くまのパン屋は郵便屋さんを餌付けしたい
バナード視点です。少し長めです。
目の前で幸せそうな顔をしている彼女に、特別な気持ちを持ったのはいつだったか。
「バナードさん、これ、すごくおいしいです!」
今日の昼ごはんは、硬めのパンにじゃがいもとハム、チーズを挟んで軽く焼いたもので、きのこのクリームスープ付きだ。気に入ってくれたらしく、バナードはほっとする。
リリアは何を作ってもおいしいと言ってくれるので、作りがいがある。本当はもっと手の込んだものも食べてもらいたいが、気を遣わせてしまいそうで、塩梅が難しいところだ。
「こんなお昼ごはんに慣れてしまったら、贅沢ですよね。……餌付けされるってこんな感じなのかな」
最後は呟くように言われたリリアの言葉に、バナードは笑った。けれど。
「……されてくれたらいいのに」
「え?」
聞き返され、バナードはぱっと口を押さえた。心の声が出てしまったようで、焦る。
「なんでもないよ」
真っ赤になっているだろう顔を隠すため、コーヒーを一気に飲むと、席を立った。喉をやけどするかと思った。
もう一度コーヒーを淹れる準備をしながら、バナードは小さくため息をついた。
思えば、初めて会った時から惹かれていた。こんなむさ苦しい大男に、笑顔で接してくれたその時から。
* * *
バナードへ
ちゃんと食べてるか?店は開店できたか?
こちらは変わりない。
困ったことがあれば連絡してこい。
親方へ
ちゃんと食べてます。店は開けました。
こちらは精霊が多いです。
バナード
* * *
その日、バナードは後悔していた。また来て欲しいだなんて、なぜ言ってしまったのかと。それでいて、頭には彼女を見て閃いたパンのイメージが浮かんでしまっている。かわいらしい動物のパンが作りたい。
店に人がいないことを確認しつつ、バナードは工房で絵を描いていた。全く形にならず唸っていると、頭に鈴のような声が響いた。
『よんだよ』
「え?」
『また、よんだよ』
「何を?」
精霊たちは気まぐれだ。たまに話しかけてくるが、こちらの問いに答えてくれるかは時による。
きらきらと光って飛び回る精霊たちに、バナードは頭をかく。
『きたよ』
「きた?」
『きたきた』
「何が来るの?」
『おいで』
そう言って工房を出ようとする精霊に、バナードは慌てて絵をエプロンに突っ込み、椅子に足をぶつけながら表に出た。
彼女がいた。
「あ、いらっしゃい」
バナードは内心ドキドキしながら言った。
その後、絵をお願いし、名前を呼び合い、コーヒーまでご馳走してしまった自分に驚く。自分が自分でなくなったように、制御が効かない。どうしてしまったのだろうか。バナードは戸惑うばかりだった。
ドアベルの音に入口を見ると、背の高い男性に抱えられるようにして入ってきたのは、先日リリアに頼まれ診療所へ連れていった、ミネタだった。バナードは慌ててドアを押さえに行く。
「こんにちは。素敵なお店ね。この間は本当にありがとう」
にこやかに言うミネタに、バナードは答えた。
「いえ、俺は、大したことは。足の具合はいかがですか?まだ大変なのでは?」
「御礼しに行きたいと言って聞かなくてね。僕がついてるから大丈夫だよ」
ミネタの夫、キーファーがパチリとウインクしながら言った。そんな仕草が似合う、格好いい大人の男性だ。バナードには一生かかってもできないことだと思う。
「御礼は早い方がいいでしょう?はい。これ、ほんの気持ちだけど、私のお勧めのソーセージなの。リリアちゃんの分も持ってきてみたけれど、どうしようかと思って。職場やお宅をご存知?」
「あ、いえ、すみません……ですが、彼女はよく来てくれるので、預かりましょうか」
「そう?じゃあ、お預けするわ。二人で分けてどうぞ。もし時間があいてしまうようだったら、あなたが食べてしまってね」
「はい。あの、わざわざすみません。ありがとうございます」
「それと……」
ミネタはそれまでの柔和な表情をきゅっと引き締めた。上品な御婦人という雰囲気から、厳しい目つきの職人になったような突然の変化に、バナードも思わず背筋を伸ばす。
「あなた、パン屋さんなんだし、もう少し清潔感があったほうが良いんじゃないかしら。髪を切って、髭を剃って……あと、うちに昔主人が着てた大きめのシャツがあるから、それをあげるわ。あなた、いいかしら?」
「もちろん」
低く艶のある声でキーファーが答えるが、バナードは全くついていけない。
「は……え、ええっと、すみません、その……髪は、ちょっと……」
「そうなの?じゃあ、髭だけでもね。そうしたらきっと、もっと素敵よ」
「……はい」
ミネタはまた穏やかな笑顔に戻り、パンを買って店を出て行った。バナードは肩の力をほっと抜いた。窓から見えた夫婦の仲睦まじい姿に、心のどこかが少し、動いた気がした。
散々迷った挙句、思い切ってミネタに言われた通りに髭を剃り、リリアに素敵だと褒めてもらえた日。バナードの気持ちが昂りすぎたためか、精霊たちがいつもより落ち着きなく、ぶんぶんと飛び回っていた。ずっと感情を揺らさないようにしてきたバナードが、初めて見る光景だった。
* * *
バナードへ
ちゃんと食べてるか?店はどうだ?
何かあったら連絡してこい。
親方へ
毎日パンだけど、食べてます。
店はなんとかやっています。
バナード
* * *
初めての朝市の前日は、あまり眠れなかった。黙々とパンを焼き、いつもと違う服を着て、そわそわとリリアを待つ間、バナードは緊張でどうにかなりそうだった。
いつも通りの笑顔で現れたリリアは、あのお洒落なキーファーの服を似合うと言ってくれた。そんな彼女に勇気づけられ、そして助けられて、なんとか初めての市場を乗り切ることができた。一日であんなに大勢の人と接したのは生まれて初めてだったが、バナードは心地よい疲れと、充実感を味わった。
しかし、リリアの知り合いの多さには驚いた。老若男女問わず、しかも声をかけてくる全ての人の名前を覚えているリリアに、バナードは尊敬の念を覚えた。中には若い男もいて、気が気ではなかったが。
だから、変なことを聞いてしまった。あの男は誰だ、などと聞ける立場ではないというのに。
* * *
バナードへ
ちゃんと食べてるか?店はどうだ?
お前の家族からの手紙が届いたから一緒に送る。
バナードへ
元気にしていますか?
一人でお店を開いたと聞きました。一人前になったこと、うれしく思います。おめでとう。
だけど、ちゃんと食べてるの?父さんもコニーも心配してます。コニーがあなたに会いに行くって聞かないの。そろそろ止めておけなくなってきたわ。
村のみんなもあなたがパン屋さんだって知ってるし、この前は都会の味を食べてみたいって話になったくらいなのよ。
だから、たまには顔を見せに来なさいね。
母さんより
* * *
笑った顔以外の表情を見たのは初めてではないかと思うほど、リリアはいつも、笑顔でいた。その彼女が一瞬見せた、今にも泣き出しそうな表情に、バナードはひどく動揺した。
精霊のおかげですぐに驚きの顔に変わったわけだが、できればもう、あんな顔をさせたくないと強く思う。
リリアに事情を打ち明けた後、バナードは驚くほど心が軽くなった。何重にも巻かれた重い鎖が、一瞬で解けてなくなったような感覚。
なぜ自分だけが、と思うこともあった。疎ましい気持ちが生まれて、罪悪感に苛まれたこともあった。それが、精霊に好かれているだけだと思うと、なんと気持ちの楽なことか。
精霊たちに申し訳なかった。ずっと、見守ってくれていたというのに。改めて、彼らに感謝した。
そして同時にぐんと膨れ上がったのは、リリアへの抱えきれない感謝の気持ちと、抑えきれないほど大きくなった、もう一つの気持ちだった。
彼女がいい人ばかりと知り合っていると思っているのは、彼女自身がそうだからではないかとバナードは思う。誠実で、お人好しで、いつも笑顔で。リリアはバナードを褒めたが、リリアこそ、誰だって好きになるに決まってる。
そんな彼女が、日曜日の昼を一緒に過ごしてくれて、バナードの料理をおいしいと食べてくれる。それ以上、何を望もうというのか。
コーヒーを淹れながら、バナードは心を落ち着けようと、その香りを大きく吸い込んだ。
* * *
バナードへ
ちゃんと食べてるか?店はどうだ?
話し忘れていたが、その町はお前のひい婆さんの姉、つまり俺のばあさんが住んでた町だ。結婚する前は色々とあったようだが、爺さんと一緒になってからはその町でうまくやってたらしい。だからまあ、きっと過ごしやすいんじゃないか。お前も、色々と悩んでると思うが、うまくやれるといいな。
何か困ったら連絡して来い。
親方へ
返事が遅くなってごめんなさい。ちゃんと食べてます。とても親切な人がいて、店の噂を広めてくれたり市場に連れ出してくれたりしたおかげで、お客さんが増えました。忙しくなってちょっと困ってるくらいです。でも、幸せです。親方のおかげです。感謝しています。
この町に来られて良かった。本当にありがとう。がんばります。もう少し落ち着いたら色々と報告しに行きたいです。
家族への手紙を書いたので、そちらから送ってもらえますか。よろしくお願いします。
バナード
父さん、母さん、コニーへ
店はお客さんも増えてきて、がんばってます。この町は親切な人が多くて、俺にも少しずつ知り合いが増えてきました。毎日楽しく過ごしています。
父さん、親方のところに行かせてくれてありがとう。母さん、見守ってくれてありがとう。コニー、元気か?そのうち会いに行くよ。じゃあ、また。
バナード
お読みいただきありがとうございました。
番外編第一弾です。もう1話は前後編で、糖度高めだと思います。今週中に更新します。




