qui suis-je ?
モフモフを、モフモフし続けてた。
それはもう、モッフモフとし続けていた。
俺の無駄な語彙の辞書での美辞麗句を並べ立てるよりも、雄弁にモフモフはモフモフを語っている。
突如大きな声を上げながら噛みつかれる。
「痛ぇ!おまっ、シルヴ!ちょっとくらい良いじゃねぇか!こちとら途方に暮れてんだぞ!」
俺は狐に、シルヴと名前をつけることにした。
勿論シルバーが由来だ。実に安直である。
月の模様が書いてあったので、ツッキーって名付けようとしたら先ほど同様噛みつかれたのでそれは諦めた。
だが、そんな態度を取る割に、俺の事を案じてくれているのか、側から離れることはなかった。
俺がそうやってアニマルセラピーに勤しんでいると、一縷の絵の真向かいの額縁が光を放つ。
あまりの光量に思わず目を細め、腕で顔を覆うようにして遮った。
頃合いを見計らって目を向けると、そこにはまた絵が飾られていた。
今度は煌びやかで荘厳に描かれた、豪華な絵であった。
色使いはクリーム色を基調としており、ドレスを着た女性が身体を緩くもたれかけている所が描かれている。
彼女の四肢にはマリオネットのように黒い糸が繋がれていた。
タイトルは『贄』。
「これは……確か、ロココ様式……だったかな。18世紀のフランスで流行してた様式だ。マリオネットってことは操られていた人物……。18世紀のフランスで操られた女性と言えば、誰でも知るあの人しかいない。」
卑弥呼の時代に行こうとした時のように、絵に近づき手を伸ばそうとして、ふと隣に掲示板のようなものがあることに気づく。
さっきまで、こんな物あっただろうか。
掲示板には、1枚の紙切れが付いている。
▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽
名前:ヨヌマケイジ
称号:時の女神の代行者
【権能】
時間停止……1秒
時間加速……1秒《2倍速》
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たったそれだけが書かれていた。
やっぱり俺と縁の深い神は、時の女神だったらしい。
さっきの女性も、恐らくは同一の存在だったんだろう。
しかし、権能と言われても、使う方法に全く心当たりがない。
確かに、卑弥呼を助けようとして一瞬時が止まる感覚はあった。
だけどあれは無我夢中だったから、どうやったかなんてさっぱり覚えていない。
「……シルヴ。ちょっと跳んでみてくれ。」
俺の声に尻尾を揺らしてぴょんと跳ねる、シルヴ。
その瞬間に思いっきり腹に力を込めて叫んでみる。
「時間停止ィィィ!!」
……特に何も起こらず、シルヴはそのまま華麗に着地する。
…………。
俺は、絵に向き直ると、さっさと手を伸ばし、その世界の中へと逃げ込むのだった。
☆
逃げ込んだ先で、最初に目にしたのは何処かの家屋の中だった。
広々とした……とまではいかないが、人ひとりが生活する分には何不自由しなさそうな空間。
俺が座っていたのはベッドの上だったらしい。
服装からして、今まさに寝て起きたばかりといった所だろう。
何か情報はないかと、机の周りを物色してみる。
筆記用であろう羽根ペンとインク。
それで書かれたであろう、パン作りに関するあれこれが丁寧にかかれたメモ書き。
引き出しを開けてみると、そこには日記帳のようなものが入っていた。
俺はパラパラとめくり最新の日付を確認する。
1789年8月18日。
フランス語で書かれているが、不思議なことに母語で雑誌を読むかのようにスルスルと中身が理解できた。
そこには一介のパン職人の苦悩と世間の不満が最高潮になっていることへの疲弊が綴られている。
少し戻してかいつまんで読んで行くと、どうやらこの男は今年パン職人になったばかりの男らしい。
しかし、近頃の客の増加と、凶作による材料の不足。
現場の肌感でも最早どうにもならない状況なのは明白だったらしい。
慣れない作業に、連日の高負荷作業。
そこに暴徒と化した民衆に殴られて敢えなく離脱し休暇中、といった事らしかった。
名前が「ノア」であることも、一連のやり取りから読み取ることができた。
そこまで読み終えると、階下と思しき所から女性の声が聞こえてくる。
「アンタたち!朝食が出来たよ!降りてらっしゃい!」
その言葉に俺は身支度を整えようとチェストを開け放った。
独特のすえた香りが鼻をつく。
不快ではないが、気にはなる程度のニオイに負けず中を確認すると、いくつかのズボンとシャツ、それにベストが乱雑に仕舞われていた。
これだけでも整理する気力もなかったことが伺い知れる。
適当にそれらに着替えると、壁にかけられた帽子を手に取り部屋を出る。
いくつもの部屋の扉が目に入る、数人の疲れ切った男達が出てくる所を見るに、ここはパン職人の下宿なのだろう。
その中の一人が、俺に気づき声をかけてくる。
「ノア……!この間は災難だったな。ケガの具合はどうだ?」
彼の優しい声音には、心底からの心配が含まれていることが分かる。
「ありがとうございます。見ての通り、問題ないですよ。」
その様子を見て、彼はほっと安堵のため息をついた。
「食い物の恨みは恐ろしいというか……腹が減った人間は本当に何をするか分からん。お前もああならないように食える時に食っておけよ。」
それだけ言うと彼は下の階へと降りていった。
ノアという人物はそれなりに可愛がられてたらしいな。
まぁ、激務の現場に新人が入ると辞めてほしくない気持ちが強くなって優しくなるのは当然と言えば当然だが。
俺は彼の後を追って、階下へと向かうのだった。
次回投稿 3/30 19時〜(予約済)
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