、川のもとまで滑り転げてゆく。
「きゃあっっ……!!」
しかし、そこで頭が良いのが銀丸だ。キヨウが放り出されぬように体勢を変えて庇ったのである。落石に当たらないように、崖に身を打たないように。
それでもとうとうキヨウは、川のそばでドタドタッと投げ出される。
「うぁっ……! くっ……ぎ、んまる」
強く頭を打ち、そこで意識は遠のいた。
そこへ、銀丸がびっこをひいてやってくる。普通に落ちたわけではなく、走っていた最中のことだし、まして高いところからの落下……銀丸の脚は血塗れだ。骨が出るほどに、骨折をしていた。それでも、自分より主の身を案じ、離れた場所からこちらへ歩いてきたのだった。そんな力も、もはや出ないはずなのに。
鼻先で突いたり舐めたりしていると、キヨウはぼんやりと起き上がる。
「っ……痛っ。崖、そうか……落ちてしまったのか。頭は少し痛いが、怪我はあまりせずに済んだようじゃ。銀丸も平気か、すまぬ……ん? おい銀丸……その脚っ——!?」
銀丸はそこでようやっと安堵したのか、とうとう大きな体をバタンっと寝転がらせた。
「銀丸っ!! イヤじゃお前まで置いて行くのかッ……!!」
その熱い体に、キヨウは抱きついて泣き縋る。
「どうしてじゃあっ……お前まで失うのか妾はっ……ぐずんっ。すまぬ銀丸……痛いかろう、苦しかろ……すまぬ、すまぬ銀丸ぅ……何も出来なくて……っ」
しかし銀丸は、そんなキヨウを鼻先でぐいと押しやった。
「ぎん、まるっ……? なんじゃ……どうした?」
「ぶるるっ……」
その目は、ジッと何かを伝えるようにキヨウを見据えた。自分は置いて早く行けと言わんばかりに息をフッと吹きかける。
「お前も、妾に行けと言うのか。そうか、そうだな……約束、してしまったからな。生きねばならぬのじゃな……銀丸、ろくに何もできずにすまない」
キヨウは鼻をすすり、おもむろに立ち上がる。
目を瞑り両手を包み込むように合わせると、中からは光が溢れ出る。光が止めば、手の中に現れたのは種が三つ。それを地面に。
「妾が命ずる——李下に恵を紡ぎし五果が一つ。その実は小径を作り出し、乾こうとも糧となり、小さな希望は大きな幸福を生みださん。謳え、李たちよ。示せ、神秘の盃よ——」
すると種は瞬く間にブワーッと地面に根を伸ばし、そこにはどっしりと樹木が現れる。夜の闇に影となって葉は茂り、桜にも似た白い花がぽんぽんと、静かれ現れるは果実たち——李である。
キヨウはそれをひとつちぎり、銀丸のそばに置く。
「銀丸……ありがとな、ぐすんっ……大義であったぞ——」
川に沿って下るキヨウが見えなくなるまで、銀丸が目を離すことはなかった——




