94.ある少年の独白
物心ついた頃から、本当に必要とされたことがないと思った。
自分はあくまで、父の子どもで、存在していなきゃいけない。でも、それだけ。親として子どもへ抱く感情は本など読んだところで、嬉しい?幸せ?そんな感情を向けられたこともない。だって分かるから。上から見下ろすその目で、期待していないことがありありと。
いればいい存在。きっと父の中で自分はそういう立ち位置。
ある日、父が自分より少し年上の少年を連れ帰ってきた。
いよいよ自分はいらない子だと思った。
自分は捨てられて、やってきた少年が息子として育てられるのだと。
自分は家庭教師から毎日毎日たくさんのことを学んでいるのに、連れてこられた少年は毎日父から魔法を教わっている。
"魔法"
僕が最も焦がれてやまないもの。
魔法があれば認められる。父からも母からも。
生まれてきてくれてよかった、生まれてきてくれてありがとう。
そんな幻想を何度抱いたことだろう。
でも魔法はいくら勉強したって使えるものじゃない。
それは自分が魔法を使えないと気づいてからずっと、ずーっと、分かりきった事実だった。
魔法の本も読んだ。何度も、何度も何度も、それこそ擦り切れるまで。魔法を使うための補助詠唱なんかも何も見ないで唱えられるぐらいには、十、二十、三十、四十、五十、……数えきれないぐらいの絶望を味わった。
次はできるかもしれない。できなかった。でも次こそはできるかもしれない。またできなかった。そんなことを繰り返して、繰り返し続けて、あぁ自分は本当に魔法が使えないんだって自分自身を理解した。
父は魔力が多いらしいから自分が魔法を使えないのは生まれてすぐ気づいたんだろう。
でも、だからこそ自分は使えるようになりたかった。
見返したかった。
前例がないなら作ればいいと思った。
そんなうまい話があるわけなかったのに。
きっと魔法さえあれば父と母は自分を見てくれて、自分は必要とされると思った。
ある日、弟が産まれた。
自分は知らなかった。母とは長い期間会っていなかった。だから、突然の出来事だった。無感情にその報告を聞き、あぁ弟は魔力があるのだろうか、それだけがただ気になった。
母は弟を産んですぐ死んだらしい。
特になにも思わなかった。いや、母だけこの縛られた世界から旅立てたと思えば少しずるいと感じた。母はきっと魔力のある子を産みたかったんだろう。自分が失敗作だったから。
見ず知らずの少年と親子のようなやりとりをする父と少年を許せなかったんだろう。そう感じるのは少なからず母と自分の血が繋がっているからだろうか。
でも母はこの世界から逃げた。自分を置いて。
母がいなくなろうがこの世界は回っていく。葬儀が終われば特段普段と変わりなく。
臣下からもなにも言われず、淡々と毎日の課題をこなしてくだけ。
気づけばいつの間にか父が連れ帰っていた少年はいなくなっていた。
どういう経緯かは分からないが、少しだけほっとした自分が嫌になった。
兄、だったんだろうか。いや、それとも。
考えるだけ無駄だとも思った。
いようがいまいが自分の生活は変わらないのだから。
母が死んでから数日経ったある日、不思議な音がした。
なんの音だろうと、普段と違う行動を初めて起こした。
ただの興味本位だった。いつもの自分なら次の課題をこなすために自室に向かっている最中だったのに。
廊下の土壁に沿いながら音の方向へとゆっくりと足を運んでいく。
この区画はかつて母が住んでいたあたりだろうか。
母とは死ぬ前も公務以外では数える程度しか会っていなかったからどんな人物なのか分からないままだった。
後悔というものを感じられない自分は人間じゃないのかもしれない。自虐でもなく、純粋にそう思った。感情が欠如しているんじゃないかって。
ついに音がする扉の前まで来た。
少しだけ開いていた扉を自分の手でもう少し開ける。
そうすると音はさらに大きくなった。そう、赤子の泣き声だ。
周りにいる乳母や侍女たちが泣き止ませようとしているけれど一向に泣き止まず、泣き声は大きくなっていくばかりだった。
弟、そう自分の弟がそこにいた。そこにいて泣いていた。
自分は今の今まで、弟のことを忘れていた。誰も話さないから。いや、自分が興味がなかったからなのかもしれない。
いま、この時、自分は弟を認識した。
必死に泣いて自己を主張する存在。
自分もこうだったんだろうか。
弟には、母がもういない。自分にもいないようなものだったが、弟にいないと思うとそれは違うと思った。
扉から身体を出して見ていた自分に部屋にいた一同が驚き小さく声を上げていた。
嫌われているのか、驚かれただけなのかは分からない。自分は関わってこなかったから。ただ、気になるのはその腕に抱かれた弟だけだった。礼をしてきた皆に頭を上げるように伝え、静かに乳母に抱かれて泣いている弟に近づいた。
どうして泣いているんだろうか。
怖いことでもあったのだろうか。
まだ喋れない弟は全身を使って大声で泣いていた。
扉から覗いた時に何をしても今日は泣き止まないと漏れ聞こえていたため、機嫌でも悪いのかと見つめていたら弟を抱いていた乳母がそっと腰を落として自分に近づいてくれた。
これが、弟。
泣きすぎてしわくちゃな顔で、自分と同じ小麦色の肌で、錫色の髪。
弟。
自分は、弟という生き物を観察していた。きっと周りからは何をしているんだと思われていることだろう。そんなことよりも、興味が勝った。
じっと見つめていると乳母から「抱いてみませんか?」と言葉があった。この大泣き状態で自分に抱いてみるかと聞くなんてなかなか肝の座った乳母だと思いながら、こんなにも小さな存在を抱くことなど想像できずに即座に断った。乳母はなかなか押しが強いようで、良い経験になります、首が座っていないのでこことここに手を添えて、と教えてきた。断ったはずなのにいつの間にか抱く流れになっている。これまで人と交流というものを極力してこなかった弊害か自分でもどうすればいいのか分からないまま、言われるままに動いていた。
音が、——やんだ。
ずっしりとしたぬくもりが、自分を見上げている。
ただまっすぐに。
乳母はきっとお兄様が恋しかったのかもしれません、そう微笑んでいた。
自分は、自分にまっすぐと見上げてくるこの小さな存在が、なんだかよく分からなかった。
落とさないように、落とさないようにしていれば、弟がついに声を上げた。
やはり泣いたかと思ったら、
笑い声だった。
その瞬間、 自分はここにいていいんだと思った。
今この場で、自分を害そうとする者もおらず、皆が弟が笑顔なことに喜び、抱いている自分を褒めてくる。
自分は一人じゃなかったんだ。
こんなにも小さい身体で、自分の弟は生きている。
この子に魔力があったとしても、守ろう。なかったとしても、守ろう。
自分がこれまで耐えて、守ってきたこの地位はこのためにあったのかもしれない。
初めて、生きていてよかったと思えた。
「イグルニア、お前を守るよ」
初めて呼んだ弟の名前は、宝物のような響きがした。
◆
イグルニアに出会ってから、自分の予定に必ず弟に会う項目が追加された。
周囲からは突然どうしたといった様子だったけれど、今までちゃんと課題をこなしてきたおかげか特になにも言われなかった。
父へもきっと報告がいっているだろうけれどお咎めは今のところない。ならいいだろうと、以前の自分なら考えないような思考が生まれていた。
それがどこか嬉しくもあった。自分にもこんな感情があったのかと驚くばかりだった。
そんな驚きの連続の中で、ある日唐突に父から王位継承権と病気のことを聞かされた。
いままで会う気配のなかった父は、お前に次の王位を授けると重鎮たちの意見も聞かず自分を指名し、引継ぎをどんどん行っていく。
勝手な父は最後まで勝手なんだと思った。
自分は今まで通りこなすだけだ。
弟を守ること。
そして国も守ることになるだけ。
そう決意して、自分は生きていくだけだ。




