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第8話 パン屋の秘密と三つ編みパン

 なんとなく足が遠のいてしまい、配達もなかったため、リリアはバナードと会えないまま次の日曜日を迎えた。

 空はどんよりと曇っている。


「おはようございます」

「リリアさん、おはよう」


 ドアを開けるなり、バナードが出迎えてくれた。リリアは距離の近さに動揺しつつ、店に入る。


「どうしたの?」

「え?」

「いつも、ドアを開けると目をつぶって深呼吸するのに」


 バナードのリリアを真似た仕草が可笑しくて、リリアは笑った。


「今日は、バナードさんが目の前にいてびっくりしただけですよ。さあ、行きましょう!」




 今日も売れ行きは好調だった。声を張り上げる間もなくお客さんが来てくれたので、二人はパンを包むのに大忙しだったほどだ。会話もほとんどなく、全てのパンを売り切った。

 帰ってきて片付け終えると、バナードが心配そうな声で言った。


「リリアさん、やっぱり何かあった?もしかして疲れてるんじゃない?いつもと感じが違う」

「そんなことないです、元気ですよ」


 リリアが笑顔で言っても、バナードは真面目な顔つきだ。


「実は、俺はもう、朝市はしばらくいいかなと思ってるんだ。お客さんが増えてありがたいけど、これ以上忙しくなると一人で手が回らないと思う」


 リリアは驚き、両手を胸の前でぎゅっと握った。


「それなら、人を雇ったりとか……」

「……。とにかく、来週はやめておこう?」


 バナードが宥めるような声で言うと、リリアは喉の奥がぐっと詰まって、息が苦しくなった。


「……嫌です」


 絞り出した声は、ひどく掠れていた。


「リリアさん?」


 珍しいリリアの様子に、バナードが慌てて近づく。俯いてしまったリリアの顔を覗き込もうとかがんだ、その時。

 

 ひゅうっ、と二人の間を風が通り抜けた。驚いて顔を上げたリリアは、さらに目を見開く。

 バナードの金の瞳が、あらわになっていた。


 目が合ったのは、一瞬。

 すぐにバナードは目を隠してしまったが、リリアはまだポカンとしていた。窓もドアも閉まっている。室内に風が起こることはないはずだ。


「バナードさん、あの、今のは……」

「……」


 バナードも戸惑っているようだ。上を見上げ、額を押さえたかと思うと、リリアを見た。


「ちょっと、奥で話せるかな」




 コーヒーを淹れるバナードの後ろ姿を見ながら、リリアは今まで起こった不思議な出来事を思い返していた。舞い上がった地図も、転びかけて無事だったことも、何か関係があるのだろうか。


「どうぞ」


 目の前に、木製のトレイが差し出された。いつものミルク入りのコーヒーと、ちょっと大きめの三つ編みの形のパン。薄切りのナッツがまぶされ、中にも何かが入っているようだ。思わずパンに目を奪われていると、バナードが言った。


「実は……俺は精霊が見えるんだ」


 リリアはバナードに視線を移し、目を瞬いた。この町に精霊の存在を信じる人が多いことは感じていたが、実際に見えるとは。

 しかし不思議と、バナードの雰囲気にその事実が似合っていて、リリアの中にすとんと収まるように、納得できてしまった。


「驚かないの?」

「驚いてますよ。でも、なんだか妙に納得してしまうというか……」

「そっか」


 バナードは口元を緩め、コーヒーを一口飲んだ。


「見えるだけじゃなくて、精霊たちがたまに話しかけてきたり、力を貸してくれるって言ったら、驚く?」

「それはすごいですね」

「信じられないとは言わないんだね」


 カップを見つめながら、バナードは少し照れたような顔で続ける。


「どうも、俺の強い感情に反応することがあるみたいで。……さっきの風も、俺が……リリアさんの顔を見たい、と、思ったからだと、思う」

「……なるほど」

「転びそうなリリアさんを見て、助けたいと思ったら助かったりね」

「あの時、助けてくれたんですね!」

「精霊が騒いでいたから、外に出てみたんだ。間に合ってよかった。あと、美味しいパンが作りたいと思ったら水が出たときは、びっくりしたな」

「それはすごいですね!もしかしてこのお店のパンは……?」


 リリアの言葉にバナードは曖昧な笑みで頷くと、下を向いてしまった。


「でも……そんなにすごいとか、便利とかってわけじゃなくて。俺は、昔……人を傷つけそうになったんだ」


 バナードは語り出した。


 子どもの頃から精霊が見えたこと。両親と、歳の離れた弟だけがそれを知っていたこと。周りより頭ひとつ分背が高く、同じ年頃の子どもと遊ぶこともせずに時々宙を見つめるバナードを、周囲は変わり者と言っていたこと。それでも弟はバナードを慕ってくれていて、悪く言われるとすぐに怒ったこと。


「弟が村の子どもと、俺のことで喧嘩になってね。弟が怪我をしそうになって、俺は止めに入ろうとした。そしたら、触れてもいないのに、相手が目の前で吹き飛ばされたんだ。幸い大した怪我はならなかったけど。多分、怒った俺の感情に精霊が応えたんだと思う。……俺は怖くなったんだ。いつか、誰かを傷つけるんじゃないかって。それで、家に引きこもった」


 リリアは唇を噛んだ。

 この人は、きっと優しすぎる。


「俺は家族と精霊がいればそれでいいと思ってた。けど、見かねた父親に、親戚のパン屋で修行して来いって追い出されたよ。そのときは嫌だったけど、今は感謝してる」


 言葉を切ると、バナードは顔を上げ、少し表情を和らげた。


「親方のお祖母さんも、見える人だったらしいんだ。だから、俺の事情も少しわかってくれていて、居心地が良かったよ。パン作りに関しては厳しかったけどね。前髪が伸びても髭が伸びても、何も言わずに受け入れてくれた」


 バナードは前髪を手で上げた。金色の目がリリアを見つめる。


「たまに光るらしいんだ、この目。驚かせないように、誰にも迷惑かけないように、あまり人と関わらないようにしてきた。なのに……どうしてかな」


 優しい瞳がとろりと緩んで、綺麗で、目が離せない。


「リリアさんは、こんな俺に笑ってくれて、普通に接してくれて、美味しそうにパンを食べてくれて、すごく嬉しかったんだ。もっと一緒にいたいと思った」


 リリアの心臓が、どくんと大きく鳴った。


 うれしく思うのと同時に、誰より他人のことを考えているのに、人と関わらない生き方をしてきたバナードを思い、目頭が熱くなる。


「きっと、誰かを傷つけるのが怖いと思う、優しいバナードさんだから、精霊さんもバナードさんが好きなんでしょうね」


 バナードは目を見開いた。まじまじと見つめられて、リリアの鼓動は早まる。


「そう、なのかな……精霊たちは、そういう気持ちなのか」


 つぶやくように言ったバナードに、リリアは力強く頷いた。


「きっとそうですよ」

「……うん」

「……精霊さんが見えたり、話せたりするのは特別なことかもしれません。けど……この町に、精霊のおかげって言葉があるのは、きっと、見えなくても、彼らは誰かの気持ちに応えたり、助けたりしているんだと思うんです。そんな彼らが、人をそんなにひどく傷つけるとは、私には思えません」


 リリアは膝に置いた手をぎゅっと握った。


「それに……大人になったバナードさんがそんなに怒るようなこと、あるでしょうか。この町の人たちは、みんないい人です。たくさん知り合いがいるのでわかります。だから、少しずつ、仲良くしていったらいいんじゃないでしょうか。バナードさんはすごく優しくていい人ですもん、精霊だって誰だって、みんな好きになるに決まってます」

「……あ、ありがとう?」


 バナードは湯気の出そうな顔色で、そろそろと前髪を下ろした。それを見て、自分の言葉に気づいたリリアも真っ赤になって俯く。


 二人はだいぶ温くなったコーヒーに、同時に手を伸ばした。パンは、バナードが食べやすく切ってくれた。二人で半分ずつだ。

 カリカリのナッツの香ばしさと、ラムの香る干し葡萄の食感、ふわふわのパンが最高のバランスだった。そして、とても甘かった。


「ありがとう。リリアさんに話して良かった。俺は、精霊に好かれる体質なんだね」

「はい、きっと」


 そう言うと、バナードはリリアの後ろの方を見た。リリアも振り返ってみるが、何もいない。


「いらっしゃるんですか?精霊さん」


 リリアの問いに、バナードは頷いた。


「うん。実はずっと、周りにいるんだ。ふわふわ光ってる」

「わあ、見てみたい。綺麗でしょうね」

「うん、綺麗だよ。すごく」


 バナードは微笑んだ。


「……提案なんだけど、日曜日の朝市はたまに行くことにして、それ以外はここで一緒に昼ごはんを食べるっていうのは、どうかな?」


 リリアはぱっと笑顔になった。


「それはいいですね!」



 二人の周りで、小さな光たちが飛び回っていた。

 喜んでいるかのように。

本編完結です。

お読みいただき、ありがとうございました。


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